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介護保険拒否編

在宅介護、介護保険拒否編 13話

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 母は近くの美容室に通っていた。車で送り迎えをする。いつもなら迎えを呼ぶ電話が来るはずだったが、なかなかかかってこない。
 嫌な予感がしたので美容室に電話をした。近くのスーパーに送り届けましたと言う。
 当時、下剤を大量に飲んでいた。母に「こんなものを飲んでも意味がない」と何度も伝えていた。それでも本人は納得していなかった。
 スーパーに送り届けてもらって店内の薬局で下剤を購入していた。その後、どう帰っていいのかわからなかったのだろう。スーパーの駐車場で「原付がない」と座り込んでいた母を見つけた。

 家に帰ると3日に一回は便だらけ、洗濯機は常に回っている。働きに行く時間はなかった。それも母にとっては気に入らなかったようだ。 
「ここに電話しなさい」
 と言ってメモ帳を見せて来る。

 俺がいない間に近くの病院に電話をして「息子を働かせてもらえませんか」とお願いしていた。「福祉大学出ているので働かせてください」本人は介護されている意識はない。俺は周辺の病院に何度も何度も断りの電話をすることになった。こういう事情なのでと伝えることにする。最初は信じてくれなかった。
 電話や会話では母の異常性は伝わらない。
 家は常に清潔にしたかったので廊下に白い滑り止めマットを敷いて、どこに便がついてるのかわかりやすくした。常に掃除をしてるので、母が便だらけにしてるなどと、信じてくれる人はいなかった。
 完璧な介護をするから、介護してることに気づかれない。皮肉なものだ。

 電話帳を調べることができなくなったら電話番号案内に電話をして番号を調べるようになった。番号案内は有料だ。もう本人を止めるブレーキはどこにもない。
「おかんや見てごらん。手をふいたら黄色くなるやろ? これは便なんぞ」
 本人は理解できない。
「そんなんええんよ、話を聞きなさい。いつまで遊んどんな。情けない情けない」
 毎日説教をされる。
 紙パンツを使用してない期間、洗い替えに7枚のパンツを使ってたが足りなかった。

 母と同年代の人なら「こんなになってまで息子の心配して」と涙ぐむ場面だろうか? 介護してる息子としてはこちらの心情も汲んでほしい。
 自分の痛みで必死になっている人ほど、他人の痛みには無関心になってしまう。それが必ずしも悪いとは言わないし、人それぞれキャパシティーは違う。

 俺の体験は、俺が思っている以上に軽いものなのかもしれない。「そんな程度、大げさな。ブログでやれ」と言われたら反論しようがない。

 母は俺を遠ざけた。
 家の中で本人がどう動いたのかわかるように、ドアや襖にベルをつけた。どこを汚したかわかれば清潔にはできる。下剤を大量摂取して腹痛を起こし「何か悪い病気に違いない」と苦しんでいる母。下痢というより便は水のようになっている。アルコールや塩素で拭き上げる。こんな日々が2010年ごろから2013年ごろまで続く。
 2013年、本人の判断力が低下し始めて、介護サービスへの拒否が少なくなってきていた。
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