神送りの夜

千石杏香

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第三章 寒露

2 雨が降りだす

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翌朝も、千秋と一緒に家を出た。

今日は雨が降るという。ゆえに、美邦は白い傘を、千秋は青い傘を手にしている。

自分と似た小さな存在と、細い路地を竝んで進んだ。分厚い雲が乱れ、裂け目からは蒼穹あおぞらが漏れる。中国山地から吹き降ろす風が強く、天候が乱れやすいのが山陰地方の特徴だ。

昨夜の出来事を思い出し、千秋ちゃん、と声をかけようとした。刹那、美邦はつかえる。違う言葉で呼ぶべき気がしたのだ。しかし思いつかず、その部分を避けて言葉を続けた。

「ねえ、昨日の夜、起きてこなかった?」

不思議そうに千秋は首を振る。

「ううん?」

「昨日の夜中、跫音あしおとみたいなのが聞こえたんだけど、千秋ちゃんは何か知らない?」

「いや、何も?」

そう――と言い、美邦は顔を逸らす。ただ訊いてみただけだ。期待通りの回答があるとは最初から思っていない。あれは、美邦の部屋まで這入ってきたのだから。

空き地で千秋と別れる。

中通りを独り北上した。

家々の合間から海が見える。まるで、世界がそこで終わっているかのようだ。三方を囲う山と、海とで、箱庭のように町は収まっている。

海は、生命のスープだと聞いたことがあった。寂れた港町に隣接するそれは、一つの生き物のように感じる。夜には、その鼓動が町に拡がるのだ。

中通りには、先日と同じ幻視が見えた。人影が彳み、大破した車が花屋の前に現れる。途中の小川を越えると、事故車がさらに見え、焼け爛れた家も現れた。

――やっぱり変。

両親が生きていた頃から――町はこんな感じだったのだろうか。

学校へ折れる丁字路が見えてくる。

真紅まっかな消火栓の前に、前髪ぱっつんの二人が待っていた。先日、待ち合わせの約束をLIИEでしていたのだ。美邦に気づき、こけしのようなおかっぱ頭を由香は上げる。

「おはよ、美邦ちゃん。」

この呼び方は、リアルでは初めてだった。

「あ――おは、よう。」

戸惑いに気づいたのか、幸子が注意する。

「由香、少し馴れ馴れしすぎでない?」

「いや、私は別にそんなん気にしないよ。」

「そ」と幸子は笑む。「じゃ、私も、美邦は名前で通させてもらうわ。」

二人の中に初めて嵌ったような気持ちとなる。

「わかった――幸子。」

三人で竝んで進む。

目の前には伊吹山が裾野を拡げていた。青黒い森は朝露に濡れてなお黒い。神の宿る山としての威厳はある。しかし、自分を超えた何かがいる感覚は微塵もなかった。

伊吹山の頂上へと由香は目を向ける。

「それにしても、あすこに神社があったってことかいなぁ。なんか、まだ信じられんにぃ。」

幸子は首を縦に振る。

「だでな。ずっと伊吹に住んどるに、私も知らなんだ。大きな神社なだら?」

「うん。」確かにある記憶を振り返る。「海から神様が来て、町の守り神になるんだって、お母さん言ってた。」

切れ長の目が美邦を向いた。

「海から?」

「そう。海があるならこの町だと思ったんだけど。」

でも――と、美邦は顔を上げる。

「この町、七五三や初詣もないんでしょ?」

由香も幸子も目をまたたかせた。そして、怪訝そうに顔を合わせる。確かに――と幸子は言い、ないでなぁ――と由香は言った。

「じゃ――守り神いないよね。七五三って、子供の成長を守るためのものだと思うけど。」

ふと、由香が足を止める。

見れば、何か酷く気に掛けた表情をしていた。

「ほんに、昔からなかったんかいなあ?」

    *

ぱらぱらと雨が降り出す。

濡れる前に、駐輪場の庇へと冬樹は這入った。

スタンドを下ろし、鍵をかける。校舎へ向かおうとしたとき、アルトが聞こえた。

「おはよ、藤村君。」

振り向くと、自転車に乗った芳賀が入ってきた。

「おはよ。」

芳賀もまた自転車を停める。

「ところで藤村君、LIИEには慣れた?」

「全然。――昨日、ポンポン鳴っとったけど。」

「だと思った。藤村君がそがなだけぇ、僕も返信せんかったにぃ。本当は、いろいろ見つかっただけど――平坂神社の境内が写ったサイトとか。」

「ほんに?」

「でも、ネットでの会話なんか得意でないだら? だけぇ、ほうじ茶も五人分持って来た。」

「それか。すまんな。」

校舎へ向かい、昇降口で靴を履き替えた。

二年A組の教室へ向かう。

教室へ這入ると、窓辺の席に美邦が見えた。由香や幸子と何かを話している。楚々とした三つ編みは、丸いおかっぱ頭やポニーテイルの少女らとよく馴染んでいた。

三人が顔を向ける。美邦の瞳だけが色違いだ。

芳賀と共に近づく。クールなのか不愛想なのか分からない顔で芳賀が挨拶した。

「おはよ、ぱっつんトリオ。」

由香はむっとし、振り返る。

「こ、この二人に何かニックネームない?」

幸子は顔を歪め、自信なさげにやがて答えた。

「爺さんコンビ?」

刹那、ぱっと由香は表情を変える。それよりな――と言い、身を乗り出してきた。

「今、地域性について話しとっただが。」

冬樹は興味を少し惹かれた。

「――地域性?」

「うん、京都じゃ、七五三も初詣もやるだって!」

意外な単語に時が止まる。

小学生のとき、初詣という風習をテレビで知った。なので、早苗にねだって市内の神社に連れて行ってもらったのだ。七五三は記憶がない。

釈然としない顔で幸子は尋ねる。

「あんたら、七五三や初詣ってしたことある? 私は、どっちもないけど――」

ありのままを冬樹は答えた。しかし動揺は続く。初詣がないことは可怪しいのだろうか。

「七五三だけ」と芳賀は言う。「僕は上里だけぇ、寺が近いに。遠ければ行かんでない?」

だでな――と、幸子は答えたが、ますます怪訝な顔となった。

「でも、ほかの風習は同じなだが。お年玉も、おせちも――ひな祭りもお盆もあるだけん。でも、神社に関する風習だけがうちらにない。」

冬樹は考え込む。初詣なる文化が、いつ始まり、日本中にどう広まったかは知らない。だが、平坂神社という神社がありつつも、この町には普及しなかったのか。

アルトが漏れる。

「まあ、それについては休み時間にでも話さーや。」

由香が目をまたたかせた。

「何か分かったことあるん?」

うん――と言い、芳賀が目を向ける。期待に応えるように冬樹は言った。

「あそこに祀られとった神な、祟る神だ。」
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