教室の魔法使い

中富虹輔

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第二部 運喰らい

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 しばらく、場が凍り付く。
 大山さんの言葉が、ひどく滑稽に思えた。そして、それはここにいたぼくら三人、すべてに共通した思いのようだった。その言葉を吐いた大山さん本人も、あっけにとられた表情で、「運を食う怪物」、魔法使いヤーナスを見つめている。
 それが、どこかのゲームに登場しそうな、見るからに醜悪な「怪物」だったのなら、今の大山さんの言葉も、ずいぶんと頼もしく聞こえたのだろう。
 けれども。
 ぼくのすぐ足下。ぼくの閉じた扉に激突し、その衝撃で気を失ってしまったそれは、どう見ても「怪物」と呼ぶには少々語弊のある姿をしていたのだ。
「ね、これが、ほんとに、『運を食う怪物』なの?」
 おずおずと問うた宮島の言葉が、ぼくの気持ちを端的に代弁していた。
「たぶん、それで、間違いはないはずなんだけどな」応える大山さんの声も、どちらかといえば自信がなさそうだった。ぼくらは顔を見合わせ、
「とりあえず、本人に、話しを聞いてみない?」宮島の提案に、ぼくは「そうだね。その方が、いいかも」うなずいた。

「運を食う怪物」、魔法使いヤーナスは、一言でいうなら、八分の一サイズの人間、それも、ぼくらと同じくらいの年齢の女の子だった。身長二十センチそこそこ、体重不詳。これで半透明の羽でも背中にはえていえば、りっぱに「妖精」といっても通用するだろう。
 ひとまず、気を失っているこの小さな「怪物」を抱えあげ、部屋の中央に横たえる。ぼくらはその周りをぐるりと囲むように腰を下ろし、彼女の意識が戻るのを待つことにした。
「これが、『運を食う怪物』?」つぶやきながら、宮島は八分の一サイズの女の子をのぞき込む。「よく見ると、結構かわいいじゃない、この子」
「おいおい、あんまり見た目にごまかされるなよ。一応、こいつは『怪物』なんだから」
 苦笑をもらしながら、大山さんがたしなめるようにいった。「でも、説得力がないわよ。こんなのが『怪物』だ、なんていわれても」
「まあ、確かにな」大山さんも、同意のうなずきを返した。「まさか、おれもこんなのが出てくるとは思ってなかったよ」大山さんの言葉を聞きながら、ぼくはあらためて、「怪物」を、ゆっくりと眺め回した。
「『醜悪な怪物』っていう情報が間違ってたのかな?」再び、大山さんのつぶやき。
「『組織』の目で見ると、こういうのも『醜悪』なんじゃないの?」宮島が最も無難な考えを口に出したけれども、「いや、美醜の感覚は、おれたちとそんなに変わらないはずだ」大山さんの言葉で、その可能性はあっさりとくだけ散った。
 魔法使いヤーナスの容姿で、まず目に付くのは、宮島よりも若干長いくらいの、その純白の髪。顔立ちは、宮島のいうとおりに、かわいい部類にはいるのだろうけれども、その顔は、ひどく、やつれていた。
 身にまとっているのは、ぼろ布をつぎはぎしたかのような衣服。衣服と同じような、つぎはぎの布のスカートは膝の少し上まで。そして、スカートに隠されていない彼女の足は、(彼女の身長が二十センチ、という点を差し引いても)華奢、といってしまうにはあまりにもかわいそうなくらいに、細かった。
「それにしても、この子、何を食べていたんだろ? がりがりじゃない」
 やはり、宮島もぼくと同じような感想を持ったようだった。大山さんが首をかしげながら、「そりゃ、お前の運じゃないのか?」応える。宮島はうなずきを返し、、
「まあ、そうなんだろうけど。でも、このやせ方はいくらなんでも普通じゃないんじゃない?」確認するように問う。
「ああ。いくらなんでも、ここまでやせている、っていうのは、異常だよな」大山さんがそれにうなずくのを確認すると、宮島は立ち上がった。「どうした?」
「食べるかどうかはわかんないけど、なにか、食べ物を買ってくるわ。どうせ、あたしたちもお昼、なにか食べなきゃいけないんだし」
「そうだな」大山さんもそれに同意した。ポケットから財布を取り出して、千円札を一枚抜き取る。それを見て、あわててぼくも、財布を取り出したけれども、それは宮島に、やんわりと制止された。
「あ、峰岸くんはいいわ。あたしの手持ちとこれで十分だから」いいながら、大山さんの差し出した千円札を、彼女は受け取った。「このあいだ、おごってもらったお返し」いって、ぼくに向かって微笑みかける。そして彼女は、大山さんにこの地下室への出入りのしかた、そして近くにコンビニがあることを教えてもらうと、ぱたぱたと部屋を出ていった。

 しばらくしてコンビニの袋を抱えた宮島が戻ってきたけれども、ヤーナスはまだ、気を失ったままだった。袋の中からサンドイッチとコーヒー牛乳を取り出して、ぼくと大山さんに手渡してから、宮島は腰を下ろした。彼女も同じサンドイッチセットを取り出し、袋を破る。ぼくも、サンドイッチの袋を破り、紙パックのコーヒー牛乳の口を開いた。
 と、まさにそれが引き金だった。
 突然ヤーナスの目がぱちりと開き、むくりと上半身を起こす。きょろきょろと当たりを見回したヤーナスは、ある一点、すなわち、ぼくのサンドイッチを凝視すると、その小さな身体からはとても信じられないような跳躍力でもってぼくのサンドイッチに飛びかかり、そしてそれをぼくが持っていると見るや、サンドイッチを持っているぼくの右手の人差し指に、がぶり、とかみついた。
「いてぇっ!」顎が発達しているのか、それともその歯がとがっているのか。その痛みにぼくは悲鳴を上げ、思わずサンドイッチを取り落としてしまった。そして、それと知るやヤーナスは、さっさとぼくの手から離れ、床に落ちたサンドイッチにむしゃぶりつく。
 数瞬の間、大山さんも宮島も、何が起こったのかわからない、といった様子で呆然とぼくの方を見ていたけれども、やがて二人は、くつくつと忍び笑いをもらしはじめた。
 二人とも、たぶんぼくではなく、ヤーナスを見て笑っているのだろうとは思ったのだけれども、なんとはなしにぼくが笑われているような気分になってしまい、なんだか妙に、おもしろくなかった。
 と、そのときだった。
「何がおかしい!」
 きんきんする声が、部屋に反響する。声の主は、いうまでもなくヤーナスだった。自身の身長の半分もあるようなサンドイッチを抱えて、それをがつがつと食べていた彼女は、挑戦的な、怒りの瞳を大山さんに向けている。
「ああ、わりぃわりぃ」大山さんは、ちっとも悪びれずに応えた。「ああ、かまわないから、それを食っちまいな。腹、減ってるんだろ?」
 しばらく、挑発するように大山さんをにらんでいたヤーナスは、やがて、自分の抱えているサンドイッチに目を向けなおし、再び、それにとりかかった。
 あーあ、ぼくのサンドイッチ……。
 よほど恨めしげな顔をしていたのだろう。「大丈夫よ、まだあるから」宮島が苦笑しながら、別のサンドイッチをぼくに手渡してくれた。あらためてぼくがその袋を破くと、その音に反応してヤーナスがぼくの方に目を向ける。ヤーナスはぼくの手の中のサンドイッチと、彼女が抱えているものをじっと見比べた。
 妙にいやな予感がして、ぼくは袋の中にはいっていた二つのサンドイッチの片方を、わざと床に落としてみた。と、ヤーナスは今まで抱えていた自分の食べかけそっちのけで、ぼくが落としたものの方へ猛然と向かい、今度はそちらをがつがつとむさぼる。
 再び、大山さんと宮島から苦笑がもれる。「すっかりなつかれたな、峰岸」大山さんの言葉に、「勘弁してくださいよ」ぼくは辟易して応えた。
 その小さい身体のどこにそんなに詰め込むことができるのか、彼女は結局、サンドイッチを三つぺろりと平らげ、ぼくの分のはずだった五百ミリリットルのコーヒー牛乳をきれいに飲み干してしまった。
 外見に似合わない食欲を披露してくれたヤーナスは、今はコーヒー牛乳のパックに足を組んで腰掛け、じっとぼくらの方を見ている。
「魔法使いヤーナス、でいいんだな?」
 大山さんが、確認の意味で問うた。牛乳パックに腰掛けた小人は、静かに、首を横に振った。
「確かに私はヤーナスという名前だし、魔法使いだ、ということも否定しないが、たぶん、お前が思っているヤーナスとは別人だ」一拍おいて、付け足す。「魔法の実験の失敗で『運喰らい』になってしまったのは、私の母だ」
 しばらく、奇妙な沈黙が続いた。たぶん、大山さんも宮島も、ぼく同様、その言葉をかみ砕き、飲み込むのに、その時間が必要だったのだろう。
 最初に口を開いたのは、宮島だった。「あの、ヤーナスさん」
「ヤーナス、でいい。たぶん、私とお前は、そんなに歳は違わんはずだ」ヤーナスにいわれ、宮島は「は、はあ」生返事を返した。「で、なんだ?」ヤーナスに先をうながされ、
「ええと、さっき、『運喰らい』になったのは、あなたの母親だ、っていったよね?」
 ヤーナスはうなずいた。どうやら宮島が本当に問いたいことを敏感に理解したようで、問われもしないうちから、ヤーナスは口を開いていた。
「くやしいことだが、私も『運喰らい』だ。まあ、母と違って、私には理性が残ったからな。私のせいで人が死ぬのは寝覚めが悪いから、できる限り運は食わないように注意してはいるが……」
 ちらりとぼくの方を見て、「普通の食い物が口に合うというのは、私も今日、初めて知った」
 とたんに、笑いをこらえる大山さんと宮島。その二人をきっとにらみつけて黙らせるヤーナス。彼女は再び、宮島の方へ目を向けた。
「安心しろ。お前の運は、私生活に影響が出るほどは食ってはいないから」
「は、はあ」再び生返事を返す宮島。そして彼女は「あれ?」と、疑問の声を出した。
「運を食うのが目的じゃなかったら、どうしてあたしにとりついたの?」
「それを話そうと思っていた」応えて、ヤーナスは足を組みかえた。
 そして彼女は、正直なところ、いつまでも自分が見つからないのなら、これまでのように、自分が生き続けることのできるぎりぎりの線の運を食ってすごそうと思っていたこと、そして宮島の運がどうしようもないくらいに落ちてしまったら、また別の魔法使いをさがして、この街を出ていくつもりだったことを話した。
「まあ、見つかってしまったからには仕方がない。あんな母親の責任をとらされるのも癪なのだが、煮るなり焼くなりされる覚悟はできている」
「やけに潔いじゃねえか」大山さんが感心したようにいった。「その割に、姿を見られたときに逃げ出そうとしたのはどういうことなんだ?」意地悪くにやりと笑って、問う。
「そ、それは……」言葉に詰まるヤーナスに、大山さんはもう一度、にやりと笑いかけた。「まあ、その話しは置いとこう。で、あんたはどうしたいんだ?」
「どうしたい、というのは?」
「煮るなり焼くなりされたいのか、ってことだよ。まさか、ほんとにそういうことをされたいと思っているわけじゃないんだろ?」
「だからといって、私には、それほど選択肢は多くはないことは理解できるだろう? そもそも、こんな身体では、お前たちのような『普通の暮らし』など、できるはずもないのだし」応えて、ヤーナスは小さくため息をついた。
 よくよく考えてみれば、ぼくらの目の前にいるヤーナスだって、「運喰らい」になってしまったという母親の被害者なのだ。事情を聞いてみれば、彼女の母親は、彼女がおなかの中にいるときに運気吸引の魔法を暴走させ、「運喰らい」になったのだという。その影響か、怪物と化した母のヤーナスから生まれてきた彼女は、このような純白の髪と、そして小人のような身体を持っていた、ということなのだ。
 話しを聞いて、ぼくらは一斉に顔を見合わせた。そして口を開きかけた宮島に向かって「下手な同情や慰めはいらんぞ。この身体は、これで結構気に入っている」先にはっきりと宣言して、「で、これから私をどうするのだ?」大山さんに目を向けた。
「もとに……っていうか、普通の人間になる方法は、ないのか?」
「知っていればとっくに試している」
 大山さんの問いにそっけなく応えるヤーナス。「そりゃそうだな」大山さんの言葉にも、「わかってはいたけれども、念のため」というニュアンスがありありと込められていた。
「一応、あんたに関することは、事後の処置も含めてみんなおれに一任されているから、これから先、あんたをどうするかはおれの考え一つなんだけど……」
「あたし、もうしばらく、一緒にいてもいいよ」大山さんの言葉を遮ったのは、宮島だった。
「宮島……」
 ぼくと大山さんの声が重なった。宮島は大山さんに目を向け、
「ヤーナスの話しだと、そんなに害があるわけでもないみたいじゃない。それだったら、ひとまず結論を出すのは保留にしておいて、大山が早めにヤーナスを何とかする方法を考える。そのあいだ、あたしはヤーナスと一緒にいる、ってことでいいんじゃないかな?」
 それをいった本人を除いて、ぼくらは皆、あっけにとられて彼女を見つめていた。「お前、それを本気でいっているのか?」ヤーナスの問いに、「もちろんじゃない」宮島は胸を張って応えた。
「念のために忠告しておくが、私がお前の近くにいるだけで、お前の運はどんどん私に吸われていくんだぞ?」
「それなら、なおのこと大山には急いで何とかする方法を考えてもらわなきゃね」いって、宮島は笑った。大山さんは、渋い顔で宮島を見ている。
 そんな大山さんに、宮島は笑いかける。
「だって、最善の策が思いつかないんなら、次善の策をとるしかないでしょ? とりあえず、『最善の策を考える』っていうのが次善の策だしね。あたしは大山と違って見習いの魔法使いだから、そういう方法を考えることができるだけの知識がないんだし。で、あたしにできることって何かな、って思えば、せいぜい、大山の運が吸い取られないように、代わりにヤーナスの面倒を見ることくらいでしょ? あたしはあたしにできる精一杯のことをするから、大山は、大山にしかできないことをしてよ」
 宮島にまくしたてられ、大山さんは「まいったな」とでもいうように、頭をかいた。
「そんなことまでいわれたんじゃ、こっちにも『有能な魔法使い』のプライドがあるしな」そして、力強くうなずく。
「一週間だ。来週の日曜までに、何とかする方法を考える」
「ほんとにそれだけで、なんとかなるの?」
 意地悪く問うた宮島に、大山さんは「おれをなめるなよ。有能な魔法使いってのは、『組織』の上の方にも顔が利くんだから」
 大山さんの言葉に、「あ、そうか」宮島は納得顔になった。「でなきゃ、あたしがいるなんてこと、大山は知らなかっただろうしね」
「そういうこと」大山さんはうなずいた。「魔法使いのネットワークは規模がでかいからな。こういうときくらいは、上の連中にがんばってもらって、そのでかいネットワークから、必要な情報を引っぱり出してもらうさ」
「期待してるわ」
 宮島は、にこりと微笑み、そしてその微笑みを浮かべたまま、ぼくの方に向いた。「こうなったからには、峰岸くんも一蓮托生だからね」
 え?
 ぼくに……ぼくに何かできることがあるのだろうか。
 そう。さっきからぼくは、ずっと「魔法使いではない」というその事実のために、奇妙な疎外感を味わっていたのだ。さっきまで宮島たちが話していたことは、すべて魔法使い同士でしかできない会話だったのに。そんなところで、普通の人間であるぼくが、何かをできる余地があるのだろうか。
 ぽかんと宮島を見つめるぼくに、「何ぼうっとしてるのよ?」宮島の声が飛んでくる。
「峰岸くんには、登下校の時とあいてる時間、あたしのボディガードをやってもらうからね」
 宮島は、いたずらな微笑みを浮かべた。
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