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第三章 寒露
3 海を照らす神
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昼ごろ、雨は大粒となった。白い雫で外が霞む。教室が暗くなったせいで、蛍光灯が明るく見えた。容赦なく屋根に雨は当たり、激しい音を立てる。
午前の授業が過ぎ、給食時間も終わる。
昼休みとなり、美邦と由香の元へとメンバーが集まった。
なりゆきから、由香の席の前に幸子が机を合わせ、美邦の席の前に冬樹が机を合わせる。冬樹は美邦と目を合わそうとせず、頬づえをついてむっつりした。その姿勢は、次の手を考える棋士に似ている。何を考えているか分からない点も同じだ。
芳賀はバッグを持ってきていた。四つ合わせた机の側面に坐り、菓子箱を取り出す。
「これ、好きに食べて。」
由香は、美邦を横切ってぐいと身を乗り出した。
「あ、白うさぎ!」
幸子が声をかける。
「ええん?」
バッグから紙コップを芳賀は出す。昼休みを冬樹と過ごす時の慣習らしい――水筒を取り出し、ほうじ茶を注ぎ始めた。
「僕の母親が、市内のホテルで週一でバイトしとるにぃ。そっから、白うさぎもらってくるだが。腐るほどあるけぇ、できれば消費しようと思って。」
ありがと――と由香は言い、菓子箱の包装を解いた。そして、白うさぎを一つずつ全員に配りだす。
湯気の立つ紙コップが美邦の前に置かれた。
白うさぎに由香がぱくつく。美邦もまた、白うさぎの包装を解いた。紅い眼のついた兎型の焼き饅頭は、今日は抹茶味の餡のようだ。
冬樹は、白うさぎに手を伸ばそうとしない。ただ、頬杖を突いたまま口を開く。
「とりあえず、昨日、祖母ちゃんと母さんにもっぺん訊いてみたに。でも、やっぱり、平坂神社なんて知らんって言っとった。」
そして、差し出されたほうじ茶を受け取る。一口すすり、みんなはどうだった――と問うた。
茶を配り終えた芳賀が、小型ノートパソコンを取り出す。
「僕は――親に訊く前に、帰ってから色々検索してみただけど――」
ディスプレイを開き、起動させた。
「不思議なことに、十年前まではなんもヒットせん。でも、十一年前の十二月から、ちょいちょい引っかかる。」
時間の開きが美邦は気にかかる。
「十一年前まで?」
「うん――それでも多かないけど。執拗に調べてったら、画像の載っとるサイトが出た。」
キーボードが素早く打たれた。
回転型ディスプレイが回され、サイトが一同に見せられる。
美邦は目を瞠った。
ディスプレイに表示されたサイトには、正面から社殿を撮ったモノクロ写真が載っている。随分と古い写真らしく画像は粗い。しかし、寝殿造を思わせる建物は、記憶の神社と酷似していた。
無意識のうちに唇が動く。
「たぶん間違いないと思う。」
おぼろげな記憶が、不鮮明な画像を頭の中で修正した。
「高い樹に囲われた中に、この神社が建ってたの。間違いなく、これくらい立派だったはず――町の守り神がいたんだから。」
冬樹の視線が初めて向く。
「守り神?」
二つ目の白うさぎを頬張りながら由香は答えた。
「海から来た神様がおっただでなあ?」
「うん。」
頬杖を突いたまま冬樹は考え込んだ。
「じゃ、やっぱり此処なんかなあ。」
幸子は腰を少し浮かせ、ディスプレイを覗き込む。
「でも、あの山ん中にこれが? 大きぃない?」
由香も同意した。
「だでなぁ。下手したらお寺さんの本堂より大きいで。」
ほんにな――と、芳賀がうなづく。
「で――親にも訊いてみただが。うちの母親は町外の人だし、分からんって言っとった。遅くに父親が帰ってきたけえ、改めて訊いてみたに。そしたら、やっぱり知らんって言う。だけぇ、この画像を見せたら、なんか変な顔して――潰れたでないかいなぁって言った。」
不可解な言葉を美邦は反芻する。
「潰れた――?」
張り裂けるような声が響いた。
「あんた達、もっと静かにできんの!」
五人は肩を震わせる。
声のした方を向くと、小太りの少女が坐っていた。先日、トイレで声をかけてきた生徒だ。読書中らしく、有名なケータイ小説を手にしている。
彼女はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出た。
由香は胸を撫で下ろす。
「ああ、びっくりしたあ。」
怒鳴られた理由が分からず、美邦は周囲を見回した。
「私たち、そんな大きな声でしゃべってたかなあ。」
紙屑を捨てるように芳賀は言う。
「いや――あの人、頭おかしいだけだと思うで。」
刹那、沈黙が訪れた。大粒の雫が窓硝子を叩く音が迫る。
自分の知らない事情が何かあるらしい。
気を取り直すように幸子は問うた。
「けど――潰れたって、神社って潰れるん?」
「さあ。なんでも、火事があったとか。」
厭な響きが耳に残る。
「火事。」
「詳しいことは分からんけど――宮司さん家ぇから火が出たって言っとった。」
漠然と覚えていた予感が現実味を帯びる――触れてしまえば、渡辺家にいられなくなるような可能性が。父と同じように、叔父夫婦も何か隠していないか。
三つ目の白うさぎを開きつつ、由香は首をかしげる。
「でも、荒神さんみたいな小さな神社はみんな知っとるにぃ、こがぁに大きな神社を誰も知らんだなんて可怪しぃない?」
違和感が、由香の言葉で形になったような気がした。
「そうだよ――大人たちが知らないなんて変。初詣だって、普通ここに行くんじゃないの?」
雨の降る音が響く。明るい蛍光灯の下、誰もが考え込んだ。しばらく経って、ぽつりと由香はつぶやく。
「神社は『消えた』んでないかいなぁ?」
酷く腑に落ちた。
あるはずのものがない――普通、それは「消えた」と言う。
しかし――、
「消えた?」
「うん。」
由香は画面を覗き込む。
「きっと、町の人らの願いがようけ詰まっとるけぇ、こがぁに神社は大きいでないかいな? でも、昨日の郷土誌、目次は黒ぅ塗られとって、ページは切り取られとったにぃ――まるで神社の存在を隠すみたいだが?」
再び、雨音のみが寂しげに続いた。
疑わしそうな顔で幸子は首をひねる。
「人や店が消えたならともかく――神社なぁ。」
芳賀も同意した。
「大人たちが口裏を合わせて『ない』と言ったとでも? やるだけの意味が分からんにぃ。」
それは――普通そうだ。
だが、美邦は、この町の存在を父から消されていた。そのことを考えると、「ない」と言い切れない気もする。
湯気の立つ紙コップを冬樹はすすった。
「でも、消えたんなら大事だな――。大原さんの言葉を信じるなら、平坂神社は町の総鎮守だ。しかも、祭神が大物主命と来とる――。神社が今もあったら、何で祭神がこうなったか訊きに行っとるに。」
祭神に対する反応が気にかかっている。ズレており、しかも祟ると言うのだ。
触れがたく感じるものに美邦は触れた。
「祀られてる神様は、そんな変わってるの?」
「神様は変わっとらん。祀られかたが変わっとる。」
ポケットから一枚の紙を冬樹は取り出す。それは、先日のサイトを印刷した物だった。
【主祭神】
三輪大物主命
【配神】
八重事代主命
少彦名命
武御名方命
天稚彦命
下照姫命
味耜高彦根命
「祀られとる神様は、みんな大国主命の神話で活躍する。でも、大国主命はおらんで、その分身である大物主命が主祭神になっとる。」
由香は、新たに包装を解いた白うさぎの、小麦色の衣を剥ぎ始める。
「大国主って、この白兎を助けた神様だら? こう、サメから皮を剥がれた白兎を治した。」
幸子がたしなめた。
「由香、行儀悪い。」
「大国主は、大きな国の王様だ。」
紙の端に、「大国主」と冬樹は書いた。
「そして、大物主は海から来た神だ。」
――海から。
焼けるように左眼が痛くなった記憶が蘇る。真夜中に来た何か――それは、山から来たように思えれば、海から来たようにも思える。
冬樹は続けた。
「その昔――大国主が海に遊びに出たときだ。小さな神様が浜に打ち上げられたそうな。ガガイモの殻に乗って、蛾の皮を衣にした神様。」
ガガイモって何と芳賀は問い、何かの殻だろと冬樹は答えた。
「この神様を、少彦名っていう。しかも、神産巣日っていう偉い神様の息子だった。いたずらばっかしとって、うっかり親の手の平から落ちたらしいけど。」
うっかり――と芳賀は反芻する。
「うっかり――な。で――神産巣日は、大国主と少彦名が兄弟になって、一緒に国を造れと命令する。」
「で、造っただか?」
「造ったに。けど、国が完成するまえ――少彦名は常世の国に行った。」
耳に残る言葉だった。
――とこよのくに。
細漣の拡がるように、その言葉が全身に浸透してゆく。初めて耳にするはずなのに、初めての感覚はない。遠い昔に――自分が町にいた頃よりもはるか前に聞いた気がする。自分自身の記憶というより、遺伝子に受け継がれた記憶に響きかけるものがあった。
「とこよのくに――?」
「海の向こうにある国で、死者が行く島。」
――死者が。
「死後の世界ということ?」
「まあ、そうかな。」
言葉を噛み締めると同時に引っかかる。
美邦は神話に詳しくない。それでも、何となく知っていることはある。神道では、死後に行く世界の名前は違っていたはずだ。それは――。
「少彦名を失い、大国主は嘆いた。自分だけじゃ国は造れん。これからどうすりゃええんだと。すると、海が光って神が来る。これが――大物主だ。」
芳賀は仏頂面となる。
「超展開すぎん?」
「超展開だな。なんせ、大物主は、自分をVIP待遇したら国造りに協力しようって言っただけえ。」
「まさか受け入れたん?」
「受け入れた。それで、奈良県の三輪山にVIPルームが造られる――大神神社っていうけど。」
「ああ。」思い出したようにディスプレイを芳賀は回し、キーボードを打つ。「そういや藤村君、前にも話しとったな。日本最古の神社だら?」
ディスプレイが戻され、一同に見せられた。
美邦は再び目を瞠る。
画面に映っていたのは、「三輪山」で画像検索した結果だ。そこに竝んでいたのは、伊吹山に酷似した山だった。少し形は崩れているが、綺麗な円錐形だ。
幸子は画面を見つめ、眼鏡の位置を軽く直す。
「これ――伊吹山に似とらんくない?」
由香が同意した。
「ほんに――そのものに見えるで。」
「うん。」
美邦はうなづき、画面と冬樹とへ交互に視線をやる。
「この山に――伊吹山と同じ神様が祀られていたの?」
「ああ。」
直感的に思い当たることがあった。大物主は海から来たのだ。それは、左眼が痛くなったときの記憶と、先ほど耳にした死者の国を思い起こさせる。
「大物主は『とこよのくに』から来たの?」
意外にも、冬樹は難しい顔をした。
「いや――大物主がどこから来たかは古事記にゃ書かれとらん。」
けど――と言葉を区切る。
「古事記と日本書紀じゃ大物主の設定が違うに。古事記じゃ、大物主は大国主とは違う神だった。でも、日本書紀じゃ、大国主の奇魂・幸魂って書かれとる。」
レンズの向こうで幸子の目が怪訝に歪む。
「くしみたま?」
「特別な力を持った自分の一部分。それが幽体離脱して海から来た。たとえりゃ、国語と社会の能力が俺から抜け出て俺のドッペルゲンガーになったやなもん。」
分かりやすい喩えに納得する。
「もう一人の自分、っていうこと?」
「ああ。でも、本当は別の神様でないかな。なんせ、性格が違うに。大物主は――」
祟る神だ――と静かに言う。
「崇神天皇の時代、疫病が流行して人口が半分以下になった。天皇は、これが大物主の祟りだと夢で告げられる。天皇が大物主を祀ると、疫病は治まった。」
――その神が。
町の守り神だったのだ。
しかし、怖いものという感覚と一致するような気がした。
ほうじ茶で冬樹は口を湿らせる。
「あと気になるんは、宮中祭祀の神嘗祭が秋分に行なわれとることかな。でも、これについて語りだしたらキリがないな。」
幸子が顔を上げた。
「とりあえず、これからどう調べてくつもり?」
「まずは、市役所や神社庁に連絡かな。あと、図書館の郷土誌も同じになっとらんか調べんと。」
ふっと、由香が口を開いた。
「どうせなら、みんなで放課後に歩いてかん?」
一同はきょとんとする。
どこに――と幸子は尋ねた。
「平坂神社だぁが。」
答えたあと、美邦に顔を向ける。
「美邦ちゃん、平坂の三区だっけ? ここ、中通りから逸れて十分もないに、そんな遠くないで?」
少し考える。確かに、その程度の寄り道なら問題はない。加えて、平坂神社が今どうなっているのか気になった。
「別に――私は問題ないけど。」
「お前ら、早めに帰っとけよ。」
冬樹の言葉に、由香は不満な顔をする。
「お前ら――って、藤村君は行かんの?」
「今日は『暴れん坊将軍』の再放送があるけぇだ。」
「あ、爺さん臭い。」
それに――と冬樹は言う。
「大原さんは知らんかもしらんけど――複雑な地形のせいか、この町は交通事故がやたら多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええで?」
「うん、叔母さんから聞いてる。」
「私もパスかな」と幸子は応えた。「帰って夕飯の手伝いせんといかんけん。」
「僕も、上里だけん。――遠いに。」
「もう――みんな連れんだけえ。」
ここ行ったら平坂神社って――と由香は言った。
「まだあるかもしらんが?」
午前の授業が過ぎ、給食時間も終わる。
昼休みとなり、美邦と由香の元へとメンバーが集まった。
なりゆきから、由香の席の前に幸子が机を合わせ、美邦の席の前に冬樹が机を合わせる。冬樹は美邦と目を合わそうとせず、頬づえをついてむっつりした。その姿勢は、次の手を考える棋士に似ている。何を考えているか分からない点も同じだ。
芳賀はバッグを持ってきていた。四つ合わせた机の側面に坐り、菓子箱を取り出す。
「これ、好きに食べて。」
由香は、美邦を横切ってぐいと身を乗り出した。
「あ、白うさぎ!」
幸子が声をかける。
「ええん?」
バッグから紙コップを芳賀は出す。昼休みを冬樹と過ごす時の慣習らしい――水筒を取り出し、ほうじ茶を注ぎ始めた。
「僕の母親が、市内のホテルで週一でバイトしとるにぃ。そっから、白うさぎもらってくるだが。腐るほどあるけぇ、できれば消費しようと思って。」
ありがと――と由香は言い、菓子箱の包装を解いた。そして、白うさぎを一つずつ全員に配りだす。
湯気の立つ紙コップが美邦の前に置かれた。
白うさぎに由香がぱくつく。美邦もまた、白うさぎの包装を解いた。紅い眼のついた兎型の焼き饅頭は、今日は抹茶味の餡のようだ。
冬樹は、白うさぎに手を伸ばそうとしない。ただ、頬杖を突いたまま口を開く。
「とりあえず、昨日、祖母ちゃんと母さんにもっぺん訊いてみたに。でも、やっぱり、平坂神社なんて知らんって言っとった。」
そして、差し出されたほうじ茶を受け取る。一口すすり、みんなはどうだった――と問うた。
茶を配り終えた芳賀が、小型ノートパソコンを取り出す。
「僕は――親に訊く前に、帰ってから色々検索してみただけど――」
ディスプレイを開き、起動させた。
「不思議なことに、十年前まではなんもヒットせん。でも、十一年前の十二月から、ちょいちょい引っかかる。」
時間の開きが美邦は気にかかる。
「十一年前まで?」
「うん――それでも多かないけど。執拗に調べてったら、画像の載っとるサイトが出た。」
キーボードが素早く打たれた。
回転型ディスプレイが回され、サイトが一同に見せられる。
美邦は目を瞠った。
ディスプレイに表示されたサイトには、正面から社殿を撮ったモノクロ写真が載っている。随分と古い写真らしく画像は粗い。しかし、寝殿造を思わせる建物は、記憶の神社と酷似していた。
無意識のうちに唇が動く。
「たぶん間違いないと思う。」
おぼろげな記憶が、不鮮明な画像を頭の中で修正した。
「高い樹に囲われた中に、この神社が建ってたの。間違いなく、これくらい立派だったはず――町の守り神がいたんだから。」
冬樹の視線が初めて向く。
「守り神?」
二つ目の白うさぎを頬張りながら由香は答えた。
「海から来た神様がおっただでなあ?」
「うん。」
頬杖を突いたまま冬樹は考え込んだ。
「じゃ、やっぱり此処なんかなあ。」
幸子は腰を少し浮かせ、ディスプレイを覗き込む。
「でも、あの山ん中にこれが? 大きぃない?」
由香も同意した。
「だでなぁ。下手したらお寺さんの本堂より大きいで。」
ほんにな――と、芳賀がうなづく。
「で――親にも訊いてみただが。うちの母親は町外の人だし、分からんって言っとった。遅くに父親が帰ってきたけえ、改めて訊いてみたに。そしたら、やっぱり知らんって言う。だけぇ、この画像を見せたら、なんか変な顔して――潰れたでないかいなぁって言った。」
不可解な言葉を美邦は反芻する。
「潰れた――?」
張り裂けるような声が響いた。
「あんた達、もっと静かにできんの!」
五人は肩を震わせる。
声のした方を向くと、小太りの少女が坐っていた。先日、トイレで声をかけてきた生徒だ。読書中らしく、有名なケータイ小説を手にしている。
彼女はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出た。
由香は胸を撫で下ろす。
「ああ、びっくりしたあ。」
怒鳴られた理由が分からず、美邦は周囲を見回した。
「私たち、そんな大きな声でしゃべってたかなあ。」
紙屑を捨てるように芳賀は言う。
「いや――あの人、頭おかしいだけだと思うで。」
刹那、沈黙が訪れた。大粒の雫が窓硝子を叩く音が迫る。
自分の知らない事情が何かあるらしい。
気を取り直すように幸子は問うた。
「けど――潰れたって、神社って潰れるん?」
「さあ。なんでも、火事があったとか。」
厭な響きが耳に残る。
「火事。」
「詳しいことは分からんけど――宮司さん家ぇから火が出たって言っとった。」
漠然と覚えていた予感が現実味を帯びる――触れてしまえば、渡辺家にいられなくなるような可能性が。父と同じように、叔父夫婦も何か隠していないか。
三つ目の白うさぎを開きつつ、由香は首をかしげる。
「でも、荒神さんみたいな小さな神社はみんな知っとるにぃ、こがぁに大きな神社を誰も知らんだなんて可怪しぃない?」
違和感が、由香の言葉で形になったような気がした。
「そうだよ――大人たちが知らないなんて変。初詣だって、普通ここに行くんじゃないの?」
雨の降る音が響く。明るい蛍光灯の下、誰もが考え込んだ。しばらく経って、ぽつりと由香はつぶやく。
「神社は『消えた』んでないかいなぁ?」
酷く腑に落ちた。
あるはずのものがない――普通、それは「消えた」と言う。
しかし――、
「消えた?」
「うん。」
由香は画面を覗き込む。
「きっと、町の人らの願いがようけ詰まっとるけぇ、こがぁに神社は大きいでないかいな? でも、昨日の郷土誌、目次は黒ぅ塗られとって、ページは切り取られとったにぃ――まるで神社の存在を隠すみたいだが?」
再び、雨音のみが寂しげに続いた。
疑わしそうな顔で幸子は首をひねる。
「人や店が消えたならともかく――神社なぁ。」
芳賀も同意した。
「大人たちが口裏を合わせて『ない』と言ったとでも? やるだけの意味が分からんにぃ。」
それは――普通そうだ。
だが、美邦は、この町の存在を父から消されていた。そのことを考えると、「ない」と言い切れない気もする。
湯気の立つ紙コップを冬樹はすすった。
「でも、消えたんなら大事だな――。大原さんの言葉を信じるなら、平坂神社は町の総鎮守だ。しかも、祭神が大物主命と来とる――。神社が今もあったら、何で祭神がこうなったか訊きに行っとるに。」
祭神に対する反応が気にかかっている。ズレており、しかも祟ると言うのだ。
触れがたく感じるものに美邦は触れた。
「祀られてる神様は、そんな変わってるの?」
「神様は変わっとらん。祀られかたが変わっとる。」
ポケットから一枚の紙を冬樹は取り出す。それは、先日のサイトを印刷した物だった。
【主祭神】
三輪大物主命
【配神】
八重事代主命
少彦名命
武御名方命
天稚彦命
下照姫命
味耜高彦根命
「祀られとる神様は、みんな大国主命の神話で活躍する。でも、大国主命はおらんで、その分身である大物主命が主祭神になっとる。」
由香は、新たに包装を解いた白うさぎの、小麦色の衣を剥ぎ始める。
「大国主って、この白兎を助けた神様だら? こう、サメから皮を剥がれた白兎を治した。」
幸子がたしなめた。
「由香、行儀悪い。」
「大国主は、大きな国の王様だ。」
紙の端に、「大国主」と冬樹は書いた。
「そして、大物主は海から来た神だ。」
――海から。
焼けるように左眼が痛くなった記憶が蘇る。真夜中に来た何か――それは、山から来たように思えれば、海から来たようにも思える。
冬樹は続けた。
「その昔――大国主が海に遊びに出たときだ。小さな神様が浜に打ち上げられたそうな。ガガイモの殻に乗って、蛾の皮を衣にした神様。」
ガガイモって何と芳賀は問い、何かの殻だろと冬樹は答えた。
「この神様を、少彦名っていう。しかも、神産巣日っていう偉い神様の息子だった。いたずらばっかしとって、うっかり親の手の平から落ちたらしいけど。」
うっかり――と芳賀は反芻する。
「うっかり――な。で――神産巣日は、大国主と少彦名が兄弟になって、一緒に国を造れと命令する。」
「で、造っただか?」
「造ったに。けど、国が完成するまえ――少彦名は常世の国に行った。」
耳に残る言葉だった。
――とこよのくに。
細漣の拡がるように、その言葉が全身に浸透してゆく。初めて耳にするはずなのに、初めての感覚はない。遠い昔に――自分が町にいた頃よりもはるか前に聞いた気がする。自分自身の記憶というより、遺伝子に受け継がれた記憶に響きかけるものがあった。
「とこよのくに――?」
「海の向こうにある国で、死者が行く島。」
――死者が。
「死後の世界ということ?」
「まあ、そうかな。」
言葉を噛み締めると同時に引っかかる。
美邦は神話に詳しくない。それでも、何となく知っていることはある。神道では、死後に行く世界の名前は違っていたはずだ。それは――。
「少彦名を失い、大国主は嘆いた。自分だけじゃ国は造れん。これからどうすりゃええんだと。すると、海が光って神が来る。これが――大物主だ。」
芳賀は仏頂面となる。
「超展開すぎん?」
「超展開だな。なんせ、大物主は、自分をVIP待遇したら国造りに協力しようって言っただけえ。」
「まさか受け入れたん?」
「受け入れた。それで、奈良県の三輪山にVIPルームが造られる――大神神社っていうけど。」
「ああ。」思い出したようにディスプレイを芳賀は回し、キーボードを打つ。「そういや藤村君、前にも話しとったな。日本最古の神社だら?」
ディスプレイが戻され、一同に見せられた。
美邦は再び目を瞠る。
画面に映っていたのは、「三輪山」で画像検索した結果だ。そこに竝んでいたのは、伊吹山に酷似した山だった。少し形は崩れているが、綺麗な円錐形だ。
幸子は画面を見つめ、眼鏡の位置を軽く直す。
「これ――伊吹山に似とらんくない?」
由香が同意した。
「ほんに――そのものに見えるで。」
「うん。」
美邦はうなづき、画面と冬樹とへ交互に視線をやる。
「この山に――伊吹山と同じ神様が祀られていたの?」
「ああ。」
直感的に思い当たることがあった。大物主は海から来たのだ。それは、左眼が痛くなったときの記憶と、先ほど耳にした死者の国を思い起こさせる。
「大物主は『とこよのくに』から来たの?」
意外にも、冬樹は難しい顔をした。
「いや――大物主がどこから来たかは古事記にゃ書かれとらん。」
けど――と言葉を区切る。
「古事記と日本書紀じゃ大物主の設定が違うに。古事記じゃ、大物主は大国主とは違う神だった。でも、日本書紀じゃ、大国主の奇魂・幸魂って書かれとる。」
レンズの向こうで幸子の目が怪訝に歪む。
「くしみたま?」
「特別な力を持った自分の一部分。それが幽体離脱して海から来た。たとえりゃ、国語と社会の能力が俺から抜け出て俺のドッペルゲンガーになったやなもん。」
分かりやすい喩えに納得する。
「もう一人の自分、っていうこと?」
「ああ。でも、本当は別の神様でないかな。なんせ、性格が違うに。大物主は――」
祟る神だ――と静かに言う。
「崇神天皇の時代、疫病が流行して人口が半分以下になった。天皇は、これが大物主の祟りだと夢で告げられる。天皇が大物主を祀ると、疫病は治まった。」
――その神が。
町の守り神だったのだ。
しかし、怖いものという感覚と一致するような気がした。
ほうじ茶で冬樹は口を湿らせる。
「あと気になるんは、宮中祭祀の神嘗祭が秋分に行なわれとることかな。でも、これについて語りだしたらキリがないな。」
幸子が顔を上げた。
「とりあえず、これからどう調べてくつもり?」
「まずは、市役所や神社庁に連絡かな。あと、図書館の郷土誌も同じになっとらんか調べんと。」
ふっと、由香が口を開いた。
「どうせなら、みんなで放課後に歩いてかん?」
一同はきょとんとする。
どこに――と幸子は尋ねた。
「平坂神社だぁが。」
答えたあと、美邦に顔を向ける。
「美邦ちゃん、平坂の三区だっけ? ここ、中通りから逸れて十分もないに、そんな遠くないで?」
少し考える。確かに、その程度の寄り道なら問題はない。加えて、平坂神社が今どうなっているのか気になった。
「別に――私は問題ないけど。」
「お前ら、早めに帰っとけよ。」
冬樹の言葉に、由香は不満な顔をする。
「お前ら――って、藤村君は行かんの?」
「今日は『暴れん坊将軍』の再放送があるけぇだ。」
「あ、爺さん臭い。」
それに――と冬樹は言う。
「大原さんは知らんかもしらんけど――複雑な地形のせいか、この町は交通事故がやたら多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええで?」
「うん、叔母さんから聞いてる。」
「私もパスかな」と幸子は応えた。「帰って夕飯の手伝いせんといかんけん。」
「僕も、上里だけん。――遠いに。」
「もう――みんな連れんだけえ。」
ここ行ったら平坂神社って――と由香は言った。
「まだあるかもしらんが?」
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さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
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