神送りの夜

千石杏香

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第二章 神無月

5 木造校舎で

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朝読書の時間、千秋から借りた本を開いた。

しかし内容が頭に入らない。

――同じクラスだったんだ。

同時に、自己紹介で噛んだ時の記憶がよみがえる。顔が熱くなった。ぐにゃぐにゃと活字が歪んでゆく。動揺したためと、左眼が見えないために、隣の席の少女も目に入らなかった。

朝読書の時間が終わったとき、左から声をかけられる。

「あの――大原さんだっけ?」

隣の席の少女へ顔を向ける。

こけしに似た姿が目に入った。厚く切り揃えられた前髪のおかっぱ頭だ。髪型に沿うように頬も丸い。一方、大きな目が魅力的に感じられた。

悪い印象はないが、癖で顔を伏せる。

「あ、うん。」

ほわほわした声が響いた。

「私、実相寺じっそうじ由香ゆかっていうにい。大原さんとは席隣同士だけえ、これからよろしくなあ。」

「あ――えっと。うん。よろしく。」

由香とは反対側から、大人びた声が聞こえた。

「実相寺さん、さっそく声をかけておられるんですね。」

顔を上げる。

彼女を目にした瞬間、委員長だと直感した。セミロングの髪は額で七三に分けられ、カチューシャをつけている。アナウンサーのような口調で自己紹介された。

「大原さん――私は同じ班で、学級委員長をしている岩井と申します。鳩村先生からは、大原さんをサポートするよう仰せつかっております。今後よろしくお願い致します。」

しゃべりかたにつられ、敬語で返事をする。

「あ――はい。よろしくお願いします。」

別の少女が近寄ってきた。

「岩井さん――大原さん戸惑っとらん?」

こちらは、ふちなし眼鏡をかけ、髪をポニーテイルにしていた。前髪は、由香と同じように切り揃えられている。厚いレンズを隔てて切れ長の目が見えた。

岩井は首を傾げる。

「何に戸惑うのでしょう?」

「その変な敬語。」

「私の敬語が変ですか?」

岩井を無視し、美邦の様子を窺いつつ彼女は声をかけた。

「あの――私、古泉こいずみ幸子さちこっていうに。由香とはいつも一緒におるけん――大原さんとは席ちょっと離りょおるけど――よろしく。」

「うん――よろしく。」

私の敬語が変ですか――と岩井が再び問いかけた。

こけし頭の少女――由香は問う。

「大原さんな、京都から来ただでなぁ? こがぁな時期に、それも、よりによって平坂町に来るって珍しいなあ――逆に、町を出る人は多いだけど。どおしてこっち来たん? 親の仕事の関係なんかかえ?」

「いや――その――お父さんが亡くなって。」

その場が少し静かになる。

申し訳なさそうな顔で、ごめんねと由香は言った。

「いや、気にすることないよ――。もう一週間以上経ってるし――さすがに気持ちも落ち着いてきたから。」

気を取り直すように幸子が問う。

「今は町だでな? どこ住んどるん?」

「ええっと――平坂の、三区だったかな? 渡辺さんっていう人の家でお世話になってるの。私のお父さんの弟さんの家なんだけど。今は四人暮らし――叔父さんと叔母さんと、小学生のその娘さんと一緒で。」

「それなん。私の家とちょっと似とるかも。」

より興味を惹かれたらしい由香が口を挟む。

「大原さんな、こっちぃ来てそんな経っとらんだらぁ? 京都とは色々違うだらぁし、分からんことあったら何でも訊いてくれたらええけぇ。代わりに、向こうのことなと聴かせてくれたら嬉しいな。」

出会った町民の中で由香は最も訛っている。声にも、緊張を解くような柔らかさがあった。

「うん――ありがとう。そうさせてもらう。」

立場を失った岩井が苦笑する。

「やはり、こういうことは私なんかより実相寺さんのほうがお得意そうですね。」直後、真顔となった。「けど――視覚障碍は大丈夫なんですか? こんなに黒板から離れておりますが。」

緊張がよみがえり顔を伏せる。説明の時は意外と早く来た。

「うん。そのことなんだけど――」

解放性幻視について説明を始める。

言葉はたどたどしい――ちゃんと伝わっているのか分からない。三人とも、ただただ不思議そうな顔をしていた。しかし、疑ったり、ひいたりはしていないようだ。

男性教師が教室に這入ってくる。

「おーい、そろそろ準備始めとけぇい。」

それを目にし、大原さんまたね、と言って幸子は席を離れた。岩井も、のちほど、と言って自分の席へと戻ってゆく。

授業が始まる。

授業中、ときとして板書が融けた――くもった窓硝子へ書いた文字のように、雫となって流れ落ちてゆく。

またたいたり、目をすがめたりしていると、由香が小声で問うた。

「大丈夫かえ? 見えづらぁない?」

「う、うん。」

「読んだげやあか?」

心遣いに甘える。

「ありがとう。」

つつがなく授業はついてゆけた。

由香の持つシャープペンシルに目が留まる。千秋の好きなキャラクタが描かれていた。この話題ならばついて行ける。仲良くなるのは早いかも知れない。

次第に心は落ち着き、板書も正常に見えだす。

二時間目は理科だった。

由香と幸子に導かれて教室を出る。

おかっぱとポニーテイルの二人は、前髪パッツンのコンビのようだ。美邦自身も前髪ぱっつんである。同じ前髪の三人が揃ってしまった。

「二人とも、付き合いは長いの?」

答えたのは幸子だ。

「かれこれ八年の付き合い。」由香と違い、はきはきした口調である。「平坂町は小学校が二つあるだけん。どっちもクラスは一つ。私も由香も伊吹に住んどって、同じ入江小だったに。」

「まさか八年間おなじクラス?」

「うん。中学に入っても変わらんかっただけえ。」

ふわっと由香がつけ加える。

「そがぁな人、わりと多いだでぇ? うちの学校。」

「岩井さんは?」

あの人は上里――と幸子が答えた。

廊下から折れ、階段へさしかかる。

最上段で、美邦は足を止めた。踊り場の窓から、実習棟と渡り廊下が見える。今朝ここで振り返った時は、紅い灯台と港が見えたはずだ。

不思議そうに由香は問う。

「どしたん、大原さん?」

「えっと。」

戸惑い、左眼に手を当てる。いま見えているもののほうが現実のようだ。

「今朝ここ来たとき、あの窓から港が見えたはずなんだけど。」

幸子は怪訝な顔をし、廊下の突き当たりのほうを指す。

「港はあっちだで。こっからは見えんに。」

「――そっか。」

フォローするように由香が言った。

「大原さん、そがなぁ見えちゃうだぁが。」

ふちなし眼鏡を隔て、幸子は目をまたたかせる。

「へえええ。」

階段を下った。

木造校舎から渡り廊下へと進む。こんこんという音が体育館から聞こえた。不思議に思って顔を上げると、由香が説明した。

「今、プールが工事中なだけぇ。これはその音だにぃ。」

「そうなんだ。」

「木造は教室棟だけだでぇ。実習棟は『鉄筋校舎』って呼ばりょうる。体育館も鉄筋。あ、プールも木造でないけぇ安心してえな。コンクリで造られとる。」

「プールが木造なわけないが?」幸子が呆れる。「由香ったらいつもこれだで? ほわほわしすぎ――こんなんで生きてけるかって不安になる。」

「幸子がしっかりなだけだでえ。」

鉄筋校舎に這入り、理科室に着く。

ふと、先に来ていた男子と目が合った。しかし、まるで言葉を失ったように目を逸らす。この町に来て初めて出会ったにも拘らず、かける言葉はまだない。

――この町の夜は人を喰いますから。

父がいた時から、そうだったのだろうか。

     *

四時間目の授業のあと、美邦は手洗いに立った。

声をかけられたのは、手を洗っているときだ。

「大原さん――ちょっとええ?」

くぐもった声だ。

振り向くと、歯竝びが悪い小太りの少女がいた。初対面の人と話すときの癖で、美邦は顔を逸らす。

「えっと――何かな?」

「実相寺由香さんには近づかないでください。あの人は悪い人です。」

「えっ――?」

訊き返したものの、手洗いから彼女はすぐに出た。

彼女がクラスメイトだったと気づいたのは、教室へ戻ったときだ。まだ見分けのつかない顔ぶれの中にその姿があった。

     *

昼休み――美邦の世話を言いつけられていたはずの岩井は、次の言葉を残して消えた。

「実相寺さんと古泉さんさえいれば、私なんか用なしですよねぇ。」

役目を丸投げされた二人に導かれ、美邦は校舎を案内される。

昇降口に展示された土器も、このとき観察した。町からの出土品で、二千年ほど前の物だという。千秋の言う通り、古代からの出土品が町には多いらしい。

あちこち歩き回ったあと、鉄筋校舎の二階へと着いた。

その西端にあるバルコニーへ出る。

景色を眺めるために手すりへ近づく。そして、ここへ案内された理由を知った――紅い灯台と港が見えたのだ。階段で目にした幻視と全く変わらない。

――ここへは初めて来るのに。

われながら不気味に思う。

あちこちを指さし、由香は説明していった。

「あすこが漁協でぇ、あすこがスーパー。でも、こっからじゃあ平坂と入江と上里が見えんなあ。あっちにも色々あるにぃ。」

「上里にも、たくさん人が住んでいるの?」

「うん、いっぱい!」

説明になっていない言葉に幸子が嘆息する。

「上里って実は大字でないに。本当は、いくつか集落をまとめたもんなだけえ。ぱっとみ田畑ばっかだけど、山のほうにはたくさん集落があるで。」

恐らく、町でも雰囲気が違う場所なのだろう。

「岩井さんは上里だっけ? あの人、どうして敬語でしゃべってるの?」

幸子は目をまたたかせた。

「そりゃ岩井さんだけえだが?」

「ほんになぁ。――岩井さんは岩井さんだでぇ。」

潮風が強く吹き、美邦のお下げと幸子のポニーテイルを共になびかせた。

「むしろ岩井さんが敬語でなかったら何になるだ?」

「え――そう?」

釈然としない。

髪の短い由香でさえ、ひたいがあらわになった。風から前髪を守り、あとは――と、由香は続ける。

「うちらぁからはないだけど――大原さんからは、今のうちに、訊いときたいことなと、言っときたいことなとあらせんかえ? 私たちのことなと、この町のことなと、何なと答えるで?」

少しずつ風が弱まった。静かに美邦は迷う。

「――うん。」

他人と違うこと――特に、目立つような発言は今まで謹んできた。詠歌からも啓からも否定されたのだ。二人も同じに違いない。しかし、もどかしい思いは強かった。変に思われるかもしれないと怯えつつ、わずかに口を開く。

「それなら――ひとつ訊いてもいい?」

何だえ――と由香は身を乗り出した。

「この町――神社ってないの?」

由香はきょとんとし、幸子と目を交わす。厚いレンズの向こうでも、切れ長の目が怪訝そうに狭まった。美邦へ顔を向け、神社――と幸子は尋ねる。

「うん。できれば――荒神様以外で。」

やはり変な質問なのだろうか――そう思って顔を伏せる。

「私――この町に住んでいたとき、大きな神社にお参りしたはずなの。山の中に石段が続いてる神社。でも、誰に訊いても、そんな神社はないって言われて――。けど、気になってるの。」

幸子は首を傾げ、うーん、とうなった。

「私は、荒神さん以外に考えつかんけど――」

冷たい風が切り抜ける。

静かに考えていた由香が、ふっと息を吸い込んだ。

「あれえ? でも、お祭りがあったやぁな気ぃする――えらい昔に。いや――あれは、平坂町とは別ん処だったんかいなぁ。少なくとも、今はないでな?」

お祭り――と美邦は反芻する。

「うん――お祭り。」

由香は言い淀み、やがて、ぽんと手の平を打った。

「あ! うちのクラスに、こがぁなことに詳しい人がおるにぃ! その人に訊いてみりゃ分かるでないかいな? 今は図書室か――でなきゃあ教室におると思うけど。」

「まあ、それ以外に行く処もないだら。」

教室棟へと幸子は目を向ける。

「けれど――訊きに行くんなら教室棟まで戻らないけんね。早ぁせんと、休み時間も終わっちゃうに。」
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