72 / 106
女装男が女湯に入っても合法になる日
14.トランスの形は男女だけではない。
しおりを挟む
越境性差というのは、男から女になったり、女から男になったりするばかりではない。Xジェンダーやノンバイナリー、さらには、「クィア」や「クエスチョニング」、「第三の性」「ジェンダーレス」もある。
カタカナ語が多すぎて混乱してしまう。だが、一応は意味を確認したい。
「Xジェンダー」は和製英語だ。これは「性自認」の区分であり、主に次の人をいう。
・両性自認――性自認が男女双方に属する者。
・中性自認――性自認が男女の中間に属する者。
・無性自認――性別がないと自認する者。
・流動性自認――時間によって性自認が変わる者。
特に問題となるのは流動性自認だ。例えば、朝は女性を自認していたのに、夜には男性を自認すると主張する者もいる。ツイッターには、「今は男? 女?」と訊かれて、「うーん、女かな?」と答えていた者もいた。
最初に述べた通り、越境性差には医学的根拠が必要ない。なので、流動性自認に医学的根拠はない。
「Xジェンダー」と似た言葉に「ノンバイナリー」がある。こちらは、「性自認」と「性表現」が男にも女にも当てはまらない者だ。つまり、男だか女だか分からない格好をしていて、自分自身も分かっていない人をいう。
「クィア」「第三の性」は、ノンバイナリーの条件に加えて「性的指向」が男女の枠に当てはまらない者をいう。両性自認で両性愛者の私がこれである。
「クエスチョニング」は性自認が不明な人。「ジェンダーレス」は男女の枠にとらわれない性表現をする人である。
言うまでもなく、「性自認」も「性表現」も性別ではない。ところが、LGBT活動家も、彼らに騙された人も、これを「性別」だと主張する。「性別は二つだけじゃない」とか「性はグラデーション」とかいう言葉を聞いたことのある人もいるかもしれない。
「ノンバイナリー」を自称する人は世界中で爆発的に増えている。
昨年の七月には、宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」だとカミングアウトした。どう見ても女性にしか見えないのに、「男でも女でもありません」と言われても、どう反応したらいいのか分からないが。
今年の一月には、北京オリンピックのアメリカ代表に決まったフィギュアスケート選手が「ノンバイナリー」とカミングアウトした。やはり「だから何」という感じだ。まさかとは思うが、スポーツ競技にまでノンバイナリー枠を作るというのか。
身体を変えたいわけでもない・異性装をしているわけでもない・性的指向が他人と異なるかどうかも明かしていない人が「男でも女でもありません」と言っても「あ、そう」としか思えない。
だが、「LGBT先進国」では、この「ノンバイナリー」まで「性別」として尊重され始めている。
さすがに、法律上の性別を「ノンバイナリー」に出来たという話はまだ聞かない。
しかし、「ノンバイナリー」だとカミングアウトした人は "he" とも "she" とも呼んではいけないという―― "they" と呼ばなければならない。しかも、誰がノンバイナリーかなど外見からでは分からない。なので、SNSのプロフィールやメールの差出人には、自分が呼ばれたい代名詞を書かなければならなくなった―― "she/her" とか "he, him, his" とかと。
こんなもの「他認される」性でいいではないか。
時として、私は「彼女」「貴女」と呼ばれるときがある。それはそれで嬉しい。一方、「彼」と呼ばれても、まあ、どうとも思わない。好きなように呼んでくれたらいい――どうせ何が変わるわけでなし。
二〇二一年の十月、アメリカ国務省は「ノンバイナリー」のパスポートを発行した。今までは「男」か「女」しかなかったのが、「その他」を可能としたのだ。
五月には、アメリカ・デューク大学のジョン゠スタッドン教授が、アメリカ心理学会の電子メールディスカッションから外される。スタッドン教授は、このディスカッションの中で「性別が二つしかないというのは誤り? 根拠は何ですか? Z染色体はあるのですか?」と発言したのだ。それに対して苦情が寄せられたためだという。
十一月には、アメリカ・ニューハンプシャー州の学校で、「性別は二つしかない」と発言した生徒が部活動停止の憂き目に遭った。
なお、ここで挙げた例は、辛うじて性別の範疇に留まる事例だ。ところが、世の中には性別以外のものまでトランスしている人がいる。
ステフォンクニー゠ウォルシュトは、トロント市に住む五十二歳のカナダ人男性である。だが、四十六歳のときに越境性差の「女の子」であることに気づく。結果、妻と子供からは「出て行け」と言われて別離、二度の自殺未遂と路上生活を経験した。
しかし、やがて理解のある老夫婦の元に引き取られ、「八歳の女児」として暮らし始める。おしゃぶりを咥え、老夫婦の孫娘と人形遊びをして過ごす日々。ところが孫娘が「私がお姉ちゃんになりたいから」と言ってきたため、一年前から「六歳」となってしまった。
六歳児を自認したことについて、ステフォンクニーはインタビューで正直に答えている。曰く、ただの「トランス女性」では、結婚したことも子供ができたことも否定できないからだという。
また、二〇二二年の五月十一日の「しんぶん赤旗」には、早乙女香織という「トランス女性」党員のインタビュー記事が載っていた。
「胸のあたりまで伸ばした金髪にカラフルな色で編んだネックレス。澄んだ目で楽しそうに話す姿が印象的な、早乙女香織(さおとめ・かおり)さん(40代)=川崎市=。」
「早乙女さんの中には、幼い頃からもう一人、17歳の女性がいます。父親から頻繁に『男は男らしくハキハキ話せ』などと言われて育ちました。反論したくても言えないとき、その女性が出てきて父親に反論してくれました。」
カタカナ語が多すぎて混乱してしまう。だが、一応は意味を確認したい。
「Xジェンダー」は和製英語だ。これは「性自認」の区分であり、主に次の人をいう。
・両性自認――性自認が男女双方に属する者。
・中性自認――性自認が男女の中間に属する者。
・無性自認――性別がないと自認する者。
・流動性自認――時間によって性自認が変わる者。
特に問題となるのは流動性自認だ。例えば、朝は女性を自認していたのに、夜には男性を自認すると主張する者もいる。ツイッターには、「今は男? 女?」と訊かれて、「うーん、女かな?」と答えていた者もいた。
最初に述べた通り、越境性差には医学的根拠が必要ない。なので、流動性自認に医学的根拠はない。
「Xジェンダー」と似た言葉に「ノンバイナリー」がある。こちらは、「性自認」と「性表現」が男にも女にも当てはまらない者だ。つまり、男だか女だか分からない格好をしていて、自分自身も分かっていない人をいう。
「クィア」「第三の性」は、ノンバイナリーの条件に加えて「性的指向」が男女の枠に当てはまらない者をいう。両性自認で両性愛者の私がこれである。
「クエスチョニング」は性自認が不明な人。「ジェンダーレス」は男女の枠にとらわれない性表現をする人である。
言うまでもなく、「性自認」も「性表現」も性別ではない。ところが、LGBT活動家も、彼らに騙された人も、これを「性別」だと主張する。「性別は二つだけじゃない」とか「性はグラデーション」とかいう言葉を聞いたことのある人もいるかもしれない。
「ノンバイナリー」を自称する人は世界中で爆発的に増えている。
昨年の七月には、宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」だとカミングアウトした。どう見ても女性にしか見えないのに、「男でも女でもありません」と言われても、どう反応したらいいのか分からないが。
今年の一月には、北京オリンピックのアメリカ代表に決まったフィギュアスケート選手が「ノンバイナリー」とカミングアウトした。やはり「だから何」という感じだ。まさかとは思うが、スポーツ競技にまでノンバイナリー枠を作るというのか。
身体を変えたいわけでもない・異性装をしているわけでもない・性的指向が他人と異なるかどうかも明かしていない人が「男でも女でもありません」と言っても「あ、そう」としか思えない。
だが、「LGBT先進国」では、この「ノンバイナリー」まで「性別」として尊重され始めている。
さすがに、法律上の性別を「ノンバイナリー」に出来たという話はまだ聞かない。
しかし、「ノンバイナリー」だとカミングアウトした人は "he" とも "she" とも呼んではいけないという―― "they" と呼ばなければならない。しかも、誰がノンバイナリーかなど外見からでは分からない。なので、SNSのプロフィールやメールの差出人には、自分が呼ばれたい代名詞を書かなければならなくなった―― "she/her" とか "he, him, his" とかと。
こんなもの「他認される」性でいいではないか。
時として、私は「彼女」「貴女」と呼ばれるときがある。それはそれで嬉しい。一方、「彼」と呼ばれても、まあ、どうとも思わない。好きなように呼んでくれたらいい――どうせ何が変わるわけでなし。
二〇二一年の十月、アメリカ国務省は「ノンバイナリー」のパスポートを発行した。今までは「男」か「女」しかなかったのが、「その他」を可能としたのだ。
五月には、アメリカ・デューク大学のジョン゠スタッドン教授が、アメリカ心理学会の電子メールディスカッションから外される。スタッドン教授は、このディスカッションの中で「性別が二つしかないというのは誤り? 根拠は何ですか? Z染色体はあるのですか?」と発言したのだ。それに対して苦情が寄せられたためだという。
十一月には、アメリカ・ニューハンプシャー州の学校で、「性別は二つしかない」と発言した生徒が部活動停止の憂き目に遭った。
なお、ここで挙げた例は、辛うじて性別の範疇に留まる事例だ。ところが、世の中には性別以外のものまでトランスしている人がいる。
ステフォンクニー゠ウォルシュトは、トロント市に住む五十二歳のカナダ人男性である。だが、四十六歳のときに越境性差の「女の子」であることに気づく。結果、妻と子供からは「出て行け」と言われて別離、二度の自殺未遂と路上生活を経験した。
しかし、やがて理解のある老夫婦の元に引き取られ、「八歳の女児」として暮らし始める。おしゃぶりを咥え、老夫婦の孫娘と人形遊びをして過ごす日々。ところが孫娘が「私がお姉ちゃんになりたいから」と言ってきたため、一年前から「六歳」となってしまった。
六歳児を自認したことについて、ステフォンクニーはインタビューで正直に答えている。曰く、ただの「トランス女性」では、結婚したことも子供ができたことも否定できないからだという。
また、二〇二二年の五月十一日の「しんぶん赤旗」には、早乙女香織という「トランス女性」党員のインタビュー記事が載っていた。
「胸のあたりまで伸ばした金髪にカラフルな色で編んだネックレス。澄んだ目で楽しそうに話す姿が印象的な、早乙女香織(さおとめ・かおり)さん(40代)=川崎市=。」
「早乙女さんの中には、幼い頃からもう一人、17歳の女性がいます。父親から頻繁に『男は男らしくハキハキ話せ』などと言われて育ちました。反論したくても言えないとき、その女性が出てきて父親に反論してくれました。」
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/contemporary.png?id=0dd465581c48dda76bd4)
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/horror.png?id=d742d2f035dd0b8efefe)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる