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仮名の告白

4.本当にマイノリティだった時期

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十八歳から二十一歳までのあいだの出来事は多くを語りたくない。あまりにも珍事が多く、伏せるしかないことが多い。それを避けても、語るべきことがある――後に語ることに深く結びつくのだから。

端的に言えば、私は統合失調症に罹った。

治った後は、家族以外の人間関係が消失していた。

十八歳から二十歳の頃までは強迫性障碍と診断されていた。つまり、不快な観念が頭の中に執拗に浮かんでくる病である。私の場合は、自分が死ぬときの光景と皮膚病のイメージが執拗に思い浮かんだ。自分の意思とは関係ない――まるで蝿の群れが身体にたかるかのようだ。そのたびに、脳髄が沸騰したような感覚に襲われた。

そんな中で私は地元を離れた。

それは、同性愛者と会う機会を得たことだが、最悪の選択でもあった。

同時に、「日本は民主主義を廃止しなければならない」「妊娠すると色盲になる」という考えに取りつかれていた。今から考えると無茶苦茶な理屈なのだが、ともかくも私はそれを信じて、周囲を説得させようとしていたのである。

だが、強迫性障碍という病気さえ理解してくれる人は少なかった。

ある人からはこう言われたことがある。

「コンプレックスばかり持ってるから簡単なこともできないんだよ。」

首を傾げるしかなかった。

「コンプレックスって何ですか?」

「へーぇ、鬱病のことはコンプレックスじゃなかったのね。」

驚愕した。相手は学識のある人だったはずなのに、なぜこんなことを言うのか。

「鬱病じゃなくて強迫性障碍です。」

「鬱病は色々な種類があるらしいからねえ。けど、『俺は何で鬱病になったんだ』なんてツイッターに書いたらみんな退いちゃうよねえ。」

当然、「鬱病」とも「俺」とも書くわけがないのだが。

あの当時は「新型うつ病」というものがマスメディアに取り上げられていた。それが偏見を広めたのだ。しかし、「新型うつ病」という病気は存在せず、そんな病名で診断書を書く医師はいない。

私の目に映る景色は、まるで色あせたフィルム写真のように変化してきた。知らず知らずのうちに、自分が元いた世界とは違う世界へ移動したかのようである。

自分の考えをいくら他人に伝えようとしても無駄だった。周囲の人は、言葉尻を捉えて私を批難しているとしか思えなかった。「左翼」という言葉をたまたま遣うと、「左翼とか右翼とか、何、変なこと言ってんの?」と言われたが、私にとって、なぜそこに反応されるのか不可解だった。

アルバイト先の店長に説明しても同じだ。「強迫性障碍は不快な観念が浮かんでくる病気で――」と言っても、「そりゃ暇だからなるんやで」と返された。

あまりにも私が無能だったので、そのアルバイトは解雇される。

履歴書の通院履歴に心療内科の名前を書いて、別のアルバイトの面接へ行った。すると、「うちには大切な物があるから、パニックを起こされると困る」と面接官に言われた。「そういう病気じゃありませんよ」と説明したのだが、「いや、パニックを起こして暴れられると、被害を出すのはこっちなんですよ。なので今回はご遠慮ください」と返されてしまった。

差別とは何であろう。

後に、私の病名は統合失調症に変わる。統合失調症であっても、パニックを起こして暴れ出すわけではない。しかし、もし私が採用されたとしても、無能であったことは明らかだ。つまり、あの言葉は偏見だったにしても、「結果的に」面接官としては正しい選択をしたのである。

理容室に行く途中の道に、ある看板が掲げられていたのを覚えている。そこには、精神障碍者の職業訓練施設が近所にあることが書かれ、「街殺し! 人殺し!」と大きく書かれていた。

こうなると、様々なことに気が立ってくる。「障がい者」という表記を目にするたびに、「お前には『害』の字でさえひらがなで充分だ」と言われているような気がした。

強迫性障碍の症状は十九のときに収まる。

ようやく病気が治ったと思っていたのだが、奇妙な思想には取りつかれたままだった。周囲とのズレも変わりない。

それどころか、文章を読むことすら難しくなっていた。そもそも行に視点を合わせられない。苦労して読んでも理解できず、何度も同じ行を繰り返した。

だが、いわばそこが病気の山だった。

自分がおかしいことに徐々に気づいてきた私は、これらの経験を主治医に打ち明けたのである。

「ぶっちゃけー、それー、統合失調症ですねー。」

それが診断だった。

後に考えれば、統合失調症の典型的なパターンを私は辿っていた。

統合失調症の多くは二十歳前後に発症し、前駆症状として「強迫」が現れる場合もある。一説によれば、強迫性障碍と統合失調症は発症要因が同じだという。言うなれば、強迫性障碍で浮かんでくるイメージと現実との区別がつかないのが統合失調症だ。

ただし私の統合失調症は軽症だったので、幻聴も幻視も「恐らく」なかった。あったとしても、現実と区別がついていなかっただろう。

統合失調症だと診断されたあと、このことをメールで父に報告した。

やがて返信が来る。

「お前も僕と同じだと思ったよ。お前は統合失調症じゃなくって、僕と同じアスペルガーだと思うよ。」

統合失調症の診断に次ぐ衝撃が奔った。

同時に、様々なことに辻褄が合ったのも事実である。

アスペルガー症候群は知的障碍のない自閉症だ。アスペルガー症候群から古典的自閉症までの諸症状は「自閉症連続体スペクトラム障碍」(ASD)と呼ばれる。

アスペルガー症候群の主な特徴は、「他人の感情や場の空気を読み取れないこと」「興味の対象が狭く、特定の物事に拘ること。それを繰り返すこと」「特定の臭い・感触・光・音などに敏感であること」などだ。

裏表がない子供だと言われてきた。そもそも、建前に隠された本音があると理解できないのだ。他人が取るコミュニケイション方法を見よう見まねで習得し始めたのは、成人後のことである。

昨年のこと――重度の発達障碍を抱えたMtF(男→女)と話した。彼女は、小学校に入っても「トイレと水道の区別がつかなかった」という。それはどういうことかと尋ねても、要領を得ない言葉が続いた。

「具合の悪い発達障碍は統合失調症と区別つきませんよ。」

そう言ったのは、発達障碍を持つ児童と関わる仕事に就いている両性愛女性だ。

「つまり、『水が流れるもの』という点でしかその子はトイレを理解できなかったんですよ。」

発達障碍については長いあいだ検査しなかった。統合失調症の治療で当時は精いっぱいだったので、発達障碍について主治医に言えなかったのだ。

約十年ぶりに心療内科を訪れたのは、二〇二三年の二月である。そうして、発達障碍の検査を申し込んだ。結果、三月末日に、自閉症連続体スペクトラム障碍の診断が正式に下りる。加えて、注意欠陥゠多動性障碍とも診断された。障碍は一つではなかったのだ。

一方、あの症状が今は寛解したことを考えると、やはり統合失調症でもあったのだろう。

寛解して以来、「普通の人であること」を獲得しようとは努力してきた。だが、他人との距離感は今も掴みづらい。
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