6 / 106
仮名の告白
5.当事者とは無関係に広まった「LGBT」。
しおりを挟む
「LGBT」という言葉が広まりだした頃と、私の病気が寛解した頃はおよそ一致する。
病気の最中から男性と関係を持っていた。スマートフォンの光や深い夜の暗闇の中を通じて彼らとは出会った。そうして、何人もの男性が私の身体を通り過ぎてゆく。
騙されて弄ばれたり性加害に遭ったりしたことも一度や二度ではない。精神障碍のことで私を差別したのも男性だ。結果、私の男性嫌悪は病的になる――彼らと同じ身体を持つことへの嫌悪感が極端に強まったのだ。
私の性器は血を流さない――しかし、これを切り取ったなら血は流れるはずだ。そうは思ったものの、実際に切り刻むことはなかった。
そんなわけだから、私はゲイが好きではない――私自身も広義のゲイでありながら。
寛解後は女性とも恋愛し、化粧も学んだ。結果、私の女装の技術は飛躍的に上昇する。
「LGBT」という言葉は完全に忘れていた。
そんな中、「結婚と同じ効力を持つパートナーシップを渋谷区が作った」というニュースが流れてくる。
唐突なことだった。このままでは同性婚も認められるのではないか――そんな一抹の不安を感じた。しかし、パートナーシップに賛成していたのは私だ。ならば、これは喜ぶべきことなのか。
このパートナーシップだが、知人のゲイと話題にしたことはない。加えて言えば、「LGBT」という言葉を彼らから聞いたことも皆無った。同性婚を欲しがっているゲイも当時は見たことが皆無ったのである。
同じころ、まとめサイトで妙な漫画が取り上げられていたのを覚えている。
「LGBTの高校生が実際に受けた差別」を描いた漫画だった。
主人公のゲイは、「ホモは消えてほしい」という友人の発言や「ゲイだと思われたくない」という教師の発言に傷ついていた。しかし、「ゲイが身近にいること」をみんなに知ってほしいと強く感じる。なので、「I'm Gay」と大きく書かれたTシャツを着て登校した。結果、激しい苛めを受けるという内容だった。
これだけでも変なのだが、続く漫画も変だった。
主人公のレズビアンは、「同性愛者は不道徳で不自然な存在」と学校で教えられて傷つく。しかし、保健室の教師に相談したところ、「同性愛のことは知らないから答えられない」と言われてしまう。しばらくして、同性愛者の人権について作文を書き、コンテストに応募した。ところが、「この学校が悪く言われる」と教師から批判される。
ちなみに、それは渋谷区・世田谷区のパートナーシップがニュースになった頃のことだという。
――どういった人がこの漫画を描いたんだろう。
そう思い、元のサイトへとアクセスした。
途端に私は真顔となる。
【問題のサイト】
https://www.hrw.org/report/2016/05/05/nail-sticks-out-gets-hammered-down/lgbt-bullying-and-exclusion-japanese-schools
実際にアクセスすれば分かるが、原文は英語だ。ただし、言語を「日本語」にすれば、漫画のセリフも記事の内容も日本語に翻訳される。
私がアクセスしたのは、ヒューマン゠ライツ゠ウォッチというアメリカの人権団体のサイトだった。漫画が使われているのはこのページだけだ――恐らく「日本=漫画」というイメージだからだろう。
つまり、こんなデタラメな内容が、「日本での同性愛者差別の実態」として英語で発信されているのだ。
漫画と言えば、『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』という漫画も引っかかった。
『北欧女子』は、スウェーデン出身のオーサ゠イェークストロム氏が描いたエッセイ漫画だ。漫画自体は私も好きなのだ。しかし、日本のゲイバーを訪れた話で、少しばかりの違和感と共感を抱いた。
そのゲイバーの店長は、「俺は同性婚には全く興味がないけど、次世代の子供たちは同性婚が欲しいかもしれない」という理由で、同性婚を推進する運動を行なっているという。「全ては子供たちのためです」という言葉に、オーサ氏は感動していたようだ。
(その漫画は以下のページで読むことができる)
https://www.lettuceclub.net/news/article/104984/i582427/
――ちょっと待て。
この人はゲイバーの店長である。私より多くの同性愛者に出会っているのだろう。それなのに、同性婚を求めている人は、彼の周りにさえいないのか。
ただ、次のページに載せられている漫画には共感した。
そのゲイバーの店長は、「LGBT」という言葉には違和感があるという。
「私は男が好きなだけで、別に苦労してないから、ゲイとしてマイノリティだと感じたこともないし、『LGBT』で一緒くたにして、性を変えたい人とかを平等にとりあげてないから、ちょっと失礼かなと思う。」「『キャリアウーマン』とか言いながら、実際には未婚女性を下に見てるのと同じように、『LGBT』は都合のいい言葉だよ」(読点は引用者)
(その漫画もここで読むことができる)
https://ameblo.jp/hokuoujoshi/entry-12682774939.html
このとき、日本の同性愛者の姿と「LGBT」は既に乖離していた。
大島薫への誹謗中傷の件を知ったのもこの頃だ。
大島薫は女装男子である。ホルモン治療も手術もしていないが、女性にしか見えない。しかも美人なので絶大な人気がある。私にとっては「憧れの先輩」のような人だ。
ところが、大島は、自らの性的指向を「趣向」「性癖」と表現したことでバッシングを受けたという。
大島は次のように述べた。
「かつて非難されていた少数派が多数派を攻撃する世の中になってきている気がする。頭では理解できても心では理解できない人がいるのは仕方ないこと。言いたいことが言えない痛みを知っている当事者らが、自ら他人の『言いたいこと』を言えなくしているのはいかがなものか。」
イギリスで起きた事件についても知った。
越境性差の身体的男性が刑務所で女性を暴行したのだ。暴行犯の名前はカレン゠ホヮイト。女性への性暴行で何度も逮捕された人物である。しかし、心は女性だというので女子刑務所に収監されていた。結果、起きた事件だ。
なぜこんな奴を女子刑務所に入れたのか――英国人の考えることは分からんと思った。
やや時が経ち、「LGBTに生産性はない」と政治家が発言したらしいというニュースが流れてくる。それについては、「昭和な人がいたもんだね」としか思わなかった。私の知り合いのゲイも誰も言及していない。
私の性的指向と政的指向は全く無関係だった。
というより、性的特質は私のごく一部分であって、私の全てではない。そんなことよりも、当時の私にとっては日韓関係のほうが大切だった。韓国には私の大切な友人がいる。しかし、その前年、日韓関係は破局の一歩手前まで来ていた。
その頃の私は、あるサイトで嫌韓を相手に舌戦を繰り返していた。そんな中、一人のコテハンが「LGBTが広まっているのはユダヤの陰謀だ」「しばき隊が虹色の旗を持ってゲイパレードに参加している」と主張する。
突拍子もないことで笑ってしまった。
それにしても、ゲイパレードなど日本でも行われているのだろうか。
そう思い、検索してみた。
出てきた画像を見て、私は凍り付く。
それは日本で行われたゲイパレードの様子だった。
股間がもっこりした虹色のブリーフを着けている以外は裸のゲイたちが徒党を組んで街を歩いていたのだ。首輪と鎖をつけた裸の男、何かのアニメキャラのコスプレをした女装男、化物みたいな厚化粧をして脚を露出させた女装俳優もいた。
――何だこれは。
何なのだこれは。
何を思ってこんな格好をしたのだろう? パレードのテーマは「プライド」らしいが。
病気の最中から男性と関係を持っていた。スマートフォンの光や深い夜の暗闇の中を通じて彼らとは出会った。そうして、何人もの男性が私の身体を通り過ぎてゆく。
騙されて弄ばれたり性加害に遭ったりしたことも一度や二度ではない。精神障碍のことで私を差別したのも男性だ。結果、私の男性嫌悪は病的になる――彼らと同じ身体を持つことへの嫌悪感が極端に強まったのだ。
私の性器は血を流さない――しかし、これを切り取ったなら血は流れるはずだ。そうは思ったものの、実際に切り刻むことはなかった。
そんなわけだから、私はゲイが好きではない――私自身も広義のゲイでありながら。
寛解後は女性とも恋愛し、化粧も学んだ。結果、私の女装の技術は飛躍的に上昇する。
「LGBT」という言葉は完全に忘れていた。
そんな中、「結婚と同じ効力を持つパートナーシップを渋谷区が作った」というニュースが流れてくる。
唐突なことだった。このままでは同性婚も認められるのではないか――そんな一抹の不安を感じた。しかし、パートナーシップに賛成していたのは私だ。ならば、これは喜ぶべきことなのか。
このパートナーシップだが、知人のゲイと話題にしたことはない。加えて言えば、「LGBT」という言葉を彼らから聞いたことも皆無った。同性婚を欲しがっているゲイも当時は見たことが皆無ったのである。
同じころ、まとめサイトで妙な漫画が取り上げられていたのを覚えている。
「LGBTの高校生が実際に受けた差別」を描いた漫画だった。
主人公のゲイは、「ホモは消えてほしい」という友人の発言や「ゲイだと思われたくない」という教師の発言に傷ついていた。しかし、「ゲイが身近にいること」をみんなに知ってほしいと強く感じる。なので、「I'm Gay」と大きく書かれたTシャツを着て登校した。結果、激しい苛めを受けるという内容だった。
これだけでも変なのだが、続く漫画も変だった。
主人公のレズビアンは、「同性愛者は不道徳で不自然な存在」と学校で教えられて傷つく。しかし、保健室の教師に相談したところ、「同性愛のことは知らないから答えられない」と言われてしまう。しばらくして、同性愛者の人権について作文を書き、コンテストに応募した。ところが、「この学校が悪く言われる」と教師から批判される。
ちなみに、それは渋谷区・世田谷区のパートナーシップがニュースになった頃のことだという。
――どういった人がこの漫画を描いたんだろう。
そう思い、元のサイトへとアクセスした。
途端に私は真顔となる。
【問題のサイト】
https://www.hrw.org/report/2016/05/05/nail-sticks-out-gets-hammered-down/lgbt-bullying-and-exclusion-japanese-schools
実際にアクセスすれば分かるが、原文は英語だ。ただし、言語を「日本語」にすれば、漫画のセリフも記事の内容も日本語に翻訳される。
私がアクセスしたのは、ヒューマン゠ライツ゠ウォッチというアメリカの人権団体のサイトだった。漫画が使われているのはこのページだけだ――恐らく「日本=漫画」というイメージだからだろう。
つまり、こんなデタラメな内容が、「日本での同性愛者差別の実態」として英語で発信されているのだ。
漫画と言えば、『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』という漫画も引っかかった。
『北欧女子』は、スウェーデン出身のオーサ゠イェークストロム氏が描いたエッセイ漫画だ。漫画自体は私も好きなのだ。しかし、日本のゲイバーを訪れた話で、少しばかりの違和感と共感を抱いた。
そのゲイバーの店長は、「俺は同性婚には全く興味がないけど、次世代の子供たちは同性婚が欲しいかもしれない」という理由で、同性婚を推進する運動を行なっているという。「全ては子供たちのためです」という言葉に、オーサ氏は感動していたようだ。
(その漫画は以下のページで読むことができる)
https://www.lettuceclub.net/news/article/104984/i582427/
――ちょっと待て。
この人はゲイバーの店長である。私より多くの同性愛者に出会っているのだろう。それなのに、同性婚を求めている人は、彼の周りにさえいないのか。
ただ、次のページに載せられている漫画には共感した。
そのゲイバーの店長は、「LGBT」という言葉には違和感があるという。
「私は男が好きなだけで、別に苦労してないから、ゲイとしてマイノリティだと感じたこともないし、『LGBT』で一緒くたにして、性を変えたい人とかを平等にとりあげてないから、ちょっと失礼かなと思う。」「『キャリアウーマン』とか言いながら、実際には未婚女性を下に見てるのと同じように、『LGBT』は都合のいい言葉だよ」(読点は引用者)
(その漫画もここで読むことができる)
https://ameblo.jp/hokuoujoshi/entry-12682774939.html
このとき、日本の同性愛者の姿と「LGBT」は既に乖離していた。
大島薫への誹謗中傷の件を知ったのもこの頃だ。
大島薫は女装男子である。ホルモン治療も手術もしていないが、女性にしか見えない。しかも美人なので絶大な人気がある。私にとっては「憧れの先輩」のような人だ。
ところが、大島は、自らの性的指向を「趣向」「性癖」と表現したことでバッシングを受けたという。
大島は次のように述べた。
「かつて非難されていた少数派が多数派を攻撃する世の中になってきている気がする。頭では理解できても心では理解できない人がいるのは仕方ないこと。言いたいことが言えない痛みを知っている当事者らが、自ら他人の『言いたいこと』を言えなくしているのはいかがなものか。」
イギリスで起きた事件についても知った。
越境性差の身体的男性が刑務所で女性を暴行したのだ。暴行犯の名前はカレン゠ホヮイト。女性への性暴行で何度も逮捕された人物である。しかし、心は女性だというので女子刑務所に収監されていた。結果、起きた事件だ。
なぜこんな奴を女子刑務所に入れたのか――英国人の考えることは分からんと思った。
やや時が経ち、「LGBTに生産性はない」と政治家が発言したらしいというニュースが流れてくる。それについては、「昭和な人がいたもんだね」としか思わなかった。私の知り合いのゲイも誰も言及していない。
私の性的指向と政的指向は全く無関係だった。
というより、性的特質は私のごく一部分であって、私の全てではない。そんなことよりも、当時の私にとっては日韓関係のほうが大切だった。韓国には私の大切な友人がいる。しかし、その前年、日韓関係は破局の一歩手前まで来ていた。
その頃の私は、あるサイトで嫌韓を相手に舌戦を繰り返していた。そんな中、一人のコテハンが「LGBTが広まっているのはユダヤの陰謀だ」「しばき隊が虹色の旗を持ってゲイパレードに参加している」と主張する。
突拍子もないことで笑ってしまった。
それにしても、ゲイパレードなど日本でも行われているのだろうか。
そう思い、検索してみた。
出てきた画像を見て、私は凍り付く。
それは日本で行われたゲイパレードの様子だった。
股間がもっこりした虹色のブリーフを着けている以外は裸のゲイたちが徒党を組んで街を歩いていたのだ。首輪と鎖をつけた裸の男、何かのアニメキャラのコスプレをした女装男、化物みたいな厚化粧をして脚を露出させた女装俳優もいた。
――何だこれは。
何なのだこれは。
何を思ってこんな格好をしたのだろう? パレードのテーマは「プライド」らしいが。
10
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/contemporary.png?id=0dd465581c48dda76bd4)
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/horror.png?id=d742d2f035dd0b8efefe)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる