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番外編
伯爵、最後の夜 ⑥
しおりを挟む生まれたときから傍にいるアイロニー家の双子は、舶来人形のように美しく愛らしい。金の髪は陽の光のように輝きを放ち、透き通った緑と青の瞳は対の宝石のよう。肌は磁器のように内側から淡い光を帯びる白さ。何より笑顔が愛らしかった。
彼らは、テオドールの宝物だ。
「テオ。私が呼んだら、ちゃんとフロウってかえしてね」
「けれどおじょうさまを、なまえで呼んじゃいけないって」
数日前、テオドールは両親に注意されたのだ。仕える主達に近すぎると。
「どうして? テオは私が好きでしょう? 私もテオが大好きなの。好きな人のことは、とくべつななまえで呼ぶのよ」
幼いフローレンスは青い瞳をきょとんとさせて、不思議そうに首を傾げる。
「……フロウおじょうさま」
「ふふっ! しかたがないから、それでゆるしてあげる」
「ねえ、僕は?」
横からガーシュが二人の間に潜り込み、緑の瞳を輝かせた。
「ガーシュのことも、もちろん大好き!」
明るい声でフローレンスが笑う。
テオドールも二人が大好きだった。三人でずっと一緒ならいいのにと、思っていた。
・・・・・・・・・・
「んんっ……」
うつ伏せのフローレンスが、肩への口づけに声を零す。
けれど睡魔と疲労には勝てなかったようで、そのまま規則正しい寝息をたて始めてしまった。
無理もない。場所を寝室に移し、テオドールに散々貪られたのだから。
夜が明けて朝の青に入れ変わっても、揺り起こさなければ容易には目覚めないだろう。
テオドールは白い背に散った赤い口づけの花を眺め、出来映えに満足の溜息を吐いた。
「フロウお嬢様」
目覚めない主に囁く。
「私は貴女が好きです。愛しているんです。伯爵でも、令嬢でも、そうでなくても何だって。ずっと傍に置いて頂けるなら、貴女の輿入れだって笑顔でお供を出来たのに」
テオドールは従者だ。心を殺すのは、生まれたときから慣れている。フローレンスは、最初から結ばれるはずのない相手。
ちゃんと、分かっている。
だからせめて。
例えば彼女が、男装したまま伯爵として偽りの花嫁を娶っても。本来の伯爵令嬢として、どこかの紳士に嫁いでも。すべてを失って、たった一人になったとしても。
テオドールはフローレンスの傍に居られるなら、何だってよかった。
けれど、フローレンスはテオドールを捨てようとした。
彼とはお別れだと決めつけて。
彼女の想像する将来に、従者テオドールはいなかった。
抑えていた欲が、身の内から溢れる。
従者ではない。男としての欲望のままに思う様貪り、彼女の純潔を散らした。
一度味わった甘美な宝物を、一体誰が手放せるだろうか。テオドールはもうただの従者には戻れない。傍を離れるつもりはないし、きっとまた、フローレンスを貪るだろう。
眠るフローレンスの柔らかな金の髪を梳く。
男装伯爵に、髪を必要以上に伸ばすことは許されなかった。だから彼女の金の髪は、女にしては短すぎ、男にしては少しだけ長い。
この髪がもう少し伸びたら、彼女はテオドールを『テオ』と呼んだ幼い日の出来事を、思い出してくれるだろうか。
◆◆◆
「何もかも、そのままなのね」
フローレンスは殆ど変わらぬ執務室の姿に、青い瞳を瞬いた。
声がわずかに震える。きっと瞳が潤むのは、差し込む日差しが眩しいからだ。
「全て、とはいきませんでした。申し訳ありません」
今日も隙のない仕立て服に身を包んだテオドールが、フローレンスに頭を下げた。
フローレンスは必死に首を振る。漸くゆるく纏め上げられるようになった金の髪。その遊ばせた毛先が、彼女のドレス飾りと一緒にきらきらと揺れる。
フローレンスが伯爵ではなくなって、二年が経った。
あの晩の翌日。
前日の乱れようなど無かったみたいに、テオドールは当たり前の顔をしてフローレンスの新居に立っていた。解放しようと思ったのに、篭を開け放って逃がしたはずの鳥は、勝手に新居に居ついてしまった。
目の前の男の無体のせいで、震える脚で立っていたフローレンスは、うっかり叱るのを忘れ、彼の居座りを許してしまった。そもそも、嫌いになって手を離したわけじゃないのだ。
伯爵であった頃と何も変わらず、テオドールはフローレンスの着付けをし、雑務を片づける。女のドレスの着付けを、彼は難なくこなすのだ。侍女と従者と執事の役目を一人で引き受け、そのくせ給金は受け取ってはもらえなかった。
代わりに、時々あの晩のように淫らに抱かれた。
その時だけ、「テオ」と呼んでほしいと、彼は望みを口にする。
「叔父様には、随分ふっかけられたでしょう」
フローレンスの世話以外に、自ら始めた事業を動かしているのは知っていた。
けれど、これには気づいていなかった。
「そうでもありません。あの方々には、フローレンス様程の才覚はありませんから」
テオドールの言葉に溜息を吐く。
叔父と異母弟の裁判はまだ続いている。
泥沼の家督争いを続ける今のアイロニー伯爵家は、大衆新聞を賑わせるいいカモだ。女だと公表したフローレンスがかすみ気味になってしまうくらい。尤も、彼女がそんなに取り上げられないのは、貴族ではなくなったからだろう。
「きっと今年の給金が払えそうになかったのね」
「領地の税を上げるよりは、賢明な判断です」
そう仕向けた男が、表情も変えずに言う。内情に関しては、きっと領主館の彼の父や、元部下たちが情報源だろう。彼らの給金は大丈夫かと聞けば、「今のところは」と返事が返ってくる。もう一度、フローレンスは首を振った。
どうも叔父と異母弟、どちらが継いでもアイロニー伯爵家の未来に立ちこめた暗雲は晴れそうにない。
けれどフローレンスの気持ちは、今日の空のように晴れやかだ。
「ここが貴方の持ち物になったのなら、置いてもらうには、私はテオドールの使用人になればいいのかしら」
このタウンハウスはフローレンスの想いの詰まった場所。それを、テオドールが買い直してくれた。内装も使用人も殆どそのまま。あのツルバラのソファだってある。
二年前のあの夜からその計画だったのだ、と。テオドールが席を外した隙に、メイド頭が教えてくれた。
「まさか! フローレンス様はずっと私の主です。ここは、最初からずっとフローレンス様の物です」
慌てたように言いつのる男に、笑いかける。
「ねえ、テオ。知っている? 好きな人のことは、特別な名前で呼ぶものなのよ」
「――ええ。昔、貴女に教えて頂きました。フロウお嬢様」
テオドールが掠れた声で応じる。
やっと思い出した。
幼い自分が、彼を愛称で呼んだ理由。
そして思い至った。
彼が褥で『テオ』と呼んでほしいと願う理由。
「日の下でも、二人きりでもそうでなくても。これからずっと、貴方をテオって呼んでも良いかしら」
簡単なことだった。勝手に気持ちを斟酌する前に、素直に聞くだけで良かったのだ。
「フロウ」
気が付いたら、逞しい腕に苦しいほど抱きしめられていた。苦しいのに安心して、泣きたくなるほど満たされる。
「テオ、好きよ。貴方が大好き」
好き、と口に出してみたら、あの頃と同じ幸福な心地がした。
「愛しています、フロウ」
声を詰まらせ泣き笑いの様な顔をしたテオドールの黒い瞳は、もう翳ってなんていない。
フローレンスは幸福な心地のまま、大好きな人の背に腕を回した。
おしまい
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