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第三章 寒露
8 家の孤児
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連休最後の夕方――雨が上がり始めた。
日が落ちる前、美邦は居間で千秋と過ごしていた。千秋が嵌っているアニメがあり、それに付き合っていたのだ。障子の外では雨音が続く。気温が落ちていたので、ホットココアを飲んだ。
アニメが終わり、マグカップを流しに持ってゆく。流し台の中には、複数の食器が置かれていた。放置するのも気が引ける。京都にいたときの慣習で美邦はそれを洗いだした。
そんな時、詠歌の声が聞こえた。
「美邦ちゃん、何しとんの。」
顔を上げると、露骨に不快な顔をした詠歌が立っていた。
「え、あの――」
「他人家のもん勝手に使わんで! それもそのままにしといて!」
美邦はうなだれ、はい、と言い、食器を放置して手を洗う。
居間から、千秋がフォローした。
「そんな怒らぁでもええがぁ。お姉さん、手伝いしただけだにぃ。」
「そういう問題でないに」と詠歌は言う。「食器は大切なだけぇ。綺麗にしとかんといけんし、洗剤の残しがあったら毒になるがぁ。」
美邦は、すみません、と頭を下げる。
居心地が悪くなって自室に逃げた。
そんなにも――間違ったことをしただろうか。
父の葬儀で、唐突に触れられた時から感じている――この叔母とは相性が悪いと。会話をしようとしても嚙み合わない。あの明るくも図々しい性格が苦手だ。
自室へ戻ると、伊吹山が窓に見えた。
雨は既に上がっている。円錐形の黒い山は雨露にしっとりと濡れ、霞がかかっていた。水墨画のような光景だ。三輪山によく似た――畏怖すべき神の山がある。
――ここは自分の家でないだけん。
自分だって、いたくてここにいるわけではない。しかし、自分の故郷を美邦は隠されてきた。母の死についても隠されてきた。ここにいたいと思うのは自分の我がままだろうか。いや。
自分は――この町で育つはずだった。
――お父さんやお母さんと共に。
スマートフォンが鳴った。
「放課後探偵団」に冬樹からメッセージが入る。
「今日、市立図書館に行ってきた。」
「神社について重要な情報かもしれない。」
美邦はLIИEを開く。
続いて、「切り取られていた郷土誌のスキャン」という文と、見開き二ページの画像が送付された。
画像を拡大する。
平坂神社は■■市平坂町大字伊吹■■‐■に存在する神社である。創建時期については不明ながら、延喜十九(九一九)年に記された『山陰雑葉』には、既に「平坂明神」なる記述が見られる。式外社。近代社格制度においては村社に列せられた。大正二(一九一三)年、上里神社・伊吹神社を合併。主祭神は三輪大物主命。配神として、八重事代主命・少彦名命・健御名方命・天稚彦命・下照姫命・味耜高彦根命を祀る。
喰い入るように読み、そして目が留まった。
例大祭――毎年の秋分
建造物――本殿、祝詞舎、拝殿、透壁、神楽殿、神饌所、宝庫、神輿庫、随身門、社務所、手水舎
現在の宮司は大原糺である。大原家は国造であるとも伝えられ、代々宮司の地位を継承している。
渡辺家の異分子と同じ苗字が紙面にある。
平坂神社の例大祭は毎年の秋分に行われる神嘗祭である。神嘗祭は宮中祭祀の一つであるが、ここでは収穫祭としての性格が強い。主に神輿の巡幸などが行われる。
また、春分の夜と冬至の夜には、それぞれ神迎えと神送りの儀式が行われる。これは青ヶ浜から平坂神社へ客神を迎え、あるいは送り返す儀式である。神迎え・神送りに際しては、平坂町の宮座から男女の一年神主が籖出され神事に参加する。神迎え・神送りの夜は「御忌」と呼ばれ、住民はみな外出を慎む。もし御忌の夜に平坂町を行幸する神の姿を目にした場合は、気が触れる、目が潰れるなどの祟りがあると信じられている。
気が触れる・目が潰れるという言葉に背筋が冷えた。
続いて、「平成十■年二月二十日 日本海新報」という文と、新聞記事の画像が送付された。
■■市平坂町で火災
20日午前五時ごろ、■■市平坂町伊吹で民家が燃えていると近所の住民から通報があった。県警■■署などによると、木造二階建てが全焼し、焼け跡から女性の遺体が発見された。同署は住人の大原夏美さん(29)とみて身元の特定を急ぐとともに、出火原因を調べている。
間髪を容れず、「平成十■年二月二十一日 日本海新報」という文と、死亡記事の画像が送付される。
20日 大原夏美さん(29) ■■市平坂町伊吹■■‐■
住所は、平坂神社と同じだった。
日が落ちる前、美邦は居間で千秋と過ごしていた。千秋が嵌っているアニメがあり、それに付き合っていたのだ。障子の外では雨音が続く。気温が落ちていたので、ホットココアを飲んだ。
アニメが終わり、マグカップを流しに持ってゆく。流し台の中には、複数の食器が置かれていた。放置するのも気が引ける。京都にいたときの慣習で美邦はそれを洗いだした。
そんな時、詠歌の声が聞こえた。
「美邦ちゃん、何しとんの。」
顔を上げると、露骨に不快な顔をした詠歌が立っていた。
「え、あの――」
「他人家のもん勝手に使わんで! それもそのままにしといて!」
美邦はうなだれ、はい、と言い、食器を放置して手を洗う。
居間から、千秋がフォローした。
「そんな怒らぁでもええがぁ。お姉さん、手伝いしただけだにぃ。」
「そういう問題でないに」と詠歌は言う。「食器は大切なだけぇ。綺麗にしとかんといけんし、洗剤の残しがあったら毒になるがぁ。」
美邦は、すみません、と頭を下げる。
居心地が悪くなって自室に逃げた。
そんなにも――間違ったことをしただろうか。
父の葬儀で、唐突に触れられた時から感じている――この叔母とは相性が悪いと。会話をしようとしても嚙み合わない。あの明るくも図々しい性格が苦手だ。
自室へ戻ると、伊吹山が窓に見えた。
雨は既に上がっている。円錐形の黒い山は雨露にしっとりと濡れ、霞がかかっていた。水墨画のような光景だ。三輪山によく似た――畏怖すべき神の山がある。
――ここは自分の家でないだけん。
自分だって、いたくてここにいるわけではない。しかし、自分の故郷を美邦は隠されてきた。母の死についても隠されてきた。ここにいたいと思うのは自分の我がままだろうか。いや。
自分は――この町で育つはずだった。
――お父さんやお母さんと共に。
スマートフォンが鳴った。
「放課後探偵団」に冬樹からメッセージが入る。
「今日、市立図書館に行ってきた。」
「神社について重要な情報かもしれない。」
美邦はLIИEを開く。
続いて、「切り取られていた郷土誌のスキャン」という文と、見開き二ページの画像が送付された。
画像を拡大する。
平坂神社は■■市平坂町大字伊吹■■‐■に存在する神社である。創建時期については不明ながら、延喜十九(九一九)年に記された『山陰雑葉』には、既に「平坂明神」なる記述が見られる。式外社。近代社格制度においては村社に列せられた。大正二(一九一三)年、上里神社・伊吹神社を合併。主祭神は三輪大物主命。配神として、八重事代主命・少彦名命・健御名方命・天稚彦命・下照姫命・味耜高彦根命を祀る。
喰い入るように読み、そして目が留まった。
例大祭――毎年の秋分
建造物――本殿、祝詞舎、拝殿、透壁、神楽殿、神饌所、宝庫、神輿庫、随身門、社務所、手水舎
現在の宮司は大原糺である。大原家は国造であるとも伝えられ、代々宮司の地位を継承している。
渡辺家の異分子と同じ苗字が紙面にある。
平坂神社の例大祭は毎年の秋分に行われる神嘗祭である。神嘗祭は宮中祭祀の一つであるが、ここでは収穫祭としての性格が強い。主に神輿の巡幸などが行われる。
また、春分の夜と冬至の夜には、それぞれ神迎えと神送りの儀式が行われる。これは青ヶ浜から平坂神社へ客神を迎え、あるいは送り返す儀式である。神迎え・神送りに際しては、平坂町の宮座から男女の一年神主が籖出され神事に参加する。神迎え・神送りの夜は「御忌」と呼ばれ、住民はみな外出を慎む。もし御忌の夜に平坂町を行幸する神の姿を目にした場合は、気が触れる、目が潰れるなどの祟りがあると信じられている。
気が触れる・目が潰れるという言葉に背筋が冷えた。
続いて、「平成十■年二月二十日 日本海新報」という文と、新聞記事の画像が送付された。
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間髪を容れず、「平成十■年二月二十一日 日本海新報」という文と、死亡記事の画像が送付される。
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住所は、平坂神社と同じだった。
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