【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

第五章◆石ノ杜

石ノ杜～Ⅴ

　
　
　
竜騎士。

岩をも砕く神々の力を得えてして天駆ける。
彼らの身体は、蒼き炎 ... 秘めたる焼印で覆おおわれていた。

故国・シャンテを統べる王家と中枢ノ番人を守護した彼等の存在は、
伝説として語り継がれてもいる。

天より降り注いだ災いとして、地上に蔓延しつつある《霧ノ病》を恐れながらも。
祖国を愛し、戦い、死していった者の誇り高き精神は称賛に価あたいすると言う、
歴史家、作家がいたらしいのだ。

遥か昔の出来事である。


彼は憂うれい、俯うつむいていた。


白き石柱の立ち並ぶ回廊が、円形の訓練場をぐるりと囲う。
その際に積まれた敷石に座し。

「 ... ... グウィン！」

名を呼ばれても、聞き流す。

「おい！ いい加減に少しは遣やる気を出さないか。
　仮にも親衛隊、隊長を言い付かった竜騎士だろう？」

彼の同期だろうか。
手合いを見守る、年頃の男が目上に対し呆あきれ顔で言う。

その場に居る皆々、良い体格をしているが。

「頼む。いくら面倒でも育ててやらねばならんのだ」

そう言って汗を拭う片手間に、肩を叩き行き過ぎる騎士の言葉すら無視。
彼の冷めた目には、小勢が戦いくさ遊びをしているようにしか見えなかったのだ。

代わりに指導を続ける男は溜め息だけして黙る。

「着任前とは言え、今からアレではな ... 」

彼の背後にて、手拭いを首にかけながら言うも虚むなしい。
回廊と場内に立つ両者は見合わせ、それぞれ立ち去った。


　――― そう ... 私には無理だ。


彼は思う。

騎士になったのは誰かを守るためではない。
ただ、強さを求めていた。

皆、そうあるべきなのだと。

弱い者は死ぬ ... 当然ではないか。
何故なぜに守ってやらねばならぬのだ。

傍かたわらに立て掛けられた模擬刀を手に、彼は重い腰こしを上げる。

立ち会う相手を探していた見習いは、突然の指導に成なす術すべも無く剣を払われた。

「生きたければ力を持て。戦え。殺せ ... 」

教えでも何でもない。

ﾌﾗﾘ ... と気儘きままに訓練場へ立ち入ったかと思えば、これだ。
目を覆おおう同期の頭痛の種である。

「自分は、何も奪うばわれたくないだけです」

挙あげ句くに足元を蹴り上げられ尻餅を付いた見習いの震え声を聞くと、耳が痛い。

「この様ざまでか？ 打ち負かされては成なせるはずもないな」

だから指導してやってんだ。
もう良いから去いね。

任命不適切と上に進言するべきか悩むところ。
見習いがザワついているので、まずは止めに入ろうか。
訓練を終えたはずの騎士が、見かね傍そばに寄ろうとした時だった。

紅あかい玉飾りが、揺ゆらぎ輝く。

視界の端に映り込んだ様子に息を呑んで振り向くと、
白い衣ころもで頭と口元を隠し纏まとう、子の姿。

「貴方あなたは ... ！ このような場所に、如何用いかようですか」

駆け付け尋たずねるが、恐れ多く言葉に詰まった。
更に、遅れ跪ひざまずくつもりで前屈みになったところ、
裾すそから覗のぞいた手に制せいされる。

衣ころもの外縁そとぶちを彩るのは、先に見た玉飾り。

「シャンテ一いちの臆病者が私の傍そばに置かれると聞いて、見に来ただけです。お構かまいなく」

お察し ... ...

大の男が畏かしこまり俯うつむいていると。
荒ぶる竜騎士の視線が向く流れ。

少し前から気配を感じてはいたが、聞き捨てならぬと。

彼にも聞こえていたらしいのだ。実に場都合ばつが悪い。
そわそわとして視線を遮るように立ち、ｷﾞｭｯ と目を閉じて説明を試こころみる。

「あの、申し訳有りません。あいつは、その、地獄耳でして」
「なるほど。流石さすが、噂に違たがわぬ臆病者 ... 」

ぁぁぁぁぁ。 それ以上、言っちゃ駄目ダメぇぇぇぇぇ。

はっきり申し上げるべきであった。
後悔しても遅いが。

前後の視線が自分の胸を貫つらぬいて弾はじける。
すっかりと萎縮いしゅくしてしまった騎士は棒立ち状態。

その横から、ﾋｮｲｯ と覗いた子の瞳を ｼﾞｯ... と睨むグウィンは同期に尋たずねた。 

「あれは、何者だ？」

... ... ハァ？

「まさか！ お前、ご挨拶にも伺うかがってなかったのか！？」

式典を介し謁見えっけんする機会は幾いくらでもあったはず。
顔向けもせず、記憶に留とどめようとすら思わなかったのだなと。

同期もビックリ。

竜騎士の銘めいを授かった当時のグウィンは、
その時まで己おのれが主あるじとなる者の名すら知らなかった。

知ろうとも思わなかったのだ。
国の中枢を司る番人の役目さえ。

「フェレンス様 ... 何卒なにとぞ、穏便おんびんに ... 」

居たたまれず頭こうべを垂たれながら、騎士は言う。

両者の出会いに立ち会った彼等は、
後に二人が主従の立場を越え、固い絆で結ばれる事など夢にも思わなかっただろう。

何故なぜならば、この時フェレンスは言ったのだ。

「ご心配無く」

彼のもとを訪れたのは、直じかに伝えるためでもある。

「貴方あなたも、安心して下さい。
　抑々そもそもが竜騎士として不適格。
　任命を取り下げるよう、元老院や軍部の官僚に言っておきます」

それって、全然、穏便じゃない！！

思ったのは、騎士と見習い達。
フェレンスの去り際に行く手を遮さえぎり何故なぜなのかと問といた同期は、
グウィンの強さを押して語った。対してフェレンスが何と答えたか。

「彼は、シャンテに忠誠する気が無いようなので」

これまたビックリ。

「そんなはずは！！」

声を荒らげる同期との間に割って入った騎士が、退しりぞくよう促うながしても引かない。
適性は扠さて置いても、同班から竜騎士を送り出すという事は名誉。
納得できるよう説明して欲しいと願った。

ところがフェレンスは彼等を黙らせる。

「彼の誓いは、あくまでも建前。
　取り立て断る理由もなく、従っているに過ぎません。
　本音は ... 言うまでもないでしょう」

辺りは騒然となった。
記憶ノ番人の言い表あらわしと思えば、言葉を失うばかり。

そう、フェレンスには予測できたのだ。

孰いずれ彼は、謀反むほんを企てると。
あえて告げる事は無かったが。


竜騎士の銘めいを授かる以前に、騎士としてどうなのかという話。


誰もが思う。グウィン本人でさえ苦悩した。
それを見抜かれ、周辺共々困惑し。
結果、フェレンスの行動は裏目に出たと言っていい。

彼がフェレンスに対して興味を示し始めたのは、その日からだった。

「国を守る気など更々さらさら無い ... 私の忠誠が偽りだと、
　お気付きになられたきっかけを、お教え頂きたい」

「 ... その答えを聞くだけなら、
　刀礼の期日繰り上げを願い出るまでもなかったのでは？」

任命の撤回を元老院と掛け合う前に催もよおされた、竜騎士達の叙任式じょにんしきにて。
寄りにも寄より筆頭として前に出る。彼の姿を見たフェレンスは、
人の《心変わり》というものが如何いかに理不尽であるかを思い知った。

どういうつもりなのか問い質ただそうにも、互いに質問攻めである。

「貴方あなたは私を臆病者と言った。そう感じた理由も、お聞かせ願います」
「任命に応じられたのですから、私の役目については既にご存知でしょう？」

「やはり、中枢の《記憶》とやらから割り出せるものなのでしょうか」
「貴方は何かを失うという事に対し、私の知る者の誰よりも過敏。... 心当たりは？」

だが最後の問いかけを聞いた瞬間。脳裏を過よぎる不幸が彼の胸に爪を立てた。
研究者であった両親の事故、後見人の病、親族の行くへ知れず、兄弟の殉職じゅんしょく。

賢者ヘルメスの齎もたらしした叡智を得えてしても、突然の災いまでは防ぎきれぬ。

「貴方は失い過ぎた。自らが力を付けたところで無意味。
　他者の不足や不慮までは如何様いかようにもし得えないと身に沁みている。
　故ゆえに臆病。 ですので、守る気が無いと言うよりは、そう ...
　守ったところで、どうせ死んでいくのだから極力、関わりたくないのでしょう？」

「 ... ... 仰る通りです」

「ならば何故なぜ、私のもとへ？ 
　《記憶》は現世を生きる者の意図まで知らせてはくれません。
　あくまでも推測でしかない。それと。生憎あいにく、私は不老の身ですし。
　魔物も同然なので。貴方に守られる必要など無い。
　元老院の議員は、それでも必要と言うのですが ... 」

彼は押し黙って聞いていた。それでいて思うのだ。

魔物も同然って ... 自分で言うか？

すると、じんわり ... 笑いが込み上げる。
暫しばらくは堪こらえたが、どうにも我慢しかねた。

話の途中であったにも関わらず、相手の目線が泳いている上、
本来は屈強であろう図体ずうたいが細かに震えているので、一旦、口を閉ざす。
フェレンスは訝いぶかしげに首を傾げ、見ていた。

すると終いには、ｸﾞﾌｯ ... と吹き出し、声に出して笑い始めたので。
胸が反そる程に驚く。

「あははは！ はぁ ... いけませんフェレンス様。
　ご自分で魔物も同然などと仰っては ... あはははは！」

両者は互いに似たような事を考えていた。
フェレンスにしてみれば、こう。

どれだけ笑うの？

片や彼にしてみれば、こう。

どれだけ自信過剰なの？

「しかも貴方は実際の魔物をご存知ない。違いますか？」
「いいえ。その通りです」

認めたし。実に素直だ。

しかし聞いたところ、記憶が生む魔物との実戦は積んでいるのだとか。
どういう経緯なのか気になる。

次第に話が逸それていくが、当初の話題に戻る事は ... もう無かった。

番人の住まう硝子ガラスノ宮は、広々として氷のように蒼く澄み渡り。
一組の椅子とテーブル、そして天蓋てんがい付きのベッド以外は何も置かれていない。

テーブルに積まれた書物は何のために有るのだろう。
聞くと、フェレンスは答えた。

「記憶から読み取る情報は、理解する必要もなく構築されていくだけなので」

自ら考え、記憶から得る情報との差分を埋めてみたいと。

他の番人がどういった存在であるのかは、まだ知らない。
けれども彼は、フェレンスの人間じみた人柄に惹かれていく。
同時に、人間離れした思考に対しても、強く ... 強く ... 


竜騎士とは、竜の神々の器となる《魔導兵》の二つ名である。


後に契約を済ませた彼の恐れは、やがて執着へと変貌し。
自由を阻害する王族や元老院に対し嫌悪感を抱くほどに、フェレンスを深く愛した。

人間味を増す番人は、欠陥を生じたと見做みなされる事も承知の上。
人として触れ合い、告発したのである。

案の定、シャンテの法官は記憶ノ番人の欠陥を認め、処分を取り決めた。
すると彼は、国を相手に申し出たのだ。

「彼かノ番人を破棄するつもりであるなら、譲り受けたい ... 」

さもなくば、祖国であろうとも潰す。

フェレンスを愛するあまり、彼は常軌じょうきを逸いっし。
後に上院議員の間で、こう噂されたという。

騎士の筆頭でありながら流刑地へと送られた男。

---　竜騎士、グウィン。

謀反むほんを起こさぬ対価として、仕える者の命を買った強者つわものと。


思い起こせば、雪を踏みしめる音が聞こえて来るよう ... ...


北の流刑地は、浮島うきじまに廃墟化した水源施設があるのみ。
かつては乾季を迎えた土地の泉を満たすため、豊富な水を湛たたえた施設麓ふもとの滝も。
現在は氷爆ひょうばくを抱え聳そびえる。

白銀の丘より施設内部へと向かい ... 長い 々 石橋を渡る間。

自身も残ると言って伝えた彼は、
契約主の移送を勤つとめ終えると同時に、祖国を捨てた。

晴天の雪景色を背景に歩み寄る姿を見つめ、フェレンスは言葉を失うばかり。
やがて迎えた夜は、昼間の静寂を覆くつがえす猛吹雪だった。

予あらかじめ持ち込んでいたと思われる生活必需品や衣類の揃った部屋で、
古びた家具の配置を一々気に掛ける彼は、どこか嬉しそう。

騎士団の筆頭であった黒ノ竜騎士が、部屋の模様替えなんかしているのだ。

こんな彼の姿を見る日が来ようとは ... ...

奇々怪々。

帰洛きらくを説得しようにも後回しになる。
まずは鎧を外してはどうかと思ったので。
ここへ来て、何より先に指摘した。

すると彼は、少しだけ ﾓｼﾞﾓｼﾞ としながら言う。

「そうですね ... 外すのを手伝って頂けますか？」

面おもてを晒せるのは、親族や契約主の前に限られていた。
竜騎士の儀礼に倣ならう彼が私服を纏まとえるのは、実質 ... 一人きりの時だけである。

しかし今後は契約主であるフェレンスと二人住まい。
自由、気ままに脱ぎ着可能となるのだ。

元々裕福な家柄だった彼は、それまで家事の一切をした事がない。
全て使用人任せだったそう。野外訓練時も同様。新兵だった頃でさえ。

どうなる事かと思ったが、
本来であれば流罪るざいを負った自らがすべき事。

なのに彼は本気で心配したらしい。
フェレンスに炊事、洗濯なんてさせようものなら災害が起こりかねないと。

そのため、煮炊きから何から請うけ負うようになって。
いつの日にか、あらゆる主婦スキルを身に着けた ... まさかの英雄。


かつてを連想するフェレンスを余所よそに。
そろそろ食事の支度をしようかと荷の山に寄るカーツェルは、
揚々ようようとして食事用器具カトラリーケースを探しているところ。


見つめる背に重なって映り込む面影から、思わず視線を逸そらす。
フェレンスは、鼓動の乱れを悟られぬよう ... 振り向き胸を押さえた。


一筋 ... また一筋。


追想ついそうの淵ふちを鋭く過るのは、彼かノ戦における災禍さいかの断片。
単独、流刑地を訪れた紺青こんじょうノ竜騎士は、血に塗まみれた姿で告げる。

『要塞を、奪われました ... ...

　地上ノ王と成なった神血イーコールの継承者は祖国と密約を結び、
　献身けんしんする対価として己の精神補完を要求したのです。

　国のあり方に異を唱え、怒りの境地に達した尊みことを鎮しずめるべく、
　王族を始め学者と軍が争闘中ですが。他の番人に仕える竜騎士も、
　尊の発する血ノ瘴気しょうきにより自我を失い ... ... 』　　　

瞳を閉じても映り込む情景。
それは、途切れ 々 とぎれとぎれに。
且かつ、入り乱れて蘇よみがえった。

何者かの気配を逸早いちはやく察知し、施設最上へ向かったグウィンを追ったところ。
岩床がんしょうを数階分、槍の如ごとく貫き。目の前に降り伏す来訪者。


　　----- 私はお使えするお方を喰らいたくないばかりに戦線を離脱 ... ...
　　　　　祖国の王は... 　黒ノ竜騎士が仕える貴方様あなたさまであれば ...
　　　　　禁断ノ御業みわざを記憶しているはずだと ... ...

　　　　　《魂アルマ》を回収できるのも、今や貴方様だけ ... 


寄り添い話を聞いたうえ。一歩、踏み出ると。
上階より飛び出いでたる黒ノ竜騎士が立ちはだかった。

『行かれるおつもりですか？』
『あの方は、地上の安寧あんねいを心から願っていたはず ... 』

『成なりません』
『退どいて下さい。グウィン ... 』

窘たしなめても、首を横に振って聞かない。


　　----- 民もまた、王と志こころざしを共に命を捧げる覚悟を示しております... ...
　　　　　どうか、我々の血で ... 尊みことに奪われた要塞の、封印を ... 

　　　　　そして ... 我々の抱く未練が、尊の心に開いた穴を通じ
　　　　　《無垢なる狂気》の糧かてとなる前に ... ...

　　　　　何卒なにとぞ、御慈悲を ... ...


背後にて深々と伏せる竜騎士の譫言うわごとを、
素早く抜き払う剣の一振りで絶ったのも彼。

逃れて来たとは言え、瀕死の状態だったのだ。

「主を失い、愛する者を失い、祖国を失い、なお生き恥を晒すのか ... ！
　騎士としての誇りを捨て、想いを殺し、責念から逃れ続けねばなぬのか ... ！
　否いな！！ ... 然されば誇り高く命を抛なげうて！！」

騎士に伝わる最期ノ信条を叫び、恐れと苦痛から魂を解き放つ。
介錯かいしゃく作法を通すは、死にきれぬ同志への情け。

更に、彼は言う。

「私は貴方を失いたくない！！ 
　どうしても行かれると仰るなら、まず！
　私の臆病風をどうにかして頂きたい！！
　今、すぐに！ さあ ... ！！」

駄々だだを捏こねている場合ではなかろうに。

歴戦を掻かい潜くぐり、英雄と仰がれた竜騎士、筆頭の台詞とは思えない。
けれども、そんな彼だからこそ増して愛おしかった。

だからこそ ... ...

首から血を吹き上げ横たわる亡骸なきがらを背に歩み寄った彼が、
面形マスクを外して跪ひざまずき、答えを切望した時。

口元に唇を添え、別れを告げたのだ。

それなのに ... ...

捕縛を解いて戦場に現れた彼は、両肘りょうひじから手の先までを欠いた姿で黒煙を割さく。
自らの口で腕の肉を剥はぎ、法ノ枷かせを破ったらしい。

「そんな ... ... そんな！ どうして！？ グウィン！！」

フェレンスは叫ぶ。

このまま神化を成なせば、心身の回帰再生は不能。
例え成さずとも、押し迫る魔物は無慈悲に彼を甚振いたぶるだろう。

尚なお、彼かノ英雄は突き進んだ。

打ち砕かれ、無残にも礫地れきちと化した凄愴せいそうたる祖国の空を一直線に。

主である番人の血を貪むさぼり尽つくした竜騎士の変異体が、
生き抗あらがう者を国ごと海に沈めていくのに見向きもせず。

尊みことと対峙たいじする、ただ一人を救うためだけに。


「 フ ェ レ ン ス 様 --- --- --- ！！ 」


彷彿ほうふつとした光景に、後頭部を撃ち抜かれるよう。
衝撃を受けると同時、実際に呼ばれた気がして瞳を見開く。

荒立つ脈動に呼吸を遮さえぎられたフェレンスは、ひたすら堪たえ忍んだ。

するとカーツェルは、振り向き首を傾げる。
チェシャの方を見て考え事でもしているのかと思ったが。

どうも様子がおかしい。

「なぁ。どうかしたか？」

声を掛けてもフェレンスは微動だにしなかった。
しかし、答えはする。

「いいや。あの子も、そろそろ目覚める頃ではないかと ... 」

察した通りの返しだったので、カーツェルは ﾎｯ ... と多めに息を吐いた。

本当はと言うと。
未だ正常には至らず、呼吸は小刻み。
脈を戻すのに集中したかったが。

その時、フェレンスは見てしまったのだ。

もっちもちの尻を上げ、顎あごの下を擦り、ｳﾆｮｳﾆｮ と地べたを這はう。
芋虫。じゃない。 ... チェシャを。

すると不意に声が出た。

「 ... ... あ 」

しかも若干、上擦うわずる。

「え、何、今の声」

カーツェルでさえ耳慣れず、身体からだが後ろへ反そった。しかも二度。

「つか、何だアレ。寝ぼけてんの？」

ｳﾆｮ、ｳﾆｮ、ｳﾆｮ、ｳﾆｮ。

ローブに包まったままのチェシャが前を横断して行くのに対し、
狼狽うろたえる彼を ｿﾛﾘ ... 振り向く。
フェレンスは真顔で小首を傾かしげ、気持ちを表現。

その反応が可笑しくて、 ﾌﾞﾊｯ!! と、吹き出してしまうカーツェルだったが。

何故なぜ、こちらを見て笑う？

違うだろと。フェレンスからしてみれば、複雑な気分。
けれども、はたと気が付いた。

色々な意味で驚いたせいだろうか。
心拍が戻っていたのだ。

和みの力かもしれない。
そう思うと、救われた心持ちがする。

が、しかし。改あらため芋虫 ... ではなく、
寝ぼけ幼子おさなごに目を向けると、再び ﾄﾞｷﾘ とした。

息を呑み咄嗟とっさに声を上げたのはフェレンス。

「いけない！ チェシャ！！」

甘い香りに誘われたのだろう。
チェシャが向かう先には、カーツェルが採取してきた果実や木の実が転がっている。


逸早いちはやく駆け出したのはカーツェルだった。


場の空気を読んで括くくり実みを取り上げに向かったらしい。
片やフェレンスは、唖然あぜんと立ち尽くしてしまう。

任せて安心と、思いきや。

ｳﾆｮ ｳﾆｮ ｳﾆｮ ｳﾆｮ !!!!

速度を増して猛進する赤毛虫の、速いこと 々 ... ...

先に着いたカーツェルが足元から実を持ち上げても、お構いなしに。
ローブから這はい出たチェシャが、彼の足を攀よじ登りはじめたので。

「え、ちょ ... ！ 待て、おい！ 何！？」

ﾆｷﾞﾆｷﾞ、ﾓｿﾓｿ、ｻｻｻｻｻｯ ... !!

手を焼くカーツェルを只々ただただ傍観。
身体からだの側面を這はい回るチェシャのすばしっこさに、目を見張っていたのだ。

するとカーツェルは思う。

あの野郎あんにゃろ！！

足、腰、脇わき、肩と、服を掴み回される身にもなれと。

右手から左手へ、括くくりを持ち替かえる度、
小脇に足を突っ込まれたうえ移動されるものだから、擽くすぐったくて仕方がないのに。

それでいて、文句を言っている場合でも無く。

「ぐあ！！ やめろ！ やめろって！ ぶはははは！！ フェレンス！！ 早く！ コイツ ... 」

あぎゃあぁあぁぁぁ!!!!

終いには髪を引っ掴まれ、奇声を発す。
引ひっ剥ぺがそうにも、髪が ... 髪が ...

「い ぃぃぃ で で で で !!!!」

ﾌﾌｯ ... と声に出して笑うフェレンスが、
口元を抑えて顔を逸そらす様子も傍かたわらに見えていたけれど。

腹ぺこチェシャは無心。
力加減も忘れているようなので。

「マジ禿はげるーーー！！」

助けを乞こおうにも、切実な訴うったえにしかならなかったという理由ワケ。

いつぞや同じ思いをした事があるため、気持ちは分かる。
聞いていたフェレンスは、ようやく顔を上げた。

では、ここで。
今一度いまいちど、月夜に木霊こだます彼の叫びを聞いてみるとしよう。


《 ｷﾞｬｧｱｧｧｧ --- !! ﾏｼﾞ ﾏｼﾞ ﾏｼﾞ ﾏｼﾞ !! マジ禿はげるーーー！！》


やれやれ ... ...

仕方なし。歩み寄ったフェレンスに抱え降ろされた幼子おさなごは、ﾊｯ! と我に返ったよう。
涙目のカーツェルと目が合って、ｼｭｯ と両腕を窄すぼませるが。同時に鳴る腹の虫。

「 ﾑｩ ｩｩ... 」

小声で唸うなるチェシャの口元が
モゴモゴと波打っているのを見て、カーツェルは苦笑いを浮かべた。

「ああ、泣くな泣くな。今、食わせてやるからさ」

彼の大きな手が頭に乗って、ふわふわな赤毛を掻かき混まぜると。
顔を覗のぞかせていたイジケ虫も引っ込む。

食べられると知り、爛々らんらんと輝く瞳が眩しかった。

けれども、気掛かり。

先の反応について、直すぐには聞けなかったが。
改あらため尋たずねてみるとする。

「なぁ、コレ ... 食えなくはないんだろ？」

毒の心配があるなら、初めから穫とりになど行かせないはず。
思い巡めぐらせ言葉を選ぶと、頷うなづいて答えるフェレンス。

「だが、しかし」

彼は一つだけ付け加えた。

「土地や植物が無害であっても、こればかりは常に警戒する必要がある」

コレって ... ... ？

顔を見合わせたチェシャとカーツェルは次に、
実を手に取り割るフェレンスの手元に目を向け、驚愕きょうがく。
彼らは揃いも揃って青褪あおざめた。

見せられた実の中には何と。

虫。 虫。 虫。

鳥肌ものである。


《 ｷｬｧｱｧｧｧ --- --- --- --- --- !!!! 》
《 ｷﾞｬｱｧｱｧｧｧ --- --- --- --- --- !!!! 》


絶叫、不可避。

夜風は依然いぜんとして穏やかだが。
吹き飛ぶような勢いで後退あとずさった二人の方面より、跳ね返ってくる圧が凄い。

岩壁に張り付いて泣きそうな顔をする両者と手元を順に見て、フェレンスは渋々しぶしぶ黙った。
　
　
果実や木の実に限った話ではない。
自生する物を口にする場合、土壌、水、風気による変質や虫害を想定して然しかるべき。

だが ... ...

人の手が行き届かぬ土地へ踏み入る事がなかったせいだろう。
意識することを忘れていたらしいのだ。

取り上げた例も極端すぎたか。

「そそそそ、そいつはあんまりだ！」
「ｼｬﾏ、ｲｲｺ ! ｽﾙ、ﾉ ! ﾎﾟｲ ! ｿ、ﾚ !! 」

ドン引きする二人は、捨てろと言って騒さわがしい。
けれども、そこは落ち着き払って。
荷の山から掘り出されたカトラリーケースを開くフェレンス。

様子を伺うかがっていると嫌な予感がしてきたので。

「つか ... フェレンス？ 何してんだ」

カーツェルは ｿﾛﾘ と尋たずねてみた。

すると彼は答える。
手にしたナイフで、実の中の虫を穿ほじくりながら。

「捨てている。虫を」

ﾎﾟｲｯ ... ﾎﾟｲﾎﾟｲｯ ...　と。
言う通りにしてやっているつもりで。

平然と足元に。

ﾎﾟｲｯ ... ﾎﾟｲﾎﾟｲｯ ...　と。
くどいようだが、足元に、次々と。

ｳﾖｳﾖ と藻掻もがくそれらを、遠目に見ながらチェシャは思った。

地べたに寝るしかないって時に、そんな近くに ﾎﾟｲﾎﾟｲ する？
寝てる間に這はって来たらどうするの？
耳に入るかもよ？

思い余ったカーツェルも同様に、傍そばまで行って捲まくし立てるが。

「掃はき出せば良い」

なんて ｻﾗﾘ と流すフェレンスは気にも留とめていないよう。

「だったら、初めから外で穿ほじくれよ！！」

それでいて一瞬、口を閉ざすのだ。

瞬まばたき顔を上げる様子を見て、
何かしら心に引っ掛かったと見受けるも。
あのカーツェルが、黙って言わせる訳はないよねと。

聞いていたところ、案の定。

「ここだって外 ... 」
「岩棚の外でって言ってんの！！」

言ったそばから斬り捨てられている。

馬鹿なの？ 巫山戯ふざけてるの？

いいや。彼は至いたって真面目に答えている。
知っていて罵ののしるカーツェルは、己おのれと他者の感覚の相違そういに興味を持ち、
学び取ろうと耳を傾ける友人に対して、ある意味、真摯しんしに接している模様。

だ　け　ど　。

いつまで、足元の虫を放置するつもりなのかなー。なんてね。
もう、自分でやった方が早い気がしてきたし。

果実と一緒に岩棚の外へ押し出されるフェレンスを横から追い抜き、
茎くきの強そうな草を折って纏まとめるチェシャは、戻るなり ｻｯｻｯ と掃はきだした。

細長い ｳﾆｮｳﾆｮ は数十匹。

見ると背筋が ｿﾞｿﾞｯ とするので。
時折、瞼まぶたを ｷﾞｭｯ とし目を背そむけておこうと思う。


全ての前処理をする羽目になったフェレンスは、
辛うじて明かりの届く場所にて一人。満天の星空を見上げた。


片や、手頃な金箱かなばこの中身を空あけるカーツェルは、
せっせと虫を掃き出すチェシャの後ろ姿に目を向け、微笑む。

気の利きくチビッコには褒美ほうびをやらねば。

箱を鍋なべ代かわりにし、コンポートを創作するつもり。
果実の無事な箇所を切り出したところで、そのまま口にする気にはなれないので。
寄生虫や卵の産み付けにも留意りゅういし、調理する事に決めたのだ。

焚たき木を拾い集める必要は無い。
荷の山の中には、フェレンスが作り置いた符の束たばが存在する。

要するに、端はしを切って置くだけ。
地面が土であるなら固定も兼ね杭くいで刺すのだが。
風も強くないので、置き石で良い。

一仕事、終えたチェシャはフェレンスのローブに包くるまり、横で見ていた。

《 ｸﾂｸﾂ ... ｺﾄｺﾄ ... 》

湯の中で踊る果実の欠片かけら。

こんな事もあろうかと、荷の山に忍ばせていた角砂糖が役に立つ頃合い。

小瓶を手にドヤ顔のカーツェルと、
甘い香りに、うっとりとして寝転ぶチェシャ。

そんな二人を横目に捜し物をしていたフェレンスは、
手のひらサイズの小箱を開き、中から黒曜の玉を取り出した。

あらため満天の星空の下もと、手にしたそれを高々と投げ放はなてば。

薄っすらと背景を透かし。
ゆるりと回転しながら星の輝きを捉とらえ。
持ち主に現在地を示す。

手元へと帰り着いたそれを、よく 々 確認したうえ。
水源より、やや南の空を見ると ... 些いささ、気持ちが緩ゆるんだ。

「どうやら、《石ノ杜もり》を介かいす必要は無さそうだ ... 」

この場から最もっとも近い人里まで、およそ廿一21里。
平野部の森林を行く事になるので、早くても三日は掛かる見通し。
三人連れで一飛びなんて案は、無論むろん、却下する。

危険すぎるのだ。

空腹を満たした後。
山になった品々の確認と整理を済ませた頃には、寝息を立てている幼子おさなご。

そう言えば ... ...

起きる気配がなかった事に関しての推測とやらを、まだ聞いていないのだが。

それについて思い出した時分。
カーツェルは酷く気を揉もんでいたという。