死者誤入

藍雨エオ

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複数箇所の刺創により出血性ショック死1

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「へぇ…死神ってのは意外と普通の男なんだな」
 黒いスラックスに緑の作業着、そのジャケットをきっちり上まで閉めた壮年の男性は少しだけ眉をひそめる。
「私が神に見えますか?」
「いんや普通のおっさんだな」
「その通りです。ただの仕事中の男です」
「随分と物騒なとこに仕事に来たなぁ」
「死と隣り合わせの仕事ですので」
「キツイ仕事だな。転職したらどうだ?」
「転職先がこの仕事なもので」
「ははっ、そりゃご愁傷さん」
 軽口を叩くのは、正面から見た姿は顔色の悪いただのくたびれた男。
 その背からはシャツが吸い切れなかった血が、地面へと滴り落ちていた。
鹿島智徳ろくしま とものり、年齢39歳、現在同一世帯で暮らす家族は無し。
 以上の情報にお間違いは無いですか?」
 智徳はドカリと地面に腰を下ろした。
 背もたれ代わりの薄汚い壁が鮮血で彩られる。
「そうだよ。アンタは?」
「お答え出来ません」
「そうか。煙草吸っていいか?」
 尋ねはするがさして男の正体に興味は無いのようだ。
「私は構いませんがこちらは禁煙地区では?」
「音がしねぇんだわ」
「はい」
「もうこれあの世なんじゃねぇの」
「いいえ」
「まぁ俺が今ここで煙草吸ったとして文句言えんのはアンタだけだろ?だったらアンタの許可があればいい」
 そう音がしない。環境音が無い。
 だってここは走馬灯なのだ。
 あの世まであと半歩も無いがあの世じゃない。
「っで、吸っていいか?」
「どうぞ」
 加熱式煙草を懐から取り出し、智徳は深く煙を吸い込んだ。
 紙煙草と違い、本来この加熱式煙草は煙自体の温度が高く少し熱い。
 背中の痛みどころか身体の不調を感じない。だが座り込んだ瞬間の衝撃はあった。そして煙は…熱い。
「聞くんだが」
「はい」
「俺は死んだか?」
「いいえ」
「俺は死ぬか?」
「はい」
「今普通に話せてんのはアンタが何かしたからか?」
「はい」
「今ここで俺が改めて死のうとしたらどうなる」
「はい?」
「死にかけの俺をお前が普通の状態にしてんだろ?
 ならこの状態でまた死ぬような事したらどうなんだと思ってな」
「それは、申し訳ありません。それは私も知らない想定外の事でご質問に答えられません」
「あっ、そーなんか」
 本当にただの疑問だったらしく智徳はあっさりと引き、煙を吸い続ける。
 特にもう聞きたい事も無いようで無言で男を見る。
 男は予想外の質問に緊張していたのか、眉間に皺が寄っていた。
「私は貴方に確認をしに来ました。鹿島さん、転生する気はありませんか?」
 身を屈め座り込む智徳に手を差し出す。
「えっ、いらね」
 その手は一瞥いちべつもされず拒否された。
 男は身を起こして黙り込んでしまう。
『転生はしない』と答えは出た。
 この男がしてきた仕事の中でぶっちぎりで早い解答だ。というか即答だ。
 説明すら求められなかったのは初めてだ。
「何故かお伺いしても?」
 素直に尋ねれば智徳は小さく頷く。
 ほとんど煙の出ない加熱式煙草からは、甘く焦げた香りが予想以上に香ってくる。
「必要無いからだよ。転生ってのが具体的にどんなもんかは知らんが俺はいらない。
 だから聞くだけ無駄なもんに時間を使うぐらいならこうして一本でも多く煙草吸うさ」
「知らないのに断じてよろしいのですか?」
「俺が知ってんのは生まれ変わるって事だ。それだけ知ってりゃ判断出来る」
 男は納得がいかないのか眉根を寄せる。
 本人は気づいていないのだろうか?
 強面の男は無表情を装っているが先程から眉が正直に動いていて、感情の機微に聡い者が見れば非常にわかりやすい。
 口元、目元、頬の動きに身体の動き、なまじ完璧な制御しているぶん僅かでも動く眉が悪目立ちだ。
 そんな姿にニヤニヤと笑みがこぼれてしまうのは、歳上の男の素直さに、多少の微笑ましさを感じたからだ。
「詳しく聞きたいなら話すぜ。煙草吸いながらでいいならな」
「お願いします」
 食い気味の返答に、笑いにもならない息が漏れた。
「あー、まぁ俺は見ての通りチンピラだよ。一応会社に入っちゃ、いやどうせ他誰もいねぇな。
 組に属してここらの若いのをまとめちゃいるが、下っ端で代わりのいる消耗品」
「そんな己は転生する価値が無いと?」
「いや違う。俺は俺の価値を高く評価してる。
 世間からすりゃ社会のゴミって言われる様な部類だろうがそれは世間の評価だ。
 俺は俺が誰も手を出せない様な高級品だと思ってる。自己評価ならいくら高くても良いだろ」
 一本目を吸い終えた智徳は新しい葉を取り出す。
「俺の両親は今でいう毒親ってやつなんだろうな。
 親父は俺に完璧を求めた。ってのもお勉強やらスポーツやらだけなら納得もしてたんだろうが、アイツ自分に都合の良い完璧になれって言いやがってたんだよ。
 自分のその時の都合の良い方に完璧っつーんだからあれだ、何て言ったか、あーダブスタってわかるか?」
「ダブルスタンダードの略語ですね。日本語で言えば二重規範でしょうか」
「それだわ。ってか二重規範は初めて聞いたな。
 そんな感じで当たり前にダブスタ言われ続けて、母親はハイハイと親父の言う事を聞くだけ。俺の話も聞くだけ。
 結局なんもせずに一人現状維持で逃げやがんの腹立つ」
「親子仲が良くなかったと」
 その一言に智徳は目に見えて不機嫌になった。
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