神送りの夜

千石杏香

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第三章 寒露

3 海を照らす神

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昼ごろ、雨は大粒となった。白い雫で外がかすむ。教室が暗くなったせいで、蛍光灯が明るく見えた。容赦なく屋根に雨は当たり、激しい音を立てる。

午前の授業が過ぎ、給食時間も終わる。

昼休みとなり、美邦と由香の元へとメンバーが集まった。

なりゆきから、由香の席の前に幸子が机を合わせ、美邦の席の前に冬樹が机を合わせる。冬樹は美邦と目を合わそうとせず、頬づえをついてむっつりした。その姿勢は、次の手を考える棋士に似ている。何を考えているか分からない点も同じだ。

芳賀はバッグを持ってきていた。四つ合わせた机の側面に坐り、菓子箱を取り出す。

「これ、好きに食べて。」

由香は、美邦を横切ってぐいと身を乗り出した。

「あ、白うさぎ!」

幸子が声をかける。

「ええん?」

バッグから紙コップを芳賀は出す。昼休みを冬樹と過ごす時の慣習らしい――水筒を取り出し、ほうじ茶を注ぎ始めた。

「僕の母親が、市内のホテルで週一でバイトしとるにぃ。そっから、白うさぎもらってくるだが。腐るほどあるけぇ、できれば消費しようと思って。」

ありがと――と由香は言い、菓子箱の包装を解いた。そして、白うさぎを一つずつ全員に配りだす。

湯気の立つ紙コップが美邦の前に置かれた。

白うさぎに由香がぱくつく。美邦もまた、白うさぎの包装を解いた。紅い眼のついた兎型の焼き饅頭は、今日は抹茶味の餡のようだ。

冬樹は、白うさぎに手を伸ばそうとしない。ただ、頬杖を突いたまま口を開く。

「とりあえず、昨日、祖母ちゃんと母さんにもっぺん訊いてみたに。でも、やっぱり、平坂神社なんて知らんって言っとった。」

そして、差し出されたほうじ茶を受け取る。一口すすり、みんなはどうだった――と問うた。

茶を配り終えた芳賀が、小型ノートパソコンを取り出す。

「僕は――親に訊く前に、帰ってから色々検索してみただけど――」

ディスプレイを開き、起動させた。

「不思議なことに、十年前まではなんもヒットせん。でも、十一年前の十二月から、ちょいちょい引っかかる。」

時間の開きが美邦は気にかかる。

「十一年前まで?」

「うん――それでも多かないけど。執拗に調べてったら、画像の載っとるサイトが出た。」

キーボードが素早く打たれた。

回転型ディスプレイが回され、サイトが一同に見せられる。

美邦は目をみはった。

ディスプレイに表示されたサイトには、正面から社殿を撮ったモノクロ写真が載っている。随分と古い写真らしく画像は粗い。しかし、寝殿造を思わせる建物は、記憶の神社と酷似していた。

無意識のうちに唇が動く。

「たぶん間違いないと思う。」

おぼろげな記憶が、不鮮明な画像を頭の中で修正した。

「高い樹に囲われた中に、この神社が建ってたの。間違いなく、これくらい立派だったはず――町の守り神がいたんだから。」

冬樹の視線が初めて向く。

「守り神?」

二つ目の白うさぎを頬張りながら由香は答えた。

「海から来た神様がおっただでなあ?」

「うん。」

頬杖を突いたまま冬樹は考え込んだ。

「じゃ、やっぱり此処ここなんかなあ。」

幸子は腰を少し浮かせ、ディスプレイを覗き込む。

「でも、あの山ん中にこれが? 大きぃない?」

由香も同意した。

「だでなぁ。下手したらお寺さんの本堂より大きいで。」

ほんにな――と、芳賀がうなづく。

「で――親にも訊いてみただが。うちの母親は町外の人だし、分からんって言っとった。遅くに父親が帰ってきたけえ、改めて訊いてみたに。そしたら、やっぱり知らんって言う。だけぇ、この画像を見せたら、なんか変な顔して――潰れたでないかいなぁって言った。」

不可解な言葉を美邦は反芻する。

「潰れた――?」

張り裂けるような声が響いた。

「あんた達、もっと静かにできんの!」

五人は肩を震わせる。

声のした方を向くと、小太りの少女が坐っていた。先日、トイレで声をかけてきた生徒だ。読書中らしく、有名なケータイ小説を手にしている。

彼女はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出た。

由香は胸を撫で下ろす。

「ああ、びっくりしたあ。」

怒鳴られた理由が分からず、美邦は周囲を見回した。

「私たち、そんな大きな声でしゃべってたかなあ。」

紙屑を捨てるように芳賀は言う。

「いや――あの人、頭おかしいだけだと思うで。」

刹那、沈黙が訪れた。大粒の雫が窓硝子を叩く音が迫る。

自分の知らない事情が何かあるらしい。

気を取り直すように幸子は問うた。

「けど――潰れたって、神社って潰れるん?」

「さあ。なんでも、火事があったとか。」

厭な響きが耳に残る。

「火事。」

「詳しいことは分からんけど――宮司さんぇから火が出たって言っとった。」

漠然と覚えていた予感が現実味を帯びる――触れてしまえば、渡辺家にいられなくなるような可能性が。父と同じように、叔父夫婦も何か隠していないか。

三つ目の白うさぎを開きつつ、由香は首をかしげる。

「でも、荒神さんみたいな小さな神社はみんな知っとるにぃ、こがぁに大きな神社を誰も知らんだなんて可怪おかしぃない?」

違和感が、由香の言葉で形になったような気がした。

「そうだよ――大人たちが知らないなんて変。初詣だって、普通ここに行くんじゃないの?」

雨の降る音が響く。明るい蛍光灯の下、誰もが考え込んだ。しばらく経って、ぽつりと由香はつぶやく。

「神社は『消えた』んでないかいなぁ?」

酷く腑に落ちた。

あるはずのものがない――普通、それは「消えた」と言う。

しかし――、

「消えた?」

「うん。」

由香は画面を覗き込む。

「きっと、町の人らの願いがようけ詰まっとるけぇ、こがぁに神社は大きいでないかいな? でも、昨日の郷土誌、目次はくろぅ塗られとって、ページは切り取られとったにぃ――まるで神社の存在を隠すみたいだが?」

再び、雨音のみが寂しげに続いた。

疑わしそうな顔で幸子は首をひねる。

「人や店が消えたならともかく――神社なぁ。」

芳賀も同意した。

「大人たちが口裏を合わせて『ない』と言ったとでも? やるだけの意味が分からんにぃ。」

それは――普通そうだ。

だが、美邦は、この町の存在を父から消されていた。そのことを考えると、「ない」と言い切れない気もする。

湯気の立つ紙コップを冬樹はすすった。

「でも、消えたんなら大事だな――。大原さんの言葉を信じるなら、平坂神社は町の総鎮守だ。しかも、祭神が大物主命おおものぬしのみことと来とる――。神社が今もあったら、何で祭神がこうなったか訊きに行っとるに。」

祭神に対する反応が気にかかっている。ズレており、しかも祟ると言うのだ。

触れがたく感じるものに美邦は触れた。

「祀られてる神様は、そんな変わってるの?」

「神様は変わっとらん。祀られかたが変わっとる。」

ポケットから一枚の紙を冬樹は取り出す。それは、先日のサイトを印刷した物だった。

【主祭神】
三輪大物主命みわのおおものぬしのみこと

【配神】
八重事代主命やえのことしろぬしのみこと
少彦名命すくなひこなのみこと
武御名方命たけみなかたのみこと
天稚彦命あめのわかひこのみこと
下照姫命したてるひめのみこと
味耜高彦根命あじすきたかひこねのみこと

「祀られとる神様は、みんな大国主命おおくにぬしのみことの神話で活躍する。でも、大国主命はおらんで、その分身である大物主命おおものぬしのみことが主祭神になっとる。」

由香は、新たに包装を解いた白うさぎの、小麦色の衣を剥ぎ始める。

大国主おおくにぬしって、この白兎を助けた神様だら? こう、サメから皮を剥がれた白兎を治した。」

幸子がたしなめた。

「由香、行儀悪い。」

「大国主は、大きな国の王様だ。」

紙の端に、「大国主」と冬樹は書いた。

「そして、大物主は海から来た神だ。」

――海から。

焼けるように左眼が痛くなった記憶が蘇る。真夜中に来た何か――それは、山から来たように思えれば、海から来たようにも思える。

冬樹は続けた。

「その昔――大国主が海に遊びに出たときだ。小さな神様が浜に打ち上げられたそうな。ガガイモの殻に乗って、の皮を衣にした神様。」

ガガイモって何と芳賀は問い、何かの殻だろと冬樹は答えた。

「この神様を、少彦名すくなひこなっていう。しかも、神産巣日かみむすびっていう偉い神様の息子だった。いたずらばっかしとって、うっかり親の手の平から落ちたらしいけど。」

うっかり――と芳賀は反芻する。

「うっかり――な。で――神産巣日は、大国主と少彦名が兄弟になって、一緒に国を造れと命令する。」

「で、造っただか?」

「造ったに。けど、国が完成するまえ――少彦名は常世の国に行った。」

耳に残る言葉だった。

――とこよのくに。

細漣さざなみの拡がるように、その言葉が全身に浸透してゆく。初めて耳にするはずなのに、初めての感覚はない。遠い昔に――自分が町にいた頃よりもはるか前に聞いた気がする。自分自身の記憶というより、遺伝子に受け継がれた記憶に響きかけるものがあった。

「とこよのくに――?」

「海の向こうにある国で、死者が行く島。」

――死者が。

「死後の世界ということ?」

「まあ、そうかな。」

言葉を噛み締めると同時に引っかかる。

美邦は神話に詳しくない。それでも、何となく知っていることはある。神道では、死後に行く世界の名前は違っていたはずだ。それは――。

「少彦名を失い、大国主は嘆いた。自分だけじゃ国は造れん。これからどうすりゃええんだと。すると、海が光って神が来る。これが――大物主だ。」

芳賀は仏頂面となる。

「超展開すぎん?」

「超展開だな。なんせ、大物主は、自分をVIP待遇したら国造りに協力しようって言っただけえ。」

「まさか受け入れたん?」

「受け入れた。それで、奈良県の三輪山にVIPルームが造られる――大神神社おおみわじんじゃっていうけど。」

「ああ。」思い出したようにディスプレイを芳賀は回し、キーボードを打つ。「そういや藤村君、前にも話しとったな。日本最古の神社だら?」

ディスプレイが戻され、一同に見せられた。

美邦は再び目を瞠る。

画面に映っていたのは、「三輪山」で画像検索した結果だ。そこに竝んでいたのは、伊吹山に酷似した山だった。少し形は崩れているが、綺麗な円錐形だ。

幸子は画面を見つめ、眼鏡の位置を軽く直す。

「これ――伊吹山に似とらんくない?」

由香が同意した。

「ほんに――そのものに見えるで。」

「うん。」

美邦はうなづき、画面と冬樹とへ交互に視線をやる。

「この山に――伊吹山と同じ神様が祀られていたの?」

「ああ。」

直感的に思い当たることがあった。大物主は海から来たのだ。それは、左眼が痛くなったときの記憶と、先ほど耳にした死者の国を思い起こさせる。

「大物主は『とこよのくに』から来たの?」

意外にも、冬樹は難しい顔をした。

「いや――大物主がどこから来たかは古事記にゃ書かれとらん。」

けど――と言葉を区切る。

「古事記と日本書紀じゃ大物主の設定が違うに。古事記じゃ、大物主は大国主とは違う神だった。でも、日本書紀じゃ、大国主の奇魂くしみたま幸魂さきみたまって書かれとる。」

レンズの向こうで幸子の目が怪訝に歪む。

「くしみたま?」

「特別な力を持った自分の一部分。それが幽体離脱して海から来た。たとえりゃ、国語と社会の能力が俺から抜け出て俺のドッペルゲンガーになったやなもん。」

分かりやすいたとえに納得する。

「もう一人の自分、っていうこと?」

「ああ。でも、本当は別の神様でないかな。なんせ、性格が違うに。大物主は――」

祟る神だ――と静かに言う。

「崇神天皇の時代、疫病が流行して人口が半分以下になった。天皇は、これが大物主の祟りだと夢で告げられる。天皇が大物主を祀ると、疫病は治まった。」

――その神が。

町の守り神だったのだ。

しかし、怖いものという感覚と一致するような気がした。

ほうじ茶で冬樹は口を湿らせる。

「あと気になるんは、宮中祭祀の神嘗祭が秋分に行なわれとることかな。でも、これについて語りだしたらキリがないな。」

幸子が顔を上げた。

「とりあえず、これからどう調べてくつもり?」

「まずは、市役所や神社庁に連絡かな。あと、図書館の郷土誌も同じになっとらんか調べんと。」

ふっと、由香が口を開いた。

「どうせなら、みんなで放課後に歩いてかん?」

一同はきょとんとする。

どこに――と幸子は尋ねた。

「平坂神社だぁが。」

答えたあと、美邦に顔を向ける。

「美邦ちゃん、平坂の三区だっけ? ここ、中通りから逸れて十分もないに、そんな遠くないで?」

少し考える。確かに、その程度の寄り道なら問題はない。加えて、平坂神社が今どうなっているのか気になった。

「別に――私は問題ないけど。」

「お前ら、早めに帰っとけよ。」

冬樹の言葉に、由香は不満な顔をする。

「お前ら――って、藤村君は行かんの?」

「今日は『暴れん坊将軍』の再放送があるけぇだ。」

「あ、爺さん臭い。」

それに――と冬樹は言う。

「大原さんは知らんかもしらんけど――複雑な地形のせいか、この町は交通事故がやたら多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええで?」

「うん、叔母さんから聞いてる。」

「私もパスかな」と幸子は応えた。「帰って夕飯の手伝いせんといかんけん。」

「僕も、上里だけん。――遠いに。」

「もう――みんな連れんだけえ。」

ここ行ったら平坂神社って――と由香は言った。

「まだあるかもしらんが?」
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