上 下
35 / 60
第四章◆血ノ奴隷

血ノ奴隷~Ⅺ

しおりを挟む
 
 
 
こころざし、揺るぎなく。
つらぬき通すかまえ。

普段どおりに振る舞い、くす彼の挙動きょどうによりしめされる意向。

スカーフの結びを整えてやり一呼吸置いたカーツェルは、
立ち居あらため主人と向き合う。

ところがフェレンスは口を閉ざしたきり。
相手のかもす余裕を感じ取りながら、思いめぐらせるばかりだった。

朝食の席。給仕きゅうじいた彼の手元。
つどいの前に中庭まで付きい、扉を引いて待つ、その足元。

落ち着きはらった様子に目を見張りながら、フェレンスは思う。

実に不可解 ... ... 

事のり行きは予測出来ていたと言うし。彼の事だ、少年を人質ひとじちにしたうえ
理不尽の一つや二つ、ほのめかすなどしてもおかしくはないと考えていたのに。

思い違いと気付かされたのだ。
それは、寝室を出てぐの事。

「申し遅れましたが、旦那様。
 少年の身柄については、管理官と協議したうえゆだねるのが無難かとぞんじます。

  いては帝国の管理下に置かれ、いずれは買われていく身となるでしょう。

 ですので、どうか ... せめてものはなむけに名付けやっては頂けませんでしょうか。
 買われていった先で、必ずしも名をあたえられるとは限りませんので ... 」

そう申し出たのは他でも無い、カーツェル。

まさかの展開だった。

その時には返事もせぬままに私室をあとにしたが。
庭に一歩出て立ち止まったフェレンスは、見もせず彼に言い残す。

「 ... 〈チェシャ〉 ... シャンテの古語だが ... 」

耳にするなり少年の名とさっし。彼はたずねた。

「それと申しますのは、つまり?」

「〈喜び 〉という意味だ」

聞いていると、足早に立ち去る背が投げやりに返してよこす。
花木かぼく合間あいまを行く姿を見送りながらカーツェルは微笑んだ。

「実にい名で ... ... 」

関わり合いにならぬよう意識しても、何だかんだ良くしてやりたい気持ちはあるよう。

あの少年も、気に入るに違いない。
その日の予定組みを確認しにつどう使用人達の元へと急ぎつつ、思う。
しかし彼は調理場横の休憩室ではなく、使用人部屋の連なるとうの手前まで歩いた。

そこは、いつもの打ち合わせ場所とはことなる。
使用人達のリビングスペースだ。

手筈てはず通り ... ...

カーツェルの視線が暗影あんえいく。

立ち入る彼の気配に振り向く精霊達は不穏ふおんな表情。
見合わせ様子をうかがう彼、彼女を代表するかのように口を開いたのはロージー。

「 ... それで? あたし達に、どうしろって言うのよ」

最後に立ち返り数歩引き下がるローナーの向こうには、一人がけのソファーにし足を組む人影。
歩み寄るカーツェルを冷ややかに見上げる男の眼差まなざしは、憎きかたき凝視ぎょうしするかのよう。

アレセルだった。



硝子ガラスのように透き通る花弁はなびらの内に光を宿やどす花々は、
やがて ... 日の直射をけるようにしてすぼみ、下を向く。

昨夜のきり湿しめる土と新芽の
かぐわしき風を吸い、歩いて行った先でフェレンスは立ち止まった。

植え込みの雪柳《ゆきやなぎ》が側壁塔そくへきとうわき歩廊ほろうくぐり裏庭まで続く ... その手前にて。
胸元から褐色かちいろ洋巾ハンカチーフを取り出した彼は、サッ と身前にひるがえし、ささやく。

  しん の 姿 を あらわ せ 
「Revelar la apariencia real ...」

同時に息を吹きかけた彼の求めにおうじ輝き放つは、ちゅうへとおどり出た銀糸ぎんし
ほどけて舞ういの先から再度、り上げられていく衣は大幅に面積を増し。
薄羽織うすばおりとなって彼の手元へ帰る。

それから、すみやかにそでを通し歩み行くのだ。
待つあいだ、準備運動ね、雑念をはらっておかねばならぬ。

フェレンスは急いだ。

馬屋の前から走路が外垣沿そとがきぞいをかこ土壌グラウンドには、背の高い針葉樹しんようじゅが距離を置き聳立しょうりつする。

合間あいまに立ち、見上げれば。
枝葉えだはの向こうにあるべき空の大半をおおう、天蓋てんがいの街の底。
日差ひざしの角度から時刻を読み取ったところ。およそ九時を周る頃合いだが。

「この時分。何故なぜ、君がここにる?」

彼はお見通し。

と言うか。木の幹幅みきはばに合わず若干、太い腕が見えていたのだ。

突如とつじょ、屋敷のぬしに問われ震え上がったのは守衛の一人だった。

「た、たたた、大変、申しわけ御座ございません!!」

理由を聞いているのに。
向こう側に隠れひそむ男は目を白黒させ、咄嗟とっさびた。

「その声は、アックスか ... 」
「は は は、はい! 旦那様!」

ロージーに並ぶ体格で、ぶっきら棒だが物怖ものおじせず。
使い魔の中でも特に図太い性格をしている精霊が、何をそうちぢこまっているのかと。

不可思議、きわまる。

眉間みけんしわせ見ていたところ、次いでフェレンスは硬直した。

背後から何か聴こえる。

〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉

足音だろうか。
恐らくは何かが横切ったのだ。

その気配は、行って更に戻る。

〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉

しかも今度は若者の ヒソヒソ 声までした。

「あっ! こら! 戻るな! 見つかっちゃうだろう?」

あの声は、ソード ... ...

あきれ振り返ると、目が合った。

やはり、お前か。

一呼吸置いて、彼は言う。

「 ... ... あ 」

あ、じゃない、あ、じゃ。

「何が ... ... あ 」

しかし、同じ事をたずねようとすると彼もまた、木のみきの裏側へ引っ込み、叫ぶ。

「ごごご、御免ごめん下さいませ!!」

いや、だから。何故なにゆえそうあわて隠れる必要があるのかいたいのだが。

〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉

こちらへけてくる気配に気付いてさっする。

「 シ ャ ――――― マ ――――― !」

なるほど ... ...

遊んでやっていた訳かと。

少年は両腕を広げてフェレンスの足元へと飛び込んで行った。

「 チ ュ ゥゥ カ、マエ、タ !!」

捕まった ... ...

これは不味まずい。フェレンスは思う。

先に着込んだたけの長い薄羽織うすばおりすそにぎり込み、
ポフン ! とまる小さな身体からだを見やったところ。
パッ と顔を上げた少年の瞳が、キラキラ と輝いた。 

かたや守衛の二人は木陰こかげに隠れたまま、手で顔をおおっている。

まさか、まさか。
こんな場所で主人と出くわすとは思わなかったので。
やっちまった感がいなめない。

くわしい説明もいまだ無し。
ただ、これまでも血ノ奴隷どれいし抱えようとはしなかった主人のこと。
情がうつらぬよう、避けているのだとのうわさを耳にしている手前。

が悪いのは自分達か、それとも主人か。

困りてた。

すると、みきからはみ出す彼らの装備の端々はしばし
小刻みに震える様子に目をくばり、フェレンスは言う。

「ご苦労。気にせず引き続き、つとめを優先して欲しい。
 次期、カーツェルが迎えに来るはず。
 それまでは、気を抜かぬ限り自由にしてくれてかまわない」

遊び相手になってやっていた事。
しかり受けるものと思ったが、そうはならなかった。
二人はおどろき、顔を出して見合わせたのち、あからさまな笑顔で居直いなおふくす。

「了解しました!」
「ありがとうございます! 旦那様!」

胸に手を当てる両者の礼に対し、視線を向けこたえる。
フェレンスは言い残し、その場を後にするつもりだった。

ところが、行かせない。

羽織はおりを握り込んで放さぬ。
少年が前のめりにぶら下がると、フェレンスの首がまった。

「 ム ゥ ゥ ゥ ... 」 (*>x<)o゛

ブラ ――― ン 。ブラ ――― ン 。

守衛は唖然あぜんとし、ただ見ている。


... ... ...


フェレンスは無言でえた。
だが、徐々じょじょに沈んでくのだ。

何て、ぎこちない動作だろうと思う。
な、ん、て、考えている場合ではないのに。

「 ... て、こらぁあぁあぁぁぁ ――――――― !!」
「何しやがる、この悪戯坊主イタズラボウズ!!」

あわてふためいた二人が土煙を立て両脇に滑り込むも、少年は手を放そうとしなかった。
抱き上げ、握られた手の隙間すきまに指を入れようとこころみたものの。

ヤー ヤー ムー ムー 。

身体からだひねくり返し駄々だだねる。
揺さぶられながら黙って待つフェレンスだったが、ある時。
ズイッ と迫る少年の顔。

紅と白銀、双方の毛先が フワリ ... 触れ合う距離だった。

見合わせると、満月のように美しいまなこさらに寄せ、幼子おさなごは言う。

「 シャ、マ ! シュ、キ !」

一緒に行きたいと言っているのだ。

しかし、そうはいかない。
フェレンスは顔をそむ退しりぞく。 

「ああ、はいはい。旦那シャマ、シュキ シュキ!」
「でも、旦那様はお忙しいからね ~? あっち行って遊ぼうな ~?」

なだめつつ、ようやっとのことで引きがすと、肩にかつぎ込むアックス。
かたわらで言い聞かせているのはソード。

その声は次第に遠ざかった。

「 ヤ! ヤ ァ ァ ― ... ! シャ、マ ――― ! シュキ ―― ! シュキ ~~~ !!」

引き渡し人としてアレセルの名がしるされるなら、
そう悪い相手に買われることは無いだろう。
過激派の暗殺者アサシンに命を狙われぬよう、結社の傘下さんかに置かれるはずだ。
あとは、このを対価に ... 過激派勢力パルチザンと接触したであろう彼ノ尊かのみことを引きずり出すまで。

チェシャ。そう名付けた子の呼び掛けを聞きながら。
フェレンスは再度、決心する。

そうして気持ちをしずめると。
彼は腰元こしもとから素早く杖をき出した。

短剣をあつか要領ようりょうで。
持ち返し、振り抜く。


風をる音と共に、場面は転じた。


猫脚家具の下から壁際まで、複数、伸びる人影。
その中心に立ち、淡々とべているのはカーツェル。

「過激派勢力が〈禁断ノ翠玉碑エメラルド・タブレット〉の在り処ありかを突き止めたとすれば。
 みことの帰還は間近だ。フェレンスが奴等やつらにとって、どういった存在であるのかは、
 まだ分からない。けど ... アイツは、みことの側に付いて
 〈世界ノ修正〉だけでも阻止そしする気でいる」

「それくらいの事。ご説明頂くまでもありませんが?」

組んだ足の上に、指を交差させた両の手を置く。
アレセルは苛立いらだっていた。

「だろうな。だから、お前はフェレンスと俺をわざわざ引き合わせたわけだ」
「ご存知ぞんじなら。一刻も早く、あの方を連れ去るべきかと思いますが。
 何をもたついているのですか?」

「やっぱ ... お前には分かってねーんだな」

聞けば尚更なおさら、憎らしい。
その喉元のどもとえぐつぶしてやりたい気分だった。

殺気立つ両者のあいだに立っていられるのは、ロージーとローナーだけ。
壁際まで引き下がるメイド役、そして調理場の面々に配慮するマリィは、リリィと並んで距離を置く。

ここで一悶着ひともんちゃくあっては、今後につかえるため。
気をかせ会話に入っていったのはロージーだった。

「つまりね。旦那様は、このコにだってどうこう出来るお方じゃないのよ。
 とんだ公爵家の盆暗ボンクラですもの。命をけたつもりでもね。
 本当は ... それさえ、まだ許されていないワケ ... 」

「俺達は、まだ引き返せる ... ... だからダメなんだ」

開いていたカーツェルの手がこぶしにぎる。
見ていたアレセルは、なおも刺すような視線を持ち上げ聞いた。
すると、ロージーがたずねる。

「それはそうよね。けれど、旦那様のお力え無しに、かなうはずもないのに。
 逆らうにしたって、本当に ... 一体どうするつもりなの?」

要点は、それのみ。

「あのオチビちゃんを人質ひとじちにしたって無理。あんた、分かってるって言ってたじゃない」

気持ちが重く沈む。
その場に居る誰もが息苦しさを感じていた。

一度、瞳を閉じ。 
ス ... と短く息を継いだカーツェルは皆々に、こう言う。
 
「逆らう気なんざはなからぇよ。いっそ、あいつの思うようにしてやるつもりさ」

そうして胸元から褐色かっしょく小瓶こびんを取り出し、足元のテーブルの置くのだ。

中に詰まっているのはカプセル薬のよう。
アレセルは眉をひそめた。

「ちょっと待って? なら、
 これ以上、旦那様を連中の好きにはさせないって、あの時のセリフは何だったの?」

「あーあー。たく ... 一々、聞くんじゃねーよ。野暮ヤボってーなぁ」
「あら、何よ急に。めずらしく分かったような口くじゃない」

続くロージーの問いかけをさえぎったのはローナー。
彼はかまわず前に出てカーツェルをにらんだ。

くわえて言う。

「覚悟は出来てんだろーからな ... もしもの時は全力で仕留しとめる。後悔すんじゃねーぞ」

その言葉を耳にした瞬間、息が引きり上がった。
リリィは声を殺し、前に立つ姉の反応を気に掛け見やる。

薄々うすうす感じてはいたが。
どうやら、嫌な予感が的中してしまったらしい。

マリィのこぶしに力が込められていった。

人間とは、つくづく、身勝手な生き物と思う。
だが、誰一人としてカーツェルをめる者はいないのだ。

アレセルでさえも、黙認したうえ今更のようにさとるかたちと相俟あいまった。
あの少年の血を手に入れなければならないのは、むしろ自分達の方であったと。

ローナーを振り向くカーツェルは、再び手袋をめ、言葉を正し答える。

勿論もちろんです。貴方々あなたがたはこれまで通り、旦那様をお護り下さい。
 ただし、くれぐれも手加減無きよう ... お願いします」


解散を告げ、薬瓶を手に角部屋をあとにした彼は、
守衛の二人が連れて戻る少年と行き違いさまに、こう言い残したという。

「チェシャ ... 貴方あなたは管理官とお行きなさい。
 大丈夫。旦那様には、またぐ会えますから」

少年は、彼を見てまばたくばかりだった。

聞いたことも無い言葉で呼び掛けられ、理解もおよばず。
機嫌きげんそこねるまでいたらなかったらしい。


ほどなくして、アレセルは少年を連れて屋敷を出る。
異端ノ魔導師がひそかにかかえていた ... 〈血ノ奴隷どれい〉を保護するという名目で。


馬車の中ではしゃぐ少年と、同乗する管理官を チラリ、チラリ、交互こうごに振り向く。
馭者ぎょしゃふんするはソード、そしてアックスの二人。

アレセルが公用車の使用をけたのには理由があるようだった。

偽装ぎそう車との入れえによる、連れ去りを警戒しているのでしょうね」
「あえて人前にさらすってのも、あれだろ。
 注目する人間達の目をたてに ... て、いや、でも、そこまでする必要ってあんのか?」

「軍の過剰な介入を牽制するためではないでしょうか?」
「ああ ... そゆことなの ... 」

両者はアレセルに同行ししたがうよう、事前の指示を受けている。


命じたのは、ノ執事。


日程通りに事を済ませたロージーは、いささか緊張していた。

主人の支度をまかされたのはリリィ。
ローナーとマリィは、街に出て馬車を見張っている。

かたやキッチンをあずかる見習いとメイド役は、不安をまぎらわせるため寄り合うも。
それぞれが、腕組み、うつむき、カップを持つ手すらテーブルから動かず。終始無言。

私室に戻り黙々もくもくと支度するカーツェルの背を見守る。
ロージーは、ある時こうささやいた。

「いつも通り、お護りしろですって ? 
 平然として無理難題、押し付けてくれるわよね。
 本当 ... いい迷惑なんだけど ... 」

それでも彼は引かぬのだ。

何故なぜなのか。
恐らくは、心の何処ドコかで主人の本心を感じ取っているからに違い無い。

おぼえてもないクセに ... ... 健気けなげだこと ... ... 」

事情あって、面と向かっては言えないが。
嫌味いやみを込めたところで、カーツェルの耳には届かない。

息を吐いて精神統一する彼は、やがて向かう。
身体からだらしたいと言う主人の要望にこたえるため。

しかし、彼にとっては第二の岐路きろに相当する事案。

ロージーは付きい、部屋を去った。


シャツの上から装着された革の胸当てと、小手、すね当て一式。
葡萄色えびいろに染められつやを放つ。
それらは守衛の訓練、および剣術試合用に取りそろえられたものである。


同じ物を用意したうえ支度を手伝っていた ... リリィもまた言葉無く。
胸を痛めながらも、それをひた隠しにしている模様もよう

屋敷中が静まり返っていた。

そのせいか ... ...

つねに吹く風の
防具の締りを確認する際のカネ

いつもなら気にもならぬ音がうるさい。

「リリィ ... 手が止まっている。めに不具合でも?」
「あっ ... いいえ、旦那様。申し訳ございません」

びは無用。だが、少し急いでもらえると助かる」
「はい、只今ただいま ... 」

おだやかな口回しで不手際ふてぎわを注意する。
フェレンスの声を聞くと、彼女の胸が遣る瀬無さやるせなさで一杯になった。

指先の震えが伝わって来たが、フェレンスはえて聞かない。
すると、リリィが細々と声をしぼるようにして言うのだ。

「あの ... 旦那様。おたずねしてもよろしいでしょうか」
かまわない。手短にたのむ」

「はい。では、その ... 旦那様のお気持ちは、上役うわやくから聞きぞんじております。
 ですが、今も変わりなく、そのようにお考えなのでしょうか。
 カーツェル様の同行を禁じ、この先、お連れになるつもりは一切ないと ... ... 」

「その通りだ。考えに変わりは無い」

フェレンスの即答に息を飲む。
ところが、リリィは思い切って声を張った。

「ですが、旦那様 ! それではカーツェル様が、おひとりになってしまわれます!
 旦那様だけではございません! あの方は ... !! あの方は、もう ... ... 」

言いかけたが、どうしてかその先は言葉にならならず。
彼女は必死で涙をこらえる。

それでもあてれてくるので、咄嗟とっさに手で隠しうつむいた。

すすり泣く声を聞き、フェレンスは静かにクローゼットの内掛けに用意された外套がいとうを取る。
そして、彼女に言い聞かせた。

「言えないのなら、思いめず気を楽にすることだ。
 私も、彼がこのまま引き下がるとは思っていない」

悲しげに耳元を過ぎる声が、退室していく主人の位置を知らせた。
一度、書斎で立ち止まり、フェレンスは彼女に言い残す。


「だから、安心しなさい。いずれ彼は私を忘れる。
 私と彼には契約の他にも、彼自身が自らにした〈しばり〉が存在するのだから」


扉の閉まる音を聞いて、リリィはその場に座り込んでしまった。

忘れる ... ... ?

「いけません旦那様 ... それでは尚更なおさら、カーツェル様のお心が ... ... 」

力が入らず、ただつぶやく。
放心したまま、立ち上がろうともしない彼女を寒々さむざしく包む静寂せいじゃく


帝都を吹き抜ける風と、揺らぐ葉のざわめきが ... 
耳の奥へ、奥へ、より深く染み入るようだった。


一方。


特異血種管理局をおとずれたアレセルを待ち受けていたのは、クワトロ従属じゅうぞくする担当員。

白黒の二色ツートーンめられた一室において差し出されたのは、
事前に用意されていたと思わしき偽血ぎけつと判定書類。

監視、盗聴を警戒してか、男の言葉数は少なめだった。
会話の内容も、事実とは異なるのだ。

「異端ノ魔導師のかこい子と聞きましたので、もしやと思いましたが、
 判定の結果は尖晶石スピネル以下で御座ございました。
 血ノ魔力以外に ... 何か特別な理由でもあったのでしょうか」

対するアレセルの受け答えは、すでに口裏を合わせ済みであったとも取れる。

「私の身内がからんでいる可能性もあります」
「ああ、クロイツ監視官ですか。確かに、良からぬ繋がりがあったのかもしれませんね」

人形のように丸く見開かれた目が、証書にサインしていくアレセルの手元を見張っていた。

「現在は隣国アイゼリアの毒ノ深森もりに潜伏しているものと見られる ... 
 との報道を見掛けましたが。まこと、ご愁傷様しゅぅしょうさまです」
「いいえ、これも家長の責務せきむ。親族の名誉回復のためです。
 躊躇ためらってなどいられませんから」

そしてペンを置いたそばから、無言で手渡される。

偽造証明証。

短いチェーンに通された白金しろがね附票タグには、操作された情報の片鱗へんりんが埋め込まれていた。
八芒星オクタグラムかたど魔青鋼小片オリハルコン・チップである。

部屋から連れ出された少年は、自分そっくりな背格好の少年と行き違い、二人は一瞬だけ見合った。
しかし、無表情な相手は直様すぐさまに視線をらし、複数の男らに囲まれ歩き去ってしまう。

入れわりに彼を連れ帰ったのはローナーだった。

そろいのフードローブを着せてやりさえすれば、連れ歩こうが
顔を見られようが、よくた子としか思われないのだ。

事を済ませたアレセルは、来た時と同じく車にて悠々ゆうゆう戻るだけ。

マリィは少年を連れるローナーの周りを、遠巻きに見張った。


時は夕刻に差し掛かる。


帝都を吹き抜ける風が、帰路をひた走る馬車を追いし。
張り込む軍関係者と報道陣をき分け。
門の鉄格子てつごうしをすり抜けたのは ... 屋敷裏の試合場が黄昏たそがれに染まる頃。

天蓋てんがいの底がはじき返す夕日が、屋敷に向かい立つフェレンスをらし。
左半身に色濃い影を落としている。

外套がいとう前端まえはしを返せば、レイピア、そしてマン・ゴーシュ共に左し。
対して、カーツェルはこしの後側にてを左右外側に向ける。ダガーの二本差し。

試合を見守るのもつとめの内とあって。
追ってあらわれたメイド達は静々しずしずと整列した。

ところが何故なぜか、リリィの姿は無い。
ただ一人で立つ主人を見て、ロージーが言う。

「イヤだわ。リリィったら、旦那様をお一人にして何してるのかしら ... 」

仕方無し。進み出てたずねる。

「ご準備はいかがでしょう。旦那様」
「整っている。進めてくれ」

「では、守衛長が主事の見張りで留守るすにしておりますので、
 僭越せんえつではございますが ... アタクシが審判をつとめます。宜しいでしょうか?」 

「構わない」

答えると同時、フェレンスは両手を左こしつるぎえ、抜き取る。
右にレイピア、左はマンゴーシュを逆手に。

場外まで下がるロージーに続き、カーツェルは前に出た。

ハイウエストのフィットスラックスに黒のロングブーツをめる主人と、
ローウエストかつ太腿ふとももに余裕のあるジョッパーズパンツの上から、
ひざ、そしてすね上部をカバーする当て具をしたハーフブーツ姿の執事を交互こうごに見やりつつ。

ロージーは、ふと思う。

パッと見た感じ ... 魔導師と執事にはとても見えないわよね ... ...

特にダガーをあつかうにあたり、屈伸くっしん運動のしやすいよそおいとなっているカーツェルは、どう見ても野盗やとう
主人の白シャツに相反あいはんするかのような、黒シャツのせいだろうか。

昔からガラの悪い男ではあったが。
見栄みばえから相手を威嚇いかくしに掛かるふてぶてしさたるや、品の無い事。

それなのに。無理もかえりみず執事役なんか買って出るんですもの ... ...
本当ホント、バカよ ... ...

それでもそばに居たいと願った。
心の一部を切り取り、施錠せじょうしてまで。

おかげで、どうしてそうなってしまったのか自分でもおぼえていられないのよ、アンタは ... ...

思い返していると胸が痛む。
ロージーは振り切るように試合形式を伝えた。

「この試合では致命的斬手きりてのみ判定します。三手先取で勝利です」

そして強く言い放った。

Posturaかまえ!」

するとレイピアの切っ先を真っ直ぐ相手に向け。
ついの手にたずさえたマンゴーシュで左わきをカバーするフェレンス。

カーツェルもこたええて両逆手にダガーを抜き。
まるでこぶしかまえるかのように身体からだの側面と胸の前にえた。

模擬剣シンセティックソードと言えど、やいばそなわっていないだけ。
平叩きにしたはがねに打たれる可能性を想定すれば、それなりのリスクがある。

主従しゅじゅうであろうとも相容あいいれぬ姿勢。

緊迫する中、開始が告げられた。

Empiecenはじめ!」
 
 
 
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

 一枚のコイン 〜変わるは裏表〜

BL / 連載中 24h.ポイント:654pt お気に入り:26

不機嫌な子猫

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:712

ニューハーフ極道ZERO

BL / 連載中 24h.ポイント:618pt お気に入り:31

秘めるのは・・・

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

異世界で傭兵になった俺ですが

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:177

処理中です...