神送りの夜

第三章 寒露

【幕間３】いつでも会える

真夜中にやって来る気這けはいが妹だと気づいて以来、わたしの生活は明るくなっていった。妹が部屋へ来るのを待ちわびるようになっていたのだ。

妹は、毎日のように来た。

眠りに就いてから、一、二時間ほどで眼を覚ます。

すると、つた、つた――と跫音あしおとが聞こえる。夜更よふかしをするわけにいかないので、わたしは眠りに就こうとする。跫音はなおも近づいてゆき、わたしの部屋に這入る。そうして、枕元で屈み込むのだ。

妹が、わたしの左手をそっと握る。

リラックスしたまま、わたしは眼を開かない。

けれども――それでいい。眼を開いたところで何も見えないのだ。しかし眼を閉じていれば、妹の姿が浮かんでくる――枕元に坐ってわたしの手を握っている。

小さな手を握り返し、妹との記憶を思い返しながら眠りに就く――それが日課となっていた。

　　　　＊

妹の気這いは、真夜でなくとも感じ始めた。

六月へ入った頃には、他人のいない処であれば、町のどこからでも感じられるようになっていた。ただし、町の外で感じることは決してない。

わたしが学校から帰って来て、バス停に立ったとき――妹が出迎えてくれているのが判る。姿は見えないし、声も聞こえない。けれども、まやかしではない。日の暮れた木造のバス停――うら寂しい風景に、何者かの存在を感じる。それは、ささやかな温かい風となってわたしの頬を撫でる。

｢ただいま。」

バス停で待っていた妹に、わたしはそう声をかける。

誰かが見ていたならば、気が触れたと思われたかもしれない。けれどもわたしの耳には、お帰りなさいという声なき声が、はっきりと感じられた。

わたしが歩きだすと、コンクリートの床を踏む微かな音が聞こえる。

夏至が近いため、遅めに帰って来ても日は高い。空は、薄紅色のかかった灰色をしていた。そろそろ蒸し暑くなる季節、海から渡り来る風が心地いい。民家の軒先で、紅い布が微かに揺れている。

家へ向かう途中、ずっと妹は隣を歩いていた。

｢小さい時、こんな感じで一緒によく歩いたね。」

周囲に人がいないのを確認して声をかける。すると、肌を撫でるように、嬉しそうな感情が伝わってきた。目に見えていたならば、軽く微笑んでいただろう。

本当に、こうしていつも一緒にいたものだ。妹はお姉ちゃんっ子だった。成長してからは、べたべたとくっ付かなくなったが、今、わたしの隣にある気這いは、亡くなったそのときと変わりない。

しかし、それも家へ着くまでの間のことだ。

妹は、どういうわけか昼間は家へ這入ろうとしない。それどころか、他人のいる前――特に人の多い処では、妹の気這いは薄まるか、なくなるのが常だった。生前と変わりないとはいえ、肉体のない以上、同じように振る舞えないのかもしれない。

そもそも、今の妹は、どうやら神社に住んでいるようなのだ。

神迎えの儀式とは、海の向こうから来る神を神籬ひもろぎに移し、神社で御神体に移して祀り上げる儀式だ。

考えてみれば、海の向こうから来る神とは祖先なのだろう。ゆえに、神迎えの儀式は彼岸の中日に行なわれるのだ。

一体、いつの時代のどんな人物が帰って来るのかは分からない。しかし、今年の神迎えで帰って来たのは妹だった。

今――わたしの妹は神社に祀られている。時として、神社のほうへと帰るのを感じることさえある。

妹が、なぜ町の外へ出ないのか、なぜ昼間は家へ這入ろうとしないのかはよく分からない。しかし、どうやら神社が関係しているようだ。

かつてのように同じ屋根の下で暮らせないことは寂しい。ましてや、実の妹が神として祀られていることを考えると複雑な気分となる。そんな後ろ向きな気持ちを抱えたまま、今日もまた夜は更けてゆく。

　　　　＊

わたしが目を覚ましたのは、布団に入って随分と経った頃だった。枕元の時計へ目を遣ると、二時前に差しかかっている。身体の芯がざわついていた。そして、つた、つた――と遠くから跫音が聞こえだす。

わたしは眠りに就こうとし、目蓋まぶたを閉じてリラックスする。

跫音はやがて近くなり、わたしの部屋へと這入はいって来た。