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GID(性同一性障碍)運動の光と影
1.LGBTとは無関係に動いてきたGID。
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性同一性障碍(Gender Identity Disorder)の略称をGIDという。
LGBT運動とGID運動は無関係に動いてきた。
当事者団体である "gid.jp" の元代表・山本蘭氏はブログでこう発言している。
「性同一性障害を持つ人に対しトランスジェンダーと呼ぶということは、『あなたは(本物の)女(あるいは男)じゃない。』と言っているのと同義なんですよ。これがいかにレッテル貼りとなるのか、その人に対して非常に失礼なことをしているのか、わかっていただけるでしょうか。私はあくまでも女性であって、他の何の性でもありません。」
『性同一性障害はトランスジェンダーではない』http://blog.rany.jp/?eid=1252516
考えてみれば当然だ。
「トランスジェンダー」とは、「おかま」や「おなべ」という意味である。「トランス女性」や「トランス男性」という言葉は、「おかま女性」や「おなべ男性」という意味に等しい。
しかしGID当事者たちは、自分が生まれるべきだった性別を取り戻そうとしてきた。自分たちは「おかま」でも「おなべ」でもない――「女性である」「男性である」と訴え続けてきたのだ。
LGBT活動家は、「トランス女性は女性」と言う。
一方、GID当事者は、「私は『トランス女性』ではなく、女性です」と言う。当然だ。女性は定型女性しかいないのだから。GIDの当事者たちが求めていることは、定型性差になることなのだ。
事実、山本蘭氏は、LGBT運動とは無関係だと言い、ゲイパレードにも関心を持っていなかった。
性同一性障碍が越境性差ではないのならば、LGBTでもない。そもそも性同一性障碍は疾患だ。同性愛や異性装とも大きく異なる。同じ枠組みの中で活動を行なう理由などない。
LGBTとは違い、地道な努力によってGID当事者は社会を変えてきた。
二〇〇三年になるまで、性別適合手術を受けても法律上の性別は変えられなかった。それを可能とさせたのが「性同一性障害者の性別の取り扱い特例に関する法律」(以下、「特例法」)だ。
特例法はGID運動の結実である。
運動の特徴は、対立構造を作らず、政治色に染まらず、与野党を問わずに働きかけたことだ。
言うまでもなく、GID当事者は様々な困難を抱えている。
身体を変えたにも拘わらず、法律的な性別が変わらなければ不都合が生じる。例えば、身分証明書が男性なのに身体が女性では混乱してしまう。法律的に男性の者が女子トイレや女湯を使えば違法となる可能性さえあった。
GID当事者たちは、出生時に認定された性別を必死で隠したがる傾向にある。すなわち、自分が生まれるべきだった身体を取り戻そうとし、生まれたときからその性別だったように振舞うのだ。
だが、日々の振る舞いや身体まで同化しても、全てが同化できるわけではない。特例法がなかった当時、最大の障壁が法律上の性別だった。
様々な政治思想を超え、この矛盾を解消することで運動の目的は一致していた。
特例法を成立させるために gid.jp が積極的に行なったのは、自民党へのロビー活動だ。
自民党へ働きかけたのは、政治思想に共鳴していたからではない――それが現実的な選択だったからだ。
どうあれ、議席の半分以上を占めているのは自民党である。政権交代などいつ起こるか分からない。自民党を動かさなければ法案は通らない。(もし民主党執権時代だったなら、民主党へ積極的に働きかけただろう。)
保守的な人ほど社会秩序を重んじる。なので、「身体が女性なのに戸籍上は男性の人が増えると、社会秩序が混乱するでしょう」「合致させた方がよくありませんか」とアプローチすることもできた。
言うまでもなく、野党にも働きかけた。ゆえに、特例法は全会一致で可決する。
二〇〇三年に成立した特例法には、次の条件がつけられた。
1.二十歳以上であること。
2.現に婚姻をしていないこと。
3.現に子供がいないこと。
4.生殖腺がないこと。または生殖腺の機能を永久に欠く状態であること。
5.移行する性別の性器に近似した外見を持つこと。
1は、充分な判断能力があることと同じだ。2は、現今の婚姻制度と矛盾が生じてしまうことを避けるための措置――同性婚を作らないことを目的としたものである。3は、二人の父親・二人の母親がいるという不自然な状態を避けるためのもの。4は、「妊娠する男性」や「射精する女性」が出来ることを防ぐためのもの。5も、不必要な社会的混乱を防ぐためのものである。
つまり、充分な判断能力があることを確認したうえで、社会的な混乱を起こさないための条件だ。
これらは、一部の当事者から「厳しすぎる」という批判もあった。しかし、法は社会通念を反映するものだ。それゆえ、仕方のないことだと譲歩せざるを得なかった――強硬に反対すれば廃案になる可能性もあったのだから。
3の「現に子供がいないこと」は、gid.jp の積極的な活動により、二〇〇八年に「未成年の子供がいないこと」にまで緩和される。
GID当事者たちが、保守派・進歩派を問わず政治家を動かしたことは大きい。
一方で、LGBT活動家たちはと言えば、左翼と遊んでゴネているだけに見える。というより、LGBT活動家は例外なく反体制だ。多くの当事者からLGBT活動家が無視されている理由もここにある。
もはや、反体制運動の棍棒としてLGBT活動家は使われている。そもそも、LGBT活動家がやりたいことは反体制運動かもしれない。活動家がくっついている政党も、共産党や社民党・立憲民主党などだ。挙句の果てに、「しばき隊」と絡むようになり、ますます当事者を呆れさせた。
GID当事者が運動を成功させた理由は他にもある。
すなわち、金もうけが目的ではなかったことだ。
LGBT活動家は、「何が差別か」という自分だけのルールを作り、「差別だ」と方々に難癖をつけている。そうして、学校や企業に研修会や講演を売り込み、難癖をつけられないためにはどうしたらいいかを教えてボロ儲けしているのだ。そのくせ、本当に悩みを抱える当事者の相談には関心を向けていない。
一方で山本蘭氏は、十数年に亘る活動の中で一千万円もの身銭を切ったという。ともかく、自分と同じ障碍を抱える者を一人でも多く救うことに全力を掛けたのだ。
そもそも、膨大な手術費用と命の危険を抱えて手術をするのがGIDである。そんな彼らからしたら、手術していないのに戸籍を変更させろと主張するLGBT活動家は舐めた連中でしかない。当然、そのような主張には山本蘭氏を始め多くのGID当事者も反対している。
ゆえに、GIDとLGBTのあいだには時として根深い対立さえある。
LGBT活動家の目的は、性別の概念を破壊すること――「ペニスがある女性」や「妊娠する男性」がいる社会を作ることだ。ゆえに、身体違和という問題を抱えたGIDが目障りでさえある。
そのような連中とGID運動は袂を分けてきた。
二〇二二年・十一月二十九日――山本蘭氏が亡くなる。
GID当事者は元より、多くの性的少数者から弔意が寄せられた。何しろ、山本蘭氏が成立させた特例法は、性的少数者を保護するための日本で唯一の法律なのだ。
ところが、山本蘭氏の訃報について、LGBT活動家は誰もコメントしなかった。
松岡宗嗣が、尾辻かな子が、増原裕子が、東小雪が、松中権が、何か言っただろうか? 越境性差である杉山文野が、鈴木げんが、遠藤まめたが何か言っただろうか? 何も言わなかったのだ。
いや。
そもそも、山本蘭氏のことを彼らは知らなかったのかもしれない。
LGBT運動とGID運動は無関係に動いてきた。
当事者団体である "gid.jp" の元代表・山本蘭氏はブログでこう発言している。
「性同一性障害を持つ人に対しトランスジェンダーと呼ぶということは、『あなたは(本物の)女(あるいは男)じゃない。』と言っているのと同義なんですよ。これがいかにレッテル貼りとなるのか、その人に対して非常に失礼なことをしているのか、わかっていただけるでしょうか。私はあくまでも女性であって、他の何の性でもありません。」
『性同一性障害はトランスジェンダーではない』http://blog.rany.jp/?eid=1252516
考えてみれば当然だ。
「トランスジェンダー」とは、「おかま」や「おなべ」という意味である。「トランス女性」や「トランス男性」という言葉は、「おかま女性」や「おなべ男性」という意味に等しい。
しかしGID当事者たちは、自分が生まれるべきだった性別を取り戻そうとしてきた。自分たちは「おかま」でも「おなべ」でもない――「女性である」「男性である」と訴え続けてきたのだ。
LGBT活動家は、「トランス女性は女性」と言う。
一方、GID当事者は、「私は『トランス女性』ではなく、女性です」と言う。当然だ。女性は定型女性しかいないのだから。GIDの当事者たちが求めていることは、定型性差になることなのだ。
事実、山本蘭氏は、LGBT運動とは無関係だと言い、ゲイパレードにも関心を持っていなかった。
性同一性障碍が越境性差ではないのならば、LGBTでもない。そもそも性同一性障碍は疾患だ。同性愛や異性装とも大きく異なる。同じ枠組みの中で活動を行なう理由などない。
LGBTとは違い、地道な努力によってGID当事者は社会を変えてきた。
二〇〇三年になるまで、性別適合手術を受けても法律上の性別は変えられなかった。それを可能とさせたのが「性同一性障害者の性別の取り扱い特例に関する法律」(以下、「特例法」)だ。
特例法はGID運動の結実である。
運動の特徴は、対立構造を作らず、政治色に染まらず、与野党を問わずに働きかけたことだ。
言うまでもなく、GID当事者は様々な困難を抱えている。
身体を変えたにも拘わらず、法律的な性別が変わらなければ不都合が生じる。例えば、身分証明書が男性なのに身体が女性では混乱してしまう。法律的に男性の者が女子トイレや女湯を使えば違法となる可能性さえあった。
GID当事者たちは、出生時に認定された性別を必死で隠したがる傾向にある。すなわち、自分が生まれるべきだった身体を取り戻そうとし、生まれたときからその性別だったように振舞うのだ。
だが、日々の振る舞いや身体まで同化しても、全てが同化できるわけではない。特例法がなかった当時、最大の障壁が法律上の性別だった。
様々な政治思想を超え、この矛盾を解消することで運動の目的は一致していた。
特例法を成立させるために gid.jp が積極的に行なったのは、自民党へのロビー活動だ。
自民党へ働きかけたのは、政治思想に共鳴していたからではない――それが現実的な選択だったからだ。
どうあれ、議席の半分以上を占めているのは自民党である。政権交代などいつ起こるか分からない。自民党を動かさなければ法案は通らない。(もし民主党執権時代だったなら、民主党へ積極的に働きかけただろう。)
保守的な人ほど社会秩序を重んじる。なので、「身体が女性なのに戸籍上は男性の人が増えると、社会秩序が混乱するでしょう」「合致させた方がよくありませんか」とアプローチすることもできた。
言うまでもなく、野党にも働きかけた。ゆえに、特例法は全会一致で可決する。
二〇〇三年に成立した特例法には、次の条件がつけられた。
1.二十歳以上であること。
2.現に婚姻をしていないこと。
3.現に子供がいないこと。
4.生殖腺がないこと。または生殖腺の機能を永久に欠く状態であること。
5.移行する性別の性器に近似した外見を持つこと。
1は、充分な判断能力があることと同じだ。2は、現今の婚姻制度と矛盾が生じてしまうことを避けるための措置――同性婚を作らないことを目的としたものである。3は、二人の父親・二人の母親がいるという不自然な状態を避けるためのもの。4は、「妊娠する男性」や「射精する女性」が出来ることを防ぐためのもの。5も、不必要な社会的混乱を防ぐためのものである。
つまり、充分な判断能力があることを確認したうえで、社会的な混乱を起こさないための条件だ。
これらは、一部の当事者から「厳しすぎる」という批判もあった。しかし、法は社会通念を反映するものだ。それゆえ、仕方のないことだと譲歩せざるを得なかった――強硬に反対すれば廃案になる可能性もあったのだから。
3の「現に子供がいないこと」は、gid.jp の積極的な活動により、二〇〇八年に「未成年の子供がいないこと」にまで緩和される。
GID当事者たちが、保守派・進歩派を問わず政治家を動かしたことは大きい。
一方で、LGBT活動家たちはと言えば、左翼と遊んでゴネているだけに見える。というより、LGBT活動家は例外なく反体制だ。多くの当事者からLGBT活動家が無視されている理由もここにある。
もはや、反体制運動の棍棒としてLGBT活動家は使われている。そもそも、LGBT活動家がやりたいことは反体制運動かもしれない。活動家がくっついている政党も、共産党や社民党・立憲民主党などだ。挙句の果てに、「しばき隊」と絡むようになり、ますます当事者を呆れさせた。
GID当事者が運動を成功させた理由は他にもある。
すなわち、金もうけが目的ではなかったことだ。
LGBT活動家は、「何が差別か」という自分だけのルールを作り、「差別だ」と方々に難癖をつけている。そうして、学校や企業に研修会や講演を売り込み、難癖をつけられないためにはどうしたらいいかを教えてボロ儲けしているのだ。そのくせ、本当に悩みを抱える当事者の相談には関心を向けていない。
一方で山本蘭氏は、十数年に亘る活動の中で一千万円もの身銭を切ったという。ともかく、自分と同じ障碍を抱える者を一人でも多く救うことに全力を掛けたのだ。
そもそも、膨大な手術費用と命の危険を抱えて手術をするのがGIDである。そんな彼らからしたら、手術していないのに戸籍を変更させろと主張するLGBT活動家は舐めた連中でしかない。当然、そのような主張には山本蘭氏を始め多くのGID当事者も反対している。
ゆえに、GIDとLGBTのあいだには時として根深い対立さえある。
LGBT活動家の目的は、性別の概念を破壊すること――「ペニスがある女性」や「妊娠する男性」がいる社会を作ることだ。ゆえに、身体違和という問題を抱えたGIDが目障りでさえある。
そのような連中とGID運動は袂を分けてきた。
二〇二二年・十一月二十九日――山本蘭氏が亡くなる。
GID当事者は元より、多くの性的少数者から弔意が寄せられた。何しろ、山本蘭氏が成立させた特例法は、性的少数者を保護するための日本で唯一の法律なのだ。
ところが、山本蘭氏の訃報について、LGBT活動家は誰もコメントしなかった。
松岡宗嗣が、尾辻かな子が、増原裕子が、東小雪が、松中権が、何か言っただろうか? 越境性差である杉山文野が、鈴木げんが、遠藤まめたが何か言っただろうか? 何も言わなかったのだ。
いや。
そもそも、山本蘭氏のことを彼らは知らなかったのかもしれない。
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