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第四章◆血ノ奴隷
血ノ奴隷~Ⅺ
しおりを挟む志、揺るぎなく。
貫き通す構え。
普段どおりに振る舞い、尽くす彼の挙動により示される意向。
スカーフの結びを整えてやり一呼吸置いたカーツェルは、
立ち居あらため主人と向き合う。
ところがフェレンスは口を閉ざしたきり。
相手の醸す余裕を感じ取りながら、思い巡らせるばかりだった。
朝食の席。給仕に就いた彼の手元。
集いの前に中庭まで付き添い、扉を引いて待つ、その足元。
落ち着き払った様子に目を見張りながら、フェレンスは思う。
実に不可解 ... ...
事の成り行きは予測出来ていたと言うし。彼の事だ、少年を人質にしたうえ
理不尽の一つや二つ、仄めかすなどしてもおかしくはないと考えていたのに。
思い違いと気付かされたのだ。
それは、寝室を出て直ぐの事。
「申し遅れましたが、旦那様。
少年の身柄については、管理官と協議したうえ委ねるのが無難かと存じます。
延いては帝国の管理下に置かれ、いずれは買われていく身となるでしょう。
ですので、どうか ... せめてもの餞に名付けやっては頂けませんでしょうか。
買われていった先で、必ずしも名を与えられるとは限りませんので ... 」
そう申し出たのは他でも無い、カーツェル。
まさかの展開だった。
その時には返事もせぬままに私室を後にしたが。
庭に一歩出て立ち止まったフェレンスは、見もせず彼に言い残す。
「 ... 〈チェシャ〉 ... シャンテの古語だが ... 」
耳にするなり少年の名と察し。彼は尋ねた。
「それと申しますのは、つまり?」
「〈喜び 〉という意味だ」
聞いていると、足早に立ち去る背が投げやりに返してよこす。
花木の合間を行く姿を見送りながらカーツェルは微笑んだ。
「実に良い名で ... ... 」
関わり合いにならぬよう意識しても、何だかんだ良くしてやりたい気持ちはあるよう。
あの少年も、気に入るに違いない。
その日の予定組みを確認しに集う使用人達の元へと急ぎつつ、思う。
しかし彼は調理場横の休憩室ではなく、使用人部屋の連なる棟の手前まで歩いた。
そこは、いつもの打ち合わせ場所とは異なる。
使用人達のリビングスペースだ。
手筈通り ... ...
カーツェルの視線が暗影を裂く。
立ち入る彼の気配に振り向く精霊達は不穏な表情。
見合わせ様子を伺う彼、彼女等を代表するかのように口を開いたのはロージー。
「 ... それで? あたし達に、どうしろって言うのよ」
最後に立ち返り数歩引き下がるローナーの向こうには、一人がけのソファーに座し足を組む人影。
歩み寄るカーツェルを冷ややかに見上げる男の眼差しは、憎き敵を凝視するかのよう。
アレセルだった。
硝子のように透き通る花弁の内に光を宿す花々は、
やがて ... 日の直射を避けるようにして窄み、下を向く。
昨夜の霧に湿る土と新芽の香。
芳しき風を吸い、歩いて行った先でフェレンスは立ち止まった。
植え込みの雪柳《ゆきやなぎ》が側壁塔、脇の歩廊を潜り裏庭まで続く ... その手前にて。
胸元から褐色の洋巾を取り出した彼は、サッ と身前に翻し、囁く。
真 の 姿 を 現 せ
「Revelar la apariencia real ...」
同時に息を吹きかけた彼の求めに応じ輝き放つは、宙へと躍り出た銀糸。
解けて舞う縫いの先から再度、織り上げられていく衣は大幅に面積を増し。
薄羽織となって彼の手元へ帰る。
それから、速やかに袖を通し歩み行くのだ。
待つ間、準備運動兼ね、雑念を払っておかねばならぬ。
フェレンスは急いだ。
馬屋の前から走路が外垣沿いを囲う土壌には、背の高い針葉樹が距離を置き聳立する。
合間に立ち、見上げれば。
枝葉の向こうにあるべき空の大半を覆う、天蓋の街の底。
日差しの角度から時刻を読み取ったところ。凡そ九時を周る頃合いだが。
「この時分。何故、君がここに居る?」
彼はお見通し。
と言うか。木の幹幅に合わず若干、太い腕が見えていたのだ。
突如、屋敷の主に問われ震え上がったのは守衛の一人だった。
「た、たたた、大変、申しわけ御座いません!!」
理由を聞いているのに。
向こう側に隠れ潜む男は目を白黒させ、咄嗟に詫びた。
「その声は、アックスか ... 」
「は は は、はい! 旦那様!」
ロージーに並ぶ体格で、ぶっきら棒だが物怖じせず。
使い魔の中でも特に図太い性格をしている精霊が、何をそう縮こまっているのかと。
不可思議、極まる。
眉間に皺を寄せ見ていたところ、次いでフェレンスは硬直した。
背後から何か聴こえる。
〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉
足音だろうか。
恐らくは何かが横切ったのだ。
その気配は、行って更に戻る。
〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉
しかも今度は若者の ヒソヒソ 声までした。
「あっ! こら! 戻るな! 見つかっちゃうだろう?」
あの声は、ソード ... ...
呆れ振り返ると、目が合った。
やはり、お前か。
一呼吸置いて、彼は言う。
「 ... ... あ 」
あ、じゃない、あ、じゃ。
「何が ... ... あ 」
しかし、同じ事を尋ねようとすると彼もまた、木の幹の裏側へ引っ込み、叫ぶ。
「ごごご、御免下さいませ!!」
いや、だから。何故そう慌て隠れる必要があるのか問いたいのだが。
〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉
こちらへ駆けてくる気配に気付いて察する。
「 シ ャ ――――― マ ――――― !」
なるほど ... ...
遊んでやっていた訳かと。
少年は両腕を広げてフェレンスの足元へと飛び込んで行った。
「 チ ュ ゥゥ カ、マエ、タ !!」
捕まった ... ...
これは不味い。フェレンスは思う。
先に着込んだ丈の長い薄羽織の裾を握り込み、
ポフン ! と埋まる小さな身体を見やったところ。
パッ と顔を上げた少年の瞳が、キラキラ と輝いた。
片や守衛の二人は木陰に隠れたまま、手で顔を覆っている。
まさか、まさか。
こんな場所で主人と出くわすとは思わなかったので。
やっちまった感が否めない。
詳しい説明も未だ無し。
ただ、これまでも血ノ奴隷を召し抱えようとはしなかった主人のこと。
情が移らぬよう、避けているのだとの噂を耳にしている手前。
間が悪いのは自分達か、それとも主人か。
困り果てた。
すると、幹からはみ出す彼らの装備の端々が
小刻みに震える様子に目を配り、フェレンスは言う。
「ご苦労。気にせず引き続き、勤めを優先して欲しい。
次期、カーツェルが迎えに来るはず。
それまでは、気を抜かぬ限り自由にしてくれて構わない」
遊び相手になってやっていた事。
叱り受けるものと思ったが、そうはならなかった。
二人は驚き、顔を出して見合わせたのち、あからさまな笑顔で居直り服す。
「了解しました!」
「ありがとうございます! 旦那様!」
胸に手を当てる両者の礼に対し、視線を向け応える。
フェレンスは言い残し、その場を後にするつもりだった。
ところが、行かせない。
羽織りを握り込んで放さぬ。
少年が前のめりにぶら下がると、フェレンスの首が絞まった。
「 ム ゥ ゥ ゥ ... 」 (*>x<)o゛
ブラ ――― ン 。ブラ ――― ン 。
守衛は唖然とし、ただ見ている。
... ... ...
フェレンスは無言で堪えた。
だが、徐々に沈んでくのだ。
何て、ぎこちない動作だろうと思う。
な、ん、て、考えている場合ではないのに。
「 ... て、こらぁあぁあぁぁぁ ――――――― !!」
「何しやがる、この悪戯坊主!!」
慌てふためいた二人が土煙を立て両脇に滑り込むも、少年は手を放そうとしなかった。
抱き上げ、握られた手の隙間に指を入れようと試みたものの。
ヤー ヤー ムー ムー 。
身体を捻くり返し駄々を捏ねる。
揺さぶられながら黙って待つフェレンスだったが、ある時。
ズイッ と迫る少年の顔。
紅と白銀、双方の毛先が フワリ ... 触れ合う距離だった。
見合わせると、満月のように美しい眼を更に寄せ、幼子は言う。
「 シャ、マ ! シュ、キ !」
一緒に行きたいと言っているのだ。
しかし、そうはいかない。
フェレンスは顔を背け退く。
「ああ、はいはい。旦那シャマ、シュキ シュキ!」
「でも、旦那様はお忙しいからね ~? あっち行って遊ぼうな ~?」
宥めつつ、ようやっとのことで引き剥がすと、肩に担ぎ込むアックス。
傍らで言い聞かせているのはソード。
その声は次第に遠ざかった。
「 ヤ! ヤ ァ ァ ― ... ! シャ、マ ――― ! シュキ ―― ! シュキ ~~~ !!」
引き渡し人としてアレセルの名が記されるなら、
そう悪い相手に買われることは無いだろう。
過激派の暗殺者に命を狙われぬよう、結社の傘下に置かれるはずだ。
あとは、この身を対価に ... 過激派勢力と接触したであろう彼ノ尊を引きずり出すまで。
チェシャ。そう名付けた子の呼び掛けを聞きながら。
フェレンスは再度、決心する。
そうして気持ちを鎮めると。
彼は腰元から素早く杖を抜き出した。
短剣を扱う要領で。
持ち返し、振り抜く。
風を斬る音と共に、場面は転じた。
猫脚家具の下から壁際まで、複数、伸びる人影。
その中心に立ち、淡々と述べているのはカーツェル。
「過激派勢力が〈禁断ノ翠玉碑〉の在り処を突き止めたとすれば。
尊の帰還は間近だ。フェレンスが奴等にとって、どういった存在であるのかは、
まだ分からない。けど ... アイツは、尊の側に付いて
〈世界ノ修正〉だけでも阻止する気でいる」
「それくらいの事。ご説明頂くまでもありませんが?」
組んだ足の上に、指を交差させた両の手を置く。
アレセルは苛立っていた。
「だろうな。だから、お前はフェレンスと俺をわざわざ引き合わせたわけだ」
「ご存知なら。一刻も早く、あの方を連れ去るべきかと思いますが。
何をもたついているのですか?」
「やっぱ ... お前には分かってねーんだな」
聞けば尚更、憎らしい。
その喉元を刳り潰してやりたい気分だった。
殺気立つ両者の間に立っていられるのは、ロージーとローナーだけ。
壁際まで引き下がるメイド役、そして調理場の面々に配慮するマリィは、リリィと並んで距離を置く。
ここで一悶着あっては、今後に差し支えるため。
気を利かせ会話に入っていったのはロージーだった。
「つまりね。旦那様は、このコにだってどうこう出来るお方じゃないのよ。
とんだ公爵家の盆暗ですもの。命を懸けたつもりでもね。
本当は ... それさえ、まだ許されていないワケ ... 」
「俺達は、まだ引き返せる ... ... だからダメなんだ」
開いていたカーツェルの手が拳を握る。
見ていたアレセルは、なおも刺すような視線を持ち上げ聞いた。
すると、ロージーが尋ねる。
「それはそうよね。けれど、旦那様のお力添え無しに、敵うはずもないのに。
逆らうにしたって、本当に ... 一体どうするつもりなの?」
要点は、それのみ。
「あのオチビちゃんを人質にしたって無理。あんた、分かってるって言ってたじゃない」
気持ちが重く沈む。
その場に居る誰もが息苦しさを感じていた。
一度、瞳を閉じ。
ス ... と短く息を継いだカーツェルは皆々に、こう言う。
「逆らう気なんざ端から無ぇよ。いっそ、あいつの思うようにしてやるつもりさ」
そうして胸元から褐色の小瓶を取り出し、足元のテーブルの置くのだ。
中に詰まっているのはカプセル薬のよう。
アレセルは眉を顰めた。
「ちょっと待って? なら、
これ以上、旦那様を連中の好きにはさせないって、あの時のセリフは何だったの?」
「あーあー。たく ... 一々、聞くんじゃねーよ。野暮ってーなぁ」
「あら、何よ急に。珍しく分かったような口利くじゃない」
続くロージーの問いかけを遮ったのはローナー。
彼は構わず前に出てカーツェルを睨んだ。
加えて言う。
「覚悟は出来てんだろーからな ... もしもの時は全力で仕留める。後悔すんじゃねーぞ」
その言葉を耳にした瞬間、息が引き攣り上がった。
リリィは声を殺し、前に立つ姉の反応を気に掛け見やる。
薄々感じてはいたが。
どうやら、嫌な予感が的中してしまったらしい。
マリィの拳に力が込められていった。
人間とは、熟、身勝手な生き物と思う。
だが、誰一人としてカーツェルを責める者はいないのだ。
アレセルでさえも、黙認したうえ今更のように悟るかたちと相俟った。
あの少年の血を手に入れなければならないのは、むしろ自分達の方であったと。
ローナーを振り向くカーツェルは、再び手袋を履き締め、言葉を正し答える。
「勿論です。貴方々はこれまで通り、旦那様をお護り下さい。
但し、くれぐれも手加減無きよう ... お願いします」
解散を告げ、薬瓶を手に角部屋を後にした彼は、
守衛の二人が連れて戻る少年と行き違いさまに、こう言い残したという。
「チェシャ ... 貴方は管理官とお行きなさい。
大丈夫。旦那様には、また直ぐ会えますから」
少年は、彼を見て瞬くばかりだった。
聞いたことも無い言葉で呼び掛けられ、理解も及ばず。
機嫌を損ねるまで至らなかったらしい。
程なくして、アレセルは少年を連れて屋敷を出る。
異端ノ魔導師が密かに召し抱えていた ... 〈血ノ奴隷〉を保護するという名目で。
馬車の中で燥ぐ少年と、同乗する管理官を チラリ、チラリ、交互に振り向く。
馭者に扮するはソード、そしてアックスの二人。
アレセルが公用車の使用を避けたのには理由があるようだった。
「偽装車との入れ替えによる、連れ去りを警戒しているのでしょうね」
「あえて人前に晒すってのも、あれだろ。
注目する人間達の目を盾に ... て、いや、でも、そこまでする必要ってあんのか?」
「軍の過剰な介入を牽制するためではないでしょうか?」
「ああ ... そゆことなの ... 」
両者はアレセルに同行し従うよう、事前の指示を受けている。
命じたのは、彼ノ執事。
日程通りに事を済ませたロージーは、些か緊張していた。
主人の支度を任されたのはリリィ。
ローナーとマリィは、街に出て馬車を見張っている。
片やキッチンを預かる見習いとメイド役は、不安を紛らわせるため寄り合うも。
それぞれが、腕組み、俯き、カップを持つ手すらテーブルから動かず。終始無言。
私室に戻り黙々と支度するカーツェルの背を見守る。
ロージーは、ある時こう囁いた。
「いつも通り、お護りしろですって ?
平然として無理難題、押し付けてくれるわよね。
本当 ... いい迷惑なんだけど ... 」
それでも彼は引かぬのだ。
何故なのか。
恐らくは、心の何処かで主人の本心を感じ取っているからに違い無い。
「憶えてもないクセに ... ... 健気だこと ... ... 」
事情あって、面と向かっては言えないが。
嫌味を込めたところで、カーツェルの耳には届かない。
息を吐いて精神統一する彼は、やがて向かう。
身体を慣らしたいと言う主人の要望に応えるため。
しかし、彼にとっては第二の岐路に相当する事案。
ロージーは付き添い、部屋を去った。
シャツの上から装着された革の胸当てと、小手、脛当て一式。
葡萄色に染められ艶を放つ。
それらは守衛の訓練、及び剣術試合用に取り揃えられたものである。
同じ物を用意したうえ支度を手伝っていた ... リリィもまた言葉無く。
胸を痛めながらも、それを直隠しにしている模様。
屋敷中が静まり返っていた。
そのせいか ... ...
常に吹く風の音。
防具の締りを確認する際の金の音。
いつもなら気にもならぬ音が煩い。
「リリィ ... 手が止まっている。留めに不具合でも?」
「あっ ... いいえ、旦那様。申し訳ございません」
「詫びは無用。だが、少し急いでもらえると助かる」
「はい、只今 ... 」
穏やかな口回しで不手際を注意する。
フェレンスの声を聞くと、彼女の胸が遣る瀬無さで一杯になった。
指先の震えが伝わって来たが、フェレンスは敢えて聞かない。
すると、リリィが細々と声を振り絞るようにして言うのだ。
「あの ... 旦那様。お尋ねしても宜しいでしょうか」
「構わない。手短に頼む」
「はい。では、その ... 旦那様のお気持ちは、上役から聞き存じております。
ですが、今も変わりなく、そのようにお考えなのでしょうか。
カーツェル様の同行を禁じ、この先、お連れになるつもりは一切ないと ... ... 」
「その通りだ。考えに変わりは無い」
フェレンスの即答に息を飲む。
ところが、リリィは思い切って声を張った。
「ですが、旦那様 ! それではカーツェル様が、お独りになってしまわれます!
旦那様だけではございません! あの方は ... !! あの方は、もう ... ... 」
言いかけたが、どうしてかその先は言葉にならならず。
彼女は必死で涙を堪える。
それでも溢れてくるので、咄嗟に手で隠し俯いた。
啜り泣く声を聞き、フェレンスは静かにクローゼットの内掛けに用意された外套を取る。
そして、彼女に言い聞かせた。
「言えないのなら、思い詰めず気を楽にすることだ。
私も、彼がこのまま引き下がるとは思っていない」
悲しげに耳元を過ぎる声が、退室していく主人の位置を知らせた。
一度、書斎で立ち止まり、フェレンスは彼女に言い残す。
「だから、安心しなさい。いずれ彼は私を忘れる。
私と彼には契約の他にも、彼自身が自らに課した〈縛り〉が存在するのだから」
扉の閉まる音を聞いて、リリィはその場に座り込んでしまった。
忘れる ... ... ?
「いけません旦那様 ... それでは尚更、カーツェル様のお心が ... ... 」
力が入らず、ただ呟く。
放心したまま、立ち上がろうともしない彼女を寒々しく包む静寂。
帝都を吹き抜ける風と、揺らぐ葉のざわめきが ...
耳の奥へ、奥へ、より深く染み入るようだった。
一方。
特異血種管理局を訪れたアレセルを待ち受けていたのは、Ⅳに従属する担当員。
白黒の二色で占められた一室において差し出されたのは、
事前に用意されていたと思わしき偽血と判定書類。
監視、盗聴を警戒してか、男の言葉数は少なめだった。
会話の内容も、事実とは異なるのだ。
「異端ノ魔導師の囲い子と聞きましたので、もしやと思いましたが、
判定の結果は尖晶石以下で御座いました。
血ノ魔力以外に ... 何か特別な理由でもあったのでしょうか」
対するアレセルの受け答えは、既に口裏を合わせ済みであったとも取れる。
「私の身内が絡んでいる可能性もあります」
「ああ、クロイツ監視官ですか。確かに、良からぬ繋がりがあったのかもしれませんね」
人形のように丸く見開かれた目が、証書にサインしていくアレセルの手元を見張っていた。
「現在は隣国アイゼリアの毒ノ深森に潜伏しているものと見られる ...
との報道を見掛けましたが。まこと、ご愁傷様です」
「いいえ、これも家長の責務。親族の名誉回復のためです。
躊躇ってなどいられませんから」
そしてペンを置いた傍から、無言で手渡される。
偽造証明証。
短い鎖に通された白金の附票には、操作された情報の片鱗が埋め込まれていた。
八芒星を模る魔青鋼小片である。
部屋から連れ出された少年は、自分そっくりな背格好の少年と行き違い、二人は一瞬だけ見合った。
しかし、無表情な相手は直様に視線を反らし、複数の男らに囲まれ歩き去ってしまう。
入れ替わりに彼を連れ帰ったのはローナーだった。
揃いのフードローブを着せてやりさえすれば、連れ歩こうが
顔を見られようが、よく似た子としか思われないのだ。
事を済ませたアレセルは、来た時と同じく車にて悠々戻るだけ。
マリィは少年を連れるローナーの周りを、遠巻きに見張った。
時は夕刻に差し掛かる。
帝都を吹き抜ける風が、帰路をひた走る馬車を追い越し。
張り込む軍関係者と報道陣を掻き分け。
門の鉄格子をすり抜けたのは ... 屋敷裏の試合場が黄昏に染まる頃。
天蓋の底が弾き返す夕日が、屋敷に向かい立つフェレンスを照らし。
左半身に色濃い影を落としている。
外套の前端を返せば、レイピア、そしてマン・ゴーシュ共に左差し。
対して、カーツェルは腰の後側にて柄を左右外側に向ける。ダガーの二本差し。
試合を見守るのも勤めの内とあって。
追って現れたメイド達は静々と整列した。
ところが何故か、リリィの姿は無い。
ただ一人で立つ主人を見て、ロージーが言う。
「イヤだわ。リリィったら、旦那様をお一人にして何してるのかしら ... 」
仕方無し。進み出て尋ねる。
「ご準備はいかがでしょう。旦那様」
「整っている。進めてくれ」
「では、守衛長が主事の見張りで留守にしておりますので、
僭越ではございますが ... 私が審判を勤めます。宜しいでしょうか?」
「構わない」
答えると同時、フェレンスは両手を左腰の剣に添え、抜き取る。
右にレイピア、左はマンゴーシュを逆手に。
場外まで下がるロージーに続き、カーツェルは前に出た。
ハイウエストのフィットスラックスに黒のロングブーツを履き締める主人と、
ローウエストかつ太腿に余裕のあるジョッパーズパンツの上から、
膝、そして脛上部をカバーする当て具をしたハーフブーツ姿の執事を交互に見やりつつ。
ロージーは、ふと思う。
パッと見た感じ ... 魔導師と執事にはとても見えないわよね ... ...
特にダガーを扱うにあたり、屈伸運動のしやすい装いとなっているカーツェルは、どう見ても野盗。
主人の白シャツに相反するかのような、黒シャツのせいだろうか。
昔から柄の悪い男ではあったが。
見栄えから相手を威嚇しに掛かるふてぶてしさたるや、品の無い事。
それなのに。無理も顧みず執事役なんか買って出るんですもの ... ...
本当、バカよ ... ...
それでも傍に居たいと願った。
心の一部を切り取り、施錠してまで。
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思い返していると胸が痛む。
ロージーは振り切るように試合形式を伝えた。
「この試合では致命的斬手のみ判定します。三手先取で勝利です」
そして強く言い放った。
「Postura!」
するとレイピアの切っ先を真っ直ぐ相手に向け。
対の手に携えたマンゴーシュで左脇をカバーするフェレンス。
カーツェルも応えて両逆手にダガーを抜き。
まるで拳を構えるかのように身体の側面と胸の前に据えた。
模擬剣と言えど、刃が備わっていないだけ。
平叩きにした鋼に打たれる可能性を想定すれば、それなりのリスクがある。
主従であろうとも相容れぬ姿勢。
緊迫する中、開始が告げられた。
「Empiecen!」
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