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第十話 好きなもの
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やがて、矢を取りに行った舞由も戻ってきた。舞由は矢を持ったまま、彼らのところへと歩み寄ってくる。
「どう?」
声をかけてきた舞由に、蒼はスケッチブックを渡した。それを見た舞由は、特に感想をいうでもなく、そのままスケッチブックを返し、
「それ、全身描くのにどれくらいかかりそう?」
「わからん」
蒼は素直に応えた。
「絵描くのしばらく離れてたから、本調子じゃないしな」
「そっか……」
少し残念そうに、舞由はつぶやいた。それを聞いて、
「それに、もう二、三枚描いて感じをつかんでからじゃないと、とてもじゃないけど『本番』にできないから……一学期中に描き上がればめっけもん、くらいに思っててくれ」
「一学期で描き上がっちゃうの?」
舞由は驚きの声を出した。その声に含まれているニュアンスは、「一学期もかかってしまう」ではなく、「一学期しかかからない」ことに驚いているようだった。
「なんだ? もっと時間をかけてもいいのか?」
「え?」
「絵なんて、かけようと思えばいくらでも時間をかけられるからな。それこそ一年とか二年とかでも、かけようと思えばかけられるぞ」
舞由は盛大に苦笑した。
「いや、さすがに一年は……」そこまでいって、ふと思いついたように言葉を変える。
「あ、でも。弓道場が半額で使えるなら、一年でも二年でも、時間かけてもらっていいかな」
その言葉に、蒼は「げ」と声を上げ、咲子があはは、と笑った。
「相沢くん、ほんとに高校卒業するまで、舞由の絵、描かなきゃならなくなったりしてね」
「よしてくれ。いくらなんでも、そこまでする気はないぞ」
そんなやりとりに、舞由がくすくすと笑い、
「でも、ま。一学期の間だけでも、弓道場半額で使えるって、ちょっとうれしいかな」
いって、「じゃ、相沢くん。もっかい、やるよ」
「ん。わかった」
蒼はうなずいて、スケッチブックと鉛筆を持ち直した。
そして。その日舞由は十六本の矢を射って、蒼の方は、上半身のおおざっぱな線を描いたところで、お開きにしよう、ということになった。舞由は弓と矢を片づけて、蒼に預ける。体育館の入り口で落ち合うことにして、舞由は更衣室へと入っていった。
体育館の受付で、蒼は道場の鍵を返却し、祥治たちと一緒に、舞由を待つ。
「……ところでさ、蒼」
「ん?」
「絵、どうするんだい?」
「どうする、って?」
「青木を描いた後だよ。続けるの? それとも、それっきりで、またやめる?」
「わからん」
素直に彼は応えた。
「くやしいけど、スケッチブックと鉛筆を持つと、楽しいんだよな。だから、もしかしたら、もっと絵を描きたくなるかもしれないし、そうならないかもしれない」
「そっ……か」
祥治がおだやかにうなずくと、今度は咲子が口を開いた。
「じゃあさ。舞由の絵、描き上がったらどうするの?」
「特別、決めてない。……そうだな。青木がそんなにおれの描いた絵が好きだ、っていうんなら、青木にくれてやってもいいし」
「ふうん」
咲子はうなずいた。そして。
「コンクールとかには、応募、しないの?」
おずおずと、遠慮がちに。彼女にしてはひどく珍しい口調で、問うた。
「しない」
即答。その彼の表情が、先ほどまでとはうって変わった厳しいものになる。
「そ、そうだよね」
あはは、と、乾いた作り笑いを作って。咲子はあわてて応えた。
そして、沈黙。
ひどく重苦しい沈黙が、しばらくの間続いた。
そこへ。
ナイスタイミング、というべきだった。
「おまたせー」
明るい声がして、舞由が現れる。彼らの間に張りつめていた緊張の糸が、その一言で一気に弛緩した。制服姿に戻った舞由に、皆が一斉に目を向ける。
と。どうやら、そこに漂っていた空気を感じ取ったらしい。
「どしたの?」
舞由は彼らのそばで立ち止まると、首を傾げた。
「あ、ううん。なんでもない」
あわてて、咲子が取りつくろうように応える。それでも、その言葉が信用できないのか、舞由はまた、小さく首を傾げた。けれども、
「ま、いいや。……あ、相沢くん、ありがと」
明るくいって、舞由は蒼から弓と矢を受け取った。
「じゃ、次は金曜日ね」
「ん」
舞由の言葉に、蒼はうなずく。そして、舞由は明るく「じゃ、また明日ね」と、弓と矢をかついで、去っていった。
その後ろ姿を見ながら、
「青木、学校でもああしていればいいのに」
祥治が、ぽつりとつぶやいた。
翌日火曜日の昼休み。
いつものように、蒼が屋上から景色を眺めていると。
いつぞやのように、美術部員とおぼしき生徒が何人か、スケッチブックを抱えて、屋上にやってきた。
やはり生徒たちは談笑しながら、彼には気づかずに、屋上の片隅を陣取った。彼はその様子を眺めていたが、
――美術部の連中が来たってことは……
彼は気づいた。
そして、彼の予想は的中した。美術部員たちから遅れること数秒。屋上に、美術部顧問、黒岩潤子の姿が現れたのだ。潤子はめざとく彼に気づき、一度彼の方に手を振ってから、スケッチを続けている美術部員たちの方へいった。
――まったく。……。
苦笑を漏らし、彼はまた、目を外の景色へと向ける。それからほどなくして、美術部の方が一段落したのか、
「相沢くん」
にこにこ笑顔で、潤子が彼の方へ歩み寄ってくる。彼はのろのろとそちらへ目を向けた。
「なんだ? 美術部の勧誘なら、応えは……」
「違う違う」
潤子は盛大に苦笑した。「そんな、会うたびに私が美術部に勧誘しているみたいにいわないでよ」
「してるじゃねーか」
彼のつぶやきは、あっさりと無視された。潤子は、彼がそうしているように、屋上のフェンスに両腕をついて、そこから見える景色を、ゆっくりと見回す。
「屋上の景色。……なんの変哲もない景色だけど、そのなんの変哲もなく見える景色のどこかで、いろんなことが起きているのよね」
ぽつりと、つぶやくように。潤子はいった。けれども、
「……『組曲』の話なら、しないぞ」
「え?」驚きの表情を作って、潤子は彼の顔を見た。そして潤子は微笑すると、
「違うわよ。いくら私だって、相沢くんが嫌がっている話を、そう何度もするつもりもないってば」
「……どうだか」
彼の言葉は、やはり無視された。
「今のね、昔つきあっていた、男の人の受け売りなんだけど。……その一言で、私の進む道が決まっちゃったんだ」
また、潤子は小さく微笑した。
「相沢くんが、なんで絵をやめたのかは、私はわかんないけど。でも、これだけは、自信を持っていえる、ってことがあるの」
彼はなにもいわなかった。そのかわりに、目線で、「先を続けて」とうながす。そんな彼に、潤子は小さくうなずくと、
「いつまでも、過去のことにこだわって、本当に好きなものから目をそらし続けているとね、これから先、どんな些細なことでも、本当に好きなものからは、目をそらし続けていかなくちゃいけなくなっちゃうよ。……趣味でも、食べ物でも……」
そして潤子は、一度意味ありげに、彼に目配せをした。
「女の子でも、ね」
そして、冗談めかしてくすりと笑うと、
「だからね。私は、相沢くんがまた絵を描き始めただけでも、すごい進歩だと思っているの。……相沢くん、絵を描くのは、嫌い?」
「楽しいよ。……くやしいけどな」
嫌いか好きか、ではなく。彼は、先日祥治に語ったのと同じ言葉を返した。
「……でもまだ、絵を描き続けるかどうかは、決めていない。今描いている絵を描き上げたら、それっきりかもしれないし、また、続けるかもしれないし」
「……そう」
潤子は静かにうなずいた。
「ま、どっちにしても。……まだ、しばらくかかるんでしょう、その絵? なら、その間に、決められるよね?」
「多分な」
「なら、それに期待してるわ。……相沢くんが美術部に入る入らないはともかくとしても、ね。私、相沢くんの絵、好きなんだから」
――「おれの絵が好き」か……
屋上から、教室へ向かいながら。彼は、黒岩潤子の言葉を反芻していた。それと同時に、同じ言葉をまっすぐに彼にぶつけてきた、クラスメイトの顔が浮かぶ。
――まったく、どうして今になってそんなことをいう連中が、いきなり何人も出てくるんだ。……よりによって……。
……よりによって。
彼の思考は、そこで中断させられた。ちょうど、階段を上ってきた青木舞由が、彼の姿を認めて、声をかけてきたのだ。
「あ、相沢くん。……ちょうど良かった」
「どうした?」
「うん。ちょっと、聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「うん。……ほんとは、次の練習の時でもよかったんだけど……」
いいながら、舞由は、階段を下りる彼の横に並んだ。
「込み入った話か? なら、もっかい屋上、行くか?」
「あ、ううん。歩きながらでも大丈夫。……あのさ。咲子と、湯本くんのことなんだけど……」
「? あいつらが、どうした?」
ちょっと自信なげに、舞由は言葉を区切りながら、
「あの二人って、つきあって、いるんだよね?」
「多分な」
彼はうなずいた。
「はっきりとそういったわけじゃないから、ほんとにそうかどうかはわからないけどな。……ま、何年も近くにいるから、それっぽい雰囲気は、わかる」
「それで……この前、湯本くんがいったこと、覚えてる?」
「え?」
「ほら、咲子が、相沢くんのこと、好きだ、って」
「ああ」彼はその言葉で、ようやくその事実を思い出した。
「昔の話だろ、たぶん。……あの二人に何があったかわからんけど、あいつらがつきあいだしたのが、たぶん中三の秋ぐらいからだから」
「ふうん」
舞由はうなずいた。
「ま、ちょっとはおれのせいもあるかもな」
「え?」
「おれが絵、やめたのが、三年の夏で、『組曲』の入選が決まったのが秋だからな。あいつら、なにもいわないけど、その辺に、なんか関係があるんじゃないのか」
「へえ」
少し感心したように、舞由は彼の顔を見た。
「意外と、いろいろなもの、見ているんだね。……やっぱり、絵を描いているから、いろんなものを観察する癖とか、ついてるの?」
「絵とそれとは、関係ないと思うぞ」
彼は苦笑しながら応えた。
「……でもなんで、いきなりそんなことが気になったんだ?」
「え? あははーっ」
照れ笑い、だろうか。舞由は彼の質問に対して、奇妙な笑いを浮かべた。
「ライバルが増えたら、やだな、って」
「は?」
「ほら、私たち『つきあって』るから」
舞由の言葉に、彼はまた例のいやな噂を思い出し、「も、その話はやめてくれ」と、盛大にため息をついた。
「どう?」
声をかけてきた舞由に、蒼はスケッチブックを渡した。それを見た舞由は、特に感想をいうでもなく、そのままスケッチブックを返し、
「それ、全身描くのにどれくらいかかりそう?」
「わからん」
蒼は素直に応えた。
「絵描くのしばらく離れてたから、本調子じゃないしな」
「そっか……」
少し残念そうに、舞由はつぶやいた。それを聞いて、
「それに、もう二、三枚描いて感じをつかんでからじゃないと、とてもじゃないけど『本番』にできないから……一学期中に描き上がればめっけもん、くらいに思っててくれ」
「一学期で描き上がっちゃうの?」
舞由は驚きの声を出した。その声に含まれているニュアンスは、「一学期もかかってしまう」ではなく、「一学期しかかからない」ことに驚いているようだった。
「なんだ? もっと時間をかけてもいいのか?」
「え?」
「絵なんて、かけようと思えばいくらでも時間をかけられるからな。それこそ一年とか二年とかでも、かけようと思えばかけられるぞ」
舞由は盛大に苦笑した。
「いや、さすがに一年は……」そこまでいって、ふと思いついたように言葉を変える。
「あ、でも。弓道場が半額で使えるなら、一年でも二年でも、時間かけてもらっていいかな」
その言葉に、蒼は「げ」と声を上げ、咲子があはは、と笑った。
「相沢くん、ほんとに高校卒業するまで、舞由の絵、描かなきゃならなくなったりしてね」
「よしてくれ。いくらなんでも、そこまでする気はないぞ」
そんなやりとりに、舞由がくすくすと笑い、
「でも、ま。一学期の間だけでも、弓道場半額で使えるって、ちょっとうれしいかな」
いって、「じゃ、相沢くん。もっかい、やるよ」
「ん。わかった」
蒼はうなずいて、スケッチブックと鉛筆を持ち直した。
そして。その日舞由は十六本の矢を射って、蒼の方は、上半身のおおざっぱな線を描いたところで、お開きにしよう、ということになった。舞由は弓と矢を片づけて、蒼に預ける。体育館の入り口で落ち合うことにして、舞由は更衣室へと入っていった。
体育館の受付で、蒼は道場の鍵を返却し、祥治たちと一緒に、舞由を待つ。
「……ところでさ、蒼」
「ん?」
「絵、どうするんだい?」
「どうする、って?」
「青木を描いた後だよ。続けるの? それとも、それっきりで、またやめる?」
「わからん」
素直に彼は応えた。
「くやしいけど、スケッチブックと鉛筆を持つと、楽しいんだよな。だから、もしかしたら、もっと絵を描きたくなるかもしれないし、そうならないかもしれない」
「そっ……か」
祥治がおだやかにうなずくと、今度は咲子が口を開いた。
「じゃあさ。舞由の絵、描き上がったらどうするの?」
「特別、決めてない。……そうだな。青木がそんなにおれの描いた絵が好きだ、っていうんなら、青木にくれてやってもいいし」
「ふうん」
咲子はうなずいた。そして。
「コンクールとかには、応募、しないの?」
おずおずと、遠慮がちに。彼女にしてはひどく珍しい口調で、問うた。
「しない」
即答。その彼の表情が、先ほどまでとはうって変わった厳しいものになる。
「そ、そうだよね」
あはは、と、乾いた作り笑いを作って。咲子はあわてて応えた。
そして、沈黙。
ひどく重苦しい沈黙が、しばらくの間続いた。
そこへ。
ナイスタイミング、というべきだった。
「おまたせー」
明るい声がして、舞由が現れる。彼らの間に張りつめていた緊張の糸が、その一言で一気に弛緩した。制服姿に戻った舞由に、皆が一斉に目を向ける。
と。どうやら、そこに漂っていた空気を感じ取ったらしい。
「どしたの?」
舞由は彼らのそばで立ち止まると、首を傾げた。
「あ、ううん。なんでもない」
あわてて、咲子が取りつくろうように応える。それでも、その言葉が信用できないのか、舞由はまた、小さく首を傾げた。けれども、
「ま、いいや。……あ、相沢くん、ありがと」
明るくいって、舞由は蒼から弓と矢を受け取った。
「じゃ、次は金曜日ね」
「ん」
舞由の言葉に、蒼はうなずく。そして、舞由は明るく「じゃ、また明日ね」と、弓と矢をかついで、去っていった。
その後ろ姿を見ながら、
「青木、学校でもああしていればいいのに」
祥治が、ぽつりとつぶやいた。
翌日火曜日の昼休み。
いつものように、蒼が屋上から景色を眺めていると。
いつぞやのように、美術部員とおぼしき生徒が何人か、スケッチブックを抱えて、屋上にやってきた。
やはり生徒たちは談笑しながら、彼には気づかずに、屋上の片隅を陣取った。彼はその様子を眺めていたが、
――美術部の連中が来たってことは……
彼は気づいた。
そして、彼の予想は的中した。美術部員たちから遅れること数秒。屋上に、美術部顧問、黒岩潤子の姿が現れたのだ。潤子はめざとく彼に気づき、一度彼の方に手を振ってから、スケッチを続けている美術部員たちの方へいった。
――まったく。……。
苦笑を漏らし、彼はまた、目を外の景色へと向ける。それからほどなくして、美術部の方が一段落したのか、
「相沢くん」
にこにこ笑顔で、潤子が彼の方へ歩み寄ってくる。彼はのろのろとそちらへ目を向けた。
「なんだ? 美術部の勧誘なら、応えは……」
「違う違う」
潤子は盛大に苦笑した。「そんな、会うたびに私が美術部に勧誘しているみたいにいわないでよ」
「してるじゃねーか」
彼のつぶやきは、あっさりと無視された。潤子は、彼がそうしているように、屋上のフェンスに両腕をついて、そこから見える景色を、ゆっくりと見回す。
「屋上の景色。……なんの変哲もない景色だけど、そのなんの変哲もなく見える景色のどこかで、いろんなことが起きているのよね」
ぽつりと、つぶやくように。潤子はいった。けれども、
「……『組曲』の話なら、しないぞ」
「え?」驚きの表情を作って、潤子は彼の顔を見た。そして潤子は微笑すると、
「違うわよ。いくら私だって、相沢くんが嫌がっている話を、そう何度もするつもりもないってば」
「……どうだか」
彼の言葉は、やはり無視された。
「今のね、昔つきあっていた、男の人の受け売りなんだけど。……その一言で、私の進む道が決まっちゃったんだ」
また、潤子は小さく微笑した。
「相沢くんが、なんで絵をやめたのかは、私はわかんないけど。でも、これだけは、自信を持っていえる、ってことがあるの」
彼はなにもいわなかった。そのかわりに、目線で、「先を続けて」とうながす。そんな彼に、潤子は小さくうなずくと、
「いつまでも、過去のことにこだわって、本当に好きなものから目をそらし続けているとね、これから先、どんな些細なことでも、本当に好きなものからは、目をそらし続けていかなくちゃいけなくなっちゃうよ。……趣味でも、食べ物でも……」
そして潤子は、一度意味ありげに、彼に目配せをした。
「女の子でも、ね」
そして、冗談めかしてくすりと笑うと、
「だからね。私は、相沢くんがまた絵を描き始めただけでも、すごい進歩だと思っているの。……相沢くん、絵を描くのは、嫌い?」
「楽しいよ。……くやしいけどな」
嫌いか好きか、ではなく。彼は、先日祥治に語ったのと同じ言葉を返した。
「……でもまだ、絵を描き続けるかどうかは、決めていない。今描いている絵を描き上げたら、それっきりかもしれないし、また、続けるかもしれないし」
「……そう」
潤子は静かにうなずいた。
「ま、どっちにしても。……まだ、しばらくかかるんでしょう、その絵? なら、その間に、決められるよね?」
「多分な」
「なら、それに期待してるわ。……相沢くんが美術部に入る入らないはともかくとしても、ね。私、相沢くんの絵、好きなんだから」
――「おれの絵が好き」か……
屋上から、教室へ向かいながら。彼は、黒岩潤子の言葉を反芻していた。それと同時に、同じ言葉をまっすぐに彼にぶつけてきた、クラスメイトの顔が浮かぶ。
――まったく、どうして今になってそんなことをいう連中が、いきなり何人も出てくるんだ。……よりによって……。
……よりによって。
彼の思考は、そこで中断させられた。ちょうど、階段を上ってきた青木舞由が、彼の姿を認めて、声をかけてきたのだ。
「あ、相沢くん。……ちょうど良かった」
「どうした?」
「うん。ちょっと、聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「うん。……ほんとは、次の練習の時でもよかったんだけど……」
いいながら、舞由は、階段を下りる彼の横に並んだ。
「込み入った話か? なら、もっかい屋上、行くか?」
「あ、ううん。歩きながらでも大丈夫。……あのさ。咲子と、湯本くんのことなんだけど……」
「? あいつらが、どうした?」
ちょっと自信なげに、舞由は言葉を区切りながら、
「あの二人って、つきあって、いるんだよね?」
「多分な」
彼はうなずいた。
「はっきりとそういったわけじゃないから、ほんとにそうかどうかはわからないけどな。……ま、何年も近くにいるから、それっぽい雰囲気は、わかる」
「それで……この前、湯本くんがいったこと、覚えてる?」
「え?」
「ほら、咲子が、相沢くんのこと、好きだ、って」
「ああ」彼はその言葉で、ようやくその事実を思い出した。
「昔の話だろ、たぶん。……あの二人に何があったかわからんけど、あいつらがつきあいだしたのが、たぶん中三の秋ぐらいからだから」
「ふうん」
舞由はうなずいた。
「ま、ちょっとはおれのせいもあるかもな」
「え?」
「おれが絵、やめたのが、三年の夏で、『組曲』の入選が決まったのが秋だからな。あいつら、なにもいわないけど、その辺に、なんか関係があるんじゃないのか」
「へえ」
少し感心したように、舞由は彼の顔を見た。
「意外と、いろいろなもの、見ているんだね。……やっぱり、絵を描いているから、いろんなものを観察する癖とか、ついてるの?」
「絵とそれとは、関係ないと思うぞ」
彼は苦笑しながら応えた。
「……でもなんで、いきなりそんなことが気になったんだ?」
「え? あははーっ」
照れ笑い、だろうか。舞由は彼の質問に対して、奇妙な笑いを浮かべた。
「ライバルが増えたら、やだな、って」
「は?」
「ほら、私たち『つきあって』るから」
舞由の言葉に、彼はまた例のいやな噂を思い出し、「も、その話はやめてくれ」と、盛大にため息をついた。
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