6 / 110
第一章 秋分
4 父が隠していたこと
しおりを挟む
病室を出たあと、一緒に夕食を摂らないかと啓は誘った。
少し迷い――美邦はうなづく。見知らぬ人と過ごすのは得意ではない。しかし、自分の過去を知りたかった。
病院を二人で出て、近くにあるファミレスへと案内する。
食事中、どのような生活を京都で送ってきたのかを啓は訊ねた。美邦は正直に答えてゆく。やがて、啓はやや安心した表情となった。
「そうか――しっかりしとるだな、美邦ちゃんは。」
話題は、啓の家族と平坂町のことへ移ってゆく。
「僕は今、三人暮らしなだけぇ。僕と、嫁の詠歌と、娘の千秋だで。だけん一応は女のほうが多い。詳しいことはまだ家族に話しとらんけど、恐らく詠歌――叔母さんは諒承してくれるでないかな。詠歌は、まだ小さい頃の美邦ちゃんを随分と可愛がっとったけん。」
「――そうですか。」
相槌を打つ言葉に、感情がこもっていないと我ながら感じる。啓の家族構成よりも、父のことの方が気になった。
「僕自身、こっちで引き取ってもええかなって思ったんは、たった一人で姪が暮らしてゆくと思うと、あまりええ気持ちでなかったけえだ。詠歌も、きっと同じだと思うに。」
今さら自覚した。
――私は姪なんだ。
美邦にとって、啓は見知らぬ小父さんでしかない。けれども、啓にとっての美邦は、十年前まで成長を見守ってきた姪なのだ。そういう意味では、娘に準ずる存在なのかもしれない。
やがて、食後の珈琲が運ばれてくる。
黒い水面にミルクを注いで、おずおず尋ねた。
「私が生まれたのは――平坂町なんでしょうか?」
「そうだで?」
「平坂町は――父の故郷なんですか?」
「もちろん。」
スプーンを美邦は少し回す。
「でも――町のことを何で父は隠してきたんでしょう?」
「それが――さっぱり分からんだが。」
啓は頭を掻いた。
「美邦ちゃんは、京都でずっと暮らしてきた――としか教えられとらんだか?」
「ええ。」カップを見つめる。「どこかで暮らしていた記憶はあったんですが――そんなことはない、記憶違いだって言われてきました。」
啓の眉が歪んだ。
「そんなことはない――って、それこそ、そんなことはない。美邦ちゃんは三歳まで町だった。」
「そうなんですけど――父は全否定だったんです。」
しばらく啓は考え込む。そして、何かに気づいた顔となった。
「じゃあ、まさか火事のことも知らんかいな?」
美邦はきょとんとする。
「さっきも言った通り、家事は分担して――」
「いや、美邦ちゃんの実家が焼けてしまったこと。」
初耳だった。
凍り付いたまま、わずかに首を縦に振る。
それか――と言って啓は目を逸らした。
「十年前の――冬のことだったか。原因は石油ストーヴの事故だったけえ。深夜に火が出て、美邦ちゃんの家が全焼しただが。そのとき、美邦ちゃんは熱を出して市内の病院に入院しとったに。お父さんは、それに付き添ったけえ無事だっただけど――お母さんが亡くなられてしまった。」
えっ――と言い、身体を硬直させる。
「病気で亡くなったとしか聞かされてませんでした。」
沈黙が少し流れる。
過去を知りたいと思っていた。しかし、あまりにも酷い死を母が迎えていたとは――。美邦には、どう受け止めたらいいか分からない。
少し経ち、そうだったのか、と啓は言った。美邦に対して申し訳なさそうな、あるいは、不信感を兄に覚えたような顔をしている。
「家が全焼したあと、お父さんは何を考えたのか、美邦ちゃんを連れて平坂町の外で仮住まいを始めた。町内に自分の実家があるわけだけん、こっちに身を寄せてもよかったにぃ。そうこうするうちに、仕事で京都に引っ越すことになったって連絡してきただが。」
それきりだで――と啓は続ける。
「それきり――どこへ行くのかと問い糺す暇もなく、京都へ出ていったに。以降、お父さんから連絡が入ることはなかった。」
美邦は何も答えられない。
平坂町から遠く離れた地で、自分は故郷を否定されてきた。出自ばかりではなく、母の死についても父は偽ってきたのだ――啓の言葉が事実ならば。
「父は――なぜ町を出たんでしょうか。」
「それは分からんに――お父さんに訊いてみんことには。」
美邦は項垂れた。
父への不信感が募っている。よほど後ろめたいことがない限り、母の死因や町について隠すことはない気がした。
「美邦ちゃんは、平坂町について全く何も知らんだかいな?」
「ええ――知りません。どこかの田舎町にいたことは覚えてるんですけど――。平坂町という地名も今日になって初めて聞きました。どこにあるかも知りません。」
「そうか――」
啓はスマートフォンを取り出し、操作しながら説明した。
「平坂町は、⬛︎⬛︎県の⬜︎⬜︎市にある港町だ。町といっても、市内にある行政区画の一つだな。人口は八千人くらいで、小学校が二つと、中学校が一つある。三方が山に囲われとるけえ、確かに不便な処にはあるな。」
スマートフォンが差し出される。
⬛︎⬛︎県の地図が画面に出ていた。
⬛︎⬛︎県は中国地方の北側、山陰地方にある。市街地から離れ、北沿いの海岸にへばりつくように町はあった。確かに辺鄙な処には違いない。
「あとは――こんなのもあるけれど。」
スマートフォンを啓は再び操作し、アルバムを開いた。様々な写真が画面に竝んでいる。どれも町の風景を写したものだった。
「みんな平坂町の写真だで。僕が撮ったんだけど、よかったら見てごらんや。」
少し迷い――美邦はうなづく。見知らぬ人と過ごすのは得意ではない。しかし、自分の過去を知りたかった。
病院を二人で出て、近くにあるファミレスへと案内する。
食事中、どのような生活を京都で送ってきたのかを啓は訊ねた。美邦は正直に答えてゆく。やがて、啓はやや安心した表情となった。
「そうか――しっかりしとるだな、美邦ちゃんは。」
話題は、啓の家族と平坂町のことへ移ってゆく。
「僕は今、三人暮らしなだけぇ。僕と、嫁の詠歌と、娘の千秋だで。だけん一応は女のほうが多い。詳しいことはまだ家族に話しとらんけど、恐らく詠歌――叔母さんは諒承してくれるでないかな。詠歌は、まだ小さい頃の美邦ちゃんを随分と可愛がっとったけん。」
「――そうですか。」
相槌を打つ言葉に、感情がこもっていないと我ながら感じる。啓の家族構成よりも、父のことの方が気になった。
「僕自身、こっちで引き取ってもええかなって思ったんは、たった一人で姪が暮らしてゆくと思うと、あまりええ気持ちでなかったけえだ。詠歌も、きっと同じだと思うに。」
今さら自覚した。
――私は姪なんだ。
美邦にとって、啓は見知らぬ小父さんでしかない。けれども、啓にとっての美邦は、十年前まで成長を見守ってきた姪なのだ。そういう意味では、娘に準ずる存在なのかもしれない。
やがて、食後の珈琲が運ばれてくる。
黒い水面にミルクを注いで、おずおず尋ねた。
「私が生まれたのは――平坂町なんでしょうか?」
「そうだで?」
「平坂町は――父の故郷なんですか?」
「もちろん。」
スプーンを美邦は少し回す。
「でも――町のことを何で父は隠してきたんでしょう?」
「それが――さっぱり分からんだが。」
啓は頭を掻いた。
「美邦ちゃんは、京都でずっと暮らしてきた――としか教えられとらんだか?」
「ええ。」カップを見つめる。「どこかで暮らしていた記憶はあったんですが――そんなことはない、記憶違いだって言われてきました。」
啓の眉が歪んだ。
「そんなことはない――って、それこそ、そんなことはない。美邦ちゃんは三歳まで町だった。」
「そうなんですけど――父は全否定だったんです。」
しばらく啓は考え込む。そして、何かに気づいた顔となった。
「じゃあ、まさか火事のことも知らんかいな?」
美邦はきょとんとする。
「さっきも言った通り、家事は分担して――」
「いや、美邦ちゃんの実家が焼けてしまったこと。」
初耳だった。
凍り付いたまま、わずかに首を縦に振る。
それか――と言って啓は目を逸らした。
「十年前の――冬のことだったか。原因は石油ストーヴの事故だったけえ。深夜に火が出て、美邦ちゃんの家が全焼しただが。そのとき、美邦ちゃんは熱を出して市内の病院に入院しとったに。お父さんは、それに付き添ったけえ無事だっただけど――お母さんが亡くなられてしまった。」
えっ――と言い、身体を硬直させる。
「病気で亡くなったとしか聞かされてませんでした。」
沈黙が少し流れる。
過去を知りたいと思っていた。しかし、あまりにも酷い死を母が迎えていたとは――。美邦には、どう受け止めたらいいか分からない。
少し経ち、そうだったのか、と啓は言った。美邦に対して申し訳なさそうな、あるいは、不信感を兄に覚えたような顔をしている。
「家が全焼したあと、お父さんは何を考えたのか、美邦ちゃんを連れて平坂町の外で仮住まいを始めた。町内に自分の実家があるわけだけん、こっちに身を寄せてもよかったにぃ。そうこうするうちに、仕事で京都に引っ越すことになったって連絡してきただが。」
それきりだで――と啓は続ける。
「それきり――どこへ行くのかと問い糺す暇もなく、京都へ出ていったに。以降、お父さんから連絡が入ることはなかった。」
美邦は何も答えられない。
平坂町から遠く離れた地で、自分は故郷を否定されてきた。出自ばかりではなく、母の死についても父は偽ってきたのだ――啓の言葉が事実ならば。
「父は――なぜ町を出たんでしょうか。」
「それは分からんに――お父さんに訊いてみんことには。」
美邦は項垂れた。
父への不信感が募っている。よほど後ろめたいことがない限り、母の死因や町について隠すことはない気がした。
「美邦ちゃんは、平坂町について全く何も知らんだかいな?」
「ええ――知りません。どこかの田舎町にいたことは覚えてるんですけど――。平坂町という地名も今日になって初めて聞きました。どこにあるかも知りません。」
「そうか――」
啓はスマートフォンを取り出し、操作しながら説明した。
「平坂町は、⬛︎⬛︎県の⬜︎⬜︎市にある港町だ。町といっても、市内にある行政区画の一つだな。人口は八千人くらいで、小学校が二つと、中学校が一つある。三方が山に囲われとるけえ、確かに不便な処にはあるな。」
スマートフォンが差し出される。
⬛︎⬛︎県の地図が画面に出ていた。
⬛︎⬛︎県は中国地方の北側、山陰地方にある。市街地から離れ、北沿いの海岸にへばりつくように町はあった。確かに辺鄙な処には違いない。
「あとは――こんなのもあるけれど。」
スマートフォンを啓は再び操作し、アルバムを開いた。様々な写真が画面に竝んでいる。どれも町の風景を写したものだった。
「みんな平坂町の写真だで。僕が撮ったんだけど、よかったら見てごらんや。」
12
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》

すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*


奇怪未解世界
五月 病
ホラー
突如大勢の人間が消えるという事件が起きた。
学内にいた人間の中で唯一生存した女子高生そよぎは自身に降りかかる怪異を退け、消えた友人たちを取り戻すために「怪人アンサー」に助けを求める。
奇妙な契約関係になった怪人アンサーとそよぎは学校の人間が消えた理由を見つけ出すため夕刻から深夜にかけて調査を進めていく。
その過程で様々な怪異に遭遇していくことになっていくが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる