神送りの夜

千石杏香

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第七章 立冬

4 さらなる禁忌

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給食を食べ終えた。

トレーを持ち、教室の後ろに美邦は進む。同時に、配膳台ごしに幸子と顔を合わせた。今週は当番なので、食器が片付くのを待っているのだ。

顔を逸らし、教室を見回す。

既に、どこかへ芳賀は去ったようだ。

食器を返し終えた。

入り口では冬樹が待っている。

近づくと、声をかけられた。

「じゃ、行かぁか。」

「うん。」

給食の残り香のある廊下を二人で進む。

緊張も不安も、冬樹といれば半減する。それでも、見知った教師がどう反応するか気にかかった。

嘘をついているなら――正面から突きつめられる。しかし、そうでないならば――。

職員室へ這入った。

窓辺には、灰色の髪の教師が坐っている。

そこへ二人で歩み寄った。先生、と冬樹が声をかける。

不思議そうに築島は顔を上げた。

「どうしたんです、二人とも?」

「いえ、少し質問があるんですが――。」

冬樹の視線が向く。戸惑って美邦は周囲を見まわした。狭い職員室には教員が何名もおり、しかもだぶって見える。

その態度から築島は察したらしい。

「ここでは、話しづらいことですか?」

ええ――と、冬樹は言う。

「では、場所を変えましょう。」

築島は立ち上がった。

導かれるまま職員室を出て、渡り廊下を渡る。

築島の背中は昭と似ていた。だが性格は父より随分と温和だ。

鉄筋校舎の一階――第二図書室へ這入る。そこは、図書室に収め切れない本を置く場所だ。三面が本棚となっている他は、会議用テーブルとパイプ椅子しかない。人は近寄らず、生徒指導室の代わりとして使われることもある。

椅子を引き出し、築島は坐った。その対面に竝んで腰を下ろす。

「それで――何でしょう?」

話を切り出したのは冬樹だ。

「このあいだ、神社がなかったかって訊きましたよね? 伊吹にあったっていう。」

「ええ――僕はお役に立てませんでしたが。」

美邦は、冬樹と築島の様子を交互に窺う。作戦が成功するか心配した。

「あのあと、色々と僕も調べたんです。すると――平坂神社ってのが見つかりました。」

「――平坂神社?」

「はい。ネットで検索をかけまくったんです。そしたら、境内の画像が出ました。お尋ねしたいのは、その一つのことですけど――」

冬樹は、折り畳んだ紙をポケットから出す。開くと、二葉の写真が現れた。

差し出された紙を築島は受け取る。そして、やや目を離しながら眺めた。

二葉目の写真を見つめ、やがて、凍り付いたように目を開く。

一葉目の写真は本殿だ。二葉目は、その手前の玉垣を撮ったものである。石柱に、築島の名前・寄付額・寄付年が彫られていた。

「これは――」

「先生の名前が刻まれとりますね?」

血管の浮き出た手に鳥肌が立つ。

冬樹はさらに問いかけた。

「先生、神社に寄付されたでないですか?」

築島は写真を見つめ、老眼鏡の位置を直す。鳥肌の立つ手が震えた――まるで何かを恐れるように。

しかし何を――神社を隠していたことなのか、それとも別の何かなのか。

やがて、間違いありません――と落ち着いた声が返ってくる。

「平坂神社に僕は寄付しました。」

美邦は身を乗り出す。このときになって、自分の知る町に帰って来られた気がした。

「神社のことを知っているんですか?」

築島は顔を上げ、狼狽したように問うた。

「大原さん――って、まさかあの大原さんですか?」

その言葉と表情に困惑する。築島は、本気で驚いているように見えた。

一方、冬樹は眉をひそめる。

「――『あの』?」

凍りついたまま築島は動かなくなった。

蒼ざめてゆく額の下で老眼鏡が直される。そして正気を保とうとするように言葉が続けられた。

「平坂神社の宮司は大原でした。十数年前――いや――二十数年前です――その娘さん――大原夏美さんのクラスの担任が僕でした。」

意外な言葉に訊き返した。

「――知ってるんですか? 母を。」

「ええ、そっくりです――教室にいた頃と特に。」

胸が疼く。

母のことはあまり覚えていない。写真を見ても、似ていると思ったことはなかった。それでも同じ歳頃であれば、ひと目で判るほど似るのだろうか。

容赦なく冬樹は問うた。

「平坂神社は倒産したんですよね?」

もし嘘をついているならば、「倒産」という言葉に乗る可能性が高い。だが、築島の反応は違った。

「倒産? 平坂神社が倒産する――」

言葉に詰まり、声を震わせる。

「――ような神社ではありません。」

美邦は察した――恐らく、築島は隠し事をしているのではないのだろう。

小刻みに震える手が、蒼白い額に触れた。

「変だな――こんなこと、忘れるはずないのに――。まだ健忘症は始まってないが――」

冬樹は目をひそめる。

「神社のこと、ずっと忘れとったですか?」

「はい。」途端に築島は余裕を失う。「本当です――僕自身、自分に起きていることが信じられない。」

気にかかって美邦は尋ねた。

「町の人が、みんな忘れているのでしょうか――?」

眉間の皺が深くなる。

「分かりません。でも――平坂神社は町中から崇敬されていました。町民のほとんどが氏子だったはずです。決して、倒産する神社ではありません。」

その言葉を冬樹は気にかけたようだ。

「御忌も宮座も十年前にはあったんですか?」

築島は不思議そうな顔をした。

「――よくご存知ですね。当然、ありましたとも。町の何割かの人が宮座でした。僕も一応は本筋で、御忌明けの日には籤を引いていたのです。」

淡い期待が胸をよぎる。

「築島先生も一年神主だったんですか?」

「いえ、当籤したことはありません。」

冬樹は再び目を細めた。

「でも、どうして今はないんです?」

「なかったのです。」

美邦は振り返り、冬樹と目を合せる。

菅野と同じ言葉を耳にしたのだ。

「十年ほど前――」声が再び震える。「大原夏美さんは既に結婚され、お子さんを授かられていました。神社を訪れたとき、二、三歳くらいの女の子を抱かれていたのを覚えています――美邦さんで間違いないでしょう。」

再び胸が疼く。

それきりです――と築島は声を震わせた。

「それきり、神社の記憶は途絶えています。美邦さんが、こんなに大きくなったことに驚いているくらいです。」

築島は最初、母を担任した年を十数年前と言い間違えた。鳥肌が立ったのはそのせいだろう――十年の時が唐突にズレたのだ。

第二図書室が静まり返る。

菅野に話を聴いた時から感じていた――町中の人々が忘れているのではないかと。しかし今まで信じられなかったのだ。そんななか、美邦は思い当たる。

――思いだそうと思えば、思いだせる?

遠慮するように築島は尋ねた。

「左眼は――どうされたんですか? 大原さんが小さい頃は、視覚障碍は抱えられていなかったと思うのですが。」

知らず知らずのうちに左眼に手が向かう。

「物心つく前に――視神経炎で失明してしまったんです。」

「――そうでしたか。」

神社を知り、母を知り、失明する前の自分を知る者がいる――この町について知ることは、自分自身について知ることと同じだ。

やがて冬樹が問うた。

「十年前――大原糺さんが亡くなんなりましたね? それ、自然な死だったでしょうか?」

築島は少し考えこむ。

「いえ、かなり唐突な死でした――それまでお元気でしたので。」

美邦は息を呑んだ。不審死は、どうやら自分の祖父が始まりらしい。

「そのあと――大原昭さんが宮司になんなって、大原夏美さんが亡くなんさった――?」

「ええ――間違いはありません。」

「夜が変になったり、不審死や失踪が多なったのもそんときからですか?」

築島は、鳥肌の立つ手を老眼鏡に当てる。

「――確かにそうです。」

「十一年前や十年前――変わったことありませんでしたか? 宮司さんの死や神社の消失を除いて。」

回答に少し時間がかかった。

「変わったことといえば、宮司さんや夏美さんの死ほど変わったことはありませんでした。それ以外では――思い当たることは少なくとも今はありません。」

祭りのことが気にかかり、美邦は尋ねる。

「御忌の夜は――今みたいな感じだったんですか?」

首が軽く横に振られた。

「いえ――御忌の日は、外に出てはいけないという緊張感が張り詰めていました。けれども――今の夜は寂しいですね。まるで真夜中の山道を、一人で歩いているような感じがします。」

「そう――ですか。」

「逆にお尋ねしますが――お二人はどこまでご存じなんですか?」

美邦は、ちらりと冬樹へ顔を向けた。

それから、知りうる限りのことを交互に述べる。

簡単に説明し終えたあと、なるほど、と築島はうなづいた。

「それで――不審死や失踪が神社と関係があると考えたのですね。」

冬樹が身を乗り出す。

「十一年前、神送りは行なわれましたか?」

「行なわれていたはずです。神社のある限り、祭りは必ずありましたから。」

少し経ち、質問の意味を築島は察したようだ。

「まさか、神様が送り返されていない――今でも町にいると仰りたいのですか?」

「いえ――分かりませんけど。」

ただ――と冬樹は言った。

「もし、神社を消すことができる者がおるなら、それは何でしょう。しかも、不審死や失踪は、神社がなぁなったときから起きとります。――そがなことを起こす存在っていうのは――平坂神社の神様のような気がします。」

美邦はうなづく。

築島の反応を見る限り、芳賀の説は成り立たないのではないか。一方、より無理のある説明の方が現実味を帯び始めていた。

「私もそう思います。この町には何かがいるような気がするんです。昼間は寂しいのに、夜には何かがいます。神様がいないのにいるような。まるで――」

どこかに隠れているような――という言葉が自然と口から出た。

ふむ――と築島は考え込む。

「その気持ちは分かります。十年前は――昼間でも町には活気がありました。でも、今は、夜の中に取り込まれてしまったかのようです。」

それに――と築島は続けた。

「神様のような気は僕もします。というのは、平坂神社の神様は、生贄を求めると聞いたことがあるのです。実際、十年以上前にも、不審死や失踪がないこともありませんでした。」

美邦は眉をひそめる。父が町にいた時から、不審死や失踪は起きていたのか気にかかっていた。

「それは、御忌の日に――?」

祖父や父は――何を祀っていたのか。

「いえ――御忌だけではありません。一年神主に選ばれた者か、その家族が、不審な死を迎えることがあったのです。」

芳賀のスレッドを思い出した。

冬樹と顔を合わせる。

スレッドには、一年神主が生贄になることがあると書かれていた。しかし、その家族が巻き込まれるというのは初耳だ。

「もちろん――そのようなことは『あまり』起きませんでしたが。それでも、十数年ほど前にも、一年神主の家族のかたが亡くなられました。」

思うところがあるらしく、悲しげに目が光る。

「それどころか、全く関係のない者も生贄に取られると聞いたこともあります。――ただし、偶発的に起きた不慮の死を、そう解釈した側面もありましたが。」

疑わしげに冬樹は首をかしげた。

「不慮の死と生贄を区別する方法はありますか?」

「ありません。しかし、一年神主とその家族に関することは――ずっと言い伝えられてきましたよ。」

鉄筋校舎の外から、生徒たちのはしゃぐ声が響く。

生贄という点でも、不審死と神に関連がある。もちろん、それがなぜ町にいるのか、神社を消したのかは分からない。

切れ長の目が築島を捉えた。

「十一年前――神送りは行なわれたんですよね? てことは、十年前の春分――神社が消えた後で神迎えが行なわれたんでしょうか?」

築島は首をかしげる。

「神社が消えた後に――ですか?」

「はい。神様が今もおんなるなら――そうなるはずです。」

しかし、難しげな顔が返ってきた。

「いえ――そういうことはなかったと思います。少なくとも、御忌に関する記憶は神社と共に途絶えています。神迎えや御忌というのは、町ぐるみの――しかも神社と一緒になったお祭りでした。神社のない神迎え――という変なことがあれば、思い出しているはずです。」

冬樹は、少し疑わしげな顔をした。実際、十年間も神社を忘れていた者の言葉が信じられるか――不安要素が少し絡む。

「では、なぜ――?」

「分かりません――」

ふっと築島は考え込む。

「でも――宮司さんが亡くなられたのは年明けでした。お正月の挨拶をした直後――いきなりです。一か月後、夏美さんも亡くなられました。もし神様が原因なら、神送りに問題があったのかもしれません。実際、神送りは秘儀ですので、そこで何があっても誰も分からないでしょう。」

「神様が送られなかった――?」

「可能性は考えられます。」

冬樹は黙り込む。神送りに問題があったならば――何が考えられるのか。

やがて、気づいたように築島は顔を上げた。

「よろしければ――神社について僕も調べてきましょうか?」

冬樹は身を乗り出す。

「ええんですか?」

「僕も興味のあることです。手あたり次第知人に電話をしていけば、何か判るのではないかと思います。」

刹那、予感していた懸念が美邦の胸に蘇る。

築島を巻き込む気がしていたのだ。由香も菅野も、自分と関わった直後に亡くなった。自分のせいで誰かが死ぬのは、自分の死よりもある意味で怖い。

「でも――大丈夫なんでしょうか。築島先生にも何かあったら――」

築島は首をかしげる。

「何か――とは?」

美邦は目を伏せる。幸子や芳賀の姿が頭をよぎった。説明しづらいが、今のうちに言わなければならない。

「神社のことを調べてから、二人が亡くなりました。由香もですし――郷土史家のかたも。藤村君の爪が剥がれたことも、無関係ではないと思うんです。」

「爪――ですか?」

それを受け、先日のことを冬樹は説明した。途中、ガーゼに覆われた爪先を見せる。築島は眉をひそめ、これは酷いなとつぶやいた。

冬樹は顔を向け、軽く笑む。

「けれど――大原さんは、神社のこと調べるのやめたぁないんだら?」

「うん。」

直後、迂闊だったと思った。冬樹の身に何が起きるか分からない。しかし放置していいとは思えないし、神社について知るためには冬樹の協力も必要だ。でなければ、大変なことになる。

そこまで考え、自分自身に引っかかった。

――大変なこと?

心配そうな声を築島はかける。

「しかし、本当に大丈夫なんですか?」

さすがの冬樹も、少し困ったように答えた。

「分かりません。けれど、僕は――僕に関する歴史を知りたいんです。」

「歴史?」

「ええ――。自分たちに何があったか、誰もが知りたいと思います。先生もご存じでしょう? 僕の父に起きたことについて。父がいなくなった時から、夜に連れて行かれたような気がしていました。なぜそう思うか、そろそろ分かる気がするんです。」

冬樹と同じ気持ちを抱いていることに美邦は気づいた。

どこから自分が来たのか――ずっと知りたかったのだ。それは、自分のルーツが頑なに隠されてきたためでもある。

そういえば、「根の国」とはルーツという意味だったか。

「――ふむ。」

「しかも――なぜ実相寺は亡くならなければならなかったんでしょうか。神社とも神祭りとも何も関係なかったのに。」

「その気持ちは分かりますよ。」

うなづくと共に老眼鏡のふちが光った。

「この学校に勤め、随分と長くなります。本来なら亡くなる年齢でないかたが、不遇の事故に巻き込まれたり、失踪したりするのを見るのは、本当につらいものがあります。」

由香のことを言っているのだろうか。

いや、由香だけではないのだろう。今まで何度も繰り返されてきたことなのだ。同じ光景は見たくないに違いない。

築島は、再び冬樹を見やる。

「藤村君――。君は民俗学に詳しいようですが、魔除けなどの方法はご存知でないですか?」

「魔除け――ですか?」

「はい。もしも危なくなる可能性があるならば、対策を立てるべきだと思います。」

難しい顔で冬樹は考え込む。

「限りなくソトに近いウチが軒です。そこを、刃物や、臭いの強い物でさえぎり、魔除けとする例は全国にあります。平坂町では、紅い布がそれでしょう。ただ――どれだけ効果があるか。」

ふと、無数の紅い布が吊るされた家のことを思い出す。

「菅野さんの家にも、たくさんの紅い布があった――。でも、どれだけ戸締りしても『泥棒』が這入って来るって言ってたし、火事になったんじゃ――」

「ああ。」深刻そうに冬樹はうなづく。「効果があったとは思えんな。」

そして、さらに考え込んだ。

「そうでなきゃ――お米とお酒で結界を作るとか、お祓いを受けたり、お札をもらって来たりするとか――。ちょっと今は思い当たらんので、調べてきてもええですか?」

「構いません」と築島はうなづく。「けれども――他の神社の加護をもらうのは、悪くないと思いますけどね。」

そんなときだ――右耳の奥にじわっと痛みを感じたのは。

美邦は耳を押さえ、前かがみとなる。

心配そうな声を冬樹が上げた。

「どうかした?」

「いや――ちょっと耳鳴りが。」

ふと、ドアの外へと目を遣る。紙の擦れるような音がして、何かの動く姿が硝子に写った。

それに気づいたのは美邦だけではない。他の二人も、ドアへと顔を向けていた。振り返り、不可解そうに目を交わす。

築島は立ち上がり、ドアへ近寄った。美邦と冬樹もそれに続く。ドアを開け、廊下を見回した。ひとけのない鉄筋校舎の廊下しかない。

「なんだったんだろうな――今のは。」

あとには、厭な感触だったなという言葉でも続きそうだ。

「まあ、いずれにしろ――」

ドアを閉め、築島は言う。

「神社に何が起きたかはともかく、もし本当に神様がいるのならば、やることは一つのようですね。」

冬樹は首を傾げる。

「と――言いますと?」

「決まっています。――再び、神送りを行なうのです。」
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