神送りの夜

千石杏香

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第八章 遺跡

6 竹下のアドバイス

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「消えてしまった――んですか?」

黒い瞳を竹下はまたたかせた。

美邦自身、気持ちの整理がまだついていない。自信のない声で、ええ――と、うなづく。

昼休み――カウンセリングルームでのことだ。

美邦の正面には、暖かい陽の差す窓がある。木曜は臨時休校だったため、一週間ぶりのカウンセリングとなってしまった。

竹下は、窓に肩を向けて坐っている。その横顔からは、大人の女性という感覚を受けない。化粧をしていることは判るが、似つかわしくないからか薄かった。

薬指を頬に当て、竹下は考えこむ。

「だけど――確かに元々はお花屋さんだったんですよね?」

このことについては既に確認済みだった。

「はい――。藤村君が昨日、おうちのかたから聞いたそうです――あそこには、お花屋さんが確かにあったって。藤村君が生まれる前か後かに潰れてしまったそうなんですが。」

「ということは、十三年か十四年前かな?」

「だと――思います。」少し思い返す。「藤村君、十二月生まれだって言ってましたし、十三年前かと。」

テーブルの上には、美邦がまとめてきたノートが拡げられている。それを見せながら、一週間の出来事について語っている最中のことだった。

竹下は薬指を頬に当て続けている。

「お花屋さんだけじゃない――ってとこが気になりますね。電器屋さんも煙草屋さんも――事故現場も火災現場もなくなったって。」

「人影だけは、今も見えますけど。」

ふと、何かに気づいたように薬指が頬から離れた。

「ひょっとしたら――見る理由がなくなったのかも。」

その言葉が、先日の冬樹の言葉と重なった。

「見る――理由ですか?」

「ええ――。どんな出来事にも、理由は必ずあるはずですから。見えなくなった理由は、見えていた理由がなくなったから――っていうふうにも考えられます。」

やはり――あるのだろうか。

「藤村君も言ってました――私が見たものには、何かの意味があるって。竹下さんも――そう思われるんですか?」

途端に、うーん、と竹下はうなった。

「意味――ではなくて理由なんです。この二つはかなり違います。それに、理由を探すことと、意味づけをすることも違う――けっこう重要なことなんですけど。」

美邦は首をかしげる。

「意味づけは簡単なんです。」

黒い瞳が美邦を向いた。

「例えば、こう解釈することもできますよね――『事故現場を見たのは、ここで事故が起きたことを知るためだった。だから、知った途端に見えなくなった』って。」

すっと、心の整理がついたような感覚を受けた。

その解釈で間違いないような気がする。しかし、竹下の言わんとすることは違うらしい。

「そう――ではないんですか?」

「だって、消えたのは、事故現場だけじゃないですよね? 町の様々な景色も同時に消えてしまった――」

「――あ。」

「大原さんの話を聴く限り、お花屋さんが潰れたのは十数年前です。でも、事故が起きたのは九年前。つまり、年代がバラバラのものを見ことになるんです。同時に見たのはなぜなか――同時に消えてしまったのはなぜなか――その理由を考えなきゃ。」

「――そっか。」

事故がいつ起きたかは確定している。だが、自分が見た町はいつの時代のものなのだろう。

「大原さんが見たものは、大抵は、現実の出来事であることが後から判ってます。でも、意味って主観的なものなんです。けれど、理由は客観的なもの。ノートをとるのは、自分を客観視するためだし、先入観を排除するためなんです。」

「思い込みで決めつけてはいけない――ということですか?」

「そうじゃなきゃ――取り返しのつかない間違いにつながっちゃいますから。」

どうあれ、様々な可能性を考えなければならないということか――ちょうど竹下が今やったように。

ふと気づいたように竹下は尋ねる。

「藤村君との関係を詳しく教えてくれませんか? できる範囲で――で、もちろん構いませんから。」

「――ええ。」

冬樹から聴いたことを、要約しつつ話す。特に、巫病のことについては竹下の意見を聴きたかった。

「巫病――ですか。」

「ええ。そう思えるけど、よく分からない――って言ってました。」

竹下は薬指を頬に当てる。どうやら、このしぐさが癖らしい。

「巫病――っていう病気は実はないんです。」

「そうなんですか?」

「巫病っていうのは、シャーマニズムに関連した色々な精神疾患のことです。神がかり的なことを本人が言えば、何でも巫病になります。その正体は、統合失調症や解離性障碍・様々な神経症が絡んだ文化性結合症と考えられてますが――」

「文化――?」

「その地域に根ざした病――っていうこと。」

竹下は、美邦の様子を少し窺う。

「けれど、大原さんには、統合失調症などの精神疾患は見受けられません。認知能力は正常で、幻視と現実の区別もついています。」

気が触れていると思われていないようで安心した。

「よかった。」

「でも――神様を探すのなら気をつけて。」

その言葉に首をかしげる。

「例えば、ユタという巫女が沖縄にいます。その仕事は、占いや霊視を通じて人々の悩みに応えること――心理カウンセラーのようなものかな。」

「つまりは――竹下さんと同じ人?」

「そう言えなくもないけど。」少し曖昧な顔をされた。「でも、臨床心理士とユタの違いは、自分で選んでなるものか――ってところなんです。ユタは、なりたくてなるものじゃない。カミダーリっていう神秘体験をした人がなるんです。」

「カミダーリ?」

「日本語では、神祟り。」

――祟り。

「つまり、巫病のことです。様々な幻視や幻聴があったり、身体が勝手に動いたりすると言われますけど。」

「それが――祟りなんですか?」

「ええ。正しく祀られていない神様が、自分を祀ってくれる人を求めて起こす――とされてます。カミダーリっていうのは、ユタになることを命令されることです。だから、カミダーリの起きた人は、まず、祟りを起こした神様を探すことから始めなきゃなりません。」

けれど――と竹下は言い、美邦に目を向けた。

「その途中で、魔物を神様と間違えてしまうことが多いんです。」

「魔物を――?」

「カミダーリの正体は、何かしらの精神疾患なわけですから。そんな中で神様を探すってことは、妄想の中の世界に閉じこもっちゃうことと紙一重なんです。」

言葉の意味を理解し、背筋が冷える。

「自分が作った妄想に、自分が取り込まれる――ということですか?」

「ええ。だから、親ユタっていう人の指導を仰ぐのが普通です――つまりは先輩のユタに。さっきも言った通り、ユタの役割は心理カウンセラーと同じなわけですから。」

やはり――ちょうど今の状態と同じではないか。

加えて言えば、竹下からは年が離れていると感じられない。その口元や横顔からも。その意味で「先輩」という感覚に近い。

「親ユタのカウンセリングを受けながら、ユタの卵は神様を探してゆきます。それは、病気の原因を探すっていうことなんです。ユタになるっていうことは、症状をコントロールすることでもあるんです。」

「コントロール?」

「神様は願いを叶える存在ですから。」

その言葉が身に染みる。

血生臭いことばかり聞いていて忘れていた。祭りにしろ神社にしろ、本来は楽しいもののはずだ。

「神様に願いが聞き届けられたとき――祟りは治まるとされています。神様とは病気の根本で、それを祀るとは上手く付き合うということ。けれども――神様を見つけ、祀るためには、カミダーリの意味を正確に理解しなきゃなりません。」

美邦はうつむく。

――自分が見たものの意味を正確に理解すること。

「私に――できるのでしょうか?」

竹下は静かにうなづいた。

「できると思いますよ――大原さんの感受性は、ほかの誰よりも優れてますから。」

そして、軽く息を吸った。

「大原さんが見た夢で――最も明確なものは、お祭りの夢でしたっけ?」

「はい。」

「夢の中に出てきた『妹』も、寒い時は震え、暑い時は汗を流し、悲しい時は涙を流したはずです。」

言って、竹下は美邦の目の前に手を翳す。部分的に視界が塞がれた。戸惑いの中、落ち着いた声が響く。

「お腹に溜めるように息を吸って下さい。」

言われるがまま吸った。腹部が膨れてゆく。

「吐いて――ゆっくり。」

言葉に合わすようにゆっくり吐く。

「また吸って――」

呼吸を繰り返すごとに、部分的に塞がれた視界の中で心が落ち着いてゆく。

「秋分のお祭りの時、暑さは残っていましたか?」

頭に思い描いたイメージが実感となってゆく。

「少しだけ――残っていました。」

「周囲の人垣は、どんな感じですか?」

「暑い――です。」

「憂鬱そうなお姉さんの顔をみて、どう思いますか?」

目の前に、ありありと光景が思い浮かぶ。

「――悲しいです。」

「お姉さん思いなんですね。」

「はい――でも私とは違う。」

「違う?」

「お姉ちゃんがあんな顔をしている理由と、私が悲しんでいる理由は違います。」

「なぜ――悲しいのでしょう?」

それは――と言い、本当に悲しくなってきた。

「離れたくないから。」

「離れる運命なんですか?」

「ええ。」

かざされていた手が離される。明瞭に見えかけていた「姉」の顔は消え、代わりに竹下の姿があった。そうして、自分がここにいるという実感を取り戻す。

貴女は誰ですか――と竹下は問うた。

「大原――美邦です。」

途端に、美邦は理解する。

「そうか――自分を見失わないって。」

「そうです。自分は、この世界で唯一無二の存在であることを見失わないで。」

書類に何かを書き留めた。

あとは――と竹下は続ける。

「藤村君との関係を大切にすることですね。」

「――藤村君と?」

「ええ――。大原さんの話を聴いても、藤村君は、理路整然とした考え方をできる方だと分かります。きっと、大原さんの助けになってくれるでしょう。」

「本当ですか?」

「はい。それに一番悪いのは、信頼できる相手がおらず、悩み事を一人で抱えてしまうことですから。」
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