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第四章◆血ノ奴隷

血ノ奴隷~Ⅳ

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雑踏にまれながら、ある者は言う。

「バノマンが引き下がるなんて信じられない。
  軍警、副総監の息が掛かったぼうやの権限くらい潰してしまえたはずなのに」

一人は若い女性。

「はてさて。おえらい方の思慮深きこと、計り知れんよ」

一人は体格のいい中年男性。

「けど、まぁ、やれやれってところじゃない?
 フェレンス様ったら、思ったよりぴんぴんしてらっしゃるし♪」

一人は、分厚い化粧と極太ごくぶと眉毛の大男。

「リリィだけお屋敷に残して来ちゃったから、アタシ、どっちかっていうとアッチの方が心配よぉ」

壁にでもぶち当たったかと振り返る人々が、一々いちいち奇声を発してり返るも、無視。
毳々ケバケバしい見た目のわりに合わぬ乙女口調で、男は続けた。

「それにしても、ここ、もの凄く居心地悪いんだけど ... 
 よくもまぁ、これだけの野次馬をき集めたものよね ? 」

「帝都の報道機関の腐敗は今に始まったことじゃない。
 不都合に触れられないよう対立勢力の非を突くのに忙しいんでしょ。想定内だわ」

「人が多いほど、思い切った事はしづらくなるものだしな」

はたから見れば、三人それぞれがひとり言の激しい不審人物。

「まったく。食い合って無くなっちゃえばイイのに!」
「いずれはそうなる。けど、まずは落ち着いて、ロージー。 
 あなたの周りから人気が無くなってる。目立ち過ぎよ ... 」
「あらイヤだ! ホント♪」

彼等かれらたがいの姿も見えぬ場所にいながら、まるでそばで話しているかのように疎通そつうする。
誰と話しているのか、不審に思う人々は彼等をけて通った。
中でも、キャッ ! と声を上げて身をよじる大男の、異様な立ち姿ポージングに付加する人払い効果は絶大。

ある子は、そんな彼の正面で立ちくし、
苦虫にがむしみ潰すかのようなしかめっ面をして ... こう言う。

「うえぇぇぇ ... キ ん モ ぉ ――― ... 」

お約束のような流れだが。

っせ ――― い !! と 大爆発する乙女心。と、それから ...

「んだと こん ガキゃあぁぁあぁぁ!!」

よくあるオカマの図。

「なあ、マリィちゃん ... 本当にあれで良いのか ... 」
「良いのよ。自然でしょ」

「いやドコが? つーか、あの子が可哀想かわいそうって話しだからな?」
「フェレンス様が危ないようなら、まず助太刀すけだちをと思ったけど。
 さすがに無いようね。さっさと、おつかいを済ませて帰りましょうか」

「え ... ちょ 、 聞いて? マリィちゃん 、そうは言っても簡単に見つかりゃしねーだろ?」
「いたわ! 過激派の暗殺者アサシン! やっぱり、例の少年を狙ってる!!」
「 ... て、マ ジ かよ ... !?」

発着場に程近いオープンカフェにあるレンガ造りの敷居から身を乗り出すと。
周辺の警戒に当たっいた警備員が、変質者と思わしき大男に注目する一方。
その背後を素早く駆け抜ける夕影を見つけ、彼は直ぐ様に後を追った。

対してマリィと呼ばれた女性が言う。

「こっちは三人! 食い止めるわ!」
「一人は追ってる!」

貴方あなたに追いつける?」
なぁに ... 追いつかなくたってかまいやしねぇさ」

「あまり人を巻き込まないでね」
「一般人なんざ、とっくに逃げてら。監視官一行を追ってた兵が多少残ってはいるが。
 この程度でくたばるようなら、そもそも兵士にゃなれねーだろう ... ?」

人々の合間をい、刺客しかくせまる。二人は、ほぼ同時にかまえた。
すると、彼等の敵意を感じとった夕影のマントが翻る。

次の瞬間。人々の頭上に影を落とす巨大な三日月斧バルディッシュ幻像げんぞう

〈 ゴ ゴゴオォオォォォン !!!! 〉

振り下ろされたそれは地を割り、烈風を散らす。

危険を察知し回避した者の他。
直撃はまぬがれても吹き飛ばされ、倒れたまま気を失う者も数名。

奇襲をふせいだ兵は即座に立ち返るが。
吹き流れる土煙の向こうには爪痕が残るだけ。
夕影はおろか、技を放った男の姿さえ見当たらなかった。

「異端ノ魔導師を逃がそうとするやからひそんでいるやもしれん!
 三班、探せ! 四班は追撃を警戒し待機せよ!」

アレセルが行くまでもなく、隊長格の指示が飛ぶ状況下。

「そう。注目を集めるだけでいい ... 」

彼女は言う。

三つの夕影がたくみに突き入れる仕込み刀を、踊るように回避し。
その都度、衣服のいたるところにはのばせたナイフを
スルリ、スルリ と抜き出しては、夕影の急所に差し込みながら。

暗殺者アサシンの手出しを防いでくれさえすれば ... ... 旦那様は、そうおっしゃったわ」

美しく姿勢をただすと、背後で崩れ落ちていく三つの夕影。
彼女はやがて何事も無かったかのように、雑踏の向こうへと姿を消した。 

「そうね。旦那様に使い込まれた〈物ノ精霊〉として、
 仕事が済んだらつつましくりましょう ...  だ ・ け ・ ど ... 」

それなのに。例のオカマばかりはそうはいかないのだ。

「 イヤイヤイヤ、イヤ ァ ~ ン ♪ 
 どうしてアタシだけ? こんなに注目されてるのぉ?
 みんな見すぎよ! どうして!? ダメよ、みんな ... どうしてなの!?」

言っている事とは裏腹に、派手な身振りで駆け回り。
行く先々で人を突き飛ばすのだから、無理もない。

斬撃ざんげきを逃れた暗殺者を追う中年オヤジも、見てあきれるオカマ。

はたまた一方で。クロイツに言われた通り、黙って隠れひそむ少年はと言うと。
イヤイヤ言いながら目の前を行き過ぎる不審人物を目で追って、ほっぺたを木箱の隙間に押し込む。

何か、みょうなものを見た気がするが。
が目をうたがう反面、もう一度だけ見てみたいと思った。
そうしていると、ついに声がれる。

「 ン... ムゥ ... 」

聞き付けたのは、周辺を見張っていた兵士の一人。

「こんな所に子供? いや ... まさかな ... 」

少年は、 ハッ ! と口を手でふさぎ硬直した。
ねるように打つ心臓だけ、口から飛び出て逃げて行きそう。
呼吸すら躊躇ためらった。

なのに突然。お呼びが掛かる。

〈 ハ ァ ~ イ 、オチ~ビ チャン♪ ヨウヤク 見ツケタ ワァ ~ 〉

おかげで飛び上がり失神しかけた。
声を上げないかわり、白目をいて モッチリ ヘニョヘニョ と。
少年は尻もちをついて転がる。

気が遠のく中。

みずからがひそむ木箱のとなりに、いつの間にやら置かれたチェストを見た。
引出しが閉じたり開いたりを繰り返している。

〈 アラアラ、ゴメンナサイネ ... ソウヨネー 驚 ク ワヨネ~ ... ケ ド♪ オチビチャン、オ 願 イガ アルノヨ 。
  目 ガ 覚 メタラ ソコ カラ 出 テ、アタシ ノ 引 キ 出 シニ 隠 レテ クレル? 〉

何やら、大きな箱がしゃべっているように見えたのだ。
にわかには信じ難い話だが。
それでいて、少年はすっかりと目を覚まして見る。

ヒラリ ... ヒラリ ...

あおい光の粉をく羽ばたきを。

動いてしゃべるチェストは、ヒソヒソ と ... こう言った。

〈 旦那様 ニ 、 オ 会 イ シタイ デショウ ? アタシ 達 ト 、 オ 屋敷 ヘ イラッシャイ ナ♪ 〉

いつか見た瑠璃蝶るりちょうが少年を導く。

木箱のじょうも、片手チョップならぬ引出しチョップ一発。
あっさりと破壊して見せたお化けチェストの力技に目を丸くしながらも。
彼は、反射的に飛び出していた。

「 シャ ―― マ ―― !! 」

あおちょうは幸福の象徴。

差し伸べた手をすり抜け、触れる事すら叶わずとも。
その向こうには、あの人がいると ... 少年は信じていた。

〈 ハーイ ♪ イラッシャ ―― イ ! ト !! イッチョ アガリ ィ ―― !! 〉

チェストは素早く引き出しを開け放ち、しまっていた毛布を パッ と開くと、
魔法のように クルクル 少年をくるんだうえ、上開きの扉から彼を パクリ ! 一口で収納した。

あちらこちらで起きる騒動のために、少年を狙う暗殺者の手も、
警戒を強める監視の目も、こちらまで行き届くことはない。


人々の多くは、魔導師の声に呼び覚まされし千ノ影に翻弄ほんろうされれてる。


覚醒する過程で騎士霊と同調した下僕しもべは、より燃え盛るまとい。
振り下ろした手刀から、いくつもの氷の矢を放つ。
石畳を砕き突き刺さったそこから、退魔師の陣列まで燃え広がるは、たちまち結界をき払った。

それによった呪縛が断ち切られた時である。
結界のけ目から生じた寒波が前線の重装歩兵を襲い。
盾も鎧も、しもおおっていくのだ。

彼等かれらの肌が焼けてしまう前に、控えの錬金術師が保護符を放つも。
呪縛から逃れた影に噛み千切られ、役には立たない。

それでもアレセルは指揮刀を振り続ける。

都を戦場にするつもりのないフェレンスに付け入るかたち。
躊躇ためらえば、実力を争う他の帝国魔導師があらわれるだけ。

引く気はなかった。

意をさっしたフェレンスは、やがて ... 法をく。
枢機卿すうききょうくわだてを退しりぞけるための違反行為。
カーツェルの不調もかえりみず強行したが、限界だった。

地上へと降りていくフェレンスの背を見て、戸惑とまどい、手を伸ばすは下僕しもべ

無意識のうち。

カーツェルは覚醒状態から回帰したことにも気付かぬままに、フェレンスを引きめようとしていた。
しかし今一度、振り向いてさとすフェレンスの言葉は、彼を困惑こんわくさせる。

貴方あなたは、彼の意識に干渉かんしょうしすぎる ... グウィン ... 
 私への未練を、彼に着せるのはやめて下さい ... ... 」

カーツェルは思った。

何の事だ? どうして俺を見て言うんだ ... フェレンス。 俺は ... ...

だが同時に、自分では思ってもみない言葉が口からこぼれるのだ。

〈あの時、私は ... 貴方を連れて逃げるべきだった ... フェレンス様 ... 
 そうしていれば、今も、貴方が身を案ずる彼にわって、この私が ... 〉

何故なぜなのか。

自分が話している自覚はあるのに、自分で言っていることの意味が分からないのだ。
その上、気付けば ... フェレンスの肩を抱き、瞳を閉じていた。

それ以降の記憶は無い ... ...

気を失ったカーツェルの身体からだを支えながら、フェレンスは地上へと降り立つ。
本来なら別の任に当たるはずだったアレセルの間近に、あえて。

指揮刀を高く上げ横にした状態から、
切っ先をななめに振り降ろし、足元よりも横をす。

アレセルは待機の号令を下したうえで、たずさえたそれをさやおさめた。
それを声高に伝達するのは補佐官の役目。

すると彼は真っ先に、フェレンスの肩にもたれ意識の無い男をにらむ。
昇華を解いた杖を持ち返し差し出したフェレンスは、ただ一言だけ言い残した。

随行員アテンダントを、解放する ... ... 」

 

複合錬金の認可を下されるまでには、いくつかの条件があったという。
うち一つが、審査に合格した軍士を随行員として常に同行させるといった内容。
審査をけ負ったのは、帝国軍所轄しょかつの憲兵、所謂いわゆる、軍警察である。

「まさか、上院議員や枢機卿と肩を並べる家柄の人間が名乗りを上げるとは。
 多くの議員が動揺していました。しかし、故国が集約した叡智えいちを解く鍵と言われる貴方様あなたさまと、
 蜜月の関係をきずくのに適する。当時のランゼルク公爵家当主であったの大佐は
 大勢に逆らい後押あとおししたのです。神教徒過激派パルチザン勢力、
 暗殺者アサシンの動きが活発化したのも、丁度 ... その頃でした」

「やはり、事故ではなかったと ... 」

「身内の裏切りともささやかれているのです。随行ずいこうに立候補した貴方様のご友人と、
 その父君の肩入れが正々堂々としていた分。立場の無い者も少なくなかったのでしょう」

「... 当主のくらいを継ぐより以前。幼いカーツェルが
 無断で私の元をおとずれても ... あの人は決してしからなかった ... 」

「 ... ... ... ... 」

異端ノ魔導師と、機捜隊所属となっていた管理官の会話。
〈特異血種取締法違反〉のうたがいがあるなどと、クロイツに罪を着せたのも彼だが。
バノマンの勢である暗殺者により口封じされるより前に、
国外逃亡させるのが狙いであった事など、既に説明済みである。

だが今は、別の話がしたい。

「 ... ... 僕が こっそりうかがった時は、むしろ、貴方様からのおしかりを受けましたが ... ... 」

不機嫌そうな顔をそらし、部屋の片側一面に広がる夜景を望む。
そんなアレセルの様子を見て スクスク とひかえめに笑いながら、フェレンスは言った。

「カーツェルだって、同じ目にっている。
 アレセル ... そろそろ機嫌を直してくれないか ... 」

あの男の名前なんか、聴きたくもないのに。

「お気遣いたまわり恐縮です。 が... それ以前の問題なのです」

アレセルは顔を背けたまま席を立った。
そして、長テーブルをかいしフェレンスの座るソファーの後ろで立ち止まる。

肩に手を置き、耳の裏側を親指の腹でなぞってみても、フェレンスは気にも留めずに。
手にしたグラスを静かに置くだけ。

「せめて。僕と二人きりの時くらいは、ご友人の話など ... お控え下さればいいのに」

アレセル。彼は、カーツェルが随行員として認められ、
フェレンスと正式に契約を結べる立場となっても。

フェレンス本人がそれを受け入れようとしなかった事を知っている。

それが、ある日をさかいに一変した。
フェレンスと、その友人の間に何があったのか。
当時からずっと気に掛かっていたのだ。

しかし、触れてはいけない気がして ... ... 

契約者の精神だけでは神化のかてとして不十分である事。
意志の共有が可能、つ、精神を補完するに強靭きょうじんな魂との融合が不可欠である事。
理由は様々と、あらかじめ聞かされてはいたものの。

なおかいせぬ。

もしや ... 他言を許されぬ思惑しわくが三者を結んでいるのではないかと。
そこまで推測すいそくしてから、アレセルはいつも考える事をやめてしまうのだ。
フェレンスの背後から立ち去り、グラスにワインをそそしていると、手が震える。

「アレセル ... .. 何度も言うが。 彼は友人だ」

何を考えているかも、見透かされているよう。

どうせなら、何故なぜこれまでたずねようとしなかったのかまで察して欲しかった。
切な気な表情で振り向いたアレセルは、こう返す。

「では ... 貴方様のおっしゃる〈ご友人〉でこそ融合可能な ... ノ騎士は ... ?」

「 ... ... ... ...  」

何を考えているのだろう。
フェレンスは黙り込んでしまった。
まぶたせ気味に、自らの手元を見つめながら。

アレセルもまた、同じようにして思う。
やはり、聞いてはいけなかったのだと。

 
   天命をまっとうせずして現世を彷徨さまよう魂のしろ
   亡国の末裔が負った影には幾千の霊が宿り眠る。

   その筆頭たる騎士霊が、時に影を抜け出しフェレンスの後ろ姿を見つめ。

   やがて自らのかぶとを脱ぎ、ひたいや口元をおおう布を緩めたのち
    おもてあらわにしてたたずむ姿が彷彿ほうふつとした。


いつぞや見た光景の意味する事柄が、彼の不安をよりあおるのだ。

まことの騎士の儀礼において。
刀礼に先立ち鎧をまとって以降。
おもてさらす事を許されるのは、親族、
あるいは心よりしたう者と過ごす場合のみとされている。

つまり ... ...

故国・シャンテの英雄と伝えられる、竜騎士・グウィン。
彼はまぎれもなく、主君たるフェレンスを ... ...

 ――― 特別な意味でしたっている ... ...

あの、うつろでいて、そこはかとなく情欲をたたえた眼差しを見かけた時から。
何となく、そんな気はしていたが。思い過ごしであって欲しいと願っていたのに。


気付いて、はじめて納得する話。


異端ノ魔導師の友人でいたかっただけという男が、どうしてこう、過剰かじょうに痛み入るのか。
自身をかえりみず、鋼鉄の扉を叩き続ける様も尋常じんじょうではないと感じる。

ある男はつぶやいた。

「まさか、身内の人間が取りかれるとはな ... ... 」

開放された随行員を保護する軍警の、とある施設にて。

〈 ガン! ガン! ガタガタ ... !!  ガ ン!! 〉

力の限りにこぶしの横を叩きつけ、見取りの鉄格子てつごうしを揺さぶっては肩の側面で押す音。
扉の向こうで荒ぶる若者のうったえを、静観していると。彼は叫んだ。

「フェレンス!! フェレンスは何処どこだ!? ふざけんなよ テメー !!
 フェレンスに会わせろ!! さもねぇと、その首っ切るぞ! フォルカーツェ!!」

れ上がり黒ずんだ皮膚が血をにじませようとも、彼は抗議を止めない。
あきれて、答えてやる気も失せるようだが。
相変わらずの低俗な口振りが気に入らず、男は返した。

「 フム ... 見限られた分際で性懲しょうこりもせず、恥をさらすつもりか?
 それも、実の兄に対して。逆恨みも良いところだな」

「 ... 何だと!?」

格子こうしの手前からにらめば、通路のずっと奥から差す灯火に男の長い髪が照らしだされ。
赤々と、燃えるように揺れる。

アレセルが取り引きをした男と同一である。

「親父の不審な事故死に異議申し立てもしなかったテメーが言うのかよ」

うらまれて当然だとでも言いたいのか?
 反抗する相手に面倒見られる分際で、辛々からがら生き延びておきながら ... よくも。
 無事、任を解かれ処分をまぬれただけでも、少しは有り難いと思ったらどうだ」

「笑わせんな ... そもそも、フェレンスに処分を喰らわせるなんざ、
 テメーの側のおえらいが墓穴掘るだけじゃねーか」

「馬鹿が。議員の引責など取るに足らぬ。むしろ、それで済めば幸い。
 それもこれも、お前がここで大人しくしている事が条件であると知れ」

聞くとカーツェルは怪訝けげんな顔をする。

「俺が ... ?」
「枢機卿の姿を見なかったのか?」
「ああ、そんな奴もいたな ... けど、それがどうした」

カーツェルの汗ばんだ肌と目元の黒ずみを見れば、
意識を失う以前よりも状態が悪化していると分かる。
フォルカーツェ ... そう呼ばれた男は言った。

「複合錬金の認可取り消しを働きかけ、あまつさえ、
 魔導兵のうつわたるお前と、あの魔導師が交わした契約の無効化をねらっていた ... ...
 連中はすでに、〈禁断の翠玉碑エメラルド・タブレット〉の所在をつかんでいるのやもしれん」

鳩尾みぞおちこぶしで潰されるような圧迫感。
不安が身体からだ節々ふしぶしを硬め、動けなくなる。
カーツェルは、事の深刻さに気付かされ愕然がくぜんとした。

すると、彼の兄が言葉を加える。

「カーツェル ... お前が私の忠告など聞くわけはないな。
 だが承知の上、あえて言わせてもらうが。
 異端ノ魔導師とは、金輪際こんりんざい、関わるな ... ... 
 連中に有益な情報をくれてやる代わりに魔導兵と術者のきずなてと、
 そのように要求した何者かがいるのであれば。
 恐らく、そいつは ... 我々われわれですら足元にもおよばないような〈化物バケモノ〉だ ... ... 」

もし、そうであるなら。

フェレンスは、枢機卿の背後に〈ヤツ〉の気配を感じ取ったに違いない。
白百合のような装束をまとリンと立つ ... いつかの幻を連想して、言葉を失う。

押し黙ったカーツェルは、フラフラ と壁際まで引き下がり、力無くこしを落とした。

これ以上、話すことは無い。

静かにその場を去ったフォルカーツェが、再びおとずれたのは二日後の事。
施設からの要請を受け、向かった。

打ち抜かれた壁の一部と共に外へと飛び散った明り取りを確認し、足元を見れば。
彼の座っていた場所に残る痛ましい爪痕と血染み。

爆音を聴いて駆けつけた時。一室はすでもぬけからだったという。

予想通りではあった。明日には大々的に報道されることだろう。

「あいつも、少しは察するようになったか ... ... 」

今後、異端ノ魔導師が公式の辞令を受けることは無い。
みかどノ血を枢機卿に渡さぬ代わりに呈示ていじした条件通り、帝都を去ってもらう。

カーツェルは無理にでも付き添うつもりだろう。
だがそのためには ... 公爵家子息、そして、軍士の肩書きを置いて行ってもらわねば。

そう彼は、逃亡の主犯になる覚悟を決め、去ったのである。
 
 
 
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