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1章 幼少期編 I

46.白い紙

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「天然酵母は、もう黄ジャガだけでいいのでは?」

発酵が早いし、一度も失敗してないし、甘液を加えた菓子パン用の酵母も順調だし。
何よりも香りに癖がないのが使いやすいらしく、チギラ料理人はほとんど黄ジャガ酵母しか使っていない。

そこで、黄ジャガ酵母が安定して作れると踏んだアルベール兄さまは、薬草課に酵母を持ち込んで加工を依頼した。

そして今、目の前に「乾燥酵母」がある。

顆粒コンソメ(特許取得済)を見て「これだ!」と閃いたのだそうだ。
実際に乾燥酵母を使ってパンを焼いてみたら、まったく遜色のない仕上がりになった。
ポンと作ってしまう薬草課も凄いのだ。
商会と提携しているとはいえ、やっぱり手がけた魔導士はお手柄だという事で、ミネバ副会長から金一封を貰っていた。すごく喜んでいた。

そんな乾燥酵母の製造は、商業ギルドの食品部を通じてパン職人へと回される予定になっている。
現在販売されている堅いパンが、柔らかいパンに侵食されるであろう事への配慮だそうだ。

植物紙の製造も皮革ギルドに全委託するそうで、羊皮紙を作っている革職人の次世代に、植物紙製作を伝授するのだとか。

儲けるだけではなく、民の事もちゃんと考えているアルベール王子であった。自慢の兄である。えへん。

そういうことで、今後のアルベール商会は諸々の特許料を受け取るだけという方向に舵を切った。
これで少しはアルベール兄さまも、チギラ料理人も、時間に余裕が出来るというものです。


ん? ひょっとして、酵母用に使っていた保温具が空く?
醤油専用にしちゃっていいかな。醤油小屋がもうすぐ完成するし、いいよね。



☆…☆…☆…☆…☆



チギラ料理人が作ってくれたポテチと、お気に入りの細切り乾燥甘ジャガカンショーモのイモイモおやつを食べながら、ワーナー先生のお手製絵本(作:ワーナー/絵:奥さん)をルベール兄さまに読んでもらう……そんな優雅な午後を台無しにする者たちが現れた。

アルベール兄さまと、いつもの商会メンバーと、知らない屈強な男たち。
野太い声がゆきかい、ズドン、ガン、ドカンと運ばれてきた何かが置かれる音が響いてくる。

「厨房の増築を始めるぞ。完成まで工房・厨房への立ち入りは禁止する。用があるときは必ずチギラを呼ぶように。それから、ふふっ、見なさい」

アルベール兄さまの視線の先には、ミネバ副会長が平たい箱をテーブルに並べている姿がある。
模様が彫り込まれた高価そうな革製の箱だった。

「贈呈用の箱ですか? 色違いで揃いなのが素晴らしい」

ルベール兄さま、主役は中身だと思います。

「父上が外遊視察に持っていく試供品の一部だ。ミネバ、それをシュシューアに」

「はい、どうぞ姫さま。お待ちかねの藁の混合紙ですよ」

ミネバ副会長が一つの箱の蓋をパカリと開けてくれた。

うわっ、これ紙入れだったんだ! なんと立派な……紙より高いのではないの? いや、そんなことよりピカピカの艶々ですよ! 藁紙が!

「白い! 藁なのに白い!」

手をワキワキさせたら、ルベール兄さまが1枚取って渡してくれた。
子供用椅子に座ったままだと届かないのだ。

藁の痕跡がちょこっとだけ残っている。でも凸凹していない。

「つるつる! 書きごこちは、どうでしたか?」

「見てわかるだろう? 藁だけの紙よりずっといい。一般紙としては充分だろう。そして、こちらが高級紙だ」

ミネバ副会長が次々と蓋を開けてゆく。
よく見えない私をルベール兄さまが抱き上げてくれた。

本当に白い。藁紙が灰色に見えるぐらい、白い。

「ピンとして美しい仕上がりですね。木枝の種類は……シュシュ、箱の文字が読めるかい?」

装飾と一緒に彫り込まれている文字……

「イロイ、マモ、ウヤ、キィキ……ムーファ? コウモ?」

「ムーファとコウモは後から届いたものだ。それでこのコウモだが、触ってみなさい」

アルベール兄さまは箱の中の一枚を優しく指先でめくり、私の前に広げた。

触ってみる。普通の和紙っぽい紙ですが。何か?

「どう薄く漉いても他の紙と同じになるらしい。布のようにはならない」

──…不織布のことかな?

そうか、コウモはケナフっぽい植物なのか。

ケナフとは不織布に使われる植物なのだが……あれ? あれあれあれ……



……いかん。言うのを忘れていた。

不織布は水漉きではなく、ニードリングで作るのだ。



どうしよう。嫌な汗が出てきた。

ルベール兄さまの腕の中で為す術もなくワタワタする。

こういう時、抱っこは不利だ。逃げられない。


「シュシュ……正直に言った方が、身のためだよ」

ルベール兄さまが困ったようにぬる~く笑った。
アルベール兄さまは冷たく首を傾げた。
ミネバ副会長は安定の無表情だ。


──…うぅ


ルベール兄さまに背中をポンポンされた。


──…ぬぅ


「……………………コウモを、叩いたあとに、乾かして……起毛…ふわっとさせてから…………千本ぐらいの針でこう……ザクザクザク~っと」


カーディングとニードリングです。


「……薄く均した綿の上から、針を落として目を詰まらせる……か?」

アルベール兄さまに頭をポンポンされた。

──…あれ? 叱られないみたいだ。

見ると、アルベール兄さまは小さく顎をしゃくっている。先を即されているようだ。よかった。セーフだった。ふぅ。

「はい、針の側面に下向きの欠けを入れておくと、早く目が詰まります」

フィルターとしての役目は、不織の絡まった繊維の方が優秀だから、そこはお勧めとして解いておく。


私の頭はまだアルベール兄さまにポンポンされている。


高速でザクザクとできる機械が欲しいな。ランド職人長に相談してみようか。


まだポンポンされている。


将来的にはパルプ紙作りの丸網抄紙機を作ってもらいたいなぁ。


まだポンポン……セーフじゃなかった! 怒ってるじゃないか!


ポンポンポン……しつこいな!


腹が立ったのでキックをお見舞いした。よけられた。

「ふっ」

鼻で笑われた。

「わぁ! シュシュ!?」

両足を振り上げてアルベール兄さまの腕をホールドする。
すかさず頭の上にある手首を鷲づかみ、完全にアルベール兄さまの腕にぶら下がった。
この瞬間、私は猿になった。
体を伸ばして顔を手先に近づける。目指す親指がちょうどいい位置にあった。

ガジッ!

アルベール兄さまの息を詰める音が聞こえた。

噛み! 噛み! 噛み!


「シュシュ~!」


ぶら下がる猿が落ちないように、下から支えながらうろたえるルベール兄さまの声が、いつまでも食堂に響いたのであった。

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