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第二章◆霧ノ病
霧ノ病~Ⅸ
しおりを挟む憂慮を余所に。
彼の魔導師は、眈々として言い放つ。
――― 嘆きの炎と魂の融合 ...
〈 Fusion de la llama del dolor y del alma ... 〉
卓越した器に宿る精神を糧とし、降臨せよ ... ... !
〈 Usa el espiritu que mora en la vasija excelente y suelta ... ... ! 》
緊迫する空気が無音を錯覚させた。
フェレンスの指揮を読む支柱が共鳴し。
内なるオーロラを震わせながら膨張する過程において。
発動する... 〈魔法陣複合総体〉 ... ...
数え切れない魔法陣を同時展開した義球は、魔導兵の第二の心臓とも言えるだろう。
渦巻く蒼き火柱のもとに跪く魔人は、
銀白の鬣を振り払い、尖鋭たる眼光を発す。
白い肌に生じた亀裂が溶岩のように赤黒い血肉を見せ。
その上を氷鱗が追従したうえ霜を散らすと。
再変成された着衣が魔青鋼の鎧に変じて肉体を覆っていった。
斯くして目覚める。
〈戦神〉 ... ...
彼こそは、神の意識の一部を司りし闘争心の具現。
神化を経て再生誕を果たしたカーツェルは、
黒騎士の装いで主の前に降り立ち、霹靂の差す槍を振り翳した。
精神を形成する心理のそれぞれは、神の意識において〈格〉たる神々へと通じる。
亡国の民は、その扉と鍵を開示し操る禁断の技を得てして、彼ノ尊と対峙したのだ。
散り々になった意識を辛うじて繋ぎ留めながら見る ... 戦神の姿。
それも、やがては薄れゆく。
若者は微動だにせぬまま。
血溜まりに沈みかけの瞳から、光が失われていく次第、
妹を愛す兄としての自我もまた ... 崩れ落ちていくかのよう。
何者かが言う。
「ルーウィル ... 彼はね? 自分があの娘の兄でさえなければ、
彼女が自らの身体を辱めてまで金銭を得る必要はかった ...
そう言って、己の無力さに絶望していたんだよ ... 」
心穏やかだった若者に根ざした絶望は彼を境地へと誘い。
虚構を操る力を授けた。
「だから僕は、彼にこう教えてあげたんだ。 〈絶望によって開かれる世界もある〉と ... 」
亜空間に満ちる血潮の波間に降り、つま先を浸す、その者の名は。
「初皇帝・ユリアヌス ... ... 」
フェレンスは彼を知っていた。
「やはり貴方だったか ... ... 」
清純を湛える浅葱色の瞳。
白く透けるような衣を幾重か着流すは、
膝に届く金髪の先を払い、佇む男。
彼は応える。
「やあ ... 久しぶりだね、フェレンス。
何処へ行ってしまったのかと、随分と探したよ。
けど、まさか。こんな世界に居たなんてね。意外だな ... ... 」
「探した? おかしなことを言う。
シャンテの中枢から私を排除したのは他でもない、貴方では」
「それは君が、僕を拒絶したりするから ... ...
でも、永久追放するつもりは無なかったんだ。
だからこうして、わざわざ迎えに来てあげたんだよ? 分かってくれるかい?」
「 ... ... ... 」
研ぎ澄まされる視線。
フェレンスの返事は無かったが、分からんでもない。
「やれやれ。〈冗談を抜かすな〉とでも言いたげだね。僕は本気なんだけどな。
さて。それはそうと、フェレンス ... 見違えたじゃないか。
数世紀でまた、一段と美しい顔立ちになったね」
一瞬にして姿を消すなり、頬に触れる掌。
「可愛いらしい姿をしていたのに。
〈硝子ノ宮〉を出て成長してしまったんだね。
こんなに色気付いた血の香は初めてだよ ... 何を悲しんでいるのかな ... ?」
血に浸る羽織りの裾を持ち上げ、腰回りを寄せる腕。
「ねぇ、フェレンス ... 」
続けて、彼は囁いた。
「あの竜騎士を殺してしまったコト ... まだ怒っているのかい ... ?」
だが、竜騎士と聞くなり杖の柄を払い背後の幻を斬る。
転移し距離を置く虚像は語気を強めた。
「殺すつもりなんて無かったのに。抗ったりするからだ。
シャンテの一族も、あの竜騎士もね ... ... 」
そして消える。
幻を捉えるべく、体制を切り替えるも。
打ち寄せる血潮に阻まれた。
「けど呆れるよ。堕落したシャンテの魂なんか、後生大事に影に収めて。
罪滅ぼしの肩代わりでもしてあげるつもりかい?」
長い時を経ているようでいて、隔たりを感じさせぬ会話。
気配を探り見渡すフェレンスは、
速やかに自らの意識回路を開き、干渉経路を辿った。
義球を蝕む禁印は全て弾き出す。
尊の奇襲を防ぐため。
すると、配下たる黒騎士が敵意を剥き出して目を据える。
干渉を免れ立ち返る主を背に。
「〈神格〉の高が一部に過ぎない戦神ごとき 。
魂魄の大多数を練り上げ召喚したところで、僕には敵わない。
君なら分かっているはずじゃないか、フェレンス ... !」
涼やかな声を喉の奥に這わせ、唸るように彼は言う。
が、フェレンスは動じない。
「果たしてそうだろうか。この境界において、貴方に敵う必要など無いのに」
すると、思いも寄らぬ言葉が発せられた。
「 ... ... ... 。フフ ... ハハハ ... ... そう。そうだね。その通り。
君は本当に賢いな。気が付いていたんだね。
さすがはシャンテの中枢を司る〈記憶の番人〉 ... ...
〈禁断ノ翠玉碑〉に記されし神術の賜物。
賢者ノ詩篇を詠み解く〈錬生体〉... 」
初耳である。
黒騎士は息を飲んだ。
フェレンスの触れたがらない過去を曝け出す。
男の言葉は、カーツェルの動揺を誘っているかのよう。
「あたかも私の友人であったかのような口振りはよしてもらおうか」
「ああ、分かるよフェレンス。
君はつまり、今、目の前にいる友人だけは守りたいと考えているんだ。
けれど、それだけは叶わぬ望みだということを分かって欲しいな。だって、無理じゃないか」
「無理 ? 神の意識を彷徨う要塞に囚われた貴方は、
虚無の種から生じる魔物と同調し、操ることでしか力を振るえないはず。恐れるに値せん ... !」
強く言い放ったフェレンスは、戦神を従えると共に戦闘体勢に入る。
戦神が招来したのは、蒼き雷の巨槍。
操られた魔物を倒し、彼ノ尊、復活の道を永久に封じるつもりであった。
ところが。
「うん ... そうじゃなくてね、フェレンス。僕は、こう言いたいんだよ」
諭す声が、脳裏を駆け巡り。
神化体の背に差す後光の端々から、黄金の炎が放たれた時。
「君の傍にいて付き従うだけの 〈器〉 ... そう、彼では所詮、僕の代わりになどならない ... ... 」
目を覚ましてあげようか... ?
白装束の袖先を払う 細い手が、フェレンスの意識を奪い去る。
霧ノ病に侵され... 無欲に陥った彼ノ尊は、
霊薬により補完されたはずの精神 ... つまりは、自身の心を砕き、神化を成し遂げたのである。
安寧に不必要な思念の全てを糧に。
『虚栄心、懐疑心、嫉妬心 ... 憎悪を生む、あらゆる概念を神の意識から一掃するんだ』
新世界の創造を宣言した彼は、こうも述べたという。
――― 愛する人々に幸福を齎しめるのに、世界が正常である必要はない ... ...
狂った世界であろうとも。
それが当然であり、幸せと思える人々でさえあるならば ... 〈絶対秩序〉は成り立つと。
彼は、神の意識の彼方を彷徨う虜の身。
彼は、世界中に蒔かれた虚無の種が芽吹くのを待っている。
彼は、〈霧ノ病〉に侵されたのではない。
むしろ利用し、神の意識を支配しようとしているのだ。
それが真実 ... ...
フェレンスは全てを知っていた。
だが、人々に知らせるわけにはいかなかった。
当然のように、一般の民は無関係。
信じようが信じまいが、混乱が生じれば手間が増すだけ。
賢き者は、知らされずとも暴き出す。
人によっては利用し、更なる混乱を招きかねない。
後者に至っては、招かれざる客に等しく、
他人の足を引っ張りたがるのだから、むしろ迷惑と言うか。
しかし、今回ばかりは別の話 ... ... と、カーツェルは思った。
折を見て、回帰した境界の下に集う兵士と役人。
連中はクロイツの指示に従い二人を包囲する。
傷だらけの上半身を屈め、地面に蹲るカーツェルの背後に立ったのはクロイツ。
「公会議において、本日下された最終審判に基づく達しだ。聴け ... 」
すると、横から一歩前に出たノシュウェルが手配書を読み上げる。
「帝国軍、高等錬金術師団所属、特務士官... フェレンス・C・ウェルトリッヒ 。
貴殿に限られた複合錬金の特例的認可は、本日正午をもって解消された。
よって、それらの一巻である〈境界創設〉と〈魔導兵召喚〉は神聖なる賢者の
齎した聖碑の制約に反するものであり。異端の罪に該当する。
なお、本会議では、軍法規に乗っ取り起訴、裁判を執り行うことが決定済みである。
ひいては。この手配書を以て、担当監視官に身柄拘束の権限を与えたる旨、
ここに通達する。... 貴殿には軍法規に従う義務が有り ――― 」
聴くのもうんざりだ。
「もういい ... ... 」
力のない声で遮ったのはカーツェル。
「ああ ... 申し訳ないが、従者殿は口を挟まないでもらいたい ... 」
「いや、それよりさ ... ... 」
「おいおい、聞いてくれ ... 」
「テメーこそ聞けよ!! もういいっつってんだろーが!!」
逆ギレか。
ノシュウェルは、書簡を持つ手をダラリと下ろして言う。
クロイツを始め一同は、そこでようやく気付いたらしいのだ。
「今のコイツに返事なんか出来ねーから ... ...
もういいって ... だから ... ... 」
彼の肩が、声が、震えている。
「お前らこそ、きっちり仕事してーなら早く ...
... 早く!! コイツを助けてくれよ ... ... !!」
振り向くカーツェルは、涙ながらに訴えた。
「罪状なんて、もう、どうだっていい! 好きにすりゃいいだろ!!
けど、今だけでいい ... 今だけでいいから ... 助けてくれ ... ... !」
傷だらけの身体の向こうでカーツェルが抱きかかえていたのは、
意識を失い、氷のように冷え切った顔色をしているフェレンスだった。
「ノシュウェル。至急、護送用に手配した多頭引き大型馬車をここへ」
「 ... ... は!」
急いで信号を送れ。
結界の見張りでいい。
知らせるんだ。
慌ただしく動く兵士らを余所に、クロイツは半ば立ち尽くし。
号泣する執事と ... その主に目を見張る。
瀕死と見て取れた。
凍っているのか ... ? いや ... 魔力を使い果たして死にかけているのか ... ...
「よもや 、禁呪の使い手の命を脅かすとは。
秘密裏に魔物を研究していた医師の悪行も、責めてばかりもおられんのだな ... 」
知っていた。
そんな事は知っていた。
若い頃から大人びていたフェレンス。彼は、人の何十倍もの寿命を持つ特異的生体。
そんな彼ですら、言い躊躇う脅威が ... 世界の何処かに存在している。
負けるつもりなんかなかった彼にとっては、それを人々に警告する必要など無かった。
分かっていたのだ。
なのに、何にもならなかった。
甘えていたのだ。
過信したのだ。
偉大なる帝国魔導師が心の奥底に沈め、直隠した〈弱さ〉にも気付いてやれずに。
俺のせいだ ... 俺のせいだ ...
心の支えにもなってやれない。
俺のせいだ ... ...
主人の懐で泣き崩れる。
そんな下僕の姿は、とても見ていられない。
その場に居た誰もが、そう感じたと言う。
実際問題にして。
異端ノ魔導師が屈した... ... ... ...
その現実は、人々を震撼させるに有り余る衝撃を伴った。
増してカーツェルは、第一の友人。
降る雪も ... 吹く風も ... 鎭まり、穏やかだった。
それでいて、どこか切なげに。
境界の痕跡が含むオーロラの傍を、彷徨うようでもある。
フェレンスの左目元には、蒼火が沈着して残った。
弱々しく名を呼び続けるカーツェルは、
その後、数日間に渡って食事すらせずに ... 彼の目覚めを待ち続けたそう。
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