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メンタルヘルスとジェンダー
2.障碍/個性。そして否定。
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二〇二二年の七月から八月まで、性別不合当事者の会の共同代表だった。
就任が決まった定例会議では、「GIDは越境性差ではない」ことを公式に表明すべきだと私は提案した。おおむね賛同されるが、社会的通念とすれ違う可能性が指摘される。結果、この件は保留となった。
GIDは疾患名である。一方、越境性差は人の属性を指す言葉だ。言うなれば、「風邪」と「病院に用事がある人」くらいは違う。また、「風邪」と「風邪の患者」でも違う。
それどころか、GIDの当事者には、越境性差という言葉を嫌がる人もいる――彼らの望みは、GIDという疾患を治療して定型性差になることだからだ。
やがて私は気づく。
「越境性差」という言葉は、GIDを「障碍ではない」ことにするための方便なのだ。
越境性差について説明したあるサイトには、こう書かれている。
「『性同一性障害』という言葉を手放しで使うことには疑問が残ります。というのも、『性自認と身体的性が一致していないため、それを一致させたい』だけにもかかわらず、それを果たして『障害』と呼んでよいのでしょうか」
https://jobrainbow.jp/magazine/transgid
いや――普通に考えて「障碍」だから。
「障碍個性論」と呼ばれるものがある。「『障碍のある人とない人』で人を分けるのは間違っている。障碍ではなく個性ではないか」と。
例えば、同性愛者はかつて精神疾患とされていた。現在は個性とされている。それと同じように、GIDも「障碍」ではなく「個性」と考えよう――というのが現在の流れだ。
悪意の誘惑者は、慈愛の顔で近づいてくる。
LGBT活動家たちの真の目的は「性別」の概念を破壊することだ。何の障碍もなく、何の治療も受けたがらない人にまで、法律上の性別を変えさせ、女性スペースを開放させようとする。
障碍と個性の大きな違いは、医学的・社会的に支援が必要か否かだ。
同性愛者と同じように「個性」として尊重するだけでいいのは、身体違和のない人だ――つまり一部のノンバイナリや異性装者など。それは、「性別に囚われず、好きに振る舞っていい」という話なのだから。
しかしGIDはそうではない。「性が違う」という障碍を乗り越える必要がある。
もし自称しただけで性別を変えられるようになったのなら(性別が「自認」のことになったのなら)性別適合手術など美容整形手術と同じものになる。
世界のLGBT活動家たちが目指してきたことは、性別違和の「脱病理化」だ。その手始めに、GIDを精神疾患から外すことを要求した。
二〇一八年――それは実現する。GIDという呼称をWHOが廃止したのだ。
これに対して、「精神疾患じゃなくなってよかったねえ」などと無遠慮に言っていた人もいた。そこに、精神障碍者に対する差別の眼差しがあるとなぜ気づかないのだろう。
性別違和を脱病理化させようとする背景には、性別適合医療で儲けようとする勢力の存在もあるに違いない。「越境性差」を増やしたいのに、「精神疾患」「障碍」では不味い。当然、何の障碍もない男性を「女性」と言いくるめる上でも不味い。
この潮流に反撥する形で、逆の立場からGIDを否定する者も現れた。
いわゆる「真性TERF」と呼ばれる人たちだ。
彼らは、GIDの存在を否定し、別の精神疾患や性的嗜好が原因だと主張する。戸籍変更済みのMtFを「陰茎を切ったオス」とまで呼んでいる。
ツイッター上にはそんな声が溢れている。
「抑圧者側である男性が被抑圧者である女性になれるわけがない。」
「男性が女性より弱い存在などということはない。」
「それを口に出せないことは女性差別である。」
背景には、適当な診断を下すジェンダー゠クリニックや、女性とは思えない言動を繰り返すMtFの存在もある。さらに言えば、性別適合手術を受けたところで、全てのMtFが女性に見えるわけではないという特例法の穴もある。
いわゆる「真性TERF」にしろLGBT活動家にしろ、最終目標は同じだ――「特例法」の廃止である。
LGBT活動家は、手術をせずとも性別を変えられる法律を作れと言う。いわゆる「真性TERF」は、GIDなどないのだし、女性スペースに男性を入れるのは危険だから廃止しろと言う。
事実、GIDではないのに性別適合手術を受けたと公言した人がいる。彼らからの性暴力に女性スペースで遭遇する確率もゼロではない。特に、性的被害を実際に受けたことのある人ならば、強い危機感を持たざるを得ない。
このような事例への現実的な対策としては、診断基準・戸籍変更基準の厳格化や、国外での性別適合手術の規制が考えられる――特に、性犯罪前科者に戸籍変更を認めないことは必須だろう。
実を言えば、性同一性障碍の存在を疑う主張には部分的に共感する。一方で、これ以上ないくらいにも慎重にならなければならない。
何しろ、私は医者ではない。いわゆる「真性TERF」の大部分もそうだ。医学を修めたわけでもなければ、臨床の現場に立っているわけでもない。長年に亘って医師たちが積み重ねてきたものを否定することは簡単ではない。
それこそ、Psychobabble になる可能性がある。
精神疾患には、相反する二つの偏見がつきまとっている――何をするか分からない危険な奴というものと、利益のために病気を演じている者というものだ。
私は最初、強迫性障碍だと診断された。あのとき、ほとんどの人が私の病気を無視し、「能力のない健常者」として扱い続けた。そんな中、私は統合失調症の症状を発していた。
無能な私に対し、「うつ病はコンプレックスじゃなかったのね」「うつ病は色々な種類があるらしいからねえ」と言っていた者もいた。統合失調症と診断されてからは、「能力のない健常者」という対応をされたまま仕事も対人関係も何もかも消えた。
一つの障碍や病気を否定することは、重大な人権侵害と隣接している。
その上で、慎重になりつつも指摘したい――性別違和者に発達障碍が多すぎる問題について。
就任が決まった定例会議では、「GIDは越境性差ではない」ことを公式に表明すべきだと私は提案した。おおむね賛同されるが、社会的通念とすれ違う可能性が指摘される。結果、この件は保留となった。
GIDは疾患名である。一方、越境性差は人の属性を指す言葉だ。言うなれば、「風邪」と「病院に用事がある人」くらいは違う。また、「風邪」と「風邪の患者」でも違う。
それどころか、GIDの当事者には、越境性差という言葉を嫌がる人もいる――彼らの望みは、GIDという疾患を治療して定型性差になることだからだ。
やがて私は気づく。
「越境性差」という言葉は、GIDを「障碍ではない」ことにするための方便なのだ。
越境性差について説明したあるサイトには、こう書かれている。
「『性同一性障害』という言葉を手放しで使うことには疑問が残ります。というのも、『性自認と身体的性が一致していないため、それを一致させたい』だけにもかかわらず、それを果たして『障害』と呼んでよいのでしょうか」
https://jobrainbow.jp/magazine/transgid
いや――普通に考えて「障碍」だから。
「障碍個性論」と呼ばれるものがある。「『障碍のある人とない人』で人を分けるのは間違っている。障碍ではなく個性ではないか」と。
例えば、同性愛者はかつて精神疾患とされていた。現在は個性とされている。それと同じように、GIDも「障碍」ではなく「個性」と考えよう――というのが現在の流れだ。
悪意の誘惑者は、慈愛の顔で近づいてくる。
LGBT活動家たちの真の目的は「性別」の概念を破壊することだ。何の障碍もなく、何の治療も受けたがらない人にまで、法律上の性別を変えさせ、女性スペースを開放させようとする。
障碍と個性の大きな違いは、医学的・社会的に支援が必要か否かだ。
同性愛者と同じように「個性」として尊重するだけでいいのは、身体違和のない人だ――つまり一部のノンバイナリや異性装者など。それは、「性別に囚われず、好きに振る舞っていい」という話なのだから。
しかしGIDはそうではない。「性が違う」という障碍を乗り越える必要がある。
もし自称しただけで性別を変えられるようになったのなら(性別が「自認」のことになったのなら)性別適合手術など美容整形手術と同じものになる。
世界のLGBT活動家たちが目指してきたことは、性別違和の「脱病理化」だ。その手始めに、GIDを精神疾患から外すことを要求した。
二〇一八年――それは実現する。GIDという呼称をWHOが廃止したのだ。
これに対して、「精神疾患じゃなくなってよかったねえ」などと無遠慮に言っていた人もいた。そこに、精神障碍者に対する差別の眼差しがあるとなぜ気づかないのだろう。
性別違和を脱病理化させようとする背景には、性別適合医療で儲けようとする勢力の存在もあるに違いない。「越境性差」を増やしたいのに、「精神疾患」「障碍」では不味い。当然、何の障碍もない男性を「女性」と言いくるめる上でも不味い。
この潮流に反撥する形で、逆の立場からGIDを否定する者も現れた。
いわゆる「真性TERF」と呼ばれる人たちだ。
彼らは、GIDの存在を否定し、別の精神疾患や性的嗜好が原因だと主張する。戸籍変更済みのMtFを「陰茎を切ったオス」とまで呼んでいる。
ツイッター上にはそんな声が溢れている。
「抑圧者側である男性が被抑圧者である女性になれるわけがない。」
「男性が女性より弱い存在などということはない。」
「それを口に出せないことは女性差別である。」
背景には、適当な診断を下すジェンダー゠クリニックや、女性とは思えない言動を繰り返すMtFの存在もある。さらに言えば、性別適合手術を受けたところで、全てのMtFが女性に見えるわけではないという特例法の穴もある。
いわゆる「真性TERF」にしろLGBT活動家にしろ、最終目標は同じだ――「特例法」の廃止である。
LGBT活動家は、手術をせずとも性別を変えられる法律を作れと言う。いわゆる「真性TERF」は、GIDなどないのだし、女性スペースに男性を入れるのは危険だから廃止しろと言う。
事実、GIDではないのに性別適合手術を受けたと公言した人がいる。彼らからの性暴力に女性スペースで遭遇する確率もゼロではない。特に、性的被害を実際に受けたことのある人ならば、強い危機感を持たざるを得ない。
このような事例への現実的な対策としては、診断基準・戸籍変更基準の厳格化や、国外での性別適合手術の規制が考えられる――特に、性犯罪前科者に戸籍変更を認めないことは必須だろう。
実を言えば、性同一性障碍の存在を疑う主張には部分的に共感する。一方で、これ以上ないくらいにも慎重にならなければならない。
何しろ、私は医者ではない。いわゆる「真性TERF」の大部分もそうだ。医学を修めたわけでもなければ、臨床の現場に立っているわけでもない。長年に亘って医師たちが積み重ねてきたものを否定することは簡単ではない。
それこそ、Psychobabble になる可能性がある。
精神疾患には、相反する二つの偏見がつきまとっている――何をするか分からない危険な奴というものと、利益のために病気を演じている者というものだ。
私は最初、強迫性障碍だと診断された。あのとき、ほとんどの人が私の病気を無視し、「能力のない健常者」として扱い続けた。そんな中、私は統合失調症の症状を発していた。
無能な私に対し、「うつ病はコンプレックスじゃなかったのね」「うつ病は色々な種類があるらしいからねえ」と言っていた者もいた。統合失調症と診断されてからは、「能力のない健常者」という対応をされたまま仕事も対人関係も何もかも消えた。
一つの障碍や病気を否定することは、重大な人権侵害と隣接している。
その上で、慎重になりつつも指摘したい――性別違和者に発達障碍が多すぎる問題について。
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