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第6章

291.心操の魔法

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エスティの無実を証明したいと願うなら、これは効果的なものとなるかもしれない。
だがこの内容を見ていると、どうしてもあの人に都合の良い事ばかりが書かれているようにも見えてしまう。きっと他の人が見ればただの捏造だと片付けられてしまうものだろう。

しかし、あの人を知る僕にとってはどうしても嘘だと思えなかった。

「主様はお前に生きていて欲しかっただけなんだろう。主様は自分が誰からも望まれていない存在だと気づいていた。もしあのままお前を騎士として近くに置いていたら、お前だって殺される可能性がある。だからお前に恨まれるように画策したんだろうな」
「……。確かにあの人ならそういうことをしてもおかしくない。けれど、それなら僕の両親と兄を殺したのは? レイリーを奪った事は本当の事のはずです!」

もしあの人が幼い頃の善意に満ちたままの人だったのだとしたら、家族を殺したり婚約者を奪うことをなどしないはずだ。
だが、僕はあの人の口からはっきりと聞いた。
自分がしたのだと。

「本当はわかってるんじゃないのか?」

黒龍は真っ直ぐとこちらを見つめた。
そこには今まで向けられてきた嫌悪などどこにもない。

澄んだ瞳に引き込まれると同時に全てを悟らされた。
彼は誰も殺していないし、誰も奪ってなどいないのだろう。

何より神聖な黒龍という存在がここまで執着する存在がそんな罪人な訳がないのだ。

つまりそれは、彼が僕に嘘を言っていたということ。
僕を自分から突き放し、生かすためだけに自分を裏切らせたのだ。

きっとあの人は平気でそういうことをする人だ。
自分の事など全く大事にしない人だったから。

「どうして、最後まで僕を傍においてくださらなかったのですか……」

独りで死んでなど欲しくなかった。
いつも寂しそうな人だったから。

誰からも愛されなかった僕を初めて大事にしてくれた人。
だからずっと守りたいと願っていたのに。

「まぁお前の場合、主様がそうしていなくても裏切っていたのかもしれないがな」
「それはどういう意味ですか?」
「お前はアイツと親和性が高すぎる。だから障りにも悪意にも飲み込まれやすいんだよ」

アイツ?
親和性?

彼の言う言葉が理解できず、疑問符が浮かぶ。

「おかしいと思わないか? 先代の皇帝がいたときは何も問題など起こらなったのに主様が王座に就いた途端、数多くの貴族が裏切り民衆から財産をむさぼり始めた。そればかりか、隣国との戦争に発展したのも皇帝のいう事を無視し始めたのもの、すべて主様が皇帝になってからだっただろう?」

確かに、思い返してみればあの人が皇帝になってから問題が次々と浮上した。
だが、だからといってそれがおかしいことだとは思わない。

「王が変われば世は混乱するものでは? あの人が即位したのは齢24と王としては幼い部類に入ります。それなら貴族たちが暴走する可能性は大いにある。それを抑え込み統治するのが王の役目のはずです」
「お前が言っていることは一理ある。しかしそれは全て分別のつく大人がその場に居ればの話だ。
あの場でそんな大人が一体何人いただろうな」

考えてみればあの人の近くには宰相がいなかった。
いや、その役目をするはずの人物はいたのだ。
しかしその人物でさえも、あの人の言葉を無視し暴走していた。

発言をしても、多くの人々の声に搔き消され結局誰もあの人の声など聞こえていなかった。
静かにしろと言っても誰も聞かず、各々が自分の主張をするばかりの無意味な会議。

あの場面を何度も見ていたはずなのに、どうして僕は今の今まで忘れていたのだろう。
思い出すほど異様な光景に彼の言葉の真意を理解する。

そうだ。
あの場には誰も大人などいなかったではないか。

「あれがアイツのやり方だよ。人の心を操り、悪意を植え付ける。自分の欲を優先し、主様を蔑ろにする。それがアイツがこの国の人間にかけた魔法だ」
「貴族たち全員が心操の魔法を掛けられていたとでも言うのですか?」

そんな馬鹿な話があるものか。
貴族たちは皆、魔法を十分使える者たちばかりのはず。
その人達全員を操るなど常人にはまずできるようなものではない。

今の黒龍にだって、そんなことなど不可能だろう。

「そうだよ」

だが黒龍はあっさりと認めた。
そんな化け物じみた存在がいるのだと。

信じられない。

「アイツは主様のすぐ近くにいた。主様の心を媒介にして、多くの悪意を主様の魂に蓄積させる。それが十分に溜まったとき、主様を殺してその力を手に入れるつもりだった。魂と体と共に」

悍ましい発想に顔を歪めることしかできない。

「だが誤算もあった。主様は今まで生きていた人々の中でも特に主からの寵愛を受けていた人だった。だから悪意に染まることはなく、いつまでも清い心のままだった。普通の人間であれば、そんな状況になれば自分自身で悪意を増幅させて効率よく力を手に入れられただろう。だが、それほどまでに清い魂を手に入れることこそ、アイツの目的だったのかもしれないな」

悪意に晒されながらそれでも清い心のままだったのだとしたら、酷く辛いのではないだろうか。
流されるほうが生きやすい。
きっと誰かを恨むほうがずっと楽だったはずだ。
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