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第八章 遺跡
4 見知らぬ姉
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――どういうことなんだろうか。
ペダルを踏みながら冬樹は思う。
――世界の半分がないってことは。
薄紅に空が染まる中を急いで帰る。左耳は無音だ。事故を警戒し、右耳に神経を尖らせた。ペダルに力を入れるたびに、右足の小指と薬指が靴の中でぐにゃりと曲がるのが気にかかる。髪や爪は生えてきても、耳や足の骨は元に戻らない。
かすかに潮騒を聞き取った。それが、恵比寿にまつわる話を思い出させる。骨のない子供として生まれた蛭子は――不要なものとして両親から海に捨てられたのだ。
完全に暗くなる前に家へ戻った。
窓の外でサイレンが響く。細く長い単調な音が、暗い港町へと染み渡っていった。凪のように消えるのは、真っ暗な海の波と同じだ。
気温が下がるにつれ夜も長くなっている――じきに、最も闇の長い冬至が来る。
制服から着替え、半纏をまとった。
鞄を開き、美邦のノートの複写と築島のメモを取り出す。そして、芳賀の作ったデータベースと見比べた――メモにある名前が、十年前・九年前までの死者にないかを確認するために。
名前の一致はすぐに見つかった。
――やっぱりだ。
十一年前の頭屋・里山幸雄と、十三年前の頭屋・近衛栄一は、十年前の四月に同時に事故死している。同じく十一年前の当屋・間中歩実は同年に自殺していた。
三人しか一致しないことを少なく感じる。だが、その理由は明らかだった。寺田直美については把握できていない。また、十二年前の一年神主は、それぞれ十年前に病死・失踪している。病死が報じられないのは当然として――失踪が漏れたのはミスだろうか。
――十年・九年前に起きた不審死や失踪は調べたもんより多かったかもしらん。
美邦のノートを読み始める。
小さめで整った文字が性格を感じさせた。
最初に書かれていたのは、町に来てすぐ見た二つの夢の内容だ。そのうち後者は、美邦から以前に通話で聴いた通りだった。ただし、駅前の通りを「商店街」と記しているところが引っかかる。確かに、廃店舗は竝んでいるのだ。しかし、商店街としての面影は今やない。
――コンビニでさえ撤退してったのに。
そして、夢から覚めたとき――何者かの気這いを感じ、跫音も聞いたという。
――大原さんの元にも何かが来た。
冬樹の部屋に侵入した者が――。だが、身体的危害は今のところ美邦に起きていない。
続いて、通学路で見るものについて詳細に述べられていた。
同じ場所に必ず現れるそれは、見えかたは日によって違うという。硝子片だけの時もあれば、大破した車の時もある。一方、場所については少しあいまいだった。「お花屋さんの前」「鞘川を渡って少ししたところ」などとしか書かれていない。
――花屋ってなんだ?
しかも、三色の菊で店頭がいっぱいになった幻視もあったという。一方、「お花屋さんに菊しかないはずはない」と書かれているのだ。花屋そのものを幻視だと美邦は認識していない。
それでも――繰り返し見ている火災の痕跡と二つの事故現場は、冬樹が漠然と覚えている火災や、データベースに書かれていた事故の現場と一致する気がした。
――伊吹での火事は一昨年だったか。
スマートフォンを取り出し、火災について検索する。すると記憶通りだった。幸いと言うべきか、火災現場の住所が載ったニュースサイトも残っている。
いつのことか芳賀が使っていたアプリを冬樹は思い出した。地球上の様々な場所を見られるそれは何と言ったか――機械に疎いので全く知らない。
検索してみて、Gooŋle Eɑrth というのだと知った。ためしにダウンロードし、火災現場の住所を打ち込んでみる。しばらくいじってみると、昼間に見る通学路の光景が現れたので少し驚いた。
――こりゃ便利というか面白いな。
データベースを参照しつつ、十年前に伊吹で起きた自動車事故・九年前に平坂で起きた事故現場の住所を Gooŋle Eɑrth に打ち込む。
九年前の事故現場の前には、青い天幕の張り出した廃店舗があった。
――これが花屋か?
少し調べ、特定の場所をリンクにして共有できることを知った。「放課後探偵団」を開き、二つの事故現場と火災現場のリンクを送り、こう尋ねた。
「いま、大原さんのノート読んどるところ。」
「自動車事故や火災の跡の幻視を見たところって、ここでない?」
返信が来るまで時間がかかるはずだ。ひとまずノートを読み進めることとする。
やがて、「姉」がいる夢の記述にさしかかった。
――寺田直美なのか? やっぱり。
当屋であることは間違いない。年齢的にも合う。彼女だけ、動向が掴めていない――生きているか死んでいるかも分からない。
千秋と自分が似ているという記述に目が止まる。美邦は、妹のような存在ができたからこそ夢を見たと思っていたようだった。
――大原さんにそっくりな小学生。
美邦と初めて出会った時のことを思い出す。あのとき確かに、二人のことは姉妹かと冬樹も思ったのだ。ただし、性格が全く違うことは感じ取れたが。
やがて、スマートフォンが鳴る。美邦から返信が来ていた。
「間違いないよ」
「幻視を見たのはここ」
でも――と、メッセージが続く。
「最初のリンク、お花屋さんはなんで閉まってるの?」
最初に送ったのは、平坂での事故現場の住所だ。やはり、幻視だと認識していなかったらしい。スマートフォンを冬樹はタップする。
「そこはずっと閉まっとる。」
「そもそも、花屋なんか平坂町にないに。」
そして、幻視のある場所が、過去の火災現場・事故現場と一致することを説明した。
やや遅れて美邦から返信が入る。
「そんな気はしてた」
「でも、変人になるのが怖かった」
気持ちを察した。障碍についての不快な思い出は多いに違いない。ましてや、忌まわしい出来事と一致するなどと思いたくなかったのだろう。
だが、続いて現れたメッセージは冬樹の予想を上回っていた。
「Gooŋle Eɑrth で見ると、町の様子が変」
「いつも私が見る通学路じゃない」
ペダルを踏みながら冬樹は思う。
――世界の半分がないってことは。
薄紅に空が染まる中を急いで帰る。左耳は無音だ。事故を警戒し、右耳に神経を尖らせた。ペダルに力を入れるたびに、右足の小指と薬指が靴の中でぐにゃりと曲がるのが気にかかる。髪や爪は生えてきても、耳や足の骨は元に戻らない。
かすかに潮騒を聞き取った。それが、恵比寿にまつわる話を思い出させる。骨のない子供として生まれた蛭子は――不要なものとして両親から海に捨てられたのだ。
完全に暗くなる前に家へ戻った。
窓の外でサイレンが響く。細く長い単調な音が、暗い港町へと染み渡っていった。凪のように消えるのは、真っ暗な海の波と同じだ。
気温が下がるにつれ夜も長くなっている――じきに、最も闇の長い冬至が来る。
制服から着替え、半纏をまとった。
鞄を開き、美邦のノートの複写と築島のメモを取り出す。そして、芳賀の作ったデータベースと見比べた――メモにある名前が、十年前・九年前までの死者にないかを確認するために。
名前の一致はすぐに見つかった。
――やっぱりだ。
十一年前の頭屋・里山幸雄と、十三年前の頭屋・近衛栄一は、十年前の四月に同時に事故死している。同じく十一年前の当屋・間中歩実は同年に自殺していた。
三人しか一致しないことを少なく感じる。だが、その理由は明らかだった。寺田直美については把握できていない。また、十二年前の一年神主は、それぞれ十年前に病死・失踪している。病死が報じられないのは当然として――失踪が漏れたのはミスだろうか。
――十年・九年前に起きた不審死や失踪は調べたもんより多かったかもしらん。
美邦のノートを読み始める。
小さめで整った文字が性格を感じさせた。
最初に書かれていたのは、町に来てすぐ見た二つの夢の内容だ。そのうち後者は、美邦から以前に通話で聴いた通りだった。ただし、駅前の通りを「商店街」と記しているところが引っかかる。確かに、廃店舗は竝んでいるのだ。しかし、商店街としての面影は今やない。
――コンビニでさえ撤退してったのに。
そして、夢から覚めたとき――何者かの気這いを感じ、跫音も聞いたという。
――大原さんの元にも何かが来た。
冬樹の部屋に侵入した者が――。だが、身体的危害は今のところ美邦に起きていない。
続いて、通学路で見るものについて詳細に述べられていた。
同じ場所に必ず現れるそれは、見えかたは日によって違うという。硝子片だけの時もあれば、大破した車の時もある。一方、場所については少しあいまいだった。「お花屋さんの前」「鞘川を渡って少ししたところ」などとしか書かれていない。
――花屋ってなんだ?
しかも、三色の菊で店頭がいっぱいになった幻視もあったという。一方、「お花屋さんに菊しかないはずはない」と書かれているのだ。花屋そのものを幻視だと美邦は認識していない。
それでも――繰り返し見ている火災の痕跡と二つの事故現場は、冬樹が漠然と覚えている火災や、データベースに書かれていた事故の現場と一致する気がした。
――伊吹での火事は一昨年だったか。
スマートフォンを取り出し、火災について検索する。すると記憶通りだった。幸いと言うべきか、火災現場の住所が載ったニュースサイトも残っている。
いつのことか芳賀が使っていたアプリを冬樹は思い出した。地球上の様々な場所を見られるそれは何と言ったか――機械に疎いので全く知らない。
検索してみて、Gooŋle Eɑrth というのだと知った。ためしにダウンロードし、火災現場の住所を打ち込んでみる。しばらくいじってみると、昼間に見る通学路の光景が現れたので少し驚いた。
――こりゃ便利というか面白いな。
データベースを参照しつつ、十年前に伊吹で起きた自動車事故・九年前に平坂で起きた事故現場の住所を Gooŋle Eɑrth に打ち込む。
九年前の事故現場の前には、青い天幕の張り出した廃店舗があった。
――これが花屋か?
少し調べ、特定の場所をリンクにして共有できることを知った。「放課後探偵団」を開き、二つの事故現場と火災現場のリンクを送り、こう尋ねた。
「いま、大原さんのノート読んどるところ。」
「自動車事故や火災の跡の幻視を見たところって、ここでない?」
返信が来るまで時間がかかるはずだ。ひとまずノートを読み進めることとする。
やがて、「姉」がいる夢の記述にさしかかった。
――寺田直美なのか? やっぱり。
当屋であることは間違いない。年齢的にも合う。彼女だけ、動向が掴めていない――生きているか死んでいるかも分からない。
千秋と自分が似ているという記述に目が止まる。美邦は、妹のような存在ができたからこそ夢を見たと思っていたようだった。
――大原さんにそっくりな小学生。
美邦と初めて出会った時のことを思い出す。あのとき確かに、二人のことは姉妹かと冬樹も思ったのだ。ただし、性格が全く違うことは感じ取れたが。
やがて、スマートフォンが鳴る。美邦から返信が来ていた。
「間違いないよ」
「幻視を見たのはここ」
でも――と、メッセージが続く。
「最初のリンク、お花屋さんはなんで閉まってるの?」
最初に送ったのは、平坂での事故現場の住所だ。やはり、幻視だと認識していなかったらしい。スマートフォンを冬樹はタップする。
「そこはずっと閉まっとる。」
「そもそも、花屋なんか平坂町にないに。」
そして、幻視のある場所が、過去の火災現場・事故現場と一致することを説明した。
やや遅れて美邦から返信が入る。
「そんな気はしてた」
「でも、変人になるのが怖かった」
気持ちを察した。障碍についての不快な思い出は多いに違いない。ましてや、忌まわしい出来事と一致するなどと思いたくなかったのだろう。
だが、続いて現れたメッセージは冬樹の予想を上回っていた。
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