神送りの夜

千石杏香

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第三章 寒露

9 祀られていたもの

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「つまり、美邦ちゃんぇは平坂神社の宮司さんだってこと?」

美邦の隣で由香は目をまるくする。

火曜日の昼休み――先週と同じように、「放課後探偵団」は窓辺に集まっていた。合わされた机には、冬樹が探してきた資料のコピーが広げられている。

「多分――そうだと思う。」死亡記事へ美邦は目を落とした。「この大原夏美って人が私のお母さんなの。しかも、神社の住所と同じってことは――」

ほうじ茶を竝べながら、芳賀は冬樹を視る。

「それにしても――藤村君には驚いたもんだな。新聞記事全部調べただら?」

十年前の二月までだに――と冬樹は答えた。

「郷土誌にゃ、宮司は大原だって書いてあるが? それに、少なくとも、大原さんが町に住んどった二千⬛︎年まで神社はあったはずで――。あと、宮司さんぇが火事になったって言ったのは芳賀だが。」

――つまり。

「もし本当に火事があったなら、大原さんが引っ越した年が怪しいってことになる。」

ほうじ茶が冬樹の前に置かれる。

「でも、普通、調べやなんて思う?」

「確かに骨は折れたわ。日本海新報に夕刊がなくって本当によかった。」

紙コップを受け取りつつ、幸子が口を挟んだ。

「でも――変でない? もしこの『大原』てぇのが美邦ぇだったとして――叔父さんや叔母さんが神社を知らんわけないが?」

四人の視線が美邦に集まる。

美邦はうつむく。茶色い水面みなもが湯気を立てていた。

「知らないわけ――ないよね。だから、そんなはずないと思ってた。でも――神社が火事になったって聞いた時から、もしかしたらと思ってたの。」

それから、平坂町に来る前の出来事について美邦は語った――平坂町の存在を昭が隠していたことや、啓との証言に喰い違いがあることなどを。

絶対おかしいよ――と由香は言った。

「お母さんや町のこと隠しとったなんて――。それに、美邦ちゃん家ぇが神社なら、お父さんは神主さんでないの? でも――美邦ちゃんが居候しとる家は渡辺さんじゃ――」

「お父さん、婿入むこいりしたんだって。」

幸子が何かを思い出した。

「お父さん、叔父さんのお兄さんだっけ? 長男?」

「うん――。そうだって聞いてる。」

眼鏡の央橋ブリッジに幸子は指を当てる。

「よう分からんけど――長男なら婿入りしにくいもんでないの? 相手の家が名のある神社とかなら知らんけど。」

名のある神社だと思うで――と冬樹は言った。

「大原家は国造こくそうと伝えられる――って書かれとる。国造は、大和王権に服した豪族だ。今は、出雲国造とか紀伊国造とかしか残っとらん。どちらも、皇室に匹敵する古い家系だ。」

――皇室と肩を竝べる家系。

郷土誌には、「と伝えられる」とある。真偽は不詳なのだろう。しかし、伝承はあったということだ。

「そがぁな神社が――潰れるかいなぁ?」

由香の言葉に、一同は首をかしげる。

「叔父さんや叔母さんが『知らん』って言うのも変だけど――他の大人まで知らんなんて変だぁが? それに――神社が潰れたっていう情報は、まだ、芳賀君の家族からしかないにぃ。」

冷えた笑みを芳賀は向ける。

「まさか――潰れたんでなくって、消えてなぁなったとでも? 煙みたいに。」

由香は黙り込んだ。

確かに――それは少し考えがたい。

潰れたと親から聞いたのは芳賀だ。ゆえに、少し意地になったのだろう――芳賀は続けた。

「元から、町の人も知らんやな神社だったでないかな――たとえ歴史は古くとも。なら、大人たちが知らんのも、倒産したのも分かる。」

それに――と言い、申し訳なさそうな顔を美邦に向ける。

「大原さんには申し訳ないけど――そがぁな歴史ある神社を潰したなら、お父さんも実家に顔向けできんでない? 仲が悪かった理由もそれじゃ。」

「それは――」

美邦は考え込む。

昭は――確かに何かを隠していた。そこには、後めたいものがなかったか。もしも金銭がらみならば簡単に説明がつく。だが。

――⬛︎⬛︎しなきゃ。

違和感の理由は何なのか――町に来てから覚えている妙な感覚や、何か大切なことがある気がする理由は。それをしないと――。

美邦の正面で、何事かを冬樹は考え込む。

「にしちゃ――引っかかるな。」

芳賀の眉が歪んだ。

「何が?」

冬樹は一同を視る。

「お前らん家ぇて仏壇あるか?」

美邦はきょとんとする。それは、他の三人も同じだった。あるけどと美邦は答える。私ん家もと幸子は答え、本家にあるけどと由香は答えた。芳賀だけが、ないと答える。

「じゃ、神棚は?」

渡辺家の隅々を美邦は思い返す。半世紀ほど前から建つ家にも拘らず――昭の生家であるにも拘わらず――ない。

「ない。」「ないね。」「ないな。」「ない。」

「紅い布は?」

ある――と答えた。同時に、冬樹の言いたいことを何となく理解する。

ある――と、由香も幸子も答えた。

芳賀は眉をひそめる。

「あるな。割と新しい家だけど。」

うち家ぇもだ――と冬樹は答えた。

「この町の人は、決して不信心でない。仏壇だってある。それどころか――紅い布も必ず吊るしとる。あれも何かの信仰だら。」

「そうだで」と由香は言う。「紅い布はあるにぃ、神社を忘れただなんて変。町に一つしかない神社だにぃ、みんな大切にすると思う。」

だな――と冬樹は言い、郷土誌のコピーを指さす。

「それに――この『御忌おいみ』って何だ? 青ヶ浜から迎えられたり、送られたりする神様を見んために、家から一歩も出んっていう。けど、平坂神社から青ヶ浜までっていったら、町のほぼ半分でないか?」

それどころか――と冬樹は続けた。

「御忌の日のためには一年神主が立てられて――宮座から選び出されたっていう。」

郷土誌を読んだ時から、分からない言葉の連続だった。美邦は思わず尋ねる。

「その、一年神主とか宮座とかって何なの?」

「一年神主は、祭りの主催者だ。昔は、神主っていうのは輪番で選ばれるもんだった。宮座ってのは、氏子の集まりだに。平坂神社奉賛会みたいな。」

芳賀が反論を試みた。

「けれど、その一年神主? や、宮座? も、十年前には忘れられとったって可能性もあるでない? 何しろ、ネットで検索しても出てこんにぃ。」

「別に、御忌で検索したわけでないだら?」

「まあ――そうだけど。」

それにな――と冬樹は言う。

「郷土誌な、昭和六十二年の編纂だに――たった三十年前だ。でも、うちの婆ちゃんや、築島先生が『知らん』って言ったなら――半世紀以上も前から神社は忘れられとって、初詣にも行かんかったのか?」

論理的に話す冬樹に美邦は好感を抱いていた。自分の違和感を代わりに言葉にしているようだ。

――こんなふうに私も話せたなら。

せめて――この引っ込み思案を治せたなら、どれだけ人生は変わっていただろうかと思う――左眼を失明した時点で、ある程度は宿命だったにせよ。

芳賀は、なおも渋い顔をする。

「でも――それなら、何で『ない』って言った? 大人たちも――大原さんの叔父さんも。」

ふっと、由香がつぶやいた。

「仲が悪ぅなった――とか?」

幸子は目を瞬かせる。

「どうゆうこと?」

「うち、お父さんと本家の仲が悪ぅなって、長いあいだ行っとらんにぃ。だけぇ、仏壇も見とらん。」

「まさか、村八分的な?」

その場が静まり返る。

神社がなくて、村八分があるというのは決まりが悪いのだろう。

ううんと芳賀はうなった。

「とりあえず――平坂神社は十年前も知られとったかどうかが気になるな。そうでない限りは、倒産したって言うほかない。」

再び静かになった。

コピー用紙に目をやる。気にかかることは他にもあった。奇妙な単語へと美邦は指を伸ばす。

「話は逸れるけど――この『客神まろうどがみ』っていうのは何なの? 平坂神社の主祭神は、大物主命って神様だったはずだけど。」

ほうじ茶をすすり、冬樹は答える。

「多分――『寄神よりがみ』でないかな。」

幸子は頬杖を突き、左隣に目を流した。

「また難しいこと言うだけん。その――よりがみっていうんは何?」

海の向こうから来る神様だ――と冬樹は答える。

「昔は――神様って、神社におるもんでなかった。祭りの日に異世界からやって来て、祭りが終わると帰ってゆくもんだった。」

先日の話を美邦は思い出す。

「藤村君が話してくれた――小さな神様が来て、常世の国に去って行って、そのあとすぐ大物主命が来た話――あれはそういうことだったの?」

ああ――と冬樹はうなづく。

「平坂神社の神様は、本当は大物主でなかったかも。海の向こうから来る――名無しの神様だったかもしらん。何せ、一年ごとに交代するわけだけん。」

気になって仕方がないことがある。

――とこよ。

海の彼方にある正体不明の国――なぜか分からないが、そこに自分は酷く惹かれているのだ。

「平坂神社の神様は、常世の国から来るのかな?」

「だと思う。平坂町に、『とこよ』って言葉があるかどうかは分からんけど。でも、神迎えが彼岸に行なわれるのは興味深い。どうあれ、海の向こうに神様の国があるとは考えとったんだら。」

レンズの向こうで幸子が目を歪める。

「でも、神様は春分に迎えられて、冬至に送り返されるだら? ってことは、冬至から春分の間は、神社にはおらんでないん?」

「そりゃおらんだらあ。神無月だって、出雲以外、日本中から神様がおらんようになるが? ありゃ、冬になると神様が異世界に去るって考え方が変わったもんだけん。旧暦の神無月は大よそ十二月だ。」

美邦の隣で、由香が唇を尖らせた。

「けど、変な話――。神様の姿を見たら――祟りがあるなんて。」

美邦は冬樹を見やる。

「私も気にかかってる。この『御忌』って、何の意味があるの? 何だか、気が触れるとか、目が潰れるとか、怖いことが書いてあるのだけど。」

実際、自分の左眼は潰れてるのだ。

そこだが――と冬樹は言う。

「日本各地には、真冬のある日、異界から神が来るっていう伝承がある。しかも、神様を見たら祟りがあるけん、家から一歩も出ん風習も同じだ。」

窓から差す光が揺らぐ。

「関東には、箕借みのかり婆さんって妖怪が伝わっとる。箕借り婆さんは、十二月八日、あるいは二月八日の夜に現れ――火事を起こしたり、目を盗んだりしてゆく。だけん、この夜はざるかごを軒に立てて家から一歩も出ちゃいかん。箕借り婆さんは一つ目だけん、目の多い物を怖がるそうだ。」

そこまで言い、冬樹は目を逸らした。

美邦は察する――自分の左眼が気にかかったのだろう。そのように変な気遣いをされるほうが辛い。

「それと――兵庫県の西宮神社にも同じ風習がある。御狩みかり神事っていうだけど。西宮神社の祭神――恵比須えびす様は、正月九日の夜に西宮市内を歩き回るそうだ。その姿を見たら祟りがあるけぇ、近隣住民は一晩中家に引きこもる。」

由香が身を乗り出す。

「じゃあ――平坂町と同じなだな。」

「恵比寿様も寄神よりがみだしな。」

「そうなん?」

「エビスの語源はえみしだ。海岸に、変わった物――例えば、人間やくじらの死体が打ち上げられると、海の向こうから来た神様だと考えられて祭られとったに。――それが恵比寿様な。」

ふと芳賀は問う。

「エミシって、『もののけ姫』の?」

「そうそう。」

「アシタカは恵比須様?」

「まあ――マレビトと考えればそうなるかなあ。」

少し考えてから冬樹は続けた。

「あとは――伊豆大島の『海難法師かいなんぼうし』がある。これは水死者の霊で、旧暦一月二十四日の夜に来て島民を怯えさせる。――出雲地方には、『カラサデさん』『お忌さん』っていう伝承もある。神無月の終わりの日――出雲から去ってゆく神様を見ちゃならんってもんだけど。」

そして――と冬樹は続ける。

「箕借り婆さんを避けるために笊や籠が立てられるのと同じで――海難法師が来る日には海桐とべらの葉が軒先に飾られ、カラサデさんが来る日にはほうきが軒先に飾られる。」

紅い色が目の裏にひらめいた。

「紅い布。」

四人の視線が美邦に集まる。

「平坂町では――紅い布がそれってこと?」

「だと思う。一年中飾られとるけど。」

幸子は興味深そうな顔をする。

「あれ、そがな意味があったん? 私は、変なもんが家に入ってこんためのもんとしか聞とらんけど。」

由香が尋ねた。

「郷土誌には何か書いてなかったん?」

「一応、天然痘を防ぐまじないから発生した魔除けと考えられる――とだけ。紅い色は天然痘を防ぐけん。問題は、神社と関係があるのかだけど。」

総括するように冬樹は言う。

「どうあれ――十年前に何が起きたかが重要だ。」

十年前――と美邦は反芻する。

「ああ。十年前――平坂神社に『異変』があったんは間違いない。何しろ、大原さんのお父さんが町を出ただけん。それで、事情を知らん大原さんが町に戻ってきたとき、神社はなぁなっとった。」

「――『異変』?」

「そう。今は何か分からんが、重要なんは――」

この『異変』が何かだ――と冬樹は言った。
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