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第六話 うわさ
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彼は、なにも応えられなかった。
じっと目を見つめてくる舞由から静かに目線をはずすと、ハンバーガーの残りを乱暴に口に入れた。
舞由も、自分の言葉に応えを期待しているわけではなかったのだろう。彼と同じように、ハンバーガーを食べてしまうと、静かに立ち上がり、脇に立てかけて置いてあった弓の道具をかついだ。
「じゃ、後かたづけ、手伝ってくれてありがと。……また、明日ね」
翌日の火曜日。昼休み。二年四組の教室に、青木舞由の姿があった。
舞由はきょろきょろと教室の中を見渡すと、目的の生徒……湯本祥治と田村咲子……の姿を見つけた。ちょうどよく、二人は他の生徒と一緒に、何かの話に興じている。舞由は、教室の中に入ると、その集団の方へと歩み寄っていき、二人に声をかけた。
「咲子、湯本くん」
田村咲子の方はわかるとしても、「オトコ嫌い」で通っているはずの舞由が、祥治にも声をかけたという事実に、その集団の中の生徒たちは少々驚き顔だったけれども、当の舞由は、そんなことはまったく気にしていないようだった。
「なに?」
二人を代表して、咲子が言葉を返す。
「ちょっと、いい?」
咲子と祥治は顔を見合わせ、「うん……特別、用事はないけど」また、咲子が応えた。
三人はそろって教室を出て、廊下の窓際の、邪魔にならないところで立ち止まった。
「……珍しいね。わざわざ、舞由がこっちまで出向いてくるなんて」
「うん」こくん、と舞由はうなずいた。「二人とも、たしか相沢くんと仲、よかったよね?」
「そりゃ、まあ。……中学の時から一緒だし」
応えながら、咲子はちらりと祥治の方に目を向けた。祥治の方も、ちょっと物珍しげに、咲子に視線を返す。その視線のやりとりが、今舞由が話題にしている相沢蒼が、昨日、舞由のことを尋ねた、という事実を二人が思いだしたから、だというのは舞由にはわかるはずもなかったが。
「相沢くんって、なんで、絵を描くの、やめちゃったの? その理由って、わかる?」
舞由の言葉に、二人はまた顔を見合わせた。すぐに、咲子の方が舞由に視線を戻して、
「それだったら、私よりも祥治のほうが詳しいから」
その言葉に、舞由の視線が祥治の方へ移動する。祥治はその視線に応え、
「青木は、蒼にそのこと、聞いてみた?」
逆に問い返した。舞由は「うん」こくんとうなずいた。
「で? 蒼は、なんていってた?」
「『興味がなくなったから』って」
「……じゃ、ぼくも同じことしか応えられないな」
おだやかに応えた祥治に。舞由は、複雑な表情を向けた。
「……口止めされてる、ってこと?」
「別に、蒼が『いうな』っていったわけじゃないけどね」
「ならどうして……」
問うた言葉を途中で遮り、祥治は口を開いた。
「青木は、蒼に、絵を描かせたくって、それを聞いているのかな? それとも、ただの興味本位?」
その問いに、舞由は応えることができなかった。
少しの沈黙が続いたあと、祥治がまた、ゆっくりと口を開く。
「もし、青木が興味本位でそれを聞いているのなら、蒼が絵をやめた理由をいうわけにはいかないかな。……でも、もしも青木が、蒼の描いた絵を見たくて、蒼に新しい絵を描いてほしくて、あいつが絵を描かなくなった理由を取り除きたい、って思っているんなら……」
いったん口を閉じ、祥治は舞由がどのような反応をするか、見守っていた。
舞由はなにも言葉を発せず、それを確認した祥治は、また先を続けた。
「あいつ、あんなだからなにもいわないけどさ。もともと、すごく絵が好きでね。スケッチブックと鉛筆を一本渡しておけば、一日中絵を描いているようなやつだったんだ。……それがいきなり、絵を描くのをやめたんだから、かなりのことがあった、ってことだけはいえるよ。だから……、だから、蒼が自分からそのことを話そうって思わない限りは、部外者のぼくが、それをほかの人に教えちゃいけないと思うんだ」
「そっか……」
明らかに落胆の混じった声で、舞由は応えた。そんな舞由に、祥治は微笑んでつけ加えた。
「でもさ。蒼は、絵を嫌いになったわけじゃない、ってことはいえるよ。……だから、もしかしたら、蒼に絵を描かせるきっかけがあれば、蒼に、新しい絵を描かせることは、できるかもしれない」
「……きっかけ?」
「うん。ぼくとか咲子とか、あと他の人じゃ、そのきっかけを作ることはできなかったけどね。だけど……本当に、蒼が『絵を描きたい』って思えるようなものを用意することができれば、もしかしたら……」
「ん」舞由は小さくうなずいた。「ありがと。ごめんね、邪魔しちゃって」
そういって、舞由は二人の前を去っていった。その背中を見送りながら、咲子は祥治の方に目をやった。
「どうしたんだろ、舞由?」
「咲子がわからないのが、ぼくにわかるわけ、ないだろ」
祥治は応え、そして、
「とりあえずさ。このことは、蒼にはいわない方が、いいだろうね」
「……そうだね」
それから数日。金曜日。
いつものように、登校中の祥治と蒼に、咲子が追いついてきた。
「おっはよー」
「おはよ」
「はよ」
いつも通りにあいさつを交わし。
「毎日毎日、無駄に元気だよな、田村って」
蒼の言葉に、咲子はほほを膨らませた。
「いいでしょ、別に。……無駄に意気消沈しているよりはましじゃない」
わけのわからない言葉で反論したあと、「そういえばさ」と、咲子は蒼に顔を向けた。
「ん?」
「舞由と相沢くんがつきあいはじめた、って、ほんと?」
「はぁ?」
唐突な言葉に、蒼は間の抜けた声を返してしまった。
「なんだそりゃ? ……なんでおれが、青木とつきあわなきゃならないんだ?」
ちらりと祥治の方に目を向けると、どうやら彼も、このうわさは聞いていたらしい。興味深そうに、二人のやりとりを眺めている。
「あれ? おかしいな?」
蒼の言葉に、咲子は首を傾げた。「この前、相沢くんと舞由が、すごく仲良さそうに歩いてるとこ見た、って子が何人かいるんだけど」
――月曜日か。
彼は即座に理解した。舞由が弓の練習をしているのを「見学」したあと、彼女の「おごってやる」という言葉に誘われてファストフードショップへ行ったあのとき。
あれを見て、誰かが勘違いした、ということなのだろう。
「……じゃ、青木の、『年上の彼氏』ってのはどうなったんだ?」
彼の言葉に、
「別れたらしい、って……」
「それは、青木に確認を取ったのか?」
「わかんない」
咲子は首を振った。
「……で? おまえは、その信憑性の低い話を真に受けて、おれにそれを確認した、というわけなんだな?」
「別に真に受けたわけじゃ……ただ……」
「ただ?」
「ほんとだったら、おもしろいな、って……」
「ほーお」
冷めた目で見つめられ、咲子は、
「いいじゃない」逆に開き直った。「相沢くん、そういう話、全然ないんだから。ちょっとは相沢くんをからかってみたい、って思うのが人情ってもんでしょ?」
この時点で、すでに彼らの会話は、八割を冗談が占めるようになっていた。
「人をだしにして、くだらない話で盛り上がるんじゃない!」
彼の冗談半分の怒鳴り声に、咲子は「にゃははは」と笑いながら、あわてて彼から逃げ出す。
「待ちやがれ、このっ!」
彼も、咲子の冗談につきあって、逃げる咲子を追い回す。
そんな他愛もない光景から、いつも通りの日常が、始まろうとしていた。
その日の昼休み。いつものように屋上に出た彼は、いつものように、そこから見える景色を眺めていた。
ふと彼が、外の景色から、屋上の片隅へ目を向けたとき。
そこに彼は、珍しいものを見つけた。
青木舞由。
どういう経緯で、彼女がここにやってきたのかはわからなかったけれども。よく晴れた空の下。屋上の、人目に付きにくいところで。
彼女は、弓の練習をしていた。
制服姿のまま。舞由は弓も矢も持たずに、先日彼が見た、弓を引く一連の手順をなぞっていた。
弓を構え、的の方に目を向け、弓をゆっくりと宙に差し上げる。弓を、矢の半ばまで来るように押していったん静止し、そこからまた、弓と弦を押し引きする。
弓をいっぱいまで引き絞ったところで、弦を持っていた右手が離れる。矢が放たれ、その反動で右手が後方へはじかれる。
「大」の字になって静止していた彼女は、やがて静かに両手を腰に当て、的の方を見ていた顔を、身体の正面に向ける。
弓も矢もなくても。
彼女のその一連の動作は、先日彼が見たのと同じように、優雅で力強く、美しかった。
どうやら舞由はこちらには気づいていないようだった。何かがおかしいのか、首を傾げて足を閉じると、もう一度、足を開いて、腰に手を当てる。
再び、舞由が弓を引く一連の動作を続けるのを見ていると。
「相沢くん」
聞き慣れた声が横から聞こえ、彼はそちらに目を向けた。
田村咲子と、湯本祥治のコンビ。
「なに見てたの?」」
いいながら、咲子が、先ほどまで彼が見ていた方に目を向ける。そして咲子は「へえ」と、納得したようにうなずいた。
「弓、まだ続けてたんだ」
と、感心顔でつぶやく。同じように祥治もそちらに目を向け、こちらも「ふうん」と、何かに感心するようにうなずいた。
「かっこいいね、青木」
「うん」
祥治のつぶやきに、咲子がうなずく。
「一回だけ、弓を引いているところ、見たことがあるんだけど。……やっぱり、弓を持っていた方が、もっとかっこいいよ」
「へえ」
祥治はうなずいた。
そんな二人のやりとりを聞いていた蒼は、
「おまえら、青木が弓道やってたの、知ってるのか?」
「ああ、うん」苦笑まじりに祥治が口を開く。「去年、青木が弓道部をつくろうって、あちこち駆け回ってたのって、けっこう有名なんだよ」
「結局、部員も集まらないし、顧問をしてくれる先生もいなくって、だめだったんだけどね」
祥治の言葉を、咲子が引き継ぐ。「この学校でそのこと知らないの、相沢くんくらいなんじゃない?」
冗談交じりの言葉に、
「ほっとけ」
彼は少しむっとして応えた。そのやりとりをくすくす笑いで見ていた祥治だったが、
「……そうだ。蒼、現国の教科書、ある?」
そちらの方が本題なのだろう。ようやく思い出した、といった様子で祥治が問うた。
「現国? ん。あるぞ」
「悪いけど、貸してもらえるかな?」
「わかった。……おれ、国語が六時間目だから、終わったら返しに来てくれよ」
「うん。わかった」
言葉を交わして。彼らは屋上から、校内へと入っていった。階段を下りながら、ふと蒼は、
「そういえば、なんで湯本が教科書を借りに来るのに、田村が同伴してんだ?」
教科書を借りに来る、といった程度なら、わざわざ二人で来る理由もない。そのことに疑問を感じた彼が問うと、咲子が、あはは、と苦笑した。
「ついでに私にも、基礎解の教科書を貸してもらいたいんだけど……」
「……おまえらのクラスは、数学と国語を同時にやるのか?」
まじまじと問うた彼に、祥治が苦笑する。
「数学は六時間目。いちいち借りにいくより、ここでまとめて借りておいたほうがいいかな、って」
「……だったら、そんなの一人でもいいじゃないか」
彼の現実的な言葉に、
「かっこわるいじゃない。一人で五時間目と六時間目と、両方とも教科書を忘れてきたみたいで」
「……今さら、んなこと気にするほど短いつきあいでもあるまい」
彼は、あきれ顔でいった。
じっと目を見つめてくる舞由から静かに目線をはずすと、ハンバーガーの残りを乱暴に口に入れた。
舞由も、自分の言葉に応えを期待しているわけではなかったのだろう。彼と同じように、ハンバーガーを食べてしまうと、静かに立ち上がり、脇に立てかけて置いてあった弓の道具をかついだ。
「じゃ、後かたづけ、手伝ってくれてありがと。……また、明日ね」
翌日の火曜日。昼休み。二年四組の教室に、青木舞由の姿があった。
舞由はきょろきょろと教室の中を見渡すと、目的の生徒……湯本祥治と田村咲子……の姿を見つけた。ちょうどよく、二人は他の生徒と一緒に、何かの話に興じている。舞由は、教室の中に入ると、その集団の方へと歩み寄っていき、二人に声をかけた。
「咲子、湯本くん」
田村咲子の方はわかるとしても、「オトコ嫌い」で通っているはずの舞由が、祥治にも声をかけたという事実に、その集団の中の生徒たちは少々驚き顔だったけれども、当の舞由は、そんなことはまったく気にしていないようだった。
「なに?」
二人を代表して、咲子が言葉を返す。
「ちょっと、いい?」
咲子と祥治は顔を見合わせ、「うん……特別、用事はないけど」また、咲子が応えた。
三人はそろって教室を出て、廊下の窓際の、邪魔にならないところで立ち止まった。
「……珍しいね。わざわざ、舞由がこっちまで出向いてくるなんて」
「うん」こくん、と舞由はうなずいた。「二人とも、たしか相沢くんと仲、よかったよね?」
「そりゃ、まあ。……中学の時から一緒だし」
応えながら、咲子はちらりと祥治の方に目を向けた。祥治の方も、ちょっと物珍しげに、咲子に視線を返す。その視線のやりとりが、今舞由が話題にしている相沢蒼が、昨日、舞由のことを尋ねた、という事実を二人が思いだしたから、だというのは舞由にはわかるはずもなかったが。
「相沢くんって、なんで、絵を描くの、やめちゃったの? その理由って、わかる?」
舞由の言葉に、二人はまた顔を見合わせた。すぐに、咲子の方が舞由に視線を戻して、
「それだったら、私よりも祥治のほうが詳しいから」
その言葉に、舞由の視線が祥治の方へ移動する。祥治はその視線に応え、
「青木は、蒼にそのこと、聞いてみた?」
逆に問い返した。舞由は「うん」こくんとうなずいた。
「で? 蒼は、なんていってた?」
「『興味がなくなったから』って」
「……じゃ、ぼくも同じことしか応えられないな」
おだやかに応えた祥治に。舞由は、複雑な表情を向けた。
「……口止めされてる、ってこと?」
「別に、蒼が『いうな』っていったわけじゃないけどね」
「ならどうして……」
問うた言葉を途中で遮り、祥治は口を開いた。
「青木は、蒼に、絵を描かせたくって、それを聞いているのかな? それとも、ただの興味本位?」
その問いに、舞由は応えることができなかった。
少しの沈黙が続いたあと、祥治がまた、ゆっくりと口を開く。
「もし、青木が興味本位でそれを聞いているのなら、蒼が絵をやめた理由をいうわけにはいかないかな。……でも、もしも青木が、蒼の描いた絵を見たくて、蒼に新しい絵を描いてほしくて、あいつが絵を描かなくなった理由を取り除きたい、って思っているんなら……」
いったん口を閉じ、祥治は舞由がどのような反応をするか、見守っていた。
舞由はなにも言葉を発せず、それを確認した祥治は、また先を続けた。
「あいつ、あんなだからなにもいわないけどさ。もともと、すごく絵が好きでね。スケッチブックと鉛筆を一本渡しておけば、一日中絵を描いているようなやつだったんだ。……それがいきなり、絵を描くのをやめたんだから、かなりのことがあった、ってことだけはいえるよ。だから……、だから、蒼が自分からそのことを話そうって思わない限りは、部外者のぼくが、それをほかの人に教えちゃいけないと思うんだ」
「そっか……」
明らかに落胆の混じった声で、舞由は応えた。そんな舞由に、祥治は微笑んでつけ加えた。
「でもさ。蒼は、絵を嫌いになったわけじゃない、ってことはいえるよ。……だから、もしかしたら、蒼に絵を描かせるきっかけがあれば、蒼に、新しい絵を描かせることは、できるかもしれない」
「……きっかけ?」
「うん。ぼくとか咲子とか、あと他の人じゃ、そのきっかけを作ることはできなかったけどね。だけど……本当に、蒼が『絵を描きたい』って思えるようなものを用意することができれば、もしかしたら……」
「ん」舞由は小さくうなずいた。「ありがと。ごめんね、邪魔しちゃって」
そういって、舞由は二人の前を去っていった。その背中を見送りながら、咲子は祥治の方に目をやった。
「どうしたんだろ、舞由?」
「咲子がわからないのが、ぼくにわかるわけ、ないだろ」
祥治は応え、そして、
「とりあえずさ。このことは、蒼にはいわない方が、いいだろうね」
「……そうだね」
それから数日。金曜日。
いつものように、登校中の祥治と蒼に、咲子が追いついてきた。
「おっはよー」
「おはよ」
「はよ」
いつも通りにあいさつを交わし。
「毎日毎日、無駄に元気だよな、田村って」
蒼の言葉に、咲子はほほを膨らませた。
「いいでしょ、別に。……無駄に意気消沈しているよりはましじゃない」
わけのわからない言葉で反論したあと、「そういえばさ」と、咲子は蒼に顔を向けた。
「ん?」
「舞由と相沢くんがつきあいはじめた、って、ほんと?」
「はぁ?」
唐突な言葉に、蒼は間の抜けた声を返してしまった。
「なんだそりゃ? ……なんでおれが、青木とつきあわなきゃならないんだ?」
ちらりと祥治の方に目を向けると、どうやら彼も、このうわさは聞いていたらしい。興味深そうに、二人のやりとりを眺めている。
「あれ? おかしいな?」
蒼の言葉に、咲子は首を傾げた。「この前、相沢くんと舞由が、すごく仲良さそうに歩いてるとこ見た、って子が何人かいるんだけど」
――月曜日か。
彼は即座に理解した。舞由が弓の練習をしているのを「見学」したあと、彼女の「おごってやる」という言葉に誘われてファストフードショップへ行ったあのとき。
あれを見て、誰かが勘違いした、ということなのだろう。
「……じゃ、青木の、『年上の彼氏』ってのはどうなったんだ?」
彼の言葉に、
「別れたらしい、って……」
「それは、青木に確認を取ったのか?」
「わかんない」
咲子は首を振った。
「……で? おまえは、その信憑性の低い話を真に受けて、おれにそれを確認した、というわけなんだな?」
「別に真に受けたわけじゃ……ただ……」
「ただ?」
「ほんとだったら、おもしろいな、って……」
「ほーお」
冷めた目で見つめられ、咲子は、
「いいじゃない」逆に開き直った。「相沢くん、そういう話、全然ないんだから。ちょっとは相沢くんをからかってみたい、って思うのが人情ってもんでしょ?」
この時点で、すでに彼らの会話は、八割を冗談が占めるようになっていた。
「人をだしにして、くだらない話で盛り上がるんじゃない!」
彼の冗談半分の怒鳴り声に、咲子は「にゃははは」と笑いながら、あわてて彼から逃げ出す。
「待ちやがれ、このっ!」
彼も、咲子の冗談につきあって、逃げる咲子を追い回す。
そんな他愛もない光景から、いつも通りの日常が、始まろうとしていた。
その日の昼休み。いつものように屋上に出た彼は、いつものように、そこから見える景色を眺めていた。
ふと彼が、外の景色から、屋上の片隅へ目を向けたとき。
そこに彼は、珍しいものを見つけた。
青木舞由。
どういう経緯で、彼女がここにやってきたのかはわからなかったけれども。よく晴れた空の下。屋上の、人目に付きにくいところで。
彼女は、弓の練習をしていた。
制服姿のまま。舞由は弓も矢も持たずに、先日彼が見た、弓を引く一連の手順をなぞっていた。
弓を構え、的の方に目を向け、弓をゆっくりと宙に差し上げる。弓を、矢の半ばまで来るように押していったん静止し、そこからまた、弓と弦を押し引きする。
弓をいっぱいまで引き絞ったところで、弦を持っていた右手が離れる。矢が放たれ、その反動で右手が後方へはじかれる。
「大」の字になって静止していた彼女は、やがて静かに両手を腰に当て、的の方を見ていた顔を、身体の正面に向ける。
弓も矢もなくても。
彼女のその一連の動作は、先日彼が見たのと同じように、優雅で力強く、美しかった。
どうやら舞由はこちらには気づいていないようだった。何かがおかしいのか、首を傾げて足を閉じると、もう一度、足を開いて、腰に手を当てる。
再び、舞由が弓を引く一連の動作を続けるのを見ていると。
「相沢くん」
聞き慣れた声が横から聞こえ、彼はそちらに目を向けた。
田村咲子と、湯本祥治のコンビ。
「なに見てたの?」」
いいながら、咲子が、先ほどまで彼が見ていた方に目を向ける。そして咲子は「へえ」と、納得したようにうなずいた。
「弓、まだ続けてたんだ」
と、感心顔でつぶやく。同じように祥治もそちらに目を向け、こちらも「ふうん」と、何かに感心するようにうなずいた。
「かっこいいね、青木」
「うん」
祥治のつぶやきに、咲子がうなずく。
「一回だけ、弓を引いているところ、見たことがあるんだけど。……やっぱり、弓を持っていた方が、もっとかっこいいよ」
「へえ」
祥治はうなずいた。
そんな二人のやりとりを聞いていた蒼は、
「おまえら、青木が弓道やってたの、知ってるのか?」
「ああ、うん」苦笑まじりに祥治が口を開く。「去年、青木が弓道部をつくろうって、あちこち駆け回ってたのって、けっこう有名なんだよ」
「結局、部員も集まらないし、顧問をしてくれる先生もいなくって、だめだったんだけどね」
祥治の言葉を、咲子が引き継ぐ。「この学校でそのこと知らないの、相沢くんくらいなんじゃない?」
冗談交じりの言葉に、
「ほっとけ」
彼は少しむっとして応えた。そのやりとりをくすくす笑いで見ていた祥治だったが、
「……そうだ。蒼、現国の教科書、ある?」
そちらの方が本題なのだろう。ようやく思い出した、といった様子で祥治が問うた。
「現国? ん。あるぞ」
「悪いけど、貸してもらえるかな?」
「わかった。……おれ、国語が六時間目だから、終わったら返しに来てくれよ」
「うん。わかった」
言葉を交わして。彼らは屋上から、校内へと入っていった。階段を下りながら、ふと蒼は、
「そういえば、なんで湯本が教科書を借りに来るのに、田村が同伴してんだ?」
教科書を借りに来る、といった程度なら、わざわざ二人で来る理由もない。そのことに疑問を感じた彼が問うと、咲子が、あはは、と苦笑した。
「ついでに私にも、基礎解の教科書を貸してもらいたいんだけど……」
「……おまえらのクラスは、数学と国語を同時にやるのか?」
まじまじと問うた彼に、祥治が苦笑する。
「数学は六時間目。いちいち借りにいくより、ここでまとめて借りておいたほうがいいかな、って」
「……だったら、そんなの一人でもいいじゃないか」
彼の現実的な言葉に、
「かっこわるいじゃない。一人で五時間目と六時間目と、両方とも教科書を忘れてきたみたいで」
「……今さら、んなこと気にするほど短いつきあいでもあるまい」
彼は、あきれ顔でいった。
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