神送りの夜

千石杏香

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第七章 立冬

10 今年の一年神主

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冬樹に何が起きたのか知ったのは昼休憩だ。

給食時間が終わる。

美邦は、スマートフォンをこっそりと持ち出して教室を出た。

ひとけのない鉄筋校舎に這入る。二階へ上り、バルコニーへ出た。乾いた風が港から吹き、頬をなでる。周囲に人がいないことを確認し、スマートフォンの電源を入れた。

同時に、冬樹からのメッセージに気づく。病院にいるが安心してほしいと書かれていた。しかし、何の病院なのか分からない。震える指で画面をタップする。

「病院って、大丈夫なの?」

直後、待っていたかのように既読がついた。そして、次のメッセージが入る。

「ちょっと左耳が聞こえんくなった。」
「それで、耳鼻科に行ってきたところ。」

――耳が。

聞こえなくなった。

どういうこと――と美邦は返信する。

冷たい風がバルコニーを薙いだ。

今朝の出来事や、耳鼻科での診断について教えられる。

美邦は何も考えられなくなった。五感の一つを失ったのだ。自責の念が自然と湧いてくる。

――お前のせいだ。

得体の知れないものに触れるのは怖い。だが――冬樹が傷つくことはもっと怖かった。動揺から自然に指が動く。

「ごめんなさい」
「私に関わったばかりに」

送信したあとで後悔する。こんなことで謝っても仕方はない。

冬樹の返事は案の定のものだった。

「なんで謝るだえ?」
「首を突っ込んだのは俺自身だが。」
「というか、大原さんの方が俺は心配だに。何か起きとらんかって。」

言葉の意味を考え、そして気づいた。

冬樹の身に異変が起き、自分の身に何も起きないわけがない。しかし、美邦の身には今のところ何も起きていなかった。それは、考えてみれば不思議なことかもしれない。

「私は、今のところ何も起きてないよ」
「なんでだろう?」

少し時間が経った。やがて、白い吹き出しが竝ぶ。

「さあ。」
「それは分からんけど。」

三つ編みを風がなびかせる。続いて、冬樹はこう問うた。

「教室は今、どんな感じ?」
「先日の黒板の件で、先生、何か言っとらなんだ?」

全校集会での校長の説明を思い出す。頭の中で少し整理しつつメッセージに起こした。当然、冬樹も怪訝に思ったようだ。説明のあと、「ほんに?」と返してくる。

「あんときの教室は湿気とったやに思えんが。」
「そんな説明で、みんな納得しとったかえ?」

「疑ってたみたいだった」
「あんなんで信じられるわけない。」

だでな――と冬樹は返信した。

この先、冬樹はどうなるのだろう。明日から土日だ。月曜になるまで四日も顔を合わせないことになる。その不安からメッセージを打った。

「それでね、話は変わるけど」
「実は、藤村君のお見舞いに行こうかと思っていたの」

それから、岩井や芳賀とのやり取りについて説明する。芳賀の反応については冬樹も怪訝に思っていた。しかし、見舞いに来ること自体は構わないという返信が来る。

「大原さんに見てもらいたいもんがある。だけん、ぜひとも来てほしい。」
「ただ、総合病院で検査せないけんけえ、土曜日は家におらん。」
「日曜日なら、いつ来てもらっても大丈夫だで。」

     *

日曜日も風が強かった。

昼食を摂り終えたあと美邦は家を出る。

日曜にも拘わらず、幻視を除いて中通りに人影は少ない。焼け焦げたような者が彳み、上半身のない者が彳む。本通りと交差する辻のバス停には、バスを待つように二、三の影が屯していた。

冬樹の家があるのは入江の東端だ。

入江に来るのは二度目だった。港から潮騒が聞こえる。この先には、神迎えや神送りが行なわれた青ヶ浜があるという。だが、美邦はまだ行けていない。

スマートフォンで何度か場所を確認する。やがて、「藤村」という表札を見つけた。

呼鈴を押す。インターフォンから、はい、という老女の声が返ってきた。来意を告げると、心よく彼女は応える。

「ああ、大原さんね。今、冬君を呼んできます。」

かすかに紅い布が揺らめく。

ドアが開き、いつもと変わりない冬樹が現れた。外見からは、左耳が聞こえないことなど分からない。

「ああ、大原さん――よう来たね。あがって。」

お邪魔します――と言い、紅い布を横目に玄関へ這入る。左耳からはこの声も聞こえないのだろうか。

居間へ通される。

八畳の和室だった。テレビはなく、代わりに一台のパソコンがある。促されるまま座布団に坐った。冬樹が対面に腰を下ろす。恐る恐る美邦は問うた。

「大丈夫なの――左耳は?」

「ああ。やっぱり、耳小骨がなあなっとるって。なんでかは検査しても分からんかったけど。」

「――そう。」

居心地の悪さを感じ、テーブルの端へと目を逸らす。

「やっぱり、神社について調べたからなのかな――?」

かもしらん――と冬樹はうなづく。

「けれど、何者かがおることははっきりした。目にも見えんし、形もないけど、耳の骨を奪ってった。問題は、冬至までに送り返せるかってとこだけど――」

最後の言葉に顔を上げる。

「藤村君も神送りを行なうつもりなの?」

「もちろんだが――大原さんは?」

様々な危険を感じたが、美邦はうなづく。

「私も。神様は送らなければならないと思う。何より――私の家の神社に起きたことなのだし。」

冬樹は静かにうなづく。

「ああ――そうだな。こんな神社が町にあっただなんて捨ててはおけん。前にも言ったけど、自分のルーツを俺は知りたい。」

その言葉に美邦は安心する。

「私も同じ。神社は、私自身のルーツだから。神様を送るために、いつかは私は帰ってこなきゃいけなかった気がする。」

ちらりと美邦へ視線をやり、何事かを冬樹は少し考えた。

「どうあれ、何が起きたか知るまでは、死んでも死に切れん。」

「そのための――放課後探偵団だもんね。」

冬樹は軽く笑む。

「まあ、ほとんど放課後に活動しとらんけどな。」

廊下から跫音が聞こえてきた。

ふすまが開き、ケーキと茶の載った盆を老女が持ってくる。テーブルに置くと、ゆっくりしていってねと言って微笑み、居間から彼女は出ていった。

美邦はケーキに手を付ける。

同時に、懸念事に思い当たった。

「けれど――やるとしても、いつやるの? 冬至まで二か月もないのだけど。それまでに、藤村君に危険がないか心配だし、儀式に必要な物も揃えられるかどうか――。逆に、来年の冬至というのはあまりにも遅すぎるような――」

それだな――と冬樹もうなづく。

「ベストなのは今年の冬至だら――それまでに俺の体が持つかどうかも分からんけど。加えて言えば、神様がどこにおるか分からん限り送ることもできん。でも――」

切れ長の目が美邦を捉える。

「大原さん、このあいだ言っとったが? 神様は、どこかに隠れとる感じがする――って。」

首を縦に振る。

「うん。目に見えない存在が隠れるっていうのも上手く説明できないのだけど――。たとえば、依代とかご神体とか、そういう物の中にあるような――」

我ながら不思議なことを言っていることに気づいた。胡散くさい人のように自分を感じる。

しかし、冬樹は考え込んだ。

「似たやなこと考えとった。」

「――え?」

「山の中に這入ったとき――大きな社殿があった。あれは、神様を祀っとった跡だ。けど、あそこにおらんくて、もし、依代やご神体の中におるなら――」

刹那、点と線がつながったような気がした。

「神様は――今も祀られているということ?」

「あくまでも可能性だけど。依代ってのは憑依する物だ。どうあれ、別の処に移ったことになる。」

その言葉は、漠然と自分が抱いている感覚と符合した。

「けれど、それは正常な祀られかたでなかった。そこに、宮司の家系である大原さんが帰ってきた。」

そして、やや慎重に冬樹は問う。

「失礼だけど――大原さんが失明したのっていつごろ?」

思わず息を呑む。

言わんとすることはすぐに察した。ゆえに少し躊躇したのだ。

「町を出るか出ないか――の頃だと思うけれど。」

左眼が見えない美邦と、左耳が聞こえなくなった冬樹が対峙している。

「これも――神社と関係があるの?」

「可能性は高い。神社に関することをしばしば大原さんは幻視しとる。それどころか、実相寺が亡くなった瞬間もは見た。」

それは、なんとなく感じつつも、触れることが怖かったことだ。

「そう――かもしれない。この町に来てから――変なものを見ることが多くなっているし。」

冬樹は首をかしげる。

「大原さんが見たもんって、実相寺が亡くなった時の白日夢だけ?」

先日、打ち明けたのは白日夢までだ。それ以外は、細かいことが多すぎて説明できなかった。しかし、一つ一つ事例を挙げるよりも簡単な方法がある。

「ううん。他にも色々とある――関係あるかどうか分からないけど。竹下さんからは、町に来てから見たものや感じたことをノートにまとめるよう言われてる。それを見てもらったら早いと思うんだけど。」

冬樹は身を乗り出す。

「そのノートは、今――?」

「家にある。まだ書きかけだし、カウンセリングを受けるときに使うから必要なんだけど――コピーを取ってくることはできる。」

「――ぜひともお願いできんかな?」

「うん。――もちろん。」

「ありがとう。」

そして、茶を一口すすった。

「あと――菅野さんから聴いた儀式の手順は、芳賀がみんなメモに取った。俺んところにデータはある。儀式のことは、それ見ながら考えやあか。それと――」

横にのけていた紙を冬樹は手に取った。そして美邦へ差し出す。

「とりあえず、これを。」

紙を受け取った。そこには、次の文が印刷されている。

「掛けまくもかしこ伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ筑紫つくし日向ひむかたちばな小戸をど阿波岐原あはぎはらに、御禊みそはらたまひし時ときにせる祓戸はらへど大神等おほかみたちもろもろ禍事まがごとつみけがれらむをば、はらたまひ清め給へとまをす事を聞食きこしめせと、かしこみかしこみまをす。」

初めて目にする言葉にも拘わらず、その意味を美邦は完全に理解していた。

「これは――?」

祓詞はらえことばっていう万能祝詞。儀式じゃ、宮司が祝詞を挙げんといけん。儀式用の祝詞を俺が作れるかどうかは分からんけれど――。それでも、これは万能だけん覚えといて損はない。」

再び紙へ目を通し――そして、難解な古文であることに初めて気づいた。

――どうして。

動揺の中、冬樹が問う。

「覚えれそう?」

「うん――。覚えること自体は難しくない。」

よかった――と言い、冬樹は再び考え込む。

「あと――儀式のルートも下見しとかんと。」

美邦は首をかしげる。

「下見?」

「ああ。平坂神社から青ヶ浜・荒神塚までのルートを見とくだが。ひょっとしたら、その過程で何か分かるかもしらん。それと――」

再び、難しげな顔となる。

「銅鐸も見といたほうがええかもしらん。」

美邦はすぐ思いだした。

「銅鐸って――中学校を造るときに見つかった?」

そこには、大原家の家紋が描かれていた。

「ああ――。実は、俺もまだ見とらんに。いまは、□□市の博物館に展示されとるらしいけど。」

□□市は、県庁所在地の名前である。

「もちろん、見ただけで何が分かるとも限らん。それでも、間違いなく神社と銅鐸は関係があると思う。ひょっとしたら――神迎えや神送りは弥生時代から続く祭りかもしらん。大原家が国造っていう話も与太話でない。」

そして、美邦の様子を窺うように冬樹は目を上げる。

「せっかくだけえ、一緒に見に行かん?」

なぜか、その言葉を待っていたような気がした。

「うん――行きたい!」

意外にも美邦が乗り気だったので冬樹は少し驚いたようだ。

「それじゃあ――儀式の下見と、銅鐸を見に行く計画を立てんと。できれば、来週にでも行きたい。」

そして、パソコンに目をやる。

「ちょっと、パソコン使わん?」

「うん。」

冬樹は、パソコンの前に座布団を二つ移動させる。そこに二人で坐った。冬樹が電源を入れ、パスワードを打ち込み、アカウントにログインする。

同時に、奇妙な画像が広がった。

美邦は眉をひそめる。

明け方か夕暮れを背景にした逆さの枯れ木が写っていた。美しい光景なのに、気味の悪い印象を受ける。デスクトップとしては悪趣味だ。

「この画像は――何?」

「さあ――俺にも分からん。」

デスクトップが変わった経緯について説明される。この画像が冬樹の趣味ではないと知り、少し安心した。

「本当は――すぐ削除しようと思っただが。でも、これも変なことには変わらんに。神社のことと関係があるかも知らんと思って、そのままにしといた。」

デスクトップを眺める。良し悪しはどうあれ、特殊な印象を他人に与える点では秀でていた。やがて、その画像を説明するのに適切な言葉が頭に浮かぶ。

「常世の国だ――これ。」

「――え?」

顔を上げると、怪訝そうな表情を冬樹はしていた。

少し恥ずかしくなり、美邦は顔を伏せる。

「いや――何でもない。」

冬樹は何事かを考えていたが、やがて、それか、とだけ言った。

平坂町について検索し、神送りのルートを確認する。最後に、県庁所在地にある博物館のホームページにアクセスした。

サイトを開くと、銅鐸の画像が大きく現れる。

冬樹がLIИEで送った画像は線画だった。だが、実際の銅鐸は緑青に覆われ、あちこちが欠けている。

「この銅鐸が――平坂神社の鉄鐸の祖先なの?」

その可能性は高い――と冬樹は言った。

「神社の銅鏡と同じやに、弥生時代の青銅器は神様を祀る道具だった。けれど、弥生時代が終わると同時に銅鐸は忘れ去られる。」

――神を祀る物が忘れられる。

「つまり、平坂神社と同じ?」

「そういうことになるな。諏訪の小野神社と、出雲に近い平坂神社にだけ鉄鐸があるのは、邪馬台やまとが全国を支配する前の祭祀の名残かもしらん。」

美邦は銅鐸へ目をやる。再び、何かを思い出しそうな気がした。

同時に、別の懸念もやってくる。

「そうだったとしても――冬至までに鉄鐸なんて用意できるのかな?」

「そこだな。」眉間に皺が刻まれる。「儀式に必要な物の中で――最も難しいだらあな。」

美邦は同意しかねた。それよりも用意が難しいものがあるはずだ。

「一年神主はどうなるの? 本筋の人で、十五歳以上で未婚の人を二人も選ばなきゃいけないんでしょ? 宮座は今はもうないのに――鉄鐸より難しいんじゃ。」

冬樹は、静かに顔を向けた。

やがて首を横に振る。

「いや、一年神主は問題ない。」

「――え?」

「今年の一年神主は大原さんだ。」
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