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第八章 遺跡
7 祟りの後遺症
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その朝、冬樹は熟睡していた。
アラームの音が意識を呼び覚ます。目を開くと共に、青白い窓が視界に入った。
右腕を伸ばし、耳障りな音を立てるスマートフォンを止める。左耳は無音だ。一方、ささやくような音を右耳が拾う。外で降る雨の音だ――気温が低いのはそのためか。
今日は安静に起きられたのだと知る。酷く眠いし、温かい布団から出たくない。しかし平日だ。寒さに身を震わせつつ、布団から起き上がった。
同時に、違和感を覚える。
それは、起き上がるときに力を入れた背中からだった。冬樹は手を回す。何かが背中についているわけではない。むしろ逆だった。何かがなくなったようなのだ。
冷たさが背筋を這い、寒さを忘れる。
――ここにあるのは何だっけ。
背中の右側、肋骨の内側だ。そこに何かがない。心なしか気分も悪かった。それが何を意味するのか、判断するだけの知識はない。
――命に関わることだろうか。
枕元のお守りに目を留める。美邦と自分の身を守るはずだった物――効果はなかったということか。
ひとまずベッドから降り、一階へと向かう。
ダイニングキッチンへ這入ると、普段どおりだった。早苗が朝食を作っており、良子は新聞を読んでいる。毎日繰り返されてきた光景の中、自分だけが変わってしまった。
良子が顔を上げる。
「おはよう、冬君。」
「うん――おはよう。」
おざなりに返事をし、洗面所へ向かった。身体の変化が気になって仕方がない。
鏡が目に飛び込み、冬樹は固まった。
先日に比べ、自分の顔が白い。由香や築島と同じ変化だ。大きく変わっていないが、それでも血の気がない。
得体の知れない危機感を覚えた。
――自分の番なのか。
寝巻きを脱ぎ、背中を確認する。
外見上、なんの変化もなかった。
*
痛いほど冷たい雨が降っている。
凍ってくれたらいいのに――と美邦は思う。しかし、それはまだ先になりそうだ。寂しい通学路で、冷たい雫は砕け続ける。先日まで見えていた幻視は、人影を除いてなかった。
学校に着いた。昇降口で下足に履き替える。周囲の人々の視線は、雨粒と同じように冷たい。一方で、自分について何事かを噂している気這いはあった。
――が。――た。
教室では、先日まで空白だった隣の席が埋まっていた。そのことは心強い。しかし同時に不安になる。今日は――はたして冬樹は来るのだろうか。
不安に反し、始業時間ぎりぎりに冬樹は現れた。
最初、その変化に美邦は気づけなかった。だが、冬樹が近づくにつれて察する。ぱっと見ただけでは分からない。気づくことができたのは、同じ変化を今まで二度も目にしてきたからだ。
冬樹が席に着く。挨拶をするよりも先に尋ねた。
「藤村君――体調は大丈夫なの?」
怖気づいたように顔が震える。
「分からんに――何が起きたか。」
「――分からない?」
冬樹は首を縦に振り、周囲を見回す。つられて美邦も目を向ける。何名かの生徒がこちらを見ていた。しかし、美邦らに気づいてすぐ顔を逸らす。最近は、このような視線をよく感じる。
「ここじゃ話せんな。」
美邦は首を縦に振った。同時に、チャイムが鳴る。
*
顔色が少し変わった――という以外の変化は冬樹には起きていないようだ。それは、顔色を変えた当初の由香も同じだった。しかし、外見に現れるような変化が訪れたことに違いはない。
昼休憩となり、二人は教室を出る。
木造校舎を出て、渡り廊下を渡った。雨音に混じり、プールを工事する音が響く。鉄筋校舎に這入ると、いつも通りひとけはなかった。周囲を見回してから、自分の背中へと冬樹は手を回す。
「ここにあるもんって――何だと思う?」
質問の意味が最初は分からなかった。しかし、美邦はすぐ思い出す。
「腎臓――かな。」
冬樹の顔がより蒼くなるのが見えた。
「お父さんの治療のとき、説明されたことがある――腎臓は、どちらかというと背中にあるんだって。だから――手術なんかも背中からやってゆくの。」
「――それか。」
冬樹は言葉を継ごうとしない――継げないのだ。
不安になって美邦は尋ねる。
「まさか――そこが悪いの?」
冬樹は息を呑んでから、ああ、とうなづく。
「軽いだが。まるで、なあなったみたいに。」
這うような冷たさを感じた。
臓器がなくなるなど、普通はない。しかし、耳や足の骨がなくなったくらいなのだ。加えて言えば、美邦にも心当たりがないわけではなかった。
「お父さん――腎臓が一つなかったの。病気で昔に摘出したんだ――って言っていたけれど。でも――お風呂に入ったときとかに、手術の痕なんか見たことない。」
冬樹は唖然としていたが、心に決めたように問う。
「大原さんのお父さんは――腎臓の病気で亡くなられたんだっけか。」
「うん。」
唐突に、父が恋しくなる。それは、都会への恋しさでもあった。町の記憶が母とのものならば、都会の記憶は父とのものなのだ。
「腎臓だけじゃなかった――膵臓も脾臓も悪かったの。最後は、身体が本当にボロボロになって――人工透析器に繋がれて亡くなった。けれども、何でそんなに悪いのか、私は知らされたことがなかった。腎臓を取るような手術を一体いつしたのかも。」
鉄筋校舎に足音を響かせて階段を上る。
バルコニーの前に着いた。今日は雨なので外に出ることはできない。一方、自分と冬樹の顔が窓硝子に写っている。自分の左眼は濁り、冬樹の顔は蒼かった。
心配になり、美邦は問う。
「藤村君――病院には行かないの?」
冬樹は言葉に詰まっていた。その困り顔が父と重なる。父は――病院が嫌いだったのだ。美邦に催促され、しぶしぶ行くことが多かった。
「行く予定は今のところないけど――。腎臓がなぁなった――なんて医者に説明できんに。それに、最近は放課後になるとすぐ暗ぁなるし、土曜には博物館に行く予定が――」
「行って。」
美邦にしては強い言葉が出た。
冬樹は少し驚いたように目を向ける。
このような言葉が出たことを、美邦自身も意外に思っていた。
だが――それは何ということはない。冬樹の前では、自分が変だという感覚が今やないのだ。ゆえに、怖気づく理由もない。
「土曜日の予定は日曜日にできるでしょ。そうでなきゃ、学校を休んでも行くべきだと思う。」
そして――昭と同じようになるのは見たくない。
「病院に行かないくらいなら、神社のことから手を引いて。このまんまじゃ、神送りを行なう前にボロボロになるか死んじゃう。」
美邦の気持ちを冬樹も察したようだ。やがて、わかった、とうなづく。
「それなら、土曜日に行ってくる。予定は、日曜日に繰り上げてもええ?」
「うん、もちろん。行ってね――必ず。」
「ああ。」
ふっと、何かに気づいたように冬樹は考え込む。
「そっか。行って損はないな。」
「言うまでもないことでしょ?」
それはそうだが――と言葉が区切られた。
「俺の一部は――これからも奪われるかもしらん。それを回避する方法は――最悪、町の外で入院することかも。」
思わず首を縦に振る。
魔除けの方法が何もないのなら、究極、町から逃げるほかない。それを実行したらしい者も知っている。
「お父さんも――やっぱり、神様に盗られたのかな。」
だと思う――と言い、冬樹は顎に手を当てる。
「大原さんのお父さんは――町に帰るべきでないってずっと言っとったんだら?」
「うん――。町のこともずっと隠してきて――」
遠回しな言い方はもういらない。
「帰るべきじゃない――って、そういうこと? お父さんにも――藤村君と同じことが起きて――だからこそ逃げてきたの? 私を連れて。」
「ああ。」
同意されたが、その表情は渋い。
「ただ――少し引っかかるけど。」
思わず小首をかしげる。それを受け、冬樹は説明した。
「体調の変化を自覚しとらんと、逃げようなんて思わん。でも、実相寺も築島先生も、自分に何が起きたか自覚がないみたいだに。それなのに――俺は自覚しとる。」
言われてみればそうだ。
「――たしかに。」
顔色の変化は同じでも、自覚の有無は違う。どういうわけか、自分自身が変わったことを冬樹は知っているのだ。
一方、その事実が負い目を抱かせた。
「どうして――藤村君だけがこんな目に遭うのかな?」
冷たい雨音が耳に迫る。
「爪が剥がれたり、耳が聞こえなくなったり――挙句の果てに体調まで崩してるのに、私だけには何も起きていない。神送りをさせたくないのならば、私にこそ起こるべきなのに――」
「何も起きとらんなんてことないが。」
美邦は顔を上げ、目を交わす。恥ずかしそうに冬樹は顔を逸らした。
「大原さんは、お母さんが亡くなって、お父さんまで亡くなっとるに――。それだけでも大変なことだと思うで? 本当は、両親の元で暮らすはずだったに――」
今まで秘めてきた思いが噴出した。
父と母の揃った家庭で暮らす人生が――自分にもあったはずなのだ。その場合は、他人ではなく自分の家で暮らしていた。しかし、親も家もない自分への風当たりはなぜか強い。
父が亡くなって以降の記憶が脳裏を巡る。それは、自分が耐えてきた記憶でもあった。
熱くなった目頭へ手を当てる。
困惑したような声が響いた。
「あ――ごめん。」
「ううん――いいの。」
ハンカチを取り出し、涙を吸い取る。冬樹には、どうすることもできないに違いない。
――私だけが生きている。
熱い視界の中、そのことを不思議に思った。
冬樹が生きていることも同じかもしれない。由香の例もある。腎臓ではなく、心臓を抜き取ることもできるはずだ。
父もそうだった。母が焼死した一方で、曲がりながらにも今年まで生きてきたのだから。
――神送りのために全ては動いてきている。
そのために、不平等な生と死が存在しているのだろうか。
――けれど。
だからこそ、不可解で仕方ない。疑問は自然と口を突いて出た。
「夢の中の『妹』は――どうして亡くなったのかな?」
*
掃除時間となったので鉄筋校舎を出た。先日から冬樹と同じ班となったので、掃除場所も同じ教室だ。渡り廊下を渡り、木造校舎へ這入った時――背後から呼び止められる。
「ああ――お二人とも、探していましたよ。」
振り返ると築島がいた。
美邦は眉を顰める。
その顔は――冬樹とは比べ物にならないほど変わっていた。血の気は完全に失せ、今にも倒れそうだ。どちらかと言えば、失踪する前の由香に近い。
CDのケースのような物を築島は差し出した。
「知人に電話をかけて、神嘗祭の映像を探してきましたよ。この中に、神楽舞の奉納と平坂神社の境内の映像が入っています。」
「あ――ありがとうございます!」
冬樹は頭を下げ、ケースを受け取る。
だが――直後、恐る恐る築島へ顔を向けた。
「ところで――体調は大丈夫なんですか?」
築島は首をかしげる。
「どういう――ことなのかな?」
「先生の顔色――かなり悪くなってますが。」
美邦も強く同意した。
「私もそう思います。」
築島は、何かに気づいたような顔をし、自らの頬を撫でる。それから指先へと目を遣り、まじまじと見つめた。その口は、ぽかんと開いている。
「僕は――何も感じませんが。」
呆れたように冬樹は問い返す。
「そうなんですか?」
美邦も不安となった。
「今すぐでも病院へ行った方がいいと思いますが。」
しかし、怪訝な目を築島は向ける。
「考えすぎでは――ないでしょうかねえ。」
美邦は視線を上げた。先日より白っぽい顔の冬樹と目が合う。
やはり――自覚症状はないのだ。一方で、冬樹だけは自覚している。
そして、思い出したように冬樹は問うた。
「寺田直美のことは何か分かりましたか?」
アラームの音が意識を呼び覚ます。目を開くと共に、青白い窓が視界に入った。
右腕を伸ばし、耳障りな音を立てるスマートフォンを止める。左耳は無音だ。一方、ささやくような音を右耳が拾う。外で降る雨の音だ――気温が低いのはそのためか。
今日は安静に起きられたのだと知る。酷く眠いし、温かい布団から出たくない。しかし平日だ。寒さに身を震わせつつ、布団から起き上がった。
同時に、違和感を覚える。
それは、起き上がるときに力を入れた背中からだった。冬樹は手を回す。何かが背中についているわけではない。むしろ逆だった。何かがなくなったようなのだ。
冷たさが背筋を這い、寒さを忘れる。
――ここにあるのは何だっけ。
背中の右側、肋骨の内側だ。そこに何かがない。心なしか気分も悪かった。それが何を意味するのか、判断するだけの知識はない。
――命に関わることだろうか。
枕元のお守りに目を留める。美邦と自分の身を守るはずだった物――効果はなかったということか。
ひとまずベッドから降り、一階へと向かう。
ダイニングキッチンへ這入ると、普段どおりだった。早苗が朝食を作っており、良子は新聞を読んでいる。毎日繰り返されてきた光景の中、自分だけが変わってしまった。
良子が顔を上げる。
「おはよう、冬君。」
「うん――おはよう。」
おざなりに返事をし、洗面所へ向かった。身体の変化が気になって仕方がない。
鏡が目に飛び込み、冬樹は固まった。
先日に比べ、自分の顔が白い。由香や築島と同じ変化だ。大きく変わっていないが、それでも血の気がない。
得体の知れない危機感を覚えた。
――自分の番なのか。
寝巻きを脱ぎ、背中を確認する。
外見上、なんの変化もなかった。
*
痛いほど冷たい雨が降っている。
凍ってくれたらいいのに――と美邦は思う。しかし、それはまだ先になりそうだ。寂しい通学路で、冷たい雫は砕け続ける。先日まで見えていた幻視は、人影を除いてなかった。
学校に着いた。昇降口で下足に履き替える。周囲の人々の視線は、雨粒と同じように冷たい。一方で、自分について何事かを噂している気這いはあった。
――が。――た。
教室では、先日まで空白だった隣の席が埋まっていた。そのことは心強い。しかし同時に不安になる。今日は――はたして冬樹は来るのだろうか。
不安に反し、始業時間ぎりぎりに冬樹は現れた。
最初、その変化に美邦は気づけなかった。だが、冬樹が近づくにつれて察する。ぱっと見ただけでは分からない。気づくことができたのは、同じ変化を今まで二度も目にしてきたからだ。
冬樹が席に着く。挨拶をするよりも先に尋ねた。
「藤村君――体調は大丈夫なの?」
怖気づいたように顔が震える。
「分からんに――何が起きたか。」
「――分からない?」
冬樹は首を縦に振り、周囲を見回す。つられて美邦も目を向ける。何名かの生徒がこちらを見ていた。しかし、美邦らに気づいてすぐ顔を逸らす。最近は、このような視線をよく感じる。
「ここじゃ話せんな。」
美邦は首を縦に振った。同時に、チャイムが鳴る。
*
顔色が少し変わった――という以外の変化は冬樹には起きていないようだ。それは、顔色を変えた当初の由香も同じだった。しかし、外見に現れるような変化が訪れたことに違いはない。
昼休憩となり、二人は教室を出る。
木造校舎を出て、渡り廊下を渡った。雨音に混じり、プールを工事する音が響く。鉄筋校舎に這入ると、いつも通りひとけはなかった。周囲を見回してから、自分の背中へと冬樹は手を回す。
「ここにあるもんって――何だと思う?」
質問の意味が最初は分からなかった。しかし、美邦はすぐ思い出す。
「腎臓――かな。」
冬樹の顔がより蒼くなるのが見えた。
「お父さんの治療のとき、説明されたことがある――腎臓は、どちらかというと背中にあるんだって。だから――手術なんかも背中からやってゆくの。」
「――それか。」
冬樹は言葉を継ごうとしない――継げないのだ。
不安になって美邦は尋ねる。
「まさか――そこが悪いの?」
冬樹は息を呑んでから、ああ、とうなづく。
「軽いだが。まるで、なあなったみたいに。」
這うような冷たさを感じた。
臓器がなくなるなど、普通はない。しかし、耳や足の骨がなくなったくらいなのだ。加えて言えば、美邦にも心当たりがないわけではなかった。
「お父さん――腎臓が一つなかったの。病気で昔に摘出したんだ――って言っていたけれど。でも――お風呂に入ったときとかに、手術の痕なんか見たことない。」
冬樹は唖然としていたが、心に決めたように問う。
「大原さんのお父さんは――腎臓の病気で亡くなられたんだっけか。」
「うん。」
唐突に、父が恋しくなる。それは、都会への恋しさでもあった。町の記憶が母とのものならば、都会の記憶は父とのものなのだ。
「腎臓だけじゃなかった――膵臓も脾臓も悪かったの。最後は、身体が本当にボロボロになって――人工透析器に繋がれて亡くなった。けれども、何でそんなに悪いのか、私は知らされたことがなかった。腎臓を取るような手術を一体いつしたのかも。」
鉄筋校舎に足音を響かせて階段を上る。
バルコニーの前に着いた。今日は雨なので外に出ることはできない。一方、自分と冬樹の顔が窓硝子に写っている。自分の左眼は濁り、冬樹の顔は蒼かった。
心配になり、美邦は問う。
「藤村君――病院には行かないの?」
冬樹は言葉に詰まっていた。その困り顔が父と重なる。父は――病院が嫌いだったのだ。美邦に催促され、しぶしぶ行くことが多かった。
「行く予定は今のところないけど――。腎臓がなぁなった――なんて医者に説明できんに。それに、最近は放課後になるとすぐ暗ぁなるし、土曜には博物館に行く予定が――」
「行って。」
美邦にしては強い言葉が出た。
冬樹は少し驚いたように目を向ける。
このような言葉が出たことを、美邦自身も意外に思っていた。
だが――それは何ということはない。冬樹の前では、自分が変だという感覚が今やないのだ。ゆえに、怖気づく理由もない。
「土曜日の予定は日曜日にできるでしょ。そうでなきゃ、学校を休んでも行くべきだと思う。」
そして――昭と同じようになるのは見たくない。
「病院に行かないくらいなら、神社のことから手を引いて。このまんまじゃ、神送りを行なう前にボロボロになるか死んじゃう。」
美邦の気持ちを冬樹も察したようだ。やがて、わかった、とうなづく。
「それなら、土曜日に行ってくる。予定は、日曜日に繰り上げてもええ?」
「うん、もちろん。行ってね――必ず。」
「ああ。」
ふっと、何かに気づいたように冬樹は考え込む。
「そっか。行って損はないな。」
「言うまでもないことでしょ?」
それはそうだが――と言葉が区切られた。
「俺の一部は――これからも奪われるかもしらん。それを回避する方法は――最悪、町の外で入院することかも。」
思わず首を縦に振る。
魔除けの方法が何もないのなら、究極、町から逃げるほかない。それを実行したらしい者も知っている。
「お父さんも――やっぱり、神様に盗られたのかな。」
だと思う――と言い、冬樹は顎に手を当てる。
「大原さんのお父さんは――町に帰るべきでないってずっと言っとったんだら?」
「うん――。町のこともずっと隠してきて――」
遠回しな言い方はもういらない。
「帰るべきじゃない――って、そういうこと? お父さんにも――藤村君と同じことが起きて――だからこそ逃げてきたの? 私を連れて。」
「ああ。」
同意されたが、その表情は渋い。
「ただ――少し引っかかるけど。」
思わず小首をかしげる。それを受け、冬樹は説明した。
「体調の変化を自覚しとらんと、逃げようなんて思わん。でも、実相寺も築島先生も、自分に何が起きたか自覚がないみたいだに。それなのに――俺は自覚しとる。」
言われてみればそうだ。
「――たしかに。」
顔色の変化は同じでも、自覚の有無は違う。どういうわけか、自分自身が変わったことを冬樹は知っているのだ。
一方、その事実が負い目を抱かせた。
「どうして――藤村君だけがこんな目に遭うのかな?」
冷たい雨音が耳に迫る。
「爪が剥がれたり、耳が聞こえなくなったり――挙句の果てに体調まで崩してるのに、私だけには何も起きていない。神送りをさせたくないのならば、私にこそ起こるべきなのに――」
「何も起きとらんなんてことないが。」
美邦は顔を上げ、目を交わす。恥ずかしそうに冬樹は顔を逸らした。
「大原さんは、お母さんが亡くなって、お父さんまで亡くなっとるに――。それだけでも大変なことだと思うで? 本当は、両親の元で暮らすはずだったに――」
今まで秘めてきた思いが噴出した。
父と母の揃った家庭で暮らす人生が――自分にもあったはずなのだ。その場合は、他人ではなく自分の家で暮らしていた。しかし、親も家もない自分への風当たりはなぜか強い。
父が亡くなって以降の記憶が脳裏を巡る。それは、自分が耐えてきた記憶でもあった。
熱くなった目頭へ手を当てる。
困惑したような声が響いた。
「あ――ごめん。」
「ううん――いいの。」
ハンカチを取り出し、涙を吸い取る。冬樹には、どうすることもできないに違いない。
――私だけが生きている。
熱い視界の中、そのことを不思議に思った。
冬樹が生きていることも同じかもしれない。由香の例もある。腎臓ではなく、心臓を抜き取ることもできるはずだ。
父もそうだった。母が焼死した一方で、曲がりながらにも今年まで生きてきたのだから。
――神送りのために全ては動いてきている。
そのために、不平等な生と死が存在しているのだろうか。
――けれど。
だからこそ、不可解で仕方ない。疑問は自然と口を突いて出た。
「夢の中の『妹』は――どうして亡くなったのかな?」
*
掃除時間となったので鉄筋校舎を出た。先日から冬樹と同じ班となったので、掃除場所も同じ教室だ。渡り廊下を渡り、木造校舎へ這入った時――背後から呼び止められる。
「ああ――お二人とも、探していましたよ。」
振り返ると築島がいた。
美邦は眉を顰める。
その顔は――冬樹とは比べ物にならないほど変わっていた。血の気は完全に失せ、今にも倒れそうだ。どちらかと言えば、失踪する前の由香に近い。
CDのケースのような物を築島は差し出した。
「知人に電話をかけて、神嘗祭の映像を探してきましたよ。この中に、神楽舞の奉納と平坂神社の境内の映像が入っています。」
「あ――ありがとうございます!」
冬樹は頭を下げ、ケースを受け取る。
だが――直後、恐る恐る築島へ顔を向けた。
「ところで――体調は大丈夫なんですか?」
築島は首をかしげる。
「どういう――ことなのかな?」
「先生の顔色――かなり悪くなってますが。」
美邦も強く同意した。
「私もそう思います。」
築島は、何かに気づいたような顔をし、自らの頬を撫でる。それから指先へと目を遣り、まじまじと見つめた。その口は、ぽかんと開いている。
「僕は――何も感じませんが。」
呆れたように冬樹は問い返す。
「そうなんですか?」
美邦も不安となった。
「今すぐでも病院へ行った方がいいと思いますが。」
しかし、怪訝な目を築島は向ける。
「考えすぎでは――ないでしょうかねえ。」
美邦は視線を上げた。先日より白っぽい顔の冬樹と目が合う。
やはり――自覚症状はないのだ。一方で、冬樹だけは自覚している。
そして、思い出したように冬樹は問うた。
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