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1章 幼少期編 I
16.てるてる姫
しおりを挟む離宮工房には付添人がいないと行くことができない。
毎日通って一日中遊んで過ごすつもりだったのに、付添人たちはそんなに暇ではなかった。
藁紙の持ち出しは禁止なので、便利グッズの書き溜めもあまり進んでいない。
一度、穴あき羊皮紙と羽ペンを自分の部屋に持ち込んだのだが、インクをぶちまけて即終了……絨毯が取り返しのつかない状態になって侍女長にこっぴどく叱られてしまった。
もう離宮に連れて行ってもらう日を待つしかないのか……くぅぅ、早く知識チートしたいぞぅ。
そして、数日後の離宮───
細筆と墨がそろったのです。
(どちらも馴染みのある形です)
今、ミネバ副会長に磨ってもらっているところなのです。
(彫刻が入ったおしゃれ硯です)
いよいよ藁紙が活躍する時がやってきたのです。
(藁紙が束になって置いてあります)
「すごく、くさいと、おもっていました。そんなでもないですね」
「磨った墨を放置したら腐って臭くなります。毎回きちんと洗いましょう。さ、姫さまがこれを着たら準備は終わりです」
持ち込んだ子供用の椅子に座って、てるてる坊主のような恰好をさせられた。
手が出るようになっている美容院のケープに似ているものだ。
そしてちょっとずつ整えが進んでいる食堂の絨毯が、インクで汚れた私の部屋のものと交換されていることに、今気づく。
侍女長……アルベール兄さまに報告しましたね。
「今日は何を描かれるのですか?」
「おゆのけむりのねつで、おいもをやわらかくする、どうぐです。きょう、おいもがとどくと、きいたのです」
鍋の蓋との間に、穴の開いた盆を挟む絵を描いてみた。
蒸し器である──…伝わるかな?
「おいも…芋。蒸気で料理するのですか?」
──…そうそう、それそれ。
「今ある鍋と蓋の間に置ける、紙漉きで使うような網枠を作らせましょう───ランド!」
隣の工房にいるランド職人長がスタタタ…とやってきた。彼は藁紙作りのために毎日離宮に来ているのだ。
「料理用の鍋に乗せられるように網枠を作ってほしい。この絵でわかるか? ここに、い……野菜を置いて蓋をかぶせられるように」
芋とは言いにくいらしい。
「寸胴鍋の口に引っ掛けて上の方に浮かせたやつならすぐに。きっちり合わせるなら曲げの上手いやつに作らせますが、数日かかりますぜ」
ランド職人長はミネバ副会長を見て、次に私へ視線を移す。
「ランドしょくにんちょうに、つくってもらいたいです」
「わかりました。すぐに取り掛かります」
またスタタタ…と工房に戻っていった。
大きい体なのに足音は軽快だ。
「ミネバふくかいちょう。いそいで、バターをつくります。きヤギのちちと、おしおが、ほしいです。ちょっとだけ、おうきゅうのりょうりちょうに、おねがいしたら、だめでしょうか」
「バターというものも商会で販売する可能性があります。厨房がある離宮を賃借した理由をお考えください」
大人の難しい言葉で言われても、私にはわからない。
わからないけど、無表情のミネバ副会長の口角がぐっと下がったので、ダメだと言われたのだけはわかる。
──…叱られちゃったよ。しょん。
「……………はぁ」
大きなため息までつかれてしまった。
彼の顔を盗み見ると、下がった口角は元に戻ったけど、今度はきつく目を閉じた上に眉間に皺まで寄っていた。
「仕方ありませんね。これから商会のレストランに行って作らせます。調理法を教えてください」
──…うおっ! 話せばわかる人だった!
「ありがとうございます!」
甘い、甘い、砂糖より甘いと、誰が言ったんだっけ(誰も言っていません)
「レストランに、ぶんりぐは、ありますか? バターは、なまクリームのもとで、つくるのです」
メモの用意はよろしいですか?
三歳児の言葉では長い長い説明になってしまったが、省略すると次の通り。
分離した脂肪乳を蓋つきの容器に半分ほど入れる。
冷やしておくと仕上がりが早いと憶えておきましょう。
そして振る。水分が分離するまで振る。バシャバシャ音がするまで振る。
「かたまったほうがバターです。おしおも、このくらい、もってきてください」
ミネバ副会長は穴あき羊皮紙にメモを取りながら『脂肪乳は……プリン用の取り置きがあったな』『振るだけ?』『振るだけ?』…この独り言は聞かれていないと思っている節がある。
結局、簡単すぎてメモは必要なくなった。
「それでは……姫さまを王宮にお送りして私はレストランに」
私はさっさと王宮の侍女長に預けられた。
忙しい侍女長を引き留めて人形遊びに付き合ってもらい、勉強が終わったベール兄さまに石けりを強要し、一緒にお昼を食べた頃には、もうすっかりバターの事など忘れてお昼寝に突入。
てるてる坊主の仮装のままだったのに気づいたのは、昼寝から目覚めたあと。ミネバ副会長が迎えに来てくれた時だった。
なぜ誰も指摘しない……いいけど。
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