49 / 76
第六章 霜月
2 いる、ということ
しおりを挟む
翌朝――千秋と共に家を出た。
幾度も折れる細い路地を竝んで進む。
潮風が吹き込み、家々に吊るされた洗濯物や紅い布をなびかせた。
こちらをうかがうように何度か目を向けられる。千秋の態度はよそよそしかった。あの晩以降、あまり口はきいていない。今も、会話をかわせそうな雰囲気ではなかった。
中通りに出ると、美邦の前へと小走りに千秋は進んだ。
「じゃ、お姉さん、また夕方に。」
うん――と美邦はうなづく。
集合地へ向けて千秋は駆けていった。背中で揺れる水色のランドセルが黄色い残像となる。
通学路を独り進んだ。登校する生徒や児童にまぎれ、焼け焦げたり欠損したりした人影が現れる。いつもの場所では、大破した車が道をふさいでいた。
――大原さんの。
――目目目目が。
――汚れてていま。
この左眼のせいで、目立つ行動を極端に控えるようになった。空気のような存在ならば、揶揄されることも、人目を気にかけることもない。結果――教室では、あまり話しかけられなくなってしまった。
――けれども。
あの晩――由香の死を美邦は見たのだ。
夢でしかないものが、リアルタイムで起きていた。
しかも、同じ夢は前も見たことがある。自分は――由香の死を予知していたのだろうか。そう思うと、なおのこと怖い。
鞘川を過ぎると、破損した車が再び現れた。さらに進めば、焼けた家が現れる。それらが、過去の事故や火災の現場と一致するかはまだ調べていない。
丁字路に差しかかる。
消火栓の前には誰もいなかった。由香は当然として――いつも美邦を必ず待っている幸子さえいない。
由香の蒼い顔を思い出す。
――まさか幸子にも。
不安を覚えつつ、少し待ってみる。
民家の合間から、紅い燈台が見えた。
波音は聞こえても、防波堤に遮られて海は見えない。その先は、別の世界のように感じられる。しかし、向こうに由香が行った気はしない。
――お墓の中。
それが最もしっくりくる。
だが両親の墓の前では、ここにはいないと感じた。
冬樹から借りた本の内容を思い出す。
古い言葉で、醜いことを「よも」と言った。
黄泉の国は「よものくに」なのだ。
生死の判定が難しかった時代――死者の魂は、すぐには異界へと去らないと考えられていた。肉体が腐敗するまで、近くに漂っているとされていたのだ。ゆえに、魂を呼び戻し、蘇生を願う儀式――モガリが行われた。
だが、腐臭の漂う暗い世界から魂は去る。
その行く先が、根の国や常世だった。「根」は、魂の根源という意味だ。根堅州国ともいう。琉球では、ニライカナイと呼ばれる。
スマートフォンが鳴る。
幸子からメッセージが入っていた。
「ごめん、先に行ってて」
分った――と美邦は返信する。
一人で学校へ向かう。
教室へ這入ると、由香の机に花が活けられていた。蒼い陶器に挿された白百合が静かに活きている。
あはは――と狂ったような笑い声が聞こえてきた。
声のするほうへ目を遣ると、笹倉が登校して来たところだった。
「天罰だ! 天罰だ!」
鼻歌を歌いながら、わざとらしく美邦の席の前を横切ってゆく。
誰もが――何も見ないような顔をしていた。
それから始業時間になっても、幸子は登校してこなかった。朝学活の最中、体調不良により幸子が欠席することを鳩村は伝えた。
*
昼休憩、鉄筋校舎のバルコニーへと冬樹と芳賀の二人と共に出た。
先日は空を覆っていた雲は薄らぎ、蒼い色が覗いている。突堤の先には紅い灯台があった。いつも通りの伊吹だ。いま――防波堤の向こうが見える。
転校する前は、男子と話したことがなかった。それが、二人と共に今ここにいることが不思議に感じられる――たとえ、教室での居心地の悪さから逃れるためだったとしても。
欄干に突っ伏し芳賀が顔を向けた。
「二人は――神社のことについてまだ調べてくつもり?」
美邦は閊える。
一方、質問の意味が分からないような顔を冬樹はした。
「俺はそのつもりだが?」
「それか。」芳賀は難しい顔をする。「でも、大人たちに訊いてみても、みんな、知らんって言うか、亡くなっとるにぃ――実相寺さんも亡くなった。」
苦い笑みを冬樹は見せた。
「ん? お前、超常現象は信じとらんでないだか?」
「それはそうだけど――」芳賀は目を伏せた。「けど――また何かあったら――」
その気持ちは美邦にも分かった。
――このまま幸子にも何かがあったら。
そして――冬樹にも芳賀にも。
欄干にもたれかかり、冬樹は空を見る。
「俺は――引っ込む気はないけどなあ。ここまで調べて、中途半端に終わらすのも気が悪いが? もちろん、興味がないなら芳賀を巻き込む気はないけど。」
芳賀は息をつく。
「藤村君も変わり者だけぇなあ。そう言うんなら僕も協力するわ。」
変わり者――という言葉が気になる。やはり、冬樹は変わり者なのだろうか。民俗学の話を興味深く聴いていたので、その意識が最近は薄かった。
自分もまた――変わり者なのか。
冬樹は、飄々とした顔を美邦へ向ける。
「大原さんは?」
「私は――」
美邦は目を逸らし、考え込む。ひょっとしたら冬樹を危険に巻き込むかもしれない。しかし、「もういい」と答えても同じ選択をするだろう。ゆえに、思ったままのことを口にした。
「調べ続けたい。このまま放っておいたら、大変なことになる気がする。」
「大変なこと――?」
こくりと美邦はうなづく。
「藤村君――このあいだ言ってたよね? 疫病の神は、迎えられたあとで送り返されるって。平坂神社の神様も、疫病と関りがあるんでしょ? それが送られてないなら――」
言っていて、少しずつ後悔してゆく。
町で起き続けている死は疫病のようだ。だが、未知のウイルスに自分ごときが対応できないのと同じで――この町に居続けるものに触れることは危険が大きすぎないか。
そこに冬樹は触れなかった。
「大原さんは――この町におるもんが神様だと思うん?」
美邦はうなづく。
「それはよく分からないけど――少なくとも、神社を消して、多くの人を奪った何かじゃないかな。」
芳賀が指摘する。
「大原さん――神様はおらん的なことこのあいだ言わなんだ? それに、冬至のあとで神社は火事になったにぃ。」
「うん。」
確かに、この町には神がいないと感じる。だが、なにかが潜むとも感じていた。また、不審死や失踪に神社との関連性が感じられることも事実だ。
――この町には何かがいる。
それが――由香の命を奪ったのだ。
冬樹は考え込む。
「ひょっとしたら、十一年前、神送りは行なわれなんだのかもしらんな。か――十年前の春分、神迎えが行なわれたか。」
その言葉に引っかかる。
「お父さんは町を出たのに――?」
「うん――芳賀の説との折衷もありうる。」
芳賀が興味を示す。
「というと?」
「十年前の火事は――祟りではなかったかもしらん。でも、大原さんのお父さんが町を出たんは、事故でないと知っとったけえとは考えられんか?」
「事件だった――?」
静かに冬樹はうなづく。
「そのあとで、大原家ぬきの神迎えが行なわれた。でも、それは正規の手続きを経とらんかったけぇ、送られんかった――とか。」
「――なるほど。」
美邦は考え込む。火事が事件であり、そのあと神迎えが行なわれたのならば――宗教的な理由が動機にあるのではないか。
どうあれ、いる、ということは――。
「送られてない、っていうことだよね?」
幾度も折れる細い路地を竝んで進む。
潮風が吹き込み、家々に吊るされた洗濯物や紅い布をなびかせた。
こちらをうかがうように何度か目を向けられる。千秋の態度はよそよそしかった。あの晩以降、あまり口はきいていない。今も、会話をかわせそうな雰囲気ではなかった。
中通りに出ると、美邦の前へと小走りに千秋は進んだ。
「じゃ、お姉さん、また夕方に。」
うん――と美邦はうなづく。
集合地へ向けて千秋は駆けていった。背中で揺れる水色のランドセルが黄色い残像となる。
通学路を独り進んだ。登校する生徒や児童にまぎれ、焼け焦げたり欠損したりした人影が現れる。いつもの場所では、大破した車が道をふさいでいた。
――大原さんの。
――目目目目が。
――汚れてていま。
この左眼のせいで、目立つ行動を極端に控えるようになった。空気のような存在ならば、揶揄されることも、人目を気にかけることもない。結果――教室では、あまり話しかけられなくなってしまった。
――けれども。
あの晩――由香の死を美邦は見たのだ。
夢でしかないものが、リアルタイムで起きていた。
しかも、同じ夢は前も見たことがある。自分は――由香の死を予知していたのだろうか。そう思うと、なおのこと怖い。
鞘川を過ぎると、破損した車が再び現れた。さらに進めば、焼けた家が現れる。それらが、過去の事故や火災の現場と一致するかはまだ調べていない。
丁字路に差しかかる。
消火栓の前には誰もいなかった。由香は当然として――いつも美邦を必ず待っている幸子さえいない。
由香の蒼い顔を思い出す。
――まさか幸子にも。
不安を覚えつつ、少し待ってみる。
民家の合間から、紅い燈台が見えた。
波音は聞こえても、防波堤に遮られて海は見えない。その先は、別の世界のように感じられる。しかし、向こうに由香が行った気はしない。
――お墓の中。
それが最もしっくりくる。
だが両親の墓の前では、ここにはいないと感じた。
冬樹から借りた本の内容を思い出す。
古い言葉で、醜いことを「よも」と言った。
黄泉の国は「よものくに」なのだ。
生死の判定が難しかった時代――死者の魂は、すぐには異界へと去らないと考えられていた。肉体が腐敗するまで、近くに漂っているとされていたのだ。ゆえに、魂を呼び戻し、蘇生を願う儀式――モガリが行われた。
だが、腐臭の漂う暗い世界から魂は去る。
その行く先が、根の国や常世だった。「根」は、魂の根源という意味だ。根堅州国ともいう。琉球では、ニライカナイと呼ばれる。
スマートフォンが鳴る。
幸子からメッセージが入っていた。
「ごめん、先に行ってて」
分った――と美邦は返信する。
一人で学校へ向かう。
教室へ這入ると、由香の机に花が活けられていた。蒼い陶器に挿された白百合が静かに活きている。
あはは――と狂ったような笑い声が聞こえてきた。
声のするほうへ目を遣ると、笹倉が登校して来たところだった。
「天罰だ! 天罰だ!」
鼻歌を歌いながら、わざとらしく美邦の席の前を横切ってゆく。
誰もが――何も見ないような顔をしていた。
それから始業時間になっても、幸子は登校してこなかった。朝学活の最中、体調不良により幸子が欠席することを鳩村は伝えた。
*
昼休憩、鉄筋校舎のバルコニーへと冬樹と芳賀の二人と共に出た。
先日は空を覆っていた雲は薄らぎ、蒼い色が覗いている。突堤の先には紅い灯台があった。いつも通りの伊吹だ。いま――防波堤の向こうが見える。
転校する前は、男子と話したことがなかった。それが、二人と共に今ここにいることが不思議に感じられる――たとえ、教室での居心地の悪さから逃れるためだったとしても。
欄干に突っ伏し芳賀が顔を向けた。
「二人は――神社のことについてまだ調べてくつもり?」
美邦は閊える。
一方、質問の意味が分からないような顔を冬樹はした。
「俺はそのつもりだが?」
「それか。」芳賀は難しい顔をする。「でも、大人たちに訊いてみても、みんな、知らんって言うか、亡くなっとるにぃ――実相寺さんも亡くなった。」
苦い笑みを冬樹は見せた。
「ん? お前、超常現象は信じとらんでないだか?」
「それはそうだけど――」芳賀は目を伏せた。「けど――また何かあったら――」
その気持ちは美邦にも分かった。
――このまま幸子にも何かがあったら。
そして――冬樹にも芳賀にも。
欄干にもたれかかり、冬樹は空を見る。
「俺は――引っ込む気はないけどなあ。ここまで調べて、中途半端に終わらすのも気が悪いが? もちろん、興味がないなら芳賀を巻き込む気はないけど。」
芳賀は息をつく。
「藤村君も変わり者だけぇなあ。そう言うんなら僕も協力するわ。」
変わり者――という言葉が気になる。やはり、冬樹は変わり者なのだろうか。民俗学の話を興味深く聴いていたので、その意識が最近は薄かった。
自分もまた――変わり者なのか。
冬樹は、飄々とした顔を美邦へ向ける。
「大原さんは?」
「私は――」
美邦は目を逸らし、考え込む。ひょっとしたら冬樹を危険に巻き込むかもしれない。しかし、「もういい」と答えても同じ選択をするだろう。ゆえに、思ったままのことを口にした。
「調べ続けたい。このまま放っておいたら、大変なことになる気がする。」
「大変なこと――?」
こくりと美邦はうなづく。
「藤村君――このあいだ言ってたよね? 疫病の神は、迎えられたあとで送り返されるって。平坂神社の神様も、疫病と関りがあるんでしょ? それが送られてないなら――」
言っていて、少しずつ後悔してゆく。
町で起き続けている死は疫病のようだ。だが、未知のウイルスに自分ごときが対応できないのと同じで――この町に居続けるものに触れることは危険が大きすぎないか。
そこに冬樹は触れなかった。
「大原さんは――この町におるもんが神様だと思うん?」
美邦はうなづく。
「それはよく分からないけど――少なくとも、神社を消して、多くの人を奪った何かじゃないかな。」
芳賀が指摘する。
「大原さん――神様はおらん的なことこのあいだ言わなんだ? それに、冬至のあとで神社は火事になったにぃ。」
「うん。」
確かに、この町には神がいないと感じる。だが、なにかが潜むとも感じていた。また、不審死や失踪に神社との関連性が感じられることも事実だ。
――この町には何かがいる。
それが――由香の命を奪ったのだ。
冬樹は考え込む。
「ひょっとしたら、十一年前、神送りは行なわれなんだのかもしらんな。か――十年前の春分、神迎えが行なわれたか。」
その言葉に引っかかる。
「お父さんは町を出たのに――?」
「うん――芳賀の説との折衷もありうる。」
芳賀が興味を示す。
「というと?」
「十年前の火事は――祟りではなかったかもしらん。でも、大原さんのお父さんが町を出たんは、事故でないと知っとったけえとは考えられんか?」
「事件だった――?」
静かに冬樹はうなづく。
「そのあとで、大原家ぬきの神迎えが行なわれた。でも、それは正規の手続きを経とらんかったけぇ、送られんかった――とか。」
「――なるほど。」
美邦は考え込む。火事が事件であり、そのあと神迎えが行なわれたのならば――宗教的な理由が動機にあるのではないか。
どうあれ、いる、ということは――。
「送られてない、っていうことだよね?」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
FLY ME TO THE MOON
如月 睦月
ホラー
いつもの日常は突然のゾンビ大量発生で壊された!ゾンビオタクの格闘系自称最強女子高生が、生き残りをかけて全力疾走!おかしくも壮絶なサバイバル物語!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる