神送りの夜

千石杏香

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第六章 霜月

2 いる、ということ

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翌朝――千秋と共に家を出た。

幾度も折れる細い路地を竝んで進む。

潮風が吹き込み、家々に吊るされた洗濯物や紅い布をなびかせた。

こちらをうかがうように何度か目を向けられる。千秋の態度はよそよそしかった。あの晩以降、あまり口はきいていない。今も、会話をかわせそうな雰囲気ではなかった。

中通りに出ると、美邦の前へと小走りに千秋は進んだ。

「じゃ、お姉さん、また夕方に。」

うん――と美邦はうなづく。

集合地へ向けて千秋は駆けていった。背中で揺れる水色のランドセルが黄色い残像となる。

通学路を独り進んだ。登校する生徒や児童にまぎれ、焼け焦げたり欠損したりした人影が現れる。いつもの場所では、大破した車が道をふさいでいた。

――大原さんの。

――目目目目が。

――汚れてていま。

この左眼のせいで、目立つ行動を極端に控えるようになった。空気のような存在ならば、揶揄されることも、人目を気にかけることもない。結果――教室では、あまり話しかけられなくなってしまった。

――けれども。

あの晩――由香の死を美邦は見たのだ。

夢でしかないものが、リアルタイムで起きていた。

しかも、同じ夢は前も見たことがある。自分は――由香の死を予知していたのだろうか。そう思うと、なおのこと怖い。

鞘川を過ぎると、破損した車が再び現れた。さらに進めば、焼けた家が現れる。それらが、過去の事故や火災の現場と一致するかはまだ調べていない。

丁字路に差しかかる。

消火栓の前には誰もいなかった。由香は当然として――いつも美邦を必ず待っている幸子さえいない。

由香の蒼い顔を思い出す。

――まさか幸子にも。

不安を覚えつつ、少し待ってみる。

民家の合間から、紅い燈台が見えた。

波音は聞こえても、防波堤に遮られて海は見えない。その先は、別の世界のように感じられる。しかし、向こうに由香が行った気はしない。

――お墓の中。

それが最もしっくりくる。

だが両親の墓の前では、ここにはいないと感じた。

冬樹から借りた本の内容を思い出す。

古い言葉で、醜いことを「よも」と言った。

黄泉の国は「よものくに」なのだ。

生死の判定が難しかった時代――死者の魂は、すぐには異界へと去らないと考えられていた。肉体が腐敗するまで、近くに漂っているとされていたのだ。ゆえに、魂を呼び戻し、蘇生を願う儀式――モガリが行われた。

だが、腐臭の漂う暗い世界から魂は去る。

その行く先が、根の国や常世だった。「根」は、魂の根源という意味だ。根堅州国ねのかたすくにともいう。琉球では、ニライカナイと呼ばれる。

スマートフォンが鳴る。

幸子からメッセージが入っていた。

「ごめん、先に行ってて」

分った――と美邦は返信する。

一人で学校へ向かう。

教室へ這入ると、由香の机に花が活けられていた。蒼い陶器に挿された白百合が静かに活きている。

あはは――と狂ったような笑い声が聞こえてきた。

声のするほうへ目を遣ると、笹倉が登校して来たところだった。

「天罰だ! 天罰だ!」

鼻歌を歌いながら、わざとらしく美邦の席の前を横切ってゆく。

誰もが――何も見ないような顔をしていた。

それから始業時間になっても、幸子は登校してこなかった。朝学活の最中、体調不良により幸子が欠席することを鳩村は伝えた。

     *

昼休憩、鉄筋校舎のバルコニーへと冬樹と芳賀の二人と共に出た。

先日は空を覆っていた雲は薄らぎ、蒼い色が覗いている。突堤の先には紅い灯台があった。いつも通りの伊吹だ。いま――防波堤の向こうが見える。

転校する前は、男子と話したことがなかった。それが、二人と共に今ここにいることが不思議に感じられる――たとえ、教室での居心地の悪さから逃れるためだったとしても。

欄干に突っ伏し芳賀が顔を向けた。

「二人は――神社のことについてまだ調べてくつもり?」

美邦はつかえる。

一方、質問の意味が分からないような顔を冬樹はした。

「俺はそのつもりだが?」

「それか。」芳賀は難しい顔をする。「でも、大人たちに訊いてみても、みんな、知らんって言うか、亡くなっとるにぃ――実相寺さんも亡くなった。」

苦い笑みを冬樹は見せた。

「ん? お前、超常現象は信じとらんでないだか?」

「それはそうだけど――」芳賀は目を伏せた。「けど――また何かあったら――」

その気持ちは美邦にも分かった。

――このまま幸子にも何かがあったら。

そして――冬樹にも芳賀にも。

欄干にもたれかかり、冬樹は空を見る。

「俺は――引っ込む気はないけどなあ。ここまで調べて、中途半端に終わらすのも気が悪いが? もちろん、興味がないなら芳賀を巻き込む気はないけど。」

芳賀は息をつく。

「藤村君も変わり者だけぇなあ。そう言うんなら僕も協力するわ。」

変わり者――という言葉が気になる。やはり、冬樹は変わり者なのだろうか。民俗学の話を興味深く聴いていたので、その意識が最近は薄かった。

自分もまた――変わり者なのか。

冬樹は、飄々とした顔を美邦へ向ける。

「大原さんは?」

「私は――」

美邦は目を逸らし、考え込む。ひょっとしたら冬樹を危険に巻き込むかもしれない。しかし、「もういい」と答えても同じ選択をするだろう。ゆえに、思ったままのことを口にした。

「調べ続けたい。このまま放っておいたら、大変なことになる気がする。」

「大変なこと――?」

こくりと美邦はうなづく。

「藤村君――このあいだ言ってたよね? 疫病の神は、迎えられたあとで送り返されるって。平坂神社の神様も、疫病と関りがあるんでしょ? それが送られてないなら――」

言っていて、少しずつ後悔してゆく。

町で起き続けている死は疫病のようだ。だが、未知のウイルスに自分ごときが対応できないのと同じで――この町に居続けるものに触れることは危険が大きすぎないか。

そこに冬樹は触れなかった。

「大原さんは――この町におるもんが神様だと思うん?」

美邦はうなづく。

「それはよく分からないけど――少なくとも、神社を消して、多くの人を奪った何かじゃないかな。」

芳賀が指摘する。

「大原さん――神様はおらん的なことこのあいだ言わなんだ? それに、冬至のあとで神社は火事になったにぃ。」

「うん。」

確かに、この町には神がいないと感じる。だが、なにかが潜むとも感じていた。また、不審死や失踪に神社との関連性が感じられることも事実だ。

――この町には何かがいる。

それが――由香の命を奪ったのだ。

冬樹は考え込む。

「ひょっとしたら、十一年前、神送りは行なわれなんだのかもしらんな。か――十年前の春分、神迎えが行なわれたか。」

その言葉に引っかかる。

「お父さんは町を出たのに――?」

「うん――芳賀の説との折衷もありうる。」

芳賀が興味を示す。

「というと?」

「十年前の火事は――祟りではなかったかもしらん。でも、大原さんのお父さんが町を出たんは、事故でないと知っとったけえとは考えられんか?」

「事件だった――?」

静かに冬樹はうなづく。

「そのあとで、大原家ぬきの神迎えが行なわれた。でも、それは正規の手続きを経とらんかったけぇ、送られんかった――とか。」

「――なるほど。」

美邦は考え込む。火事が事件であり、そのあと神迎えが行なわれたのならば――宗教的な理由が動機にあるのではないか。

どうあれ、いる、ということは――。

「送られてない、っていうことだよね?」
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