1 / 110
序章
序章
しおりを挟む
夜はまだ明けていなかった。
青黒い闇の中、海原は轟音を上げている。荒々しい波は、幾重にも浜辺に押し寄せ、砕け散っては凪ぎ、間髪を入れず押し返す。終わりのない潮騒と、冷たい風音のみが響き続けていた。
一年で最も長い夜が明けようとしている。
冬至が近づくと、この沙浜へとわたしは来るようになっていた――三年前の記憶が蘇り、眠れなくなるからだ。
様々な出来事が爪跡を残している。数え切れないほどの死者、妹の存在、震災――耐え切れない思いが胸を巡り、今年もここに導かれた。
沙浜の名前は、青ヶ浜という。場所によっては、海か、町かの、どちらかが見えなくなるほど広い。しかし明るい昼間であっても、風景の変化に乏しい荒れ地でしかなかった。
ただし十四年前までは、神を迎えたり、送ったりする儀式が行なわれていた場所でもある。
儀式は、春分と冬至の夜に行なわれていた。
春分の日の零時には、海の彼方から神が呼ばれた。迎えられた神は、古くから山に存在した神社に鎮まって町の守り神となる。しかし九か月後――冬至の日の零時には必ず送り返されてしまうのだ。
その神は、守り神であると同時に祟り神でもあった。
儀式の夜には、決して外に出てはならない――神の姿を見てはならないのだ。春分と冬至の夜は、外へ出ることはおろか、物音を鳴らすことも、光を漏らすことも謹まなければならなかった。
そうでなければ、祟りがあるからだ。
その実例らしきものを、片手で数えるほどわたしは知っている。
三十年ほど前には、こんな例があった――。
冬至の夜のことだ。三人ほどの高校生グループが、肝試しと称して家の外で一夜を明かしたという。
彼らは、二度と帰宅しなかった。
一人は、翌朝に路上で倒れて死んでいるのを発見された。あとの二人はいまだ行方が判っていない。
また、わたしが子供の頃にはこんな出来事もあった。
確か、この町に引っ越してきたばかりの者だったか。
春分の夜のことだ。彼は、真夜中に煙草が切れたので、近所の自動販売機へ買いに行ったという。
そして、そのまま帰らなかった。奥さんは、町民が発した言葉を恐れたのと、夫が遠出したわけではないことを信じ、外へ出なかった。
翌朝、遺体となって港に浮かんでいるのを彼は発見された。
ほかにも、漁船の様子を見に行った漁師が、顔を血まみれにして帰ってきた話だとか、発狂して精神病院に入院している話だとか、そのような事例が複数ある。
海から来た何かを恐れ、二つの夜、町民は決して外へ出なかった。
わたしは、この海の向こうに違う世界があると信じている。
古代の日本人は、そこを「常世の国」と呼んだ。琉球では、「ニライカナイ」と呼ばれている。どちらも死後の世界であり、全ての生命や富――そして、あらゆる災いが来る場所だ。
海の向こうにあるものといえば、地図の上では、ロシアの一部と朝鮮半島でしかない。現代人でそれを知らない者はいないだろう。実際、浜辺にはまれに、ハングルや簡体字の書かれた漂着物も転がっている。
そうであったとしても――。
実際に浜辺に立ったとき感じるのは、宏大な世界の拡がりだ。地球の一部――地図の上では庭池でしかないものが、無限に続く巨大な生物へと変化する。
脚のすくむような畏怖を感じてしまうのは、そんなときだ。ただの知識でしかないものが、急激に実感を失ってしまう。この果てしない――暗い海の向こうにあるものが、未知の領域へと変化する。
わたしは――この世界の拡がりが恐い。
実際――十四年前までは、この暗い海の向こうから何かが来ていた。
気の遠くなるほど昔から、この地に住む者たちは、常世の国から神を呼び寄せたり、送り返したりする儀式を続けてきた。神がもたらすものとして露骨に認識できたのは、富よりも災いのほうだった。
しかし、その儀式も十四年前から行われなくなり、三年前が最後となってしまった。わたしが生まれ育ったこの町も、過疎化でもはや滅亡寸前である。
そして、その直截的な原因は――遺憾ながらわたしなのだ。
ある人によれば、わたしにはなんの責任もないという。全ては事故であり、天災のようなものだそうだ。実際、あのときのわたしの心はあまりにも幼すぎた。しかも、相談相手と言える者もいなかったのだ。
それでも冬至が近づくと、激しい後悔に襲われる。
わたしが招いた被害は、尋常ではなかった。
青黒い闇の中、海原は轟音を上げている。荒々しい波は、幾重にも浜辺に押し寄せ、砕け散っては凪ぎ、間髪を入れず押し返す。終わりのない潮騒と、冷たい風音のみが響き続けていた。
一年で最も長い夜が明けようとしている。
冬至が近づくと、この沙浜へとわたしは来るようになっていた――三年前の記憶が蘇り、眠れなくなるからだ。
様々な出来事が爪跡を残している。数え切れないほどの死者、妹の存在、震災――耐え切れない思いが胸を巡り、今年もここに導かれた。
沙浜の名前は、青ヶ浜という。場所によっては、海か、町かの、どちらかが見えなくなるほど広い。しかし明るい昼間であっても、風景の変化に乏しい荒れ地でしかなかった。
ただし十四年前までは、神を迎えたり、送ったりする儀式が行なわれていた場所でもある。
儀式は、春分と冬至の夜に行なわれていた。
春分の日の零時には、海の彼方から神が呼ばれた。迎えられた神は、古くから山に存在した神社に鎮まって町の守り神となる。しかし九か月後――冬至の日の零時には必ず送り返されてしまうのだ。
その神は、守り神であると同時に祟り神でもあった。
儀式の夜には、決して外に出てはならない――神の姿を見てはならないのだ。春分と冬至の夜は、外へ出ることはおろか、物音を鳴らすことも、光を漏らすことも謹まなければならなかった。
そうでなければ、祟りがあるからだ。
その実例らしきものを、片手で数えるほどわたしは知っている。
三十年ほど前には、こんな例があった――。
冬至の夜のことだ。三人ほどの高校生グループが、肝試しと称して家の外で一夜を明かしたという。
彼らは、二度と帰宅しなかった。
一人は、翌朝に路上で倒れて死んでいるのを発見された。あとの二人はいまだ行方が判っていない。
また、わたしが子供の頃にはこんな出来事もあった。
確か、この町に引っ越してきたばかりの者だったか。
春分の夜のことだ。彼は、真夜中に煙草が切れたので、近所の自動販売機へ買いに行ったという。
そして、そのまま帰らなかった。奥さんは、町民が発した言葉を恐れたのと、夫が遠出したわけではないことを信じ、外へ出なかった。
翌朝、遺体となって港に浮かんでいるのを彼は発見された。
ほかにも、漁船の様子を見に行った漁師が、顔を血まみれにして帰ってきた話だとか、発狂して精神病院に入院している話だとか、そのような事例が複数ある。
海から来た何かを恐れ、二つの夜、町民は決して外へ出なかった。
わたしは、この海の向こうに違う世界があると信じている。
古代の日本人は、そこを「常世の国」と呼んだ。琉球では、「ニライカナイ」と呼ばれている。どちらも死後の世界であり、全ての生命や富――そして、あらゆる災いが来る場所だ。
海の向こうにあるものといえば、地図の上では、ロシアの一部と朝鮮半島でしかない。現代人でそれを知らない者はいないだろう。実際、浜辺にはまれに、ハングルや簡体字の書かれた漂着物も転がっている。
そうであったとしても――。
実際に浜辺に立ったとき感じるのは、宏大な世界の拡がりだ。地球の一部――地図の上では庭池でしかないものが、無限に続く巨大な生物へと変化する。
脚のすくむような畏怖を感じてしまうのは、そんなときだ。ただの知識でしかないものが、急激に実感を失ってしまう。この果てしない――暗い海の向こうにあるものが、未知の領域へと変化する。
わたしは――この世界の拡がりが恐い。
実際――十四年前までは、この暗い海の向こうから何かが来ていた。
気の遠くなるほど昔から、この地に住む者たちは、常世の国から神を呼び寄せたり、送り返したりする儀式を続けてきた。神がもたらすものとして露骨に認識できたのは、富よりも災いのほうだった。
しかし、その儀式も十四年前から行われなくなり、三年前が最後となってしまった。わたしが生まれ育ったこの町も、過疎化でもはや滅亡寸前である。
そして、その直截的な原因は――遺憾ながらわたしなのだ。
ある人によれば、わたしにはなんの責任もないという。全ては事故であり、天災のようなものだそうだ。実際、あのときのわたしの心はあまりにも幼すぎた。しかも、相談相手と言える者もいなかったのだ。
それでも冬至が近づくと、激しい後悔に襲われる。
わたしが招いた被害は、尋常ではなかった。
14
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説


The Last Night
泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。
15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。
そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。
彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。
交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。
しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。
吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。
この恋は、救いか、それとも破滅か。
美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。
※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。
※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。
※AI(chatgpt)アシストあり
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる