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第四章 寄神
7 儀式と鳥居
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山際の集落に入る。
ここも坂道が多い。側溝からは、からからと水の音が聞こえる。振り返れば、真っ黒な円錐の山が横たわっていた。遠くには海も見える。
やがて燐寸箱のように小さい家が現れる。遠目には普通の民家に見えた。近づくにつれ、そうではないと判る。無数の紅い布が軒に垂れており、七、八枚ほどの紙が窓に貼られていた。
ここが郷土史家の家だったら厭だなと思っていたら、ここだという冬樹の声が聞こえた。
近づき、貼り紙に目をやる。
『先日泥棒がはいりました。いやがらせはやめて下さい。』
『此の家のもち主は平坂町上里⬛︎⬛︎在住の菅野文太です。大阪府⬛︎⬛︎の池田義之ではあり間せん。最近はどんどんと治安がわるくなっています。』
『治安が悪い。』
引き攣った顔を幸子は向けた。
「ここ――ほんに這入るん?」
「うーん。」冬樹も戸惑う。「教えてもらった住所は、ここで間違いないに――。表札にも、菅野って書いてあるけん。」
「住所の問題でないだら。」
由香がなだめた。
「まあ、せっかく来たにぃ――。今さら、ここで引き返すのも勿体ないがぁ? 赤信号みんなで渡れば怖くない、だで。」
「みんなって、私も入っとるん?」
這入ろうか這入るまいか、まごついていると物音がした。玄関が少しだけ開き、老人が顔を覗かせる。
恐る恐る冬樹は前に進んだ。
「あの――こちら、菅野文太さんのお宅ですよね? 僕、このあいだ電話を致しました藤村冬樹です。」
「ああ、神社について知りたいというかたね。」
にこりと微笑み、大きく戸を開いた。
「お待ちしとりました。どうぞ、お這入り下さい。」
菅野に導かれ、家へ上がる。
中は、なんの異常もなかった――硝子の雨戸が貼り紙で塞がれている以外は。綺麗に片付いており、お香のような匂いさえする。
「ここ何日か、夜中に泥棒が這入って来とりましてな。」
五人を案内しつつ、菅野は言う。
「本当に、このへんの治安はどうなってしまったんでしょうなあ。困ったもんです。」
立ち止まり、雨戸の外を指さした。
「たとえばほら、あそこにも――」
貼り紙の合間から、こちらを窺う男の姿が見えた。すぐに彼は目を逸らす。恐らくただの通行人だろう。
「あの男なんかも、最近はよくあそこからこの家を覗いとるんです。」
「はあ。」冬樹は相槌を打つ。「そうですか――。それは大変ですね。」
「最近は、いくら戸締りをしても壁を擦り抜けて這入ってくるんです。」
居間へと通される。
埃っぽい本の匂いがした。本棚はもちろん、床間や違棚、天袋にも本が詰まっている。座卓には、五つの座布団が用意されていた。
座卓の奥に菅野は坐る。
菅野の左右に冬樹と芳賀が坐り、女子の三人は正面に坐った。当然、菅野を警戒したためだ。
急須と湯呑を取り出し、菅野は茶を淹れる。しかし、冬樹を除き誰も口をつけようとしない。冬樹は少しだけすすり、やっぱり煎茶は浅蒸し煎茶に限りますねと言った。
小型ノートパソコンを芳賀は取り出す。
「菅野さんのお話、メモを取っても構いませんか?」
「構いませんよ――録音されるかたが多いですが。」
「僕は打つ方が好きですけどね。」
パソコンを起動させる。
「それで――何を訊きたいんですか?」
「実は――」
冬樹は、神社を探し始めた経緯を簡単に説明した。
「それで――平坂神社についての資料が少なくて、困ってたんです。それと――神社は本当に倒産したのか、倒産したとしたら、いつ頃なぜ倒産したのかも知りたいんですが。」
菅野は目をまたたかせる。
「倒産する神社ですか? あそこが?」
「というと?」
「あれは、なくなったんですよ。」
「なくなった――?」
「なかったんです。」
菅野は何かを考え始めた。
「あれは確か、平成十⬛︎年か、十⬜︎年のことだったと思います。その年の冬、長いあいだ懇意にしとった宮司さんが亡くなられましてねぇ。」
パソコンから芳賀は顔を上げる。
「十年前か十一年前ですね?」
「ええ。で――それから、義理の息子さんが宮司の地位を継がれたのです。」
その言葉に美邦は反応する。
「婿養子に入られたかたですか?」
「ええ。」
美邦は目を落とす。
――やっぱり。
父は、宮司だったのだ――生前の姿からは想像もできなかったが。
「そのあと、宮司さんの家で火事があり、平坂神社はなくなりました。」
幸子は首を傾げる。
「つまり、倒産したんですよね?」
「いえ、なかったのです。」
五人は目を交わす。
屋内なのに寒さは外と変わりない。どうやら、建て付けが悪いためらしい。
おずおずと、美邦は尋ねた。
「町の人は、神社を知っていたんですか?」
「知らないわけないでしょう。」
芳賀の顔が曇る。少なくとも、神社が倒産したという説に否定的な発言を菅野はしているのだ。
畳み掛けるように美邦は問う。
「それなのに、なぜ今はないんでしょう?」
「なくなってしまったんです。」
困惑の視線が行き交う。
冬樹が尋ねる。
「十年前にも、神送りや神迎えはありましたか?」
「もちろん、行なわれとりましたよ。」
「それなのに――なぜ、なくなったんです?」
「さあ、それは私には――」
冷たい居間に静寂が続いた。
菅野は、精神に変調をきたしているかもしれない。言っていることが本当かも分からない。
冬樹が話題を替える。
「神迎え・神送りについて教えていただけますか? 当日の夜は外出を忌むと聞きましたが。」
「ああ、そのことですか。」
手元のノートを菅野は開く。
「まず、神祭りに当たっては、男女の一年神主を立てます。男性の一年神主は、頭に屋根と書いて『頭屋』。女性の一年神主は、当たるに屋根と書いて『当屋』と呼ばれます。」
ノートを指でなぞる。
「一年神主は、神迎えの翌日に選ばれます。この日は『御忌明け』と呼ばれ、地区の公民館や境内などで大根の煮炊きを行なう小さな祭りがありました。」
一年神主を選ぶ日が美邦は気にかかる。
「神様を迎えた翌日――ですか?」
「ええ。春分の翌日です。」
菅野は続けた。
「一年神主になる資格は限られとります。まず、十代前までの祖先に一年神主がいた者――。宮座を構成するのは彼らで、本筋と呼ばれとりました。」
黒い瞳が菅野を捉える。
「一年神主は血筋で決まっていたのですね?」
候補者はね――と菅野は言う。
「さらに厳格な基準があります。十五歳以上で未婚、かつ一年神主としての経験がない者――この中から、籤引きによって決めとりました。」
やや複雑な気分となった。
――私の家が。
この儀式の中心だったのだ。しかも、血縁による集団に支えられていた。
「籤に当たり、一年神主となった者は、一年のあいだ潔斎します。そして、儀式の手順や神楽舞などを教え込まれるのです。」
キーボードを打つ音が止まる。
「ケッサイ?」
「身体を綺麗にすることですよ。主に、異性との交渉の禁止、獣の肉や乳製品を控えることなどです。特に、神嘗祭・神送り・神迎えの一週間前からは、全面的にこれが禁止されます。」
「厳しいですね。」八の字に由香は眉を曲げる。「そがぁなこと押し付けられるなら、誰も籤を引かんやになるかも。」
冬樹が尋ねた。
「籤引きは、どこで――?」
「地区ごとの公民館です。自治会によって宮座は把握されとりましたから。自治会長も、一年神主の経験者がなるのが慣習でしたよ。」
「町ぐるみの祭りだった――と?」
「もちろんです。」
菅野は説明を続ける。
「春分の七日前から、神迎えに向けての準備が行なわれます。神饌――お供え物の調達。次に、斎戒――要するに神社の掃除。そして、役員の決定、配神への祝詞奏上。一年神主への修祓――お祓いですね。なお、宮司・役員・一年神主など、儀式に携わる者は『神遣い』と呼ばれます。」
ノートが捲られた。
「春分の夜、町民は家に篭って一歩も出ません。これを居籠りといいます。居篭りは徹底し、明かりを漏らすことや、物音を立てることも慎みました。」
一気にしゃべったあと、息を整える。
「一方、平坂神社と青ヶ浜では、神を迎えるための篝火が焚かれます。電気がなかった時代――この二つの灯り以外は完全に闇だったでしょう。」
真っ黒な海原が脳裏に浮かんだ。
闇の中、二つの灯りが点る。一つは伊吹山の中腹に、もう一つは青ヶ浜に。自分を呼ぶ声を聞き、誘われるように篝火へと神は向かう。
「神迎えの儀式が行なわれるのは、子の刻――二十三時頃――からです。ほら、青ヶ浜の沖合に鳥居が建っとるでしょ? 祭壇は、その前に組まれました。」
冬樹は首をかしげる。
「青ヶ浜の鳥居っていいますと?」
「いや――鳥居が建っとるでしょう? 儀式が行なわれとったのは、あそこです。」
クラスメイトたちは、怪訝な表情を浮かべた。
美邦は戸惑う。青ヶ浜と言えば、郷土誌に一度だけ出た気がした。だが、それがどこかは知らない。
冬樹は再び問うた。
「僕は入江に住んどるんですが、鳥居なんて建ってませんよ?」
クラスメイトの全員が首を縦に振る。
菅野は困り果てた。
「えぇ、ああ――そうですか。」
そして頭を掻く。
「いや、確か建っとったはずなんですけどねえ――。やっぱり、なぁなったのかなあ。」
菅野は立ち上がり、背後の本棚からスクラップ帳を出した。テーブルの上で開き、来客に見せる。
「ほら――これです。この鳥居です。」
写真に美邦は喰い入った。
沖合の岩礁に、シンプルな形の鳥居が建っている。地図記号に似た、しかし細い簡素な鳥居。これもまた夢で見たことがある。
――お父さんが亡くなった夜に。
その彼方から、誰かが呼んでいた。
「儀式ではまず、祭壇の上へ役員が神饌を供えます。そして宮司による祝詞奏上。榊で作られた依代に神を宿らせたあと、それを持った宮司を先頭に平坂神社まで帰ります。このとき、鉄鐸と呼ばれる特殊な祭器を役員は打ち鳴らしとりました。」
スクラップ帳を菅野はめくる。
大きなモノクロ写真が現れた。先端に榊のついた長い杖のような物が写っている。根元からは、筒状の物体がぶら下がっていた。
再び目が釘づけとなる。
筒状の物体には、複数の六角形を作る模様が彫られていた。お互いに重なり合った中央では、六つの菱形が開いた六芒星が生まれている。ちょうど、昭が亡くなった日に見た幻視と同じように。
――見たはずのない物ばかり見てる。
「この筒みたいなものが鉄鐸です。榊のついた棒は御鉾と呼ばれます。」
冬樹は写真を覗き込んだ。
「これ――小野神社の鉄鐸に似とりませんか?」
「ほほぉ、お若いのに詳しいですねえ――」
幸子は眉を歪める。
「藤村ったら、まぁた妙ちくりんなこと言うだけぇ。どこぉ、その小野神社って?」
「長野県の諏訪にある神社だ。ちょうどこの写真と同じやなもんが伝わっとる。鉾の飾りがついとって、筒状の鉄鐸が五個くらいぶら下がっとるだけど。」
一方、平坂町の鉄鐸は、大きな物が一つしかない。
気になって美邦は尋ねた。
「この、六角形の模様は何ですか?」
菅野はきょとんとする。
「はい?」
写真へ目を向ける。鉄鐸は錆で覆われて真っ黒だ。六角形の模様はない。美邦は急に恥ずかしくなる。
「いえ――何でもないです。」
ふと、由香が声を上げる。
「芳賀君が探してくれたスレ――鐘を打ち鳴らす音が聞こえたってなかった?」
ここも坂道が多い。側溝からは、からからと水の音が聞こえる。振り返れば、真っ黒な円錐の山が横たわっていた。遠くには海も見える。
やがて燐寸箱のように小さい家が現れる。遠目には普通の民家に見えた。近づくにつれ、そうではないと判る。無数の紅い布が軒に垂れており、七、八枚ほどの紙が窓に貼られていた。
ここが郷土史家の家だったら厭だなと思っていたら、ここだという冬樹の声が聞こえた。
近づき、貼り紙に目をやる。
『先日泥棒がはいりました。いやがらせはやめて下さい。』
『此の家のもち主は平坂町上里⬛︎⬛︎在住の菅野文太です。大阪府⬛︎⬛︎の池田義之ではあり間せん。最近はどんどんと治安がわるくなっています。』
『治安が悪い。』
引き攣った顔を幸子は向けた。
「ここ――ほんに這入るん?」
「うーん。」冬樹も戸惑う。「教えてもらった住所は、ここで間違いないに――。表札にも、菅野って書いてあるけん。」
「住所の問題でないだら。」
由香がなだめた。
「まあ、せっかく来たにぃ――。今さら、ここで引き返すのも勿体ないがぁ? 赤信号みんなで渡れば怖くない、だで。」
「みんなって、私も入っとるん?」
這入ろうか這入るまいか、まごついていると物音がした。玄関が少しだけ開き、老人が顔を覗かせる。
恐る恐る冬樹は前に進んだ。
「あの――こちら、菅野文太さんのお宅ですよね? 僕、このあいだ電話を致しました藤村冬樹です。」
「ああ、神社について知りたいというかたね。」
にこりと微笑み、大きく戸を開いた。
「お待ちしとりました。どうぞ、お這入り下さい。」
菅野に導かれ、家へ上がる。
中は、なんの異常もなかった――硝子の雨戸が貼り紙で塞がれている以外は。綺麗に片付いており、お香のような匂いさえする。
「ここ何日か、夜中に泥棒が這入って来とりましてな。」
五人を案内しつつ、菅野は言う。
「本当に、このへんの治安はどうなってしまったんでしょうなあ。困ったもんです。」
立ち止まり、雨戸の外を指さした。
「たとえばほら、あそこにも――」
貼り紙の合間から、こちらを窺う男の姿が見えた。すぐに彼は目を逸らす。恐らくただの通行人だろう。
「あの男なんかも、最近はよくあそこからこの家を覗いとるんです。」
「はあ。」冬樹は相槌を打つ。「そうですか――。それは大変ですね。」
「最近は、いくら戸締りをしても壁を擦り抜けて這入ってくるんです。」
居間へと通される。
埃っぽい本の匂いがした。本棚はもちろん、床間や違棚、天袋にも本が詰まっている。座卓には、五つの座布団が用意されていた。
座卓の奥に菅野は坐る。
菅野の左右に冬樹と芳賀が坐り、女子の三人は正面に坐った。当然、菅野を警戒したためだ。
急須と湯呑を取り出し、菅野は茶を淹れる。しかし、冬樹を除き誰も口をつけようとしない。冬樹は少しだけすすり、やっぱり煎茶は浅蒸し煎茶に限りますねと言った。
小型ノートパソコンを芳賀は取り出す。
「菅野さんのお話、メモを取っても構いませんか?」
「構いませんよ――録音されるかたが多いですが。」
「僕は打つ方が好きですけどね。」
パソコンを起動させる。
「それで――何を訊きたいんですか?」
「実は――」
冬樹は、神社を探し始めた経緯を簡単に説明した。
「それで――平坂神社についての資料が少なくて、困ってたんです。それと――神社は本当に倒産したのか、倒産したとしたら、いつ頃なぜ倒産したのかも知りたいんですが。」
菅野は目をまたたかせる。
「倒産する神社ですか? あそこが?」
「というと?」
「あれは、なくなったんですよ。」
「なくなった――?」
「なかったんです。」
菅野は何かを考え始めた。
「あれは確か、平成十⬛︎年か、十⬜︎年のことだったと思います。その年の冬、長いあいだ懇意にしとった宮司さんが亡くなられましてねぇ。」
パソコンから芳賀は顔を上げる。
「十年前か十一年前ですね?」
「ええ。で――それから、義理の息子さんが宮司の地位を継がれたのです。」
その言葉に美邦は反応する。
「婿養子に入られたかたですか?」
「ええ。」
美邦は目を落とす。
――やっぱり。
父は、宮司だったのだ――生前の姿からは想像もできなかったが。
「そのあと、宮司さんの家で火事があり、平坂神社はなくなりました。」
幸子は首を傾げる。
「つまり、倒産したんですよね?」
「いえ、なかったのです。」
五人は目を交わす。
屋内なのに寒さは外と変わりない。どうやら、建て付けが悪いためらしい。
おずおずと、美邦は尋ねた。
「町の人は、神社を知っていたんですか?」
「知らないわけないでしょう。」
芳賀の顔が曇る。少なくとも、神社が倒産したという説に否定的な発言を菅野はしているのだ。
畳み掛けるように美邦は問う。
「それなのに、なぜ今はないんでしょう?」
「なくなってしまったんです。」
困惑の視線が行き交う。
冬樹が尋ねる。
「十年前にも、神送りや神迎えはありましたか?」
「もちろん、行なわれとりましたよ。」
「それなのに――なぜ、なくなったんです?」
「さあ、それは私には――」
冷たい居間に静寂が続いた。
菅野は、精神に変調をきたしているかもしれない。言っていることが本当かも分からない。
冬樹が話題を替える。
「神迎え・神送りについて教えていただけますか? 当日の夜は外出を忌むと聞きましたが。」
「ああ、そのことですか。」
手元のノートを菅野は開く。
「まず、神祭りに当たっては、男女の一年神主を立てます。男性の一年神主は、頭に屋根と書いて『頭屋』。女性の一年神主は、当たるに屋根と書いて『当屋』と呼ばれます。」
ノートを指でなぞる。
「一年神主は、神迎えの翌日に選ばれます。この日は『御忌明け』と呼ばれ、地区の公民館や境内などで大根の煮炊きを行なう小さな祭りがありました。」
一年神主を選ぶ日が美邦は気にかかる。
「神様を迎えた翌日――ですか?」
「ええ。春分の翌日です。」
菅野は続けた。
「一年神主になる資格は限られとります。まず、十代前までの祖先に一年神主がいた者――。宮座を構成するのは彼らで、本筋と呼ばれとりました。」
黒い瞳が菅野を捉える。
「一年神主は血筋で決まっていたのですね?」
候補者はね――と菅野は言う。
「さらに厳格な基準があります。十五歳以上で未婚、かつ一年神主としての経験がない者――この中から、籤引きによって決めとりました。」
やや複雑な気分となった。
――私の家が。
この儀式の中心だったのだ。しかも、血縁による集団に支えられていた。
「籤に当たり、一年神主となった者は、一年のあいだ潔斎します。そして、儀式の手順や神楽舞などを教え込まれるのです。」
キーボードを打つ音が止まる。
「ケッサイ?」
「身体を綺麗にすることですよ。主に、異性との交渉の禁止、獣の肉や乳製品を控えることなどです。特に、神嘗祭・神送り・神迎えの一週間前からは、全面的にこれが禁止されます。」
「厳しいですね。」八の字に由香は眉を曲げる。「そがぁなこと押し付けられるなら、誰も籤を引かんやになるかも。」
冬樹が尋ねた。
「籤引きは、どこで――?」
「地区ごとの公民館です。自治会によって宮座は把握されとりましたから。自治会長も、一年神主の経験者がなるのが慣習でしたよ。」
「町ぐるみの祭りだった――と?」
「もちろんです。」
菅野は説明を続ける。
「春分の七日前から、神迎えに向けての準備が行なわれます。神饌――お供え物の調達。次に、斎戒――要するに神社の掃除。そして、役員の決定、配神への祝詞奏上。一年神主への修祓――お祓いですね。なお、宮司・役員・一年神主など、儀式に携わる者は『神遣い』と呼ばれます。」
ノートが捲られた。
「春分の夜、町民は家に篭って一歩も出ません。これを居籠りといいます。居篭りは徹底し、明かりを漏らすことや、物音を立てることも慎みました。」
一気にしゃべったあと、息を整える。
「一方、平坂神社と青ヶ浜では、神を迎えるための篝火が焚かれます。電気がなかった時代――この二つの灯り以外は完全に闇だったでしょう。」
真っ黒な海原が脳裏に浮かんだ。
闇の中、二つの灯りが点る。一つは伊吹山の中腹に、もう一つは青ヶ浜に。自分を呼ぶ声を聞き、誘われるように篝火へと神は向かう。
「神迎えの儀式が行なわれるのは、子の刻――二十三時頃――からです。ほら、青ヶ浜の沖合に鳥居が建っとるでしょ? 祭壇は、その前に組まれました。」
冬樹は首をかしげる。
「青ヶ浜の鳥居っていいますと?」
「いや――鳥居が建っとるでしょう? 儀式が行なわれとったのは、あそこです。」
クラスメイトたちは、怪訝な表情を浮かべた。
美邦は戸惑う。青ヶ浜と言えば、郷土誌に一度だけ出た気がした。だが、それがどこかは知らない。
冬樹は再び問うた。
「僕は入江に住んどるんですが、鳥居なんて建ってませんよ?」
クラスメイトの全員が首を縦に振る。
菅野は困り果てた。
「えぇ、ああ――そうですか。」
そして頭を掻く。
「いや、確か建っとったはずなんですけどねえ――。やっぱり、なぁなったのかなあ。」
菅野は立ち上がり、背後の本棚からスクラップ帳を出した。テーブルの上で開き、来客に見せる。
「ほら――これです。この鳥居です。」
写真に美邦は喰い入った。
沖合の岩礁に、シンプルな形の鳥居が建っている。地図記号に似た、しかし細い簡素な鳥居。これもまた夢で見たことがある。
――お父さんが亡くなった夜に。
その彼方から、誰かが呼んでいた。
「儀式ではまず、祭壇の上へ役員が神饌を供えます。そして宮司による祝詞奏上。榊で作られた依代に神を宿らせたあと、それを持った宮司を先頭に平坂神社まで帰ります。このとき、鉄鐸と呼ばれる特殊な祭器を役員は打ち鳴らしとりました。」
スクラップ帳を菅野はめくる。
大きなモノクロ写真が現れた。先端に榊のついた長い杖のような物が写っている。根元からは、筒状の物体がぶら下がっていた。
再び目が釘づけとなる。
筒状の物体には、複数の六角形を作る模様が彫られていた。お互いに重なり合った中央では、六つの菱形が開いた六芒星が生まれている。ちょうど、昭が亡くなった日に見た幻視と同じように。
――見たはずのない物ばかり見てる。
「この筒みたいなものが鉄鐸です。榊のついた棒は御鉾と呼ばれます。」
冬樹は写真を覗き込んだ。
「これ――小野神社の鉄鐸に似とりませんか?」
「ほほぉ、お若いのに詳しいですねえ――」
幸子は眉を歪める。
「藤村ったら、まぁた妙ちくりんなこと言うだけぇ。どこぉ、その小野神社って?」
「長野県の諏訪にある神社だ。ちょうどこの写真と同じやなもんが伝わっとる。鉾の飾りがついとって、筒状の鉄鐸が五個くらいぶら下がっとるだけど。」
一方、平坂町の鉄鐸は、大きな物が一つしかない。
気になって美邦は尋ねた。
「この、六角形の模様は何ですか?」
菅野はきょとんとする。
「はい?」
写真へ目を向ける。鉄鐸は錆で覆われて真っ黒だ。六角形の模様はない。美邦は急に恥ずかしくなる。
「いえ――何でもないです。」
ふと、由香が声を上げる。
「芳賀君が探してくれたスレ――鐘を打ち鳴らす音が聞こえたってなかった?」
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