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第六章◆精霊王ノ瞳

精霊王ノ瞳~Ⅰ

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異端ノ魔導師の行方ゆくへさぐる者は数しれず存在するだろう。

帝国の軍事介入をけたいアイゼリア、
当国がフェレンスとの接触に慎重しんちょうなのは、内通者の動きを探るためでもあった。

一方。回復を待ってふたた他方たほう出方でかたうかがいはじめた彼ノ魔導師の動向は、
暗躍者たちの懐疑心かいぎしんあおる。

動きの特徴とくちょうくせ、手の内を読むには、
往なしフェイントじえてさそい出せば良い。

臆病おくびょうよそおりをひそめることは簡単。
だがそれでは各勢力のねらいの先読みが難しいうえ先手せんてを許してしまう。
被害を想定した後手あとでの回避、交渉は、足元をすくわれやすいのだ。

いかなる場合においても反撃体勢を維持いじするなど、抗戦こうせん意欲をしめ抑止よくしとすること。
交渉に持ち込むより前に、譲歩じょうほが必要になる可能性を強く認識させること。
そのようにして身構みがまえた相手から妥協案だきょうあんを引き出すこと。

それらフェレンスの戦略的、身の振り方の徹底ぶりについて。
解説するでもなく、それとなくれたのはクロイツだった。

「帝国の勢力闘争せいりょくとうそうに深くかかわり、
 良くも悪くも政治的情勢を左右する男。
 異端ノ魔導師という異名からも分かるとおり。
 ただでさえ警戒しない者などいないと言うのに、あまつさえ挑発しにかかるとはな。
 このおよんでも相変あいかわらずか ... ... 」

「一般には嫌煙けんえんされる処世法しょせいほうですね。
 取り込もうとする相手を前にした初動しょどうとしては、確かに奇抜きばつです。
 まるで、国家を背負せおう者の所作しょさだ ... ...」

「あの男はもとより異質いしつ
 長らく亡国の安寧秩序あんねいちつじょになってきたのだ。
 統治者たちの駆け引きは無情。信用など判断材料でしかない。
 理想論は逆手さかてに取られるだけなのだと理解している。
 しゃくさわるやり方には違いないが。
 このような状況下で前のめりな姿勢をとる人物は余計、目に付くからな。
 すきを見る敵勢力の潜入せんにゅうを期待しているのだろう」

たいして、王太子おうたいしウルクアは満足そうに言う。

じつに協力的で助かります」

クロイツを始めとする一行いっこうまねかれた密会。
その終わり頃のことだった。


し当たってもなお、話題にがる人物について。
感想をふくむ、この答えを ... ...どうとらえるか。


後になってノシュウェルは一人、考えた。

少し離れて付いて来る元部下二人は、また別の話に疑問符ぎもんふえる。

「さっきは黙って聞いてたけどさ。
 傲慢ごうまんよそおった、喧嘩上等けんかじょうとう姿勢でとくするコトって何?」

フツーありえないでしょ。と、片方かたほうが言う。
まあ、確かに。もう片方はうなづいた。

とくって言うか ... ... うーん、そうだな ... ... 
 王太子おうたいしが言ってただろう? 国家を背負せおう者の所作しょさだって。
 あの人は昔から色んな勢力に付け狙われてるし、
 今だって大勢に囲まれてる、たったの三人だからな。
 虚勢きょせいでも張らなきゃ話にならないからだと思う。
 上下を意識したら、どちらかが引き込まれるだけだ。
 国家で言えば宗主国そうしゅこく属国ぞっこくみたいに。
 対等と思わせないと交渉なんて成り立たないんだよ」

ああ、そうか。と ... 片方かたほうも納得したようではある。
けれども、まぁ、あの人に限っては虚勢きょせいなんかではなく、
本当に対等でいられるだけの力があって、当然のようにやってのけるのだから。
クロイツの言ったようにしゃくにもさわるわけで。

せた視線を持ち上げ前をみれば。
られた部屋の手前、客だまりホワイエ先のバルコニーへと戻っていくクロイツの後ろ姿。

何となく、一人にしてはいけない気がして引き続き後ろにひかえていたところ。
先頃さきごろの話題をられた。

「あの太子たいし ... ... 協力的と言ったな」

おっと。気になっていたのは自分だけではなかった。
ノシュウェルは歩みり対話する。

「ええ、確かにおっしゃった。自分も複雑ふくざつな気分です」

あの異端ノ魔導師を手玉てだまに取ろうとして、重い代償だいしょうはらい続けた
奴等やつらや他の連中をあざけ口振くちぶりと感じたからだ。

「 ククク ... ... 随分ずいぶんと強気ではないか」
「その点、に落ちません。
 偶然ぐうぜん利害一致りがいいっち糠喜ぬかよろこびするような人には見えなかった。
 協力させる自信があると言うことでしょうか。
 あのお方や魔導兵に付けろうなんて。
 こう言っちゃあ何ですが、新参者しんざんものにゃあ無理でしょう。
 あなたでもないかぎり ... ... は ... ... 」

しかし話している最中さいちゅうに気付かされた。

「あ ... ... 」

そうか。

「だからあなたを ... ... 」

ノシュウェルの顔が、やや青褪あおざめたのを見てクロイツは言う。

「あの男の下僕しもべが、奴等やつら思惑おもわく通りに事を運んだとして。
 ただでむはずがないのだ。それは、我々われわれも同じ事 ... ... 」

王太子がはっしたさきの一言は、クロイツをもふくべられていたらしい。
そう考えれば合点がてんがいく。
ノシュウェルは言葉を失い、片手で目元をふさいだ。

ウルクアはこう言いたいのだ。

手玉てだまに取り、協力させる。それはお前達の〈仕事〉だと。

「そう、いざとなれば止めるしかないのだ。 この私が ... ... 」


 ――― この〈ひとみ〉で ... ...


異端ノ魔導師の下僕しもべカーツェル。
その実兄じっけいは現在、帝国の軍警副総監、けん、緊急時軍事顧問こもんとして
高位貴族、及び上院議員マグナートぜい〈No.〉をにな支柱格しちゅうかくである。

やからさそいにじょうねらいをさぐるアレセルが、
この場にクロイツを差し向けたのはフェレンスへの警告、支援のためだけではなかったのだ。

絶対服従の下僕しもべが主人を裏切るとは考えにくいものの。
何事なにごと次第しだい
いつ気狂きぐるいを起こさないともかぎらないのだから。

そんな時であればこそ。

クロイツの〈ひとみ〉の力があればフェレンスとの交渉も可能とんだに違いない。
〈最悪の事態じたいそなえよ〉そう申し出てせまれば良い。
異端ノ魔導師との協力的相互関係をむすぶには、確かに有効と思われる。

しかしそれは、までも奥の手。

取引材料として持ち出しはしても使うことなどあってはならない。
何としてもけるべき事項じこうである。

厚い信頼も、すとカタチを変えるらしい。
薄情はくじょうらざるをないのだ。

そう考えると、クロイツの弟 ... ... アレセルの洞察力どうさつりょく
見識けんしきするどさが一層いっそう際立きわだつ反面。
愛情深いと聞く彼、本来の姿と策謀さくぼうとの乖離かいりはげぎて心配にもなる。

裏切りをはたらいてまで、ノ魔導師の決意をくつがえし。
罪人に仕立て上げられた身内をも、逃がすていで利用するあたり。
なさ容赦ようしゃも無く。
あまつさえ、他でもない身内の命にすら関わる保険をけようと言うのだから。

ノシュウェルは思う。

どうりで、あのクロイツが王太子おうたいしとのり取りも人任ひとまかせせにだまり込むわけだと。

それくらいでなければ、とっくに始末しまつされていたのかもしれない。が、しかし。
血を分けた二人そろって、よくもまぁ心折れずにいられるものだなと。
只々ただただ、感心すると言うか。

図太ずぶとさで言えば引けおとららないつもりだけれど。

重い ... ... 重すぎる ... ...

繰り返しになるが、国境をえてからの重圧が以前のではないので。
元軍人であろうが精神的にこたえるよう。

元役人のクロイツと、同現役のアレセルふくむ話だが。

暗躍者あんやくしゃ達の神経ってどうなってんのかなぁ ... ...

なんて。違うコトでも考えてないと疲れちゃう。

そんなノシュウェルの心境しんきょうを知ってか知らずか。
だいぶあとになって彼をり向いたクロイツは苦笑くしょうする。
ぼやぼやとして、どこを見ているのかも分からない元軍人の余裕よゆうが心強くて。

むしろ、ありがたかった。


諜報員ちょうほういん一派いっぱ統制とうせいするアイゼリア王太子おうたいしウルクア。

一癖ひとくせ二癖ふたくせもある者同士が手の内を読み合い、
時として立場の入れわりが起きるの中に、また一人、食わせ者がくわわったところで。

一息ひといき


対敵謀略たいてきぼうりゃく上手うわてを取るのは、
不意ふいすきを誘発させるだけのさくと行動力、判断力をね備えた者にかぎる。

あの時、クロイツはたしかに言った。

我々われわれであれば、あの男フェレンスを黙らせることなど容易たやすい』と。
そして今、まさに行動する時が来たのだ。

ノシュウェルに背を向け夜空を見上げたのは、彼への配慮はいりょ

めをはずし頭をると、
屋内の灯火ともしび星明りほしあかりを受け、吹き込んだ風に揺らぐ金色の髪。

その向こうにかくされていた左眼ひだりめうつる月は、
白兎はくとのように血の色をかす虹彩こうさいの中で ... ... 赤くまる。



その翌日から。

かんなぎ修行という名の〈なんでも屋〉づとめにいそししむ事となったのは、フェレンス一行いっこう

アイゼリア諜報員ちょうほういん達の仕業しわざだろう。
周知しゅうち活動もしていないのに仕事の依頼いらいが舞い込みはじめたのだ。

ギルド総連合館のり紙を見て来たとか。
医院の睡眠薬すいみんやくがわりに調合してもらった霊草液ハーブシロップがよくくと聞いただとか。

まぁ ――― 好き勝手、適当てきとうれ回っているようで。

ノックに応答しとびらを開くたび、話を聞いたカーツェルのほほわずかに引きる。
ろくすっぽ準備もしていないうちから調子を合わせる羽目はめになった執事役しつじやくとしては、
イライラが止まらない。

フェレンスへの仕返しかえし、嫌がらせだろうなと思う。

役目にてっし、きゃくを通すカーツェルだったが。
朝食を食べ終えたばかりで歯磨きも済んでいないのに、見かけてしまったチェシャには分かる。
彼の背中には、こう書いてあるように見えた。

『クッソ ... 野郎共ヤロウドモが、おぼえてやがれ ... ... 』

思わず手が止まってしまったけれど。

〈 シャコ シャコ シャコ シャコ ... ... ペッ 〉

チェシャは、すぐに思いなおして口をゆすぐ。
だいたいのところ、見慣みなれてきたので。

それより気になったのは、きゃくと入れ替わりに二階へと上がっていったフェレンスの様子と、
身支度みじたくを手伝いに急いで追って行ったカーツェルの声だった。

「何だコリャ!?」

応接室サロンで待つ老人と、話し相手にでもなってやろうかなんて思い
となりに座ったチェシャのかたがビクリとね上がる。

〈 シュルリ ... ... 〉

カーツェルが手に取って広げ、音を立てるころも程良ほどよあつみと重さ。
サラリとした手触りで、折り目にしわ一つ残さない高品質素材。

なのに、随所ずいしょ切り込みスリットは何のためだ。
背面はいめんもそう。
こしどころかきわどいところまでいている。

それは昨日さくじつ、紳士から受け取った衣装箱の中身であり。
覡服かんなぎふくと言われわたされた物だった。

かんなぎとは、男巫おとこみこ異称いしょうだったはず。
アイゼリアにおいては、世間せけん隔絶かくぜつする森ノ隠者いんじゃであり、
神霊術をあつかう能力者として聖人のように言い伝えられる者も存在するのだと聞いたが。

まだ朝だと言うのに、早速さっそく一悶着ひともんちゃくである。
二階の二人は、なかなかりてこなかった。

ようやく姿を見せたかと思えば、
主人のうしろであきらかに不機嫌ふきげん雰囲気ふんいきかもすカーツェルに同情どうじょうしなくもない。
びょうさとされた。そんな顔をしている。

カーツェルにしてみれば他国の風習等ふうしゅうとう、全くの無知ではないつもり。
けれども、まさかこれをフェレンスが着る事になるとは。

あやしまれぬよう身に付けるのは当然であるからして、文句もんくを付けるわけにもいかず。
クローゼットの前でシャツのめをはずしていく主人に背を向け、着替きがえの手伝いをかたくなにしぶったと見える。

怒声どせいは聞こえてこなかったし。

ああ見えて可愛かわいいコトをしたりもするから。
胸の前で着替きがえを捏ね々コネコネするなど、意地いじっていたのかもしれないな。
なんて、チェシャは想像した。

カーツェル ... ... カーツェル ... ...

フェレンスは何度、彼を呼んだろう。

「カーツェル、ご老人が待ち草臥くたびれてしまう。早く着せてくれないか」

対してカーツェルは、どんな返事をしただろう。

「 ... ... イヤだ」

フ フ フ 。笑っちゃう。
しかし、横まで来て挨拶あいさつするフェレンスを見上げた老人に変わった様子は無い。

そう、聖者に通じる神霊的職能者シヤーマンをはじめ、
医師や薬師やくしなどはみなかんなぎ職能分野しょくのうぶんやとして認識にんしきされている。

それがこの国、アイゼリアの常套じょうとう

それにしてもすご露出ろしゅつだなとは思った。
せきを立った老人の前を行く、その背中なんてもう。

バランスの良い筋肉の凹凸おうとつ感にチェシャの目は釘付くぎづけ。

とびらを開いて老人をまねき入れる動作。
それにともなったはだと肉の海練うねりいたるまで。
とことん凝視ぎょうし

何だか美的びてきでドキドキするのだ。

そんなチェシャを横目に、深く溜息ためいき項垂うなだれたのはカーツェル。
彼は小声で言う。

「お顔以外、肌の露出ろしゅつひかええるのが帝国紳士しんし、旅人の常識じょうしきですからね。
 旦那様だんなさま貴方あなた同様どうように負傷をけるべき都合つごうもありますし」

然う々そうそうあんな格好かっこう、出来るわけはないのだ。

本来であれば目も当てられない事態じたい
だが、どうしてどうして。
ぎゃくに目がはなせせないぞという理由ワケで。

幼子おさなご執事役しつじやくよりも早く、その場をあとにする。
奥の部屋まで急駛ダッシュだ。

置いて行かれたカーツェルは、また一つ溜息ためいきおくれて歩いて行く。

帝都でも、たような服装の男女を見かけた事くらいはあった。
とは言え、カーツェルはとく複雑ふくざつな気分だったろう。

何故なぜなら、その装衣そうい
最終的に身体からだを売るのが目的と思わしき、一部のおどり子服と見紛みまがう作りをしているのだ。

色恋沙汰いろこいざた敏感びんかんな年頃の範囲内に丁度ちょうど良くおさまっている執事役しつじやくであるからして。
主人の素肌すはだ如何いかがわしい目で見るやからが少なからずいるのではいなか ... と、只々ただただ心配した。

また、依頼いらいおうじ必要な物を取りに部屋を移動するたび、カーツェルのあせりが物音になってひびくのは。
スリット対策として使わせた膝掛ひざけが落ちないようにするなどの一手間ひとてまを、フェレンスが面倒めんどうがるからだ。

チェシャには分かる。
 
と、言うわけで。

フェレンスが足を組み直す素振りを見た瞬間に三人かけ長椅子ソファーから飛び降りてけ出し、
パッ! と上からおさえてやるのだ。
ひざの上からすべり落ちそうになった半掛布ハーフケットを。

よし。良い仕事した。

心の中で自分をめてやりながら顔を上げてみると、真顔のフェレンスと目が合う。
わざわざ飛んで来なくてもいいじゃないか ... ... とでも言いたそうだけど。
早々はやばやと部屋に戻り立ち止まったカーツェルの気配を感じて振り向いて見たところ、
ケットをおさえるチェシャの手元へ目を向けるカーツェルのわきえられたこぶしから、
上向きに立ち上がる親指。

疎通そつうする二人は、満足そうにうなづき合っていた。
すると、その一方。少しだけ残念そうな顔を見せる診察中の老人。

え、どうして?

フェレンスは思った。
しかし無言の圧をかけてくるチェシャの目がこう言っている。

聞いちゃダメだよ?



仕事部屋の壁を向くつくえの上には、法を記憶する魔青鋼心棒オリハルコンスティックいくつも転がり。
丸くて平べったい小型展開器に複数、装填そうてんされたそれらは
手のひらサイズの法義球オブジェクトつらね、
まるで星の座標をあらわすかのような形態をしていた。



相談、仕事の依頼内容とう、記しておくべき書類のたぐい
あらかじめ仕事部屋のたなに取りそろえられていたよう。

しかも、フェレンスが義球オブジェクトを操作すると、たなおさめられた用紙シート
カサカサッ と音を立て、シュシュッ、フワリ ... ちゅうに飛び出し机の上までやって来る仕組みになっている。

カーツェルは何かといそがしいので、
昨晩さくばんのうちに仕込しこんでおいたのだろう。

チェシャは、そうさっし次から次へとおどり出る用紙を見送った。
長椅子ソファーの上は最早もはや彼の定位置。

休憩時間になって一旦いったん客が引けても、カーツェルは働きめなので。
昼食の支度をする彼の背中をのぞいてみては、何だか切ない気持ちになる。

接客からフェレンスの手伝いまで仕事が多いな。対して自分はどうだろう。
簡単なお世話を二度、三度、あとは長椅子ソファーに座って客と話したり。

それだけ。

なので、今度はカーツェルの手伝いでもしようかと思い部屋を出ようとした。
すると呼び止められる。

「チェシャ ... ... 少し話したい。そばに来てもらえないだろうか」

何だかあらたまった言い方だな。
フェレンスに呼ばれたなら、何も言われなくたってぐ聞きに行くけれど。
何、何、何。心配になって少し胸がドキドキしちゃうよ。

「 ム ゥ ――――― 」

った幼子おさなごうれいが、可愛らしいうなり声になってれ出す。
フェレンスは肘掛ひじかけに両手をえる子の頭をでてやりながら、
机上奥きじょうおくを占領した収納の引き出しを開く。
取り出されたのは昨夕さくゆう、盛大に投げ捨てられた魔青鋼鑑札オリハルコンタグのペンダントだった。

見ると、その時の様子が頭に浮かんで胸をめ付ける。

取り上げられた瞬間。

ほうり投げられた瞬間。

ずっと遠くまで飛んでいって水に落ちてしまった瞬間。

思い出すとつらい。
しかし彼の宝物は主人の手で直接、返された。

《 チャリチリ ... チャリリ ... 》

銀鎖ぎんさを下り、立つ音はすずのよう。
あらため胸に下げ降ろされた証票タグを手にして見ると、フェレンスの声。

「その ... ... 昨日の事だが、返すのが遅れてしまってすまない。あと、それから ... ... 」

チェシャは少し違和感を感じた。

「何だろう、上手く言えない。朝からずっと考えていたのに。
 それはお前の宝物だとカーツェルに聞いて、その、ええと ... ... 」

そしてさらに、心の中で復唱ふくしょうする。

えーと ... ...

異端ノ魔導師の歯切れが悪いなんてことがあるのか。
幼子おさなごもビックリのシドロモドロではないか。

ダメ、笑っちゃう。

けれどもえた。

〈そこはこらえろ!〉という圧と視線を部屋の入り口付近から感じたので。
今では〈のぞき見お疲れ様〉と言ってやりたい気持ちの方が、むしろ強いのだが。

チェシャは言う。
手にした証票タグをフェレンスによくよく見せてやりながら。

「 コ、レ! チェシャ、ノ! チェシャ、ハ、シャマ、ノ ... ナ、ノ! ... ... ィィ? 」

それは、カーツェルがいつか聞いた言葉と同じ。

なるほど、よく考えたな ... ... と、のぞき見執事は思う。
そう、幼子おさなごが押して言うべき相手はフェレンスだったのだ。

言葉が足りていなかったと言うなら、お互い様と考えたらしい。

聞いて胸をで下ろす。
カーツェルは支度したくの続きをするため、洗い場へと戻って行った。

赤毛のフワフワ頭に手をえ、また一つ撫でてやりながらフェレンスは答える。

「もちろん。 ... ... さっしてやれなくて、すまなかった」 

この時、チェシャが感じた違和感について。
心に留めていたのは、カーツェルだけだろう。

あらため洗い場に立つ彼は、こう思った。

フェレンスの心の中には、きっと。
〈また泣かせてしまったらどうしようか〉という不安があったに違いない。

しかし、当の本人は ... ... それに気が付いていないのだと。
 
 
 
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