「LGBT」というレッテルを貼られて。

千石杏香

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仮名の告白

1.曖昧だった境界

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性別の自己意識が曖昧な――小さな子供のような状態が続いている。

私は男性だ。しかし男性が苦手である。嫌いだと言ってもいい。

一方、男性にも恋をする。

ある両性愛女性からは、「千石さんは男性が嫌いというより、怖いんだと思いますよ」と言われた。そうなのかもしれない。私にとって「男性」とは、何か気味の悪い「集団」なのだ。

一九九三年に私は生まれた。

家族は六人――祖母と伯母と母と父と私と妹である。父は家を空けることが多かったので、「母」という漢字がつく三人に兄妹は育てられた。つまり、大人の男性と密接な関係がなかったのだ。

男性嫌悪がいつから強まったのかは定かではない。

子供の頃は、そんな感情はなかった。むしろ、「身体以外の差異」が男女にあると気づかなかったほどだ。なので、いずれかは自分も男性を好きになるような予感があった――多くの人が、いずれかは異性を好きになると子供時代に予感したように。

髪形や服が男女で違うことが違和感だった。

私は中性的な容姿をしている。子供の頃は女子とほぼ変わりがなかった。なので、女子の服を自分が着たら似合うはずだと思い続けた。

中性的な容姿に生まれたことと、特殊な性的体質を持っていること、そして様々な精神疾患を抱えていること――と気づいたのは二十代も終わりの頃だ。

私の性的特質と障碍は密接な関係を持っている。

特定の音や臭いに異様な嫌悪を感じる――マジックテープのはがれる音・シイタケを煮る臭い・大人の男性が怒鳴る声や犬の吠える声など。

男性の怒鳴り声は、遠くから聞くだけでも恐怖を感じる。威圧されるだけでも、次にやってくるかもしれない怒声や暴力に怯えてしまう。触れられたり馴れ馴れしくされたりすることも、(私が許さない限りは)異様な不快感を覚える。男性から受けた高圧的な態度や怒鳴り声は、何年経とうと、生々しく何度もフラッシュバックする。

逆に好きなのは、古跡と自然とが調和した空間だ。往時の人々が作った物・遺した物――それらが、昔からある草花と共に景色を作っていると、意識がないまま生き続ける何かを感じる。

小学二年生の時――忘れられない経験をした。

図書室で、聖徳太子の生涯を描いた歴史漫画を読んでいたのだ。すると、蘇我馬子と物部守屋が仏教を弾圧するシーンが出てきた。禿頭の尼が三人、全裸にされ、馬小屋で四つん這いにされて、公衆の前で鞭を打たれていたのだ。

胸が異様なほど高鳴って、そのシーンは二度と忘れられなくなった。

尼の身体に昂奮したのではない。なぜか、自分がそうなりたいと思った。夜に寝ようとするときも、そのシーンは頭に浮かんだ。馬小屋に並べられた尼は、自分と取って代わっていた。

興味のあることにしか興味を持たない子供だった。

勉強はできない。様々な色や音・動きに気を取られ、黒板を注視できないのだ。気づいたら教室を抜け出して校舎を探検しており、クラスメイトが総出で探していた有様である。

教室で学ぶべきことは、図書室や図書館で学んだ――社会の仕組みも、科学に関することも、歴史も。私にとって授業とは、既に知っていることを聴かされるか、うわの空になっているかのどちらかだった。

「友達が朗読しているときに、どこを見てるんですか」と叱られたことがある。そのとき朗読していたのは親しくない人だったので、「友達じゃありません」と言ったら、なお怒られた。

「授業中に何を考えているんだ」とよく叱られた。すると、思いつくことが百個くらいできてしまう。しかも、何から説明したらいいか分からない。なので、押し黙るか、取り留めのない言葉を詰まりながらしゃべった。

うっかりすることが多く、忘れ物も多い。

一方で、妙なことには拘った。

例えば「4」という数字を見ると、「3」という数字を見なければ気が済まない。「4」は死に通じる。だが「3」を足せば、「7」という縁起のいい数字になる。もし「3」ではなく「5」を見た場合は、足せば「9」(苦)になるので、「8」を見て「17」にしなければならない。

当然、かなりの変わり者だったので、男子から苛められることもあった。

私は人を殴ったことがない。殴られてもやり返せないのだ。それは「やってはいけないから、やってはいけない」のである。なので、自分より力が弱い者からも殴られるしかない。

それでも、苛めに発展しない限りは、友達は少なくなかった。

だが、男子との話題はしばしば途切れる。

教育漫画を除けば、漫画やアニメは、妹が見ていたものばかりを見た。小学二年生以降、テレビゲームは興味を失って全てやめる。男子向けのアニメや漫画、特撮ヒーロー番組も見なかった。ラジコンやロボットにも興味がない。なので、このことで男子と共通の話題はなかった。

私が好きな漫画を友人に勧めたところ「女もんだら」と一蹴される。なぜそう言われるのか分からなかったし、「女物」という言葉の意味も分からなかった。

一方で、中学年、高学年と、段階を経て女子たちの輪から私は外される。しかし、その意味が分からなかった――「おちんちんがあるのが男で、ないのが女」という以上の意味が、「男」「女」にあると気づかなかったのだ。

女子は女子と、男子は男子と強い仲間意識を持つらしいと気づいたのは、小学校を卒業する頃だ。目に見えない「性別」の概念から私は取り残された――今でも付いて行けない部分がある。

父は、「男らしく」私を育てたがっていたようだ。しかし、「男らしい」という概念が私には分からなかった。なので、「もっと男らしいものを」「男なら」などと言われるたびに困惑した。

目に見えず、興味がないものは見えない。だが、目に見える性差は見えていた。

少女漫画などには、女装した少年もよく出てくる。そのたびに、自分も女装したら、彼らと同じようになれるはずだと思った。だが、何かを着たいと積極的に言う子供ではなかった。妹の服を着ることも出来ただろう。だが、それは「やってはいけないから、やってはいけない」のだ。

何かが大きく変わるのは中学の頃――制服を着せられ、髪を短くさせられ、男らしくという父の態度が強硬になった頃だ。「身体以外の性差」は有形無形に強まったものの、私は困惑させられるばかりだった。

一方、女子に対して初めて恋もする。

幼稚園の時から彼女は知っていた。それが私とは違う存在になっている。彼女と私のあいだには厚い隔たりがある。それを象徴するのが制服や髪型だ。

一方、予想どおり、男性に惹かれることにも気づき始めた――リアルで知る男性にはまだなかったが、ドラマや漫画に登場する武将や軍人などには明確に感じた。(本格的に私が男性を好きになったのは、同性愛者と多く会うようになってからだ。)

しかし、私が惹かれる男性は、男性でありながら異性だった。

男性に惹かれるときと、女性に惹かれるときでは感覚が違う。男性には、力強さと行動力に惹かれる。女性には、高貴なものを尊ぶような感情が浮かぶ。それぞれ違う感情が浮かぶときの自分も、違うもののように感じられた。

私は――私が理解できなかった「身体ではない性差」を、男性に惹かれるときと女性に惹かれるときの感覚の違いによって理解しようとし始めていた。

自分が「男性のまま」男性を愛するというイメージはなかった。つまり、「男性でありながら女性であるもの」として男性を愛する気がしたのだ――少女漫画に出てきた女装男子のように。

一年遅れて、妹が中学に進む。

幼い頃から感じてきたことに確証を持ちたかった。

その日――恐らく、家には誰にもいなかったのだろう。まだ日の高い頃、妹の制服を持ち出して母の鏡台の前に立った。そして、制服を着てみたのだ。

鏡を覗き――驚いた。

少年だったせいもあるが、ほぼ女子に見えたのだ。

鏡の中の自分は、間違いなく、「男であると同時に女であるもの」だった。

瓶の中に泥水を入れて放置すると、水と砂とが分かれてゆく。それと同じように、私の中で曖昧だった何かが固まった。
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