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第四章◆血ノ奴隷
血ノ奴隷~ⅩⅣ
しおりを挟むフェレンスの胸に手を当て、鼓動を感じる間に触れ合う頬。
魔神の残した火を背景に、スルリ ... 、やがて距離を置くと。
フェレンスはアレセルの手元に目をやり、語りかけた。
「来なさい。 チェシャ ... 」
与えられたばかりの名で呼ばれた少年は、ただ真っ直ぐにフェレンスを見つめている。
その瞳の色を例えるなら、
火の影を映そうとも涼やかなる令月。
沈黙したきりの幼子に差し伸べられた手の皮膚は、
その場しのぎのために再生されたもの。
痛々しい黒ずみと細かな皺を残していたが、少年は臆せず。
やがて手を取り合った。
対の手を握るアレセルは、片膝を付き、あらため言い聞かせる。
「よく、お聞きなさいチェシャ。
この御方は今、この時を以てして、あなたの主人となったのです」
そして、懐からある物を取り出した。
「これは、あなたの登録証。肌身離さず、決して無くさないように」
そっと首に掛けてやると、聖蓮の刻まれた円形章と銀板札が並び、美しく輝く。
「どうか、お元気で ... 」
悲哀を漂わせ、ふわふわとした赤毛を撫で下ろす彼の手は、
フェレンスよりも少しだけ大きい。
少年は一度、頷いて視線を戻した。
すると、確認するまでもなく会話を締め括られる。
フェレンスは最後に、こう告げた。
「お前の血と命。そして想い、願いも全て ... 私が預かった。 さあ、ついて来なさい」
千ノ影を負う者。
今は亡き、孤高ノ民の子孫と伝えられし男。
彼こそは、故国・シャンテ ... 中枢の護り人。
彼等が保有した翠玉碑には、
賢者より齎されし叡智が集約されていた。
少年を連れ、歩いていく合間にも、
フェレンスの施した地縛に対し激しく抵抗する火炎ノ霊。
二人は燃える足跡の傍を辿った。
見送るアレセルは、切に願う。
「捧げたこの心臓が役目を終える ... その時まで。
どうか、貴方様の鼓動が途絶えませんように」
鋭い爪を立て、深く土を刳り ジワジワ と前進する。
精霊の成れの果てを目の当たりにしようとも、憐れみを感じる事はなかった。
例え堕落しようとも、約束を果たさねばならぬ。
決断した彼等の導き出す結末を見届ける事が、
この場に残される自分の役目と悟ったのだ。
故国に関しては、こう伝えられている。
魔導兵召喚と呼ばれる禁呪を駆使し、
地上を支配しようとしたがために滅ぼされたと。
だが真実とは異なるのだ。
実際には地上ノ王と決別した事が要因であり。
彼等は王の精神を補完することによって生じた副作用に屈したと言わしめるべき。
霊薬の精製法が、制約に反する所以と言えるだろう。
人々はそれを〈霧ノ病〉と呼ぶ。
間近に迫り杖を前にした魔神は、法壁の上から牙を立てる。
〈 ガチン !! ガチン !! ... ギギギギ ... ... バキン !! 〉
反動により顎が外れかけても、首の力で圧し折る。
渦を巻き乱れた法は、やがて弾けた。
噛みしだかれる杖の宝冠が、キン ... キン ... と高い音を成して落ちていく。
次の瞬間。少年は見上げた。
咆哮し地を蹴る魔神の行く先を。
九龍の如き黒曜の雷を纏い、蒼火に焼かれ、
醜い怪物の胸元から上半身のみ浮き出る男の姿を。
繰り返す。
〈霧ノ病〉とは、精神を補完された地上ノ王 ...
アルシオン帝国・初代皇帝が地上に蒔いた争いの種であり。
現在、世界各地で芽吹き始めているのだ。
其れ等は虚無を生じ、人々の心に穴を開け。
冥府ノ炎により浄化されるべき負ノ思念を招き入れる。
狂気を喰らう病により、無我ノ境地を見い出した人の心は、
無垢なる審判者を生み出し、世界を破壊するだろう。
ローブの内側に囲い込まれた少年は、結ばれたフェレンスの手に顔を寄せた。
片や上空では、九龍と対峙する魔神が畝る雷を潜り、その口から火炎砲を放つ。
魔物と化しつつあるカーツェルの肉体は、表に鋼鎧を形成し吹き火を防いだ。
しかし、蒼火の成す極寒に対し強熱を浴びれば、
熱影響部の内部圧が急上昇するために、割れが発生する。
無論、魔神化したローナーが見逃すはずは無かった。
半ば錯乱していても、破壊本能の赴くままに突き進む。
雷を弾き飛ばし、腕と同じ長さの爪を振り構えて。
寒冷と熱射が突風を引き起こす中。
フェレンスは右手を前方に翳し集中。
飛空艦隊は接近を断念せざるを得ない状況だった。
「気流の乱れが尋常ではありません! これ以上は危険です!!」
ところがフォルカーツェは一言、命じる。
「怯むな。進め」
そんな ... !
まさかの捨て身 !?
あり得ない!
搭乗員は混乱した。
遂には、場の空気を読まず笑い出す者まで現れる始末。
「 ハハハ ... ハハハハハハ ... 」
何こいつ。
「気でも狂ったか!?」
指令を聞いていた機関士である模様だ。
位置に着かなければ、閉鎖空間の展開は不可能。
各艦にて待機する魔導師と、その助手は沈黙し、その時を待っている。
転じて、迫る魔神は全身の猛火を叩きつける勢い。
それを阻んだのは、千ノ影の筆頭たる竜騎士率いる英霊達だった。
自らを犠牲に魂魄召喚を駆使するフェレンスの眼光は鋭く。
腕、そして首筋と、至る箇所から血を流す。
手首まで伝い落ちてきた紅血の麗しさよ ... ...
少年は意を決して針を受けた腕の封を剥がし、繋いだ手と傷口を素早く入れ替えた。
血を介し、注がれる魔力は膨大。
伴う瘴気もまた濃厚。
常人であれば毒され命が危ういところだが。
少年は感じていた。
フェレンスであれば、問題ないはずだと。
そう彼は、叡智の結晶たる翠玉碑を保有する
シャンテの御業により生を受けた錬生態。
その血を口にしてもカーツェルは異常を示さなかった一件を、少年は覚えていたのだ。
異端ノ魔導師。
彼の使命は唯一。
〈霧ノ病〉を根絶し、かつて共に生きた人々の無念を晴らす事である。
目的が果たされたなら、この世界は救われるのか。
断言は出来ない。だが、希望はあると言えるだろう。
そして今、冥府ノ炎に灼かれた瞳の奥に、黄金の輝きが宿りつつある。
カーツェルは無意識のうち、ゆっくりと面を上げた。
新たな旅立ちの時である。
幼子による魔力介助を受け、宝石のように光を返すフェレンスの碧き瞳。
彼の指先が一度、空を斬るなら。
紡がれた印文により複数の魔法陣が一挙、展開される。
また一度、腕を振り下ろし袖を払うなら。
血を対価に錬成された漆黒の羽衣が、彼の肩を包むのだ。
強く吹き込む風を受けたそれは、翼と成り。道を切り開く。
飛び立ち、フェレンスは言った。
「意識の片鱗を探る!」
カーツェルの想いが少しでも感じられるなら、楔ノ法が有効。
「戦神を降ろし〈無垢なる狂気〉を制しさえすれば、
彼を呼び覚ますことも可能なはず!」
防御法を展開し、霊に援護されながら、襲い来る九龍の首を狩る。
無数の盾を象り周囲を浮遊する法壁が
黒き雷を跳ね返す度、腹の底まで響くような衝撃が走った。
すると、落とされた首が形を崩し、帝都に飛散する。
個体となって人々を狙う魔物を迎え撃ったのは、重装甲車両の戦列だ。
「放て ―――― !!」
〈 ドドドド ド ―――― ン !! 〉
反動で後方へと弾む車両の中で、継続し射角を調整する搭乗兵。
照準器越しに迫る雷電に、砲手は呻きを荒らげた。
「う ... わぁああぁぁぁ!!」
迎撃が間に合わない車体は直下を抉られ吹き飛ぶ。
そんな地上の様子を見下ろし、少年は震え上がった。
しかし、覚悟は決まっている。この人と一緒に行くんだ。
フェレンスの着る衣服の裾を掴んで縋り付くと、取り合う手の熱が増していく。
対し、乱気流を押して位置に着いた戦艦は、
魔導師等の展開する閉鎖空間の外形に収められた。
ところが法の連結を阻害されているよう。
事を企てたのはフェレンス。
法義球の内部から魔法陣複合総体の起動を図ると同時。
彼は声を上げる。
「手出し無用 ――――!!」
寄せては返し、夢紡ぐ。
金色の波。
入江を漂うかのように浮いたまま。
眠っていたのだ。
けれど。
〈 ... ... 〉
誰かに呼ばれた気がして、カーツェルは目覚めた。
砂金のように美しく輝く荘厳な水辺とは打って変わり。
目の当たりにしたのは ... ... 血。
灼け朽ちた瞳とは別に開く〈第三の瞳〉が捉えた。
... ... ハ ッ ... ... ハ ッ ... ...
正常な呼吸法も忘れ、カーツェルは呟く。
「そんな ... フェレンス ... 」
楔ノ法に縛られた九龍の首は全て落とされ。
火の魔神は戦艦に搭乗した魔導師により、捕縛されたままの姿で沈黙。
所により火に包まれる帝都を背景に、彼の魔導師は言い放った。
神 化 実 行
「Theosis ejecucion!!」
そして、少年が名を叫ぶ。
「 ツ ェ ル ――――――― !!」
最後に聞いたのは、静やかなるフェレンスの声。
「さあ、付いて来るんだ ... カーツェル ... 」
彼ノ魔導師は行く。
巡る命、想いを継ぐ者と共に。
帝の蒔いた種を刈るべくして。
鍵となる血を継ぎし者と共に。
「さて、我々はどうするべきか ... ... 」
ある時、独り言のように囁いたノシュウェルに対し、顔を顰める。
気味悪そうにしながらクロイツは尋ねた。
「先から何をコソコソとしている ? 書き物に暮れるとは、大した余裕ではないか」
「ああ、いえね。もしもの時のためにですよ。
我々に何かあった場合、あの人をサポート出来る人材が他に必要だろうと思いまして」
「なるほど ? 一連の詳細を認めていたというわけか」
「そうそう。何せゴタゴタして分かり辛いでしょう。文章にしたら伝わり易いかと」
「馬鹿め。愚策の極みとはこの事だな」
更に、チラつく手帳を取り上げ抹消する。
〈ビリッ! ビリビリビリビリッ!〉
「ああ!! ぁぁぁぁぁぁ ... 」
せっかく書いたのに。容赦無し。
「誰一人として信じるはずも無いがな。
もしも貴様がコレを紛失した場合、そして万が一にも
関わりのある奴等や過激派連中の目に触れた場合のリスクを考えろ。
もしものために残したものが、もしもの事態を招いては本末転倒ではないか」
「ぅぅ ... 然様ですか ... 」
「貴様の頭脳がいくら蟻、以下とは言え ... 呆れたものだ」
「 ハァ ... しかしです。このアイゼリア領では
一般の民であっても〈毒〉を日常的に使用していると聞きます。
余所者である我々には伝手もありません。それなのに如何様にして ... 」
「黙れ、腰抜け」
「ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ で で で で ... 」
痛いと言いたいが。当然、無理。
頬を抓らたうえ、持ち上げられたものだから、堪らず起立する。
見渡せば、奪った巡視船内のいたる所で部下達が寝入っていた。
「小心者の狸は見張りでも続けるが良い」
「はいはい。狸の親玉の仰る通りにね。はい」
すると次は、足の先を踏み躙られるのだ。
「あだぁっっ!!」
そして、やはり言葉に出来ぬまま悶絶。
「大声を出すな。この森の大樹は根で土を刳り、
他植物の毒を吸いながら下へ成長するのだ。
そこら中が空洞化し多大に反響するうえ、振動によって崩れ易い」
この人ってば手荒な真似をしておいて、無茶苦茶言う。
ノシュウェルは涙を呑んで会話を続けた。
「あえて見つかるよう外を歩かせている部下の安全については、どうお考えで ? 」
「貴様の部下だからな。仮に戻れなくなろうと、しぶとく生きていく事だろう」
「こんな時に冗談ばかり抜かすアンタの方がよっぽど ... 」
余裕じゃないか。と、言いかけたが。
顔面を目掛け拳を構えられたので黙る。
「いいか、よく聞け。この国において私の〈眼〉に対する縛りは一切、存在しない。
つまり ... 恐れる必要など無いのだ。
いずれアイゼリアの国境警備隊に包囲されるだろうがな。
貴様が言うように、毒の蔓延する土地において無闇に行動するよりマシではある」
「それはそれは。心強いですな。万が一の事が起きても、守って下さると ? 」
「 フン ... 」
外方を向いてクロイツは答えなかったが。
出来れば、〈壁ドン・パンチ〉寸前で留まる
この体勢の方こそ、まず、どうにかならないものかと。
アイゼリア王国。グラムス地方、沈下樹林地帯、深部より。
彼等もまた、長い 々 旅の始まりを迎えたのである。
孤高ノ民が目指したものが精神的思想であるのか、
それとも世界的事変を招く何らかの手法なのかは未だ以って謎だ。
神ノ意識を彷徨う蒼ノ要塞、理想郷についても同様。
そもそも、人類が得るべき誠ノ力とは何なのか。
我々が知る日は ... 果たして ... ...
取り留めなく綴った手記を閉じた時。幕開けは訪れる。
〈 ガチャリ ... 〉
何処からか銃器を構える音がした。
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