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GID(性同一性障碍)運動の光と影
2.トランスジェンダー vs GID。
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性同一性障碍と越境性差の対立は九〇年代に遡る。
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
GID当事者たちにとって、これは長年の望みだった。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
一九六四年――「ブルーボーイ事件」が起きる。すなわち、「ブルーボーイ」と呼ばれていた三人の男娼に、ある産婦人科が性別適合手術を行なったのだ。これが、「正当な理由なく、生殖を不能にする手術を行なってはならない」という優生保護法(現・母体保護法)第二十八条に違反するとされ、刑事告訴される。
裁判の結果、「精神的な調査や診察が充分に行なわれていなかった」などの理由から、「正当な理由がない」とされ、医師には有罪判決が下る。
有罪とされた理由は、「調査や診察が不充分」だったことだ。しかし、その事実はあまり知られることはなかった。結果、「性別適合手術は違法」という認識が拡がり、公然と手術を行なう医師はいなくなる。(ただし、こっそりと手術を行なう医師や、外国で手術を受ける者はそれなりにいたようだ。)
つまり、「診断と治療のガイドライン」が出来たことは、「何が『充分な調査や診察』に当たるのか」が明文化され、合法的に公然と手術を行なえるようになったということである。
一方、「ニューハーフ」「女装者」「おかま」「おなべ」「越境性差」などと呼ばれ、それまで同一視されてきた人々の間には、明確な区分が生じた。「生まれるべきだった身体を取り戻す」ことが医学的に認められた人々と、そうではない人々に分かれたのである。端的に言って、異性装者とGIDが分離した。
埼玉医科大学倫理委員会が『答申』を発表したことに伴い、一九九六年・八月、「TSとTSを支える人々の会」(後に、「TSとTGを支える人々の会」と改称)が第一回集会を行なう。集会には、越境性別(TS)から越境性差(TG)まで様々な人々が参加した。
以降、ゲイフロント関西TGブランチやESTOなど、性別違和者の自助グループが全国各地に設立される。
だが、やがてGIDと越境性差は袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
米沢泉美に至っては、戸籍制度の廃止を主張した。
戸籍制度は非常によくできた制度だ。その個人が誰なのか、血縁を遡って証明できる。どのような性別であり、どのような性別の人から生まれたのかも明確だ。しかし、このような制度は、「性別は自分で決めるもの」という思想とは決して相いれない。
ところが、山本蘭氏を始めとする gid.jp は、「性別」という概念も、戸籍制度も、婚姻制度も、全く変えようとしなかった。なぜならば、常識的な「性別」の概念に基づいて身体を変え、その現状に基づいて既存の制度に自分たちが組み込まれることを望んだからだ。
彼らは「革命」を望まなかった。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差の活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
二〇一八年、それは部分的に実現する。
すなわち、WHOが性同一性障碍を「精神疾患」から外す決定をしたのだ。
二〇二〇年、畑野とまとはこうつぶやいた。
「なにかいまだに『くたばれGID』に噛みついている人達がいるけど…。もう、GIDはくたばっているわよ。2022年にICD11において当該疾患が削除されることが決定しているし、DSM5でも名称と内容が変えられている。(元々ICDは項目名で疾患名ではない)学会も名称変更の議論始まっているし(当たり前だ)」
https://twitter.com/hatakeno_tomato/status/1328797094748930048?s=21&t=sGXE5VKkasIHIbvUoE0lOQ
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
GID当事者たちにとって、これは長年の望みだった。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
一九六四年――「ブルーボーイ事件」が起きる。すなわち、「ブルーボーイ」と呼ばれていた三人の男娼に、ある産婦人科が性別適合手術を行なったのだ。これが、「正当な理由なく、生殖を不能にする手術を行なってはならない」という優生保護法(現・母体保護法)第二十八条に違反するとされ、刑事告訴される。
裁判の結果、「精神的な調査や診察が充分に行なわれていなかった」などの理由から、「正当な理由がない」とされ、医師には有罪判決が下る。
有罪とされた理由は、「調査や診察が不充分」だったことだ。しかし、その事実はあまり知られることはなかった。結果、「性別適合手術は違法」という認識が拡がり、公然と手術を行なう医師はいなくなる。(ただし、こっそりと手術を行なう医師や、外国で手術を受ける者はそれなりにいたようだ。)
つまり、「診断と治療のガイドライン」が出来たことは、「何が『充分な調査や診察』に当たるのか」が明文化され、合法的に公然と手術を行なえるようになったということである。
一方、「ニューハーフ」「女装者」「おかま」「おなべ」「越境性差」などと呼ばれ、それまで同一視されてきた人々の間には、明確な区分が生じた。「生まれるべきだった身体を取り戻す」ことが医学的に認められた人々と、そうではない人々に分かれたのである。端的に言って、異性装者とGIDが分離した。
埼玉医科大学倫理委員会が『答申』を発表したことに伴い、一九九六年・八月、「TSとTSを支える人々の会」(後に、「TSとTGを支える人々の会」と改称)が第一回集会を行なう。集会には、越境性別(TS)から越境性差(TG)まで様々な人々が参加した。
以降、ゲイフロント関西TGブランチやESTOなど、性別違和者の自助グループが全国各地に設立される。
だが、やがてGIDと越境性差は袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
米沢泉美に至っては、戸籍制度の廃止を主張した。
戸籍制度は非常によくできた制度だ。その個人が誰なのか、血縁を遡って証明できる。どのような性別であり、どのような性別の人から生まれたのかも明確だ。しかし、このような制度は、「性別は自分で決めるもの」という思想とは決して相いれない。
ところが、山本蘭氏を始めとする gid.jp は、「性別」という概念も、戸籍制度も、婚姻制度も、全く変えようとしなかった。なぜならば、常識的な「性別」の概念に基づいて身体を変え、その現状に基づいて既存の制度に自分たちが組み込まれることを望んだからだ。
彼らは「革命」を望まなかった。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差の活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
二〇一八年、それは部分的に実現する。
すなわち、WHOが性同一性障碍を「精神疾患」から外す決定をしたのだ。
二〇二〇年、畑野とまとはこうつぶやいた。
「なにかいまだに『くたばれGID』に噛みついている人達がいるけど…。もう、GIDはくたばっているわよ。2022年にICD11において当該疾患が削除されることが決定しているし、DSM5でも名称と内容が変えられている。(元々ICDは項目名で疾患名ではない)学会も名称変更の議論始まっているし(当たり前だ)」
https://twitter.com/hatakeno_tomato/status/1328797094748930048?s=21&t=sGXE5VKkasIHIbvUoE0lOQ
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