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第四章 寄神
【幕間4】妹との生い立ち
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振り返れば、幼い頃からわたしは、普通の人には見えないものを見たり、聞いたり、感じたりしていた。
それは、誰もいないはずの林の中や、人身事故が起きて時を経ない街角、墓場、古い神社の境内などでよく遭遇した。ある時は真っ暗な靄のようなものとして現れ、ある時は不完全な人の形として現れた。
幼いころ、市内の内科へ通っていたことがある。
その駐車場前の交差点には、いつも、何かを指さすような格好で人影が立っていた。
気にかかって尋ねたことがある。
――ねえ、お母さん、どうしてあのおじちゃんは、いつも同じ処に立っとるの?
母は顔を曇らせた。
――おじちゃんなんて立っとらんよ。
その態度にわたしは困惑する。
――立っとるよ。何しとるんかな?
――あんま、さあいうこと言うもんでないが。
なぜそう言われるのか――当時のわたしには分からなかった。
小学校低学年頃まで、他人にも見えるものと見えないものは区別がつかなかった。結果、同年代の子供や、保母さんから、幾度も嘘つき呼ばわりされる。
区別がつきだしてからは、それについて何も言わなくなった。けれども、見えているものを否定できたわけではない。
なぜならば、同じものを妹も見ていたからだ。
妹がベビーベッドで寝ていたほど小さかったころのことを、わたしは覚えている。
妹は、何もない空間へ向けて、微笑んだり、愉しそうに笑い声を上げたりしていた。
まだ物心つかない子供が、何もない空間へ向けて笑いかけたり、話かけたりすることはよくあるらしい。しかし、わたしには、何かしらの存在がそこには見えていた。
妹が言葉を発するようになってからは、わたしと同じく、普通の人には見えないものや、感じられないものについて口にするようになった。
例えば家族で街へ出かけているとき、いつも決まった廃屋の中にお婆さんの姿が見える。
それが、他人には見えないものであることを、そのころのわたしは何となく理解するようになっていた。しかし、それが分からない妹は、不思議そうな表情で問うのだ。
――どうしてあのお婆ちゃんは、あの家の中におるの?
当然、母は面白い顔をしなかった。
恐らくは、わたしの悪影響によるものだと考えたためだろう。母は、そういったものについてわたしや妹が口にすることを強く咎めるようになった。
しかし、見えたり、聞こえたりしてしまうものは仕方がない。
わたしは考え方を変えることとした。普通の人が感じられないものと、そうでないものの区別を妹に教えることとしたのだ。
そのことをわたし初めて教えたのは、ある日の昼下がりであった。薄暗い畳の部屋にドールハウスが拡げられていたのを覚えている。
――私と、お姉ちゃんにしか見えんもの?
妹は、きょとんとした表情でそう問うた。
――うん。このあいだ、お母さんが怒っとったが? 廃屋の中にお婆さんなんかおらんって。ああいうふうに、暗くてもやもやしたもんや、人の形をしとらんもんとか、誰もいないのに聞こえてくる声とかは、わたしとちーちゃんにしか聞こえんもんなだよ。
――どーして?
――そんなこと分からんよ。だけど、普通の人には見えんもんや、聞こえんもんのことについて、他の人に話したりしたらいけんよ? わたしとちーちゃん以外には見えたり聞こえたりせんけん、嘘つきだと思われちゃう。
――うん、わかった。
それから、普通の人に見えたり聞こえたりしないもののことは、姉妹だけの秘め事となった。聡い妹のことだけあって、分別が付くようになるのは早かった。
わたしは妹と一緒に、よく外へ遊びに出かけた。二人で手をつなぎ、もう片方の腕にはそれぞれ着せ替え人形を抱いていた。そうすると時折、道端や廃屋、林の中などに奇妙なものを見かける。人の姿をしているものの、何やら形の崩れた影のようなものが。
――あれは、ないものなだね。
林の中のそれを指さして、妹はそう問うた。
――うん、わたしとちーちゃんにしか見えんものだで。
――そっか。不思議だな。私とお姉ちゃんにしか見えんだなんて。
――さぁだな。ほんと、何でなんだらぁな。
二人以外に見えたり、感じられたりしないものは、当然姉妹の絆を強める動機となっていった。
そんなわたし達が、最も強い「何か」を感じたのは、神社からだ。
神社そのものは無害な場所であったし、わたし達も散歩がてらによく訪れていた。
山の中に神社はあり、ふもとには鳥居が建っていた。そこさえ潜れば、すでに別の世界であった。まるで神の中とでも言おうか、少し冷たい空気が、弱い刺激となって肌を撫でていた。鎮守の森に逞しく茂る樹木も、青々とした草葉も、全てが意志を持って生きている。気這いは――この広い山の全てに充満しているようであった。
その中核をなすのが、山奥の境内に建つ社殿だ。
仄暗い、冷たそうな建物の奥に、何かが鎮まっているのが感じられる。
――昼間は、あんま恐くないな。
ふいに、妹が口を開いた。
――うん、さあだな。
確かに――昼間はあまり恐く感じられない。
というのは――日没のあとになって、しばしばこの神社の方角から、とても恐ろしい気這いの感じられることがあるからだ。それは、神迎え・神送りの夜だけではない。それ以外の日でも、まれに夜の町を徘徊しているようだ。
――ひょっとしたら、あんま恐がっちゃいけんのかも。
わたしは妹に警告した。
――この町を守って下さっとる神様だもん。恐いのは、守って下さっとるからかもしらん。あんまり恐がったら、失礼になっちゃう。
――さぁなん?
――神様ってそもそもさぁいうもんなだってさ。
それからわたし達は、折り入って社殿に参拝した。
普通の子供みたいに、おもちゃがほしいとか、お菓子を食べたいとかとは願わなかった。現実の問題として、わたし達の前にいるものは、恐ろしいものだったからだ。ただただ、わたし達姉妹が、これからも何事もなく、安全に過ごせますようにと願った。
それは、誰もいないはずの林の中や、人身事故が起きて時を経ない街角、墓場、古い神社の境内などでよく遭遇した。ある時は真っ暗な靄のようなものとして現れ、ある時は不完全な人の形として現れた。
幼いころ、市内の内科へ通っていたことがある。
その駐車場前の交差点には、いつも、何かを指さすような格好で人影が立っていた。
気にかかって尋ねたことがある。
――ねえ、お母さん、どうしてあのおじちゃんは、いつも同じ処に立っとるの?
母は顔を曇らせた。
――おじちゃんなんて立っとらんよ。
その態度にわたしは困惑する。
――立っとるよ。何しとるんかな?
――あんま、さあいうこと言うもんでないが。
なぜそう言われるのか――当時のわたしには分からなかった。
小学校低学年頃まで、他人にも見えるものと見えないものは区別がつかなかった。結果、同年代の子供や、保母さんから、幾度も嘘つき呼ばわりされる。
区別がつきだしてからは、それについて何も言わなくなった。けれども、見えているものを否定できたわけではない。
なぜならば、同じものを妹も見ていたからだ。
妹がベビーベッドで寝ていたほど小さかったころのことを、わたしは覚えている。
妹は、何もない空間へ向けて、微笑んだり、愉しそうに笑い声を上げたりしていた。
まだ物心つかない子供が、何もない空間へ向けて笑いかけたり、話かけたりすることはよくあるらしい。しかし、わたしには、何かしらの存在がそこには見えていた。
妹が言葉を発するようになってからは、わたしと同じく、普通の人には見えないものや、感じられないものについて口にするようになった。
例えば家族で街へ出かけているとき、いつも決まった廃屋の中にお婆さんの姿が見える。
それが、他人には見えないものであることを、そのころのわたしは何となく理解するようになっていた。しかし、それが分からない妹は、不思議そうな表情で問うのだ。
――どうしてあのお婆ちゃんは、あの家の中におるの?
当然、母は面白い顔をしなかった。
恐らくは、わたしの悪影響によるものだと考えたためだろう。母は、そういったものについてわたしや妹が口にすることを強く咎めるようになった。
しかし、見えたり、聞こえたりしてしまうものは仕方がない。
わたしは考え方を変えることとした。普通の人が感じられないものと、そうでないものの区別を妹に教えることとしたのだ。
そのことをわたし初めて教えたのは、ある日の昼下がりであった。薄暗い畳の部屋にドールハウスが拡げられていたのを覚えている。
――私と、お姉ちゃんにしか見えんもの?
妹は、きょとんとした表情でそう問うた。
――うん。このあいだ、お母さんが怒っとったが? 廃屋の中にお婆さんなんかおらんって。ああいうふうに、暗くてもやもやしたもんや、人の形をしとらんもんとか、誰もいないのに聞こえてくる声とかは、わたしとちーちゃんにしか聞こえんもんなだよ。
――どーして?
――そんなこと分からんよ。だけど、普通の人には見えんもんや、聞こえんもんのことについて、他の人に話したりしたらいけんよ? わたしとちーちゃん以外には見えたり聞こえたりせんけん、嘘つきだと思われちゃう。
――うん、わかった。
それから、普通の人に見えたり聞こえたりしないもののことは、姉妹だけの秘め事となった。聡い妹のことだけあって、分別が付くようになるのは早かった。
わたしは妹と一緒に、よく外へ遊びに出かけた。二人で手をつなぎ、もう片方の腕にはそれぞれ着せ替え人形を抱いていた。そうすると時折、道端や廃屋、林の中などに奇妙なものを見かける。人の姿をしているものの、何やら形の崩れた影のようなものが。
――あれは、ないものなだね。
林の中のそれを指さして、妹はそう問うた。
――うん、わたしとちーちゃんにしか見えんものだで。
――そっか。不思議だな。私とお姉ちゃんにしか見えんだなんて。
――さぁだな。ほんと、何でなんだらぁな。
二人以外に見えたり、感じられたりしないものは、当然姉妹の絆を強める動機となっていった。
そんなわたし達が、最も強い「何か」を感じたのは、神社からだ。
神社そのものは無害な場所であったし、わたし達も散歩がてらによく訪れていた。
山の中に神社はあり、ふもとには鳥居が建っていた。そこさえ潜れば、すでに別の世界であった。まるで神の中とでも言おうか、少し冷たい空気が、弱い刺激となって肌を撫でていた。鎮守の森に逞しく茂る樹木も、青々とした草葉も、全てが意志を持って生きている。気這いは――この広い山の全てに充満しているようであった。
その中核をなすのが、山奥の境内に建つ社殿だ。
仄暗い、冷たそうな建物の奥に、何かが鎮まっているのが感じられる。
――昼間は、あんま恐くないな。
ふいに、妹が口を開いた。
――うん、さあだな。
確かに――昼間はあまり恐く感じられない。
というのは――日没のあとになって、しばしばこの神社の方角から、とても恐ろしい気這いの感じられることがあるからだ。それは、神迎え・神送りの夜だけではない。それ以外の日でも、まれに夜の町を徘徊しているようだ。
――ひょっとしたら、あんま恐がっちゃいけんのかも。
わたしは妹に警告した。
――この町を守って下さっとる神様だもん。恐いのは、守って下さっとるからかもしらん。あんまり恐がったら、失礼になっちゃう。
――さぁなん?
――神様ってそもそもさぁいうもんなだってさ。
それからわたし達は、折り入って社殿に参拝した。
普通の子供みたいに、おもちゃがほしいとか、お菓子を食べたいとかとは願わなかった。現実の問題として、わたし達の前にいるものは、恐ろしいものだったからだ。ただただ、わたし達姉妹が、これからも何事もなく、安全に過ごせますようにと願った。
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