【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

第二章◆霧ノ病

霧ノ病～Ⅵ

　
　
　
〈異変〉が生じたのは、いつ頃か。
医師の身体からだは既すでに、原型を留とどめていない。

膨張ぼうちょうする。
肩、腕の筋肉。

土気色の粉を噴ふく皮膚が罅ヒビ割れ、裂けるごとに突き出す鋼板こうはんのような鱗うろこ。

ﾋﾞﾁｬﾋﾞﾁｬ と ... どす黒い体液を撒まき散らしながら肥大していく。
奇怪な生体を見上げながら、カーツェルは呟つぶやいた。

「 ... フェレンス ... 」

本来ならば、片時も傍そばを離れるべきではなかった ...　
自身の主あるじたる者の名を ... ...


冷え込みを増す大気。


寒気と違和感を覚え、ノシュウェルは丘を振り向いた。
住民の避難誘導に工舎こうしゃ地帯まで向かう隊員が、馬を走らせ
急勾配きゅうこうばいを駆け上る姿が、岩陰の合間にチラホラと確認できる。

異端ノ魔導師は既すでに、現場付近で〈境界〉の敷地を確保しているはずだ。

「巻き込まれるなよ ... 」

令を下した部下の無事の帰還を祈りつつ。
彼は、付近に積まれた物資を次々と開いていく作業員に目を配って歩いた。

取り出されたのは、金、銀の装飾と共に、印の掘り記しるされたミスリルの杭くい。
手際よく丘の裾野すそのに配備されていく中。
厳重に封印された金縁きんぶちの箱型鞄トランクを目にした折り。

胸の階級章を外し携たずさえたノシュウェルは、厳おごそかにそれを翳かざす。

魔術的な文様の中心に、国章である菱ひし十字が描かれている。
その封を解けるのは扱あつかいを許可された隊、指揮官のみ。

印を連つらねたコードが投映され、呼応して開く。
姿を現あらわしたのは、真紅の魔石。

マーキスカットを施ほどこされたそれは、妖艶ようえんに輝き。
手に取った彼は、暫しばしの間あいだ見入る。
だが直ぐに気を取り直し、足早に杭くいの設置場所へと向かった。

続いて兵士の数名が石を取り、各所に散る。
それはまるで、街灯に火を燈ともしていくかのような作業。

男達の身長を超こえる杭の腹に収められていく魔石は、
フッ ... と吸い込まれるようにして装置の中に浮き上がる。
すると、カットの表面にあるツイストラインに沿そって回転し、
杭に対し魔力を供給しはじめるのだ。

さあ、これで装置の起動作業は終了した。
しかし法を展開するには、まだ早い。

仕事へ出掛けた鉱夫たちの避難完了まで、あとどれ程ほどかかるだろう。
ザワザワと ... 嵐を予感する木々のように。
ノシュウェルの胸は張り詰めていた。


見上げれば、雲が... 雷いかずちを帯おびて唸うなる。


時を同じくして。窓際に立つクロイツは、
雲間を走る閃光を眺めながら、とある人物と対話した。

「ああ。手筈てはずは整っている。気遣い無用だ。　ﾌﾌ ... お前こそ ... ... 」

古風な受話器を模もす通信機器を手に、微笑する監視官。
「フェレンスを拘束されて不自由するのは奴等やつらの方だからな。
　精々せいぜい、報復ほうふくの矛先ほこさきが行き違わぬよう見張れ」
相手は誰なのか、主題すら明確ではないが。
「うむ。そうだな。お前が私の策さくに乗るなど思いも寄らなかった ... 」
異端ノ魔導師を巡めぐるやり取りであることは察するに容易ようい。
「 ｸｸｸ ... フェレンスに会えないのがそんなに辛いか？」
鈍にぶく光るは、策士の瞳。

話の締め括くくりに口元を釣り上げ、ﾆﾔﾆﾔ と笑いながらクロイツは言った。

「そう急せくな。上手い具合に〈奴等〉を誘い込めたら、
　直ぐにでも引き会わせてやる。お前の、愛しのフェレンスにな ... ... 」


今はまだ、姿を見せぬ役者が一人、
また一人と、舞台袖そでの暗闇に出揃でそろい始めているようだった。


そんな最中さなか、戦線に立つ。

靴裏を擦すりながら後退あとずさり。
身構え、呼吸を鎮しずめ。

腰こしの後ろに手を伸ばしたカーツェルは、ベルトに固定した護身用のダガーと
指先程の弾丸 ... ではなく。金属で口の閉じられた硝子ガラス製の魔導莢まどうきょうを
同時に抜き取ると、素早くダガーの柄えに装填そうてんした。

肥大していく魔物は幾いくつもの頭角で医院の天井を引っ掻かいては突き上げ、荒あらぶる。
振動し軋きしむ建材。耳を疑う奇怪な唸うなり。
ただならぬ物音に、逃げ惑まどう施設関係者。

日常的に閑散かんさんとし、患者も少なく、別棟が主な入院施設という構造も幸いしたのだろう。
診察室付近から一切の人の気配を感じなくなるまで、そう時間はかからなかった。
避難を呼びかけるまでもない。

彼は、目の前の魔物に集中し、出方を待った。

すると、喉元のどもとまで並ぶ牙きばを剥むき出して、
額と両の顳こめかみに位置した赤いガラス球のような瞳を見開いたソレが、襲い来る。

... 刹那せつな。

空くうを斬きるカーツェルの手元から、風刃ふうじんが放たれた。
装填された魔導莢まどうきょうの効力である。

一室から駆け出し、柱ごと壁面を刻んで魔物の行手を阻はばむ。
魔物が突き上げた天井から崩落していく医院。
ところが、下敷きになっても安々やすやすと瓦礫がれきを吹き飛ばす脅威の生命体は、
壁を打ち砕きながら追い迫せまった。

ﾊｯ ... ! ﾊｧ ... ... !

呼吸を短く切って駆け抜ける。
壁の表面を横に走る亀裂と並び。

遂ついには、追い抜いたそれが停止した瞬間。
彼は目を見張り、息を飲んだ。

〈 ﾋﾞｼ ｯ ... ... ！ 〉

直後の歪ひずみで建物全体に生じる割れ目。
零 , ゼロ・コンマ数秒の静止画。

石壁の塗材がパキパキと剥はがれ落ちるのを視界の端はしに見ながら。

一歩、二歩。

強く踏み込み身を低くしたカーツェルは、天井が大きく沈んだ拍子、
窓ガラスが一斉に砕け散ったのと同時に窓の外へ向かい飛び出した。

〈 ｶﾞｼｬ ーーーー ﾝ !!  ﾄﾞﾄﾞﾄﾞ..　ｺﾞｺﾞｺﾞｺﾞ... !! 〉

医院が半壊する。

その光景を外庭で見ていた膨ふくよかな患者は、放心状態で口を開けたまま。 
一目散に逃げだす看護師らを他所よそに、取り残されてしまっていた。
だが、崩れ落ちた医院の一角が再び吹き飛ぶのを目撃し、
ようやっと気を取り戻した様子で。
彼女は奇声を上げながら飛ぶように、その場を走り去って行く。

更に、また一方では。
飛び散った瓦礫がれきが、雨のように降ろうとしていた。

その真下を通りかかった鉱夫の、悲惨な局面。
驚愕し目を剥むいて空を仰あおぐ、彼は祈った。

「ぁああぁぁぁ ... 神様ぁ、神様ぁ、神様ぁ、神様ぁぁ... 」

壁が降ってくる。
マジ あり得えん。　

ﾑﾘ　ﾑﾘ　ﾑﾘ　!!　死ぬぅぅ ... ... !!

終いには声にすらならない。
絶望し、真上から差す瓦礫がれきの影の中心でへたり込んでしまう鉱夫だったが。
彼は、幸いにも命を救われた。 

医院の窓から飛び出し、丁度その場に居合わせたカーツェルが
彼を軽々と担かつぎ上げ、素早く離脱したのだ。

肩口で風を切り瓦礫の波と雨を回避しつつ、
一歩 々 、滑り込むように地を踏み。
時としてに宙へと躍おどり出て。

一蹴りで建物を悠々ゆうゆう飛び越える。
その姿は、魔導師の錬金符を身に宿し空中戦を得意とする、
帝国軍遊撃隊・槍兵そうへいを彷彿ほうふつとさせた。

助けられた鉱夫は、とある工舎の屋上に下ろされたところで
直様すぐさまに礼を言おうと口を開きかけるが。
脱力し膝ひざをついたカーツェルの姿を見て、上ずり声を喉のどに詰つまらせてしまう。

「 ﾋｨ ｯ ... ... ! 」

ガクガクと震え、ようやっと言葉を絞しぼり出す男。

「だだ だ ...  大丈夫なのか ... あんた ... それ ... 」

だが、それはもう突拍子とっぴょうしもない質問に変わってしまっていた。
鉱夫の視線の先には、カーツェルの腕。
白いシャツの両袖が疎まばらに血で染まっている。

「今すぐに、ここを立ち去れ。 フェレンスの ... 
　〈異端ノ魔導師〉の境界に迷い込んで、凍え死にたくなければな ... 」

苦しげに吐き出される息。
警告を聞いた男は、顔面蒼白となってカーツェルと距離を置いた。
そして、礼を言うのも忘れて逃げ出す。

無理もないのだ。

突如とつじょとして医院に現れた魔物キメラ。身に降り掛かる災難。
立て続けに異端ノ魔導師などと聞かされたのでは。

冗談じゃない ... !!　異端ノ魔導師と言ったら、
敵も味方も一括ひとくくりにして戦線を鎮しずめるって、人的災害の代名詞じゃないか ... !!

半ば工舎の外階段を飛び降りた男は、遠くに人影を見つけて声を上げた。

「助けてくれ！！ 頼む！！」　

血の滴したたる腕をぶら下げ ﾕﾗﾘ と立ち上がったカーツェルは、
男の行く先に帝国軍の制服を見かけ、確信する。

「やっぱりな ... フェレンス。どうやら アイツ が、お前を裏切ったらしいぜ ... 」

カーツェルの視線に気付いて物陰に消える。あれはクロイツの取り巻き。
以前から、軍に属す者と見受けられる動作を、多々目にすることがあった輩やからだ。

鳴なりりを潜ひそめて住民の誘導に当っているところを見ると、
魔物キメラ討伐に際さいしては魔導師の支援を原則とする ... といった軍の規律に従したがう気は無いよう。

「帝都の公会議が終決したんだ ... ... 結果が見て取れる」

恐らくは、フェレンスの扱う〈複合錬金〉の認可を取り消されてしまったのだ。

「あの野郎 ... クロイツとつるんで、お前の身柄を拘束するつもりなんだ。
　腐りきった帝国に与くみする奴なんか、どいつもこいつも
　泥沼に首まで浸つかって気狂い起こしてるってのに。
　お前、アイツのこと信頼してるとか抜ぬかしてたよな ?
　俺の忠告を無視してド壷ツボに嵌はまる気分はどうだ？」

それ見たことか ... とでも言わんばかり。

独り言のように彼は話した。
その間あいだ、シャツの前端まえはしを掴つかみ、ボタンの縫い止めをブチブチと引き破り。

息を荒らげ。

「エリート審問官だか何だか知らねーが。あんな小僧クソガキ ... 」

 奥歯を噛み締め、カーツェルは更に言いかける。
しかし、この町の何処どこかで光の弓を引いく、フェレンスの囁ささやきに遮さえぎられた。

―――『否決の流れは予感していた ... ...　
　　　　 だが、彼の意図するものであるかどうかは、まだ分からないだろう？』

放たれた矢が工舎地帯上空を切り裂いて、カーツェルの目に触れた瞬間の事だ。
鳥へと変じたそれと、繋がる視線。

青光せいこう、纏まとい長尾ながお、棚引たなびく。
カーツェルの頭上を旋回する幻まぼろしは意思疎通そつうの中継を務つとめた。


片かたや紫紺しこんのローブに袖そでを通し、
大振りのストールをフード代わりにして肩に巻きながら、フェレンスは言う。

　―――『いい機会だ。企くわだてに乗じょうじ彼の話しを聞きに帝都へ戻るのも、悪く無い』

すると、鳥を目で追うカーツェルが言い改あらためた。

「おやおや ... この期ごに及んでもなお、
　あのような 童 如わっぱごときを庇かばい立てなさるとは、嘆なげかわしい」

されど不機嫌を隠そうとはしない。
解ほどけたタイを襟えりから抜き取り、彼は歩き出す。

血に染まったシャツを吹き込む風の中に脱ぬぎ捨てると。
生々しく残る傷痕が痣あざのように色濃く浮かび上がり、
更にジワジワと開いて ... 血を滲にじませた。

フェレンスは再び馬に跨またがって、言葉を返す。

「文句や泣き言は、私の言い付けを守れるようになってからにしてもらいたい。
　許可無く傍そばを離れるなと、日頃から言い聞かせてきたはずだ。
　背そむいたうえ危あやうく壁の下敷きになりかけたのは
　何処どこの誰どいつだ？ それでも私の専任か？」

「お言葉ですが、旦那様。下敷きになりかけたのは私わたくしでは御座ございません」
『私が予あらかじめ、お前の半覚醒を促うながしていなかったら？』
「 ... ... ... 」

悔くやしいが、反論できなかった。

何 ﾀﾞｮ  ｺｲﾂ ... 怒 ｯ ﾃ ﾝ ﾉ  ... ?　

聴かれぬよう小声で愚痴ったつもりだが、筒抜つつぬけ。

『茶化すんじゃない ... 』

幻まぼろしのくせに、上空から威圧的にフェレンスの言葉を浴びせてくる鳥。
ムカついたので視線を逸そらすと、可愛げに不貞腐ふてくされたって無駄だと一喝いっかつされてしまう。

そもそも血だらけで何を言っているのかと。

フェレンスからしてみれば、予感が的中して良かったのか悪かったのか。
近くに居なかったので、こうするしかなかったが。
思いを巡めぐらせながら、携えた法儀球ほうぎきゅうを前方に放ち、彼は飛んだ。

その向うは断崖絶壁だんがいぜっぺき。

急停止する馬を残し、ストールを羽衣はごろもに換かえて羽ばたく。

眼下に望むは、白岩しらいわの渓谷けいこく。

かつて、シャンテの都を建築するにあたり、深く深く、切り込まれ。
廃坑となった現在も、坑道は昔のまま。残されているらしいが。

これだけの空間が確保できるのであれば、それが縦方向であろうと支障は無い。
境界を敷しくのに人や建物を巻き込まずに済むのであれば、
ここ以外の場所は考えられなかった。

ただ、一つだけ問題がある。

あのカーツェルが、潔いさぎよく飛んでくれるかどうかだ ... ...

炭鉱企業の工舎は渓谷沿ぞいに並び。巨大な滑車を有ゆうする。
分岐装置の切り替えによって、それぞれの坑道から貨車ごと荷を引き上げるためだ。
カーツェルの居る位置からなら、工舎地帯郊外を迂回うかいするより、
公舎を跨またいで飛び降りてくれたほうが遥はるかに近いはずなのだ。

魔物キメラを誘おびき出すなら、断然こちら側。

フェレンスは心を決め、近くを浮遊する儀球ぎきゅうを手元に呼び戻した。

そして言う。

「止やむを得えん ... 勝手に傍そばを離れた罰ばつとでも思ってもらおう」

その言葉を耳にしたカーツェルは、もう、嫌な予感しかしない。

お前は飛ぶことが出来ないのだから、当然、普通に落ちて行くだろう。
備そなえてやりたいが私は境界を敷しくのに ... ... ｳﾝﾀﾗ ｶﾝﾀﾗ 。
何やらブツブツ言っているのが聞こえるが。

お待ち下さい、旦那様。

「いったい何の話で御座ございましょう ... 」

出来れば聴かなかったことにしたかった。
だが、その時だ。
フェレンスの携たずさえた儀球がひび割れ、散る。

〈 ﾄﾞｸﾝ...  〉

「 ... !? 」

カーツェルの意志に反して、高鳴る鼓動。

嫌がると分かっていて、強行するつもりか... !?

聞くまでもなく。
何をどうしたいのかは、先程の訳の分からない話の下りでも粗方あらかた想像がついてしまう。
抗あらがったところで仕方がない。

とんだ主人の横暴おうぼうだが。
カーツェルは腹を括くくった。

唇くちびるを噛み締めて胸元に爪つめを立てる ... と、
血の滴したたる腕の傷に蒼火あおびが宿り。
焼き焦こがすように皮膚を裂さきながら、
印文いんもんを模かたどる傷跡を辿たどって腕うでを這はい登る。

蒼火はいつしか彼の胸に達し、心臓を刳えぐり出した。

〈 ﾄﾞｸﾝ ... ! 〉

息が詰まる程に強く打ち付ける脈みゃく。
だが、胸を裂かれる苦痛とは裏腹に ... 高揚する。
カーツェル呻うめいた。

「... フェレンス... 嗚呼ああ... ... 」

ポタポタと流れ落ちて止まなかった血が、瞬く間に乾き、気化するかのように散る。
駆り立てられ上気し、カーツェルは身を反そらして咆哮ほうこうした。


〈 ｳﾞ ｵﾞｵﾞｵﾞｵﾞｵﾞｵﾞｵﾞ　ｫｫｫ... !!!! 〉


「さあ、跪ひざまずけ。 ... この関係を望んだのは、お前だろう？ カーツェル ... 」

憂うれう瞳を伏せて囁ささやく。
先頃とは一変して ... フェレンスの声は悲しげだった。


散り々になった儀球の欠片かけらは、崩したパズルのように拡散かくさんし。
幾いくつもの魔法陣となって術者を囲かこう。

一部は歯車のように結びつき。
また一部は複製と相対を繰り返した後のちに結合。

義球内部を流れ星のように行き交う印しるしは時に表を返し、四方に紡つむがれた。

この複雑怪奇ふくざつかいきな魔法陣は、複合錬金における回路基板。
カーツェルの古傷を這はう蒼火は、楔くさびの発動を意味した。


　　　楔くさびの法 ... それは、魔導兵を召喚するにあたり、
　　　契約者を相応ふさわしき器うつわに換かえる。

　　　術者に命を捧げると誓った者の潜在能力を引き出し、
　　　何倍にも増幅させる覚醒段階に施ほどこされるのが主おも。

　　　つまりは、契約者の身体からだに刻きざまれた法ノ枷かせを通じ。
　　　力の暴走を防ぎつつ、制御せいぎょするための呪縛じゅばくである。

　　　また、文字通り。

　　　互たがいの心身を強く結び付けることによって。
　　　己おのが全てを召喚の糧かてとし捧ささげる事となる、契約者の魂に限り。
　　　術者の保護下に置く役割もあるとされている。


――― 覚醒かくせいせよ ... ...
　　　〈Despierta la habilidad ... ... 〉 

フェレンスの命が下ると共に、進化していく生体。

カーツェルの腕うでの傷が発する蒼火は冷気を伴ともない、やがて彼の心臓を凍らせる。
だが、鼓動を失っても彼の発する狂気的な唸うなりは止まない。

失われし ... 禁断ノ翠玉碑エメラルド・タブレットに記された異端の法。

複合錬金・覚醒術。

一個の生命体を人為的に変異させる、その技わざは、
故意に魔物を創り出すも同義であることから、異端の並びに属する。

認可も無く施行しこうすれば、謀反むほんと見做みなされるのだ。

フェレンスの拘束こうそくを望んでいたクロイツの狙いはそこにある。
だが、本来であるなら認可が取り消されることなど有り得えなかった。
何故なぜならば。フェレンスの後楯うしろだてには、とある権力者がいたからだ。

クロイツの対話相手と、カーツェルの言うアイツとは、共通の人物に他ならない。
フェレンスは裏切られたのか。それとも ... ... 

疑惑の背景で、轟音ごうおんと共に半壊した医院の残骸ざんがいが、土煙を上げながら蠢うごめいた。

カーツェルの放はなった風刃には行動を制限する作用も含ふくまれていた模様。
所謂いわゆる、呪いである。
鈍にぶい動きで、とうとう、その薄気味悪い姿を晒さらす魔物。
だが、それはまだ変異半なかばと思わしき形態。

ノロノロと中途半端な反撃を見せるも、実にわざとらしいと感じた。
狙いは何か。見え透すいている。 
それを形成する人格の狙いもまた、〈異端ノ魔導師〉なのだ。

だが、思い通りにはさせぬ ... ...

カーツェルは思った。

下僕しもべの支配を示唆しさする ... 主あるじ の詠唱うたよみを聞きながら。

〈 嗚呼ああ ... 偉大なる魔導師。敬愛する主あるじよ ... ... 我われに力を ... ... 〉

斬きり付けられるような痛みにすら心地よさを覚おぼえる。
陶酔とうすいする彼は知らず識しらずのうち、式礼に従じゅうじていた。
走馬灯のように霞かすんで見えるのは、幻覚だろうか。

最中さなかの折り。

カーツェルの両腕に刻まれた枷かせノ刻印が、蒼火を弾いてくっきりと現あらわれた。
一見すると刺青タトゥーのようにも見えるが。

... 違う。

青光りし主あるじと繋がる楔くさびの具現は、冷たく。
全身の肌を青白く染そめた。
衣服は長い腰布こしぬのに変じ、彼の容姿もまた変貌へんぼうする。

雄々おおしき獅子ししの 鬣 たてがみに幾重いくえにも並ぶ頭角。
数種の羊ひつじ、そして鹿しか、それぞれの特徴を合わせ持つそれは
身体を巡めぐる刻印と通じ、主あるじの魔力をより強く反映して輝いた。

痛みと幻覚から解放された彼は、勇いさみ引き締まる面差しを持ち上げ。
やがて、背後の魔物に対し向き直る。

百足ムカデのように伸びた胴体どうたいをうねらせるそれは、野太い声で語りかけてきた。

〈随分ずいぶんと待った。
　... さて。異端ノ魔導師の下僕しもべ。主人のもとへ案内してもらおうか〉

獣けものの唸うなりに近い。だがそれでいて驚くべき事に。
麗うるわしい雰囲気を漂ただよわせる若者の声が重なって聞こえるのだ。

カーツェルの意識を介かいし、
渓谷内を浮遊するフェレンスもまた同時に、その声を聴く。

純真なる少女。ルーリィの兄。ルーウィルか ... ... 

自らの意志による変異を可能とした。これまでに類を見ない魔物の不可思議な知性。
フェレンスは、まだ見ぬ彼の内に異様な気配を感じていた。


――― 魂ノ契ちぎり ... 冥府へと誘いざなわんとす、嘆なげきノ昇華しょうか ...
　　　〈Contrato del alma...　Tratando de sublimar el dolor que invita al infierno ... 〉

　　　 下僕しもべよ ...
　　　〈riado ... 〉

　　　 お前が命を差し出すならば、苦痛を快楽へと換かえてやろう。
　　　〈Si usted dedica sus vidas, cambiaremos el dolor al placer ... 〉
　　　 お前が心を捧ささげるならば、怒りも悲しみも喰い尽つくくし、力へと換かえてやろう。
　　　〈Si dedicas tu mente, cambia la fuerza de comer la ira y la tristeza ... 〉


呪文詠唱うたよみが楔くさびを打ち固める。
杖を取り出し、展開した魔法陣を指し魔力を高めると。
谷底から吹く風に巻き上げられる銀髪が、蒼く煌々こうこうとした光を受けて艶つやめいた。

複合に用いられるのは、精神と万物の基質エリクシール。
この世に存在し得ぬ異物の精製を果はたすは、異端の技わざ。

基盤たる魔法陣を前後左右、そして上下に拡張し、両腕を広げると共に。
彼かの魔導師は、下僕しもべの掌握しょうあくを完了する。
その姿は、放光する球状の籠かごに囚とらわれた ... 黒鳥こくちょうのようでもあった。

一方、覚醒を経へて魔人化したカーツェルは、冷気を纏まとう巨体を起こし胸を開く。
喉のどを鳴ならしながら深く息を吸い込むと、吐く息に ﾁﾗﾁﾗ と蒼火が交まじった。

一歩、また一歩と踏み込む毎ごとに凍てつく足元。
そして彼は立ち向かう。

半壊した医院の瓦礫がれきをガラガラと押し退のけながら襲い来る魔物は、
額ひたいを建物に叩きつけ角つのでカーツェルの足元を刳えぐった。

案内を要求する言葉とは裏腹に。
蟷螂カマキリのような素早さで足を伸ばし斬りつけ、肩を並べる工舎を次々と引き崩しながら。

身を翻ひるがえし縦横無尽じゅうおうむじんにそれを回避する雪白せっぱくノ魔人は、
必要に応じ氷の壁や柱を足場にして魔物を撹乱かくらん。
谷へと誘導するかのような動きをとった。

戦いに応じるような素振りを見せても。
自ら仕掛けることは無く、むしろ後退こうたいしていくのだ。


苛立いらだつ。


思惑おもわくどおりとはゆかぬ展開に、荒々しさを増す追撃。
狙いの魔導師を屈服くっぷくさせるのに正面から挑いどむ必要は無いのだ。
彼かの下僕しもべを誘おびき出すに至った事の次第。
だが、このままでは境界へと引き摺ずり込まれてしまう。

それでも、引くに引けぬのだ。

身の凍るような寒さに包まれた暗闇に、手足を喰われながら。
辛うじて侵食されぬままに残った心臓の放つ薄明かりのもと ... とある若者が呟つぶやいた。

『今ここで、片腕を折らないと ... 魔人を冥府めいふに沈めないと ... 』

あの異端ノ魔導師に、〈禁断ノ翠玉碑エメラルド・タブレット〉の
在処ありかを吐かせることなんか、出来るわけがないんだ。

『何としても、取引に持ち込んでやる ... ... 少し時間がかかりそうだけど、
　良い子で待ってるんだぞ ...？　ルーリィ ... 』

必ず世界を変えてやるから ... ...　もう、二度と ...　
もう、誰にも ...　お前を、穢けがされないように ... ...


退しりぞく魔人の背後に渓谷が迫せまる。


早く ... 奴に注そそがれる膨大ぼうだいな魔力を絶たつんだ ... ...
早く ... 奴を殺して、魔導師の力を半減させるんだ ... ...

ある時、魔物は長い胴体を高々と持ち上げ、
鱗うろこの合間から突き出た背鰭せびれに憎悪の獄炎を孕はらませた。
谷の何処どこかで待ち受けるフェレンスの、刺さすような視線を感じ。
激しい危機感を覚おぼえたのだ。

霧ノ病に侵おかされた若者の成なれの果はて。

だが彼は魔物キメラ化してもなお暴走もせず。
未いまだ自我を保っているかのよう。
あらゆる欲を失い、心が麻痺まひしていく過程に例外は無いはずだが。

何故なにゆえ... ...

渓谷けいこくの間はざまに浮遊し留とどまるフェレンスのローブが、吹き付ける風に激しく靡なびく。
複雑な魔法陣を展開する儀球ぎきゅうの内側にいて、杖を振ふるるい操作する中。
カーツェルの能力を司つかさどる魔法陣を目の前に印インを記しるし換かえる間あいだも。

フェレンスは、とある可能性について思いを巡めぐらせていた。