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第十章 仮面のキス
第十四話 星の都
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蘭を抱えて山吹は走り、御用地の門を駆け出る。
門衛は山吹を止めようとしたが、追いかけなかった。
光の溢れる街をさらに駆ける。どこまで行くのか分からない。それが怖い。しかし、山吹の身体は明らかに男性ではないのだ――混乱の中、それが気にかかった。
都心をしばらく駆け、公園の雑木林に入る。
山吹は立ち止まり、ゆっくり蘭を下ろした。
地面に足を突き、恐る恐る山吹へ目をやる。
「――貴女は。」
ショートカットの彼女は、慇懃に頭を下げた。
「突然、乱暴に連れ出してしまい申し訳ありませんでした。」
当然、その声も女性のものだ。
「東條理事長の秘書の山吹八重と申します。身体は女性として生まれました。御前のみが、わたくしが本来生まれるべきだった性で働くことを許してくれた。――貴女を連れ出したのは、菊花お嬢様の命令です。」
菊花の名前を聞くだけで、胸が動いた。
「――菊花ちゃんの?」
「はい――菊花お嬢様は、蘭さんとの和解を望んでおられます。機を見計らって説得してほしいと申しつけられておりました――そして、白山女学院へ帰してほしいと。」
「――白山へ?」
「ええ。まさかこのような形で連れ出すことになるとは思いませんでしたが。驚かせてしまい、本当に申し訳ございません。」
「――いえ。」
むしろ、あの場から蘭は逃げ出したかったのだ。
「ひとまず、こうなったことは菊花お嬢様に伝えなければなりません。」
山吹はスマートフォンを取り出し、失礼しますと言って耳に当てた。
少しして口を開く。
「お嬢様――わたくしです。蘭さんを御用地よりお連れ致しました。」
それから、蘭を連れ出した経緯を簡単に説明した。
「はい。ええ。――ただいま代わります。」
スマートフォンを山吹はさしだす。
「――菊花お嬢様からです。」
スマートフォンと山吹とを交互に蘭は見比べ、恐る恐る受け取った。
そして、耳に当てる。
「――菊花ちゃんですか?」
「はい。――私です。」
数日ぶりに聞く声に、安心が拡がった。
「蘭先輩――学習院に転校されるのは本当ですか?」
胸が痛む。
自分の本心だけではない――菊花に向き合うことさえ自分はためらってきた。下らない意地と――父にそっくりな小心者の心から。
小刻みに震える声で、蘭は応える。
「いえ――その気はありません。菊花ちゃんと別れるのは厭です。」
「私も――厭です。」
目頭が熱くなる。雑木林から漏れるネオンが光の塊となり、熱いものがほほに流れ落ちた。
「蘭先輩――寮へ帰って来ませんか?」
静かに蘭はうなづく。
「――帰りたいです。」
このまま帰っても祐介から何を言われるか分からない。ともかくも、自分は菊花と一緒にいたいのだ――たとえ一冴と顔を合わせることとなっても。
「失敗しちゃったんです、色々と。わたくしはもう、父にも殿下にも合はせる顔がありません。――今すぐにでも帰りたいです。」
「そう――ですか。」
少し黙ったあと、菊花は口を開く。
「けれど、帰る手段はありますか?」
「ありません。」
「でしたら、山吹に頼んでみます。」
「――山吹さんに?」
「はい。――代わっていただけますか?」
顔を上げる。
凛とした山吹の顔に微笑が浮かんだ。
分かりました――と言い、スマートフォンを山吹へと渡す。
スマートフォンを耳に当て、代わりましたと山吹は言った。そして、二、三の言葉を交わしたあと、スマートフォンを切る。
「御下命を承りました。――鈴宮市へ戻りましょう。」
「連れて行ってくれるのですか?」
「ええ。――そのために連れ出したと申し上げたではありませんか。」
山吹は手を差し伸べる。
「参りましょう。」
恐る恐るその手を蘭は取った。
この状況は――自分の書いた小説に似ている。
山吹に導かれて雑木林から出る。
そこには、有名なホテルが建っていた。中へと山吹は蘭を導く。菊花に会うために、なぜここに来たのか少し不審に思った。
ロビーを横切り、エレヴェーターに乗る。
やがて屋上に出た。
床に書かれたHの字の中央に、一機のヘリコプターが止まっている。
山吹はドアを開けた。
「『お乘りください。少し不安でせうが、怖氣づくことはありません。』」
それもまた『戀に先立つ失戀』の台詞だ。
助手席に蘭は坐った。操縦席に山吹も乗る。不安と緊張の中、山吹に教えられてシートベルトをつけた。
エンジンがかかる。
翼が回転し、機体が上昇した。
生まれて初めて、蘭は空を飛んだ。
東京の虚空の中へと、高く高く機体は浮かび上がる。
無数のネオンが眼下に輝いていた。それが砂金のように小さくなる。都会の空に星はない。しかし、空から見た地上は満天の星空のようだった。
門衛は山吹を止めようとしたが、追いかけなかった。
光の溢れる街をさらに駆ける。どこまで行くのか分からない。それが怖い。しかし、山吹の身体は明らかに男性ではないのだ――混乱の中、それが気にかかった。
都心をしばらく駆け、公園の雑木林に入る。
山吹は立ち止まり、ゆっくり蘭を下ろした。
地面に足を突き、恐る恐る山吹へ目をやる。
「――貴女は。」
ショートカットの彼女は、慇懃に頭を下げた。
「突然、乱暴に連れ出してしまい申し訳ありませんでした。」
当然、その声も女性のものだ。
「東條理事長の秘書の山吹八重と申します。身体は女性として生まれました。御前のみが、わたくしが本来生まれるべきだった性で働くことを許してくれた。――貴女を連れ出したのは、菊花お嬢様の命令です。」
菊花の名前を聞くだけで、胸が動いた。
「――菊花ちゃんの?」
「はい――菊花お嬢様は、蘭さんとの和解を望んでおられます。機を見計らって説得してほしいと申しつけられておりました――そして、白山女学院へ帰してほしいと。」
「――白山へ?」
「ええ。まさかこのような形で連れ出すことになるとは思いませんでしたが。驚かせてしまい、本当に申し訳ございません。」
「――いえ。」
むしろ、あの場から蘭は逃げ出したかったのだ。
「ひとまず、こうなったことは菊花お嬢様に伝えなければなりません。」
山吹はスマートフォンを取り出し、失礼しますと言って耳に当てた。
少しして口を開く。
「お嬢様――わたくしです。蘭さんを御用地よりお連れ致しました。」
それから、蘭を連れ出した経緯を簡単に説明した。
「はい。ええ。――ただいま代わります。」
スマートフォンを山吹はさしだす。
「――菊花お嬢様からです。」
スマートフォンと山吹とを交互に蘭は見比べ、恐る恐る受け取った。
そして、耳に当てる。
「――菊花ちゃんですか?」
「はい。――私です。」
数日ぶりに聞く声に、安心が拡がった。
「蘭先輩――学習院に転校されるのは本当ですか?」
胸が痛む。
自分の本心だけではない――菊花に向き合うことさえ自分はためらってきた。下らない意地と――父にそっくりな小心者の心から。
小刻みに震える声で、蘭は応える。
「いえ――その気はありません。菊花ちゃんと別れるのは厭です。」
「私も――厭です。」
目頭が熱くなる。雑木林から漏れるネオンが光の塊となり、熱いものがほほに流れ落ちた。
「蘭先輩――寮へ帰って来ませんか?」
静かに蘭はうなづく。
「――帰りたいです。」
このまま帰っても祐介から何を言われるか分からない。ともかくも、自分は菊花と一緒にいたいのだ――たとえ一冴と顔を合わせることとなっても。
「失敗しちゃったんです、色々と。わたくしはもう、父にも殿下にも合はせる顔がありません。――今すぐにでも帰りたいです。」
「そう――ですか。」
少し黙ったあと、菊花は口を開く。
「けれど、帰る手段はありますか?」
「ありません。」
「でしたら、山吹に頼んでみます。」
「――山吹さんに?」
「はい。――代わっていただけますか?」
顔を上げる。
凛とした山吹の顔に微笑が浮かんだ。
分かりました――と言い、スマートフォンを山吹へと渡す。
スマートフォンを耳に当て、代わりましたと山吹は言った。そして、二、三の言葉を交わしたあと、スマートフォンを切る。
「御下命を承りました。――鈴宮市へ戻りましょう。」
「連れて行ってくれるのですか?」
「ええ。――そのために連れ出したと申し上げたではありませんか。」
山吹は手を差し伸べる。
「参りましょう。」
恐る恐るその手を蘭は取った。
この状況は――自分の書いた小説に似ている。
山吹に導かれて雑木林から出る。
そこには、有名なホテルが建っていた。中へと山吹は蘭を導く。菊花に会うために、なぜここに来たのか少し不審に思った。
ロビーを横切り、エレヴェーターに乗る。
やがて屋上に出た。
床に書かれたHの字の中央に、一機のヘリコプターが止まっている。
山吹はドアを開けた。
「『お乘りください。少し不安でせうが、怖氣づくことはありません。』」
それもまた『戀に先立つ失戀』の台詞だ。
助手席に蘭は坐った。操縦席に山吹も乗る。不安と緊張の中、山吹に教えられてシートベルトをつけた。
エンジンがかかる。
翼が回転し、機体が上昇した。
生まれて初めて、蘭は空を飛んだ。
東京の虚空の中へと、高く高く機体は浮かび上がる。
無数のネオンが眼下に輝いていた。それが砂金のように小さくなる。都会の空に星はない。しかし、空から見た地上は満天の星空のようだった。
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