蜥蜴と狒々は宇宙を舞う

中富虹輔

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プロローグ

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 民間船が宇宙狒々の襲撃を受けている、との報に、宇宙軍の初動は出遅れた。宇宙軍の怠慢ではない。学術調査を目的としたその船の航路は、宇宙狒々の襲撃を受けることなどまず考えられないものだったのだ。加えて、普段は群れて行動するはずの宇宙狒々が、このときに限っては単独で襲ってきた、とされている。
 群れからはぐれた個体が不運な偶然によって民間船に遭遇してしまい、襲撃を受けたのだろう、というのが、後の調査による結論だった。
 民間船からの救援要請を受けた宇宙軍の一個小隊が襲撃宙域に到着した時には、すでに宇宙狒々の姿はなく、民間船のものと思われる宇宙船の残骸が浮遊しているだけであった。
 最新鋭の軍用宇宙船でも、単機では劣勢を強いられる相手である。非武装の民間船では宇宙狒々に抗すべくもない。かろうじて宇宙船の形を留めているに過ぎない金属のかたまりの姿を見れば、乗組員の生存の可能性が絶望的であることは明白だった。船体はずたずたに引き裂かれ、むき出しになった機関部は六割ほどが粉砕されているように見える。機関部が誘爆を起こさなかったのは、幸運だったのか不幸だったのか。
「……二番機と三番機は宇宙狒々の襲撃に警戒しつつ周辺宙域の哨戒。本機は生存者の確認と救助を行う」
 苦渋に満ちた表情で、隊長が絞り出すようにいった。
『了解』
 機械的な返答が、通信機の向こう側から返ってくる。二機の宇宙船が離れていくのを見ながら、隊長は乗組員に生命反応の確認と船外活動の準備を指示した。無駄とわかっていても、万に一つの可能性もある。正規の手順を踏んで、「生存者無し」を確認しておかなければならない。
 気の重い作業だ。隊長は小さく息をついて、座席から立ち上がった。
「俺も船外に出る。何か変化があったら……」
 知らせろ、と続けようとしたところで、突然生体反応の確認を行っていたオペレーターがうわずった声を上げた。
「び、微少ながら熱源を確認」
「なんだと?」
 思いもよらない言葉に、その場にいた乗組員全員の目がオペレーターの方へ向いた。
「今、データを回します。船体の形状から推測される形式の船では、該当の区画は貨物室に割り当てられています」
 様々な可能性が、隊長の頭を駆けめぐる。破壊された機関部の部品がいまだに熱を持っている。貨物室に積まれていた何らかの小型の機関が、襲撃の際の衝撃で稼働した。最悪の可能性としては、小型の宇宙狒々が、何らかの理由でその場に留まっている、ということだってあり得る。
 そんな状況を思い描きながらも、彼はもう一つの可能性を真剣に考えていた。
 ──生存者。
 万が一の状況に備え、宇宙船には小型の救命カプセルの搭載が義務づけられている。民間船であれば、貨物室の一角にそういった装備が設置されていてもおかしくはないだろう。そして、宇宙狒々の襲撃に対して、いち早く救命カプセルに身を隠し、最低限の生命維持装置のみを稼働させて、奇跡的にでも助かる可能性に賭けた人物がいたのではないか。
 そして、現実にその奇跡が起きたのだとしたら──。
 いずれにせよ、報告の通り熱源はごく小さく、外側からの走査では特定することは困難だった。その正体を確かめるには、該当船舶の中に入って、直接自分の目で見てみるほかはない。
「該当船舶の熱源の現場確認を行う! 船外活動の用意を!」
 最悪の可能性を考慮に入れながらも、隊長は船外活動を行うため、与圧室へと向かった。

 二人の部下とともに宇宙空間を渡って、破壊された民間船の船体にとりつく。引き裂かれた船体の隙間から船内に入り、目的の貨物室へと向かった。
 船体に生々しく刻まれた傷跡は予想外に大きく、この民間船を襲った宇宙狒々が、かなり大型の……少なくとも体長五十メートルを超す……個体であったらしい、ということがわかる。
 ──これではひとたまりもなかっただろう。
 自分たちが交戦していても、勝ち目があったかどうかは怪しいかもしれない。そんなことを思いながら、隊長は先行する二人の部下の背中を追った。
 船外に出る前の簡単な打ち合わせの際に、熱源が生存者である可能性も検討されていた。
 しかし、熱源が救命カプセルであれば救難信号が発信されているはずだが、それがない点などから、可能性は低いだろう、という結論に至っていた。無論、信号の発信器の故障などといった要因も考えられるため、生存者である可能性が排除されたわけではない。とにかくあらゆる可能性が想定されるため、予断を廃し、できうる限りの準備はしてある。
 慎重に船内を進む三人は、やがて貨物室区画へ到着した。貨物室そのものはさして大きくはなかったが、襲撃の衝撃によって多数の積み荷が散乱、浮遊している。熱源は彼らの位置から右前方やや上方にあることは確認できたが、散乱する積み荷によって進路を阻まれ、まっすぐに進むことさえ困難な状況だった。
 とにかく余計なものが多すぎて、目的のものがどれなのかさえ判別できない。
 ──この状況で、熱源が超小型の宇宙狒々だったら……。
 いやな想像が頭の隅を横切っていくが、彼はそれを振り払った。もしも熱源が宇宙狒々だったとすれば、自分たちはとっくにその餌食になっているだろう。とにかく今は、熱源の特定だ。彼はもう一度周囲を見回した。
 ──余計なものを手当たり次第に片付けていくか。
 それに要する労力と時間と、船外活動に使える酸素の残量をはかりにかけ、即座に却下する。結局、進路上にあるものを少しずつどかしながら、じりじりと熱源へ向けて移動していくという、愚直な方法で進むのがもっとも効率がよいだろう、という結論に達した。
 そうして、どのくらいの時間がたっただろう。ようやく彼らの目の前に、目的のものが現れた。
 ──救命カプセル……か。
 それは「救命カプセル」と呼ぶのもおこがましいような、最低限の機能を備えた「生命維持装置」でしかなかった。
 長さ一・五メートル、直径八十センチメートルほどの円筒の物体。それが生命維持装置であると判断できたのは、その外側に酸素量や内部温度、そして中にいるであろう人物の体温や脈拍といった生体データを表示するモニターが取り付けられていたからに過ぎない。
 だがむしろ、このようなサイズであるからこそ、宇宙狒々の襲撃を免れることができた、ともいえる。自律航行も可能で救難信号を絶えず発信し続けるような大型の救命カプセルでは、脱出後に宇宙狒々に発見され、そのまま宇宙の藻屑と消えていた可能性が極めて高い。
 人間一人が入るにはやや小さめのサイズであること、表示されている体温や脈拍のデータがやや高めであることなど、少々気になる点もあるにはあったが、何はなくとも奇跡的に宇宙狒々の襲撃をやり過ごすことができた、おそらく唯一の生存者である。
「生命維持装置の中はカラだった」という笑えない結末が待っている可能性もあるとはいえ、現段階では生命維持装置のモニターは、中にいる人物が生きている、というデータを提供し続けている。
 生命維持装置の酸素残量は決して多くはない。彼らはできる限りの速度で生命維持装置を回収し、破壊された宇宙船を後にした。

「生存者発見」の報に、小隊は沸き立った。緊急の出動であったため、医療スタッフがいないのが懸念材料ではあったものの、生命維持装置が示すデータでは、中の人物が急を要する状態ではないことが判明している。
 少し離れた場所にいる本隊の医療スタッフから、通信での指示を仰ぎながら、生命維持装置の「開封」作業が行われることになった。モニターに表示されるデータに異常がないことを確認しながら、生命維持装置を宇宙船のメインコンピュータに接続する。
「生命維持装置との接続を確認。特別なプロテクトなどは施されていないようです」
「よし。生命維持装置に安全信号を送信。信号の受信を確認次第、保護カプセルの取り出しを指示しろ」
「安全信号の受信を確認。保護カプセル、排出されます」
 オペレーターの声に、その場にいたすべての人間の目がカプセルへ向かう。
 生命維持装置が中央から二つに分かれ、内部に設置されている保護カプセルが露わになった。さらに数瞬遅れて、保護カプセルの窓がゆっくりと開いていく。
 誰もが、宇宙狒々の襲撃を奇跡的な確率で逃れることのできた幸運の持ち主の顔を見ようと一斉に身を乗り出し……驚愕の表情を浮かべた。
 カプセルの中にいたのは、健やかな寝息をたてて眠る、赤ん坊だった。
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