オープンシーズン ~妖精姫は今日も預かりの騎士にいたずらを仕掛ける~

アルカ

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本編

28 お風呂

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 結局抱えられたまま玄関ホールを通り抜け、ぐんぐんと屋敷の奥まで運ばれる。
 明るい浴室はもうもうと湯気で満たされていた。

「お風呂?」
「大事な日の前に風邪を引いては大変だ。ゆっくり温まってください」

 いつの間に誰が用意を頼んだのか。
 見上げて首を傾げると、ランバルトは浴室の床に漸くレティレナを下ろした。
 着せかけられた外套と彼女を抱えるランバルトの体温で、移動も肌寒くなど感じずすっかり忘れていたけれど、レティレナは雨で全身濡れ鼠。
 ランバルトはそのことを忘れてはいなかったらしい。温められた浴室の空気に、レティレナも身体に張り付くドレスの不快感を思い出した。
 中で準備をしていた若いメイドが優雅に腰を折る。彼女が風呂と着替えの世話をしてくれるのだろうか。

 身体を全て包んでいた黒衣の外套がランバルトの手でほどかれ、もつれるように床へと落ちる。
 黒の下には白。
 まるで花嫁衣装のように着せられた白のドレスは、所々に血の染みを残し、精緻なレースは無残な有り様だ。ランバルトはほんの一瞬だけレティレナのドレス姿に険しい顔をして、けれどすぐにいつもの通りの雰囲気に戻る。

「着替えたあとに、また会いましょう」
 にっこり笑うと、そんなことを言って浴室を出ようとした。

 途端、レティレナは小さな震えと苦しさに襲われた。
 さっきまで、あんなに落ち着いていられた筈なのに。
 これまでの出来事がレティレナの中に戻ってくる。
 沢山の信じられないような事ばかりの、波乱に満ちた一日だった。
 けれどタンジェもレティレナも無事だし、フローレンスとだって決着をつけた。
 それなのに、手が離されただけで不安で苦しくなるなんて。

 出て行くランバルトにお礼を言って、引き継いで世話をしてくれるメイドに声をかけなきゃいけないのに。
 ――深呼吸をすれば大丈夫。そう、いつものように振る舞うの。
 心の中だけで自分を叱り、励ます。
 けれど思考とは裏腹に、がしっと音がしそうなくらい必死でランバルトの腰に腕を回していた。
 これが身体が心を裏切るとかいう現象だろうか。

「待って、ここに居て。どこへもいかないで」
「え、はいい?」

 口も心を裏切ったらしい。
 困った。けれど手が離れない。
 流石に面食らったのか、ランバルトが両手を挙げて固まる。さらにレティレナはぎゅうぎゅうと抱きついた。その腰骨を折ってやりたいくらいの気持ちで、強く。

「お風呂、入らなくても大丈夫だから」
「いや、それは駄目でしょう」
 いちいちツッコミが冷静で憎たらしい。
 ランバルトは優しいけれど、何故かすごく殴りたくなる時がある。殴れないのでレティレナは悪戯をしていた。
 今は悪戯をするつもりはないけれど、殴りたい。
 ……代わりに両腕に力を込める。

「じゃあ一緒に入って」
「もっとだめっ!」
「目を瞑るから、決してランバルトの裸を見たりしないわ」
「その場合俺が目を瞑るべきでは」
「じゃあ二人とも目隠しをしましょう? それで手を繋げば完璧……」
「何が完璧なんです、俺にどんな変態の称号を背負わせようと!?」

 叫んだランバルトが力尽くで腕を剥がした。
 けれど腕を捕まえたまま、レティレナを凝視して何故か固まっている。
 そう思ったら、次の瞬間にはまた抱き上げられていた。
 これ幸いとランバルトの首に両腕を回して、子供のように縋り付く。
 良かった、安心する。
 顔を押しつけると、ランバルトの首元が濡れていた。気になって唇を寄せてみる。塩辛かった。
 更に強く抱きしめられた。

 ――ああ、私は泣いていたのね。

 突然溢れ出した涙は止めようもなく、そのまま首に齧り付くように肩を振るわせ泣いた。

 レティレナは泣いているし、ランバルトは子供をあやすように抱き上げたままどうにも動けない。
 そんな二人に名案というより剛胆な折衷案を提案したのは、騒ぎに駆けつけた女中頭だった。

「まあまあ! お二人とも冷えてしまいますわ。お嬢様はバスタブへ、旦那様は衝立の向こうでお着替えください。すぐに盥をご用意いたします」

 ランバルトが今まで見たこともないほど大きく目を見開いて、口をあんぐりと開けていたので、レティレナの涙は引っ込んだ。
 反論を試みたランバルトだったが、年上の女中頭に笑顔で押し切られていた。勿論、レティレナに異などない。

「さあ肩まできちんと浸かってくださいね」
 女中頭はメイドに指示を出し、自らもレティレナの髪を洗いあげていく。湯と泡で満たされたバスタブの中で、ファリファを思い出した。彼女はファリファよりずっと年上だけれど、その手の優しさは二人とも通じるものがあったから。
 柔らかく温かい液体に浸かっていると、ぶり返していた不安と恐怖が溶けていく。
 ゆっくりと目蓋を閉じて、衝立越しの水音と衣擦れを聞く。
 ずっとランバルトが傍にいてくれる。
 大丈夫、ここは安全。
 ようやく実感が身体を満たしてゆく。

「ありがとう。とっても気持ちいいわ」
 レティレナが笑顔でそう返すと、女中頭もメイドも浴室に篭もった熱気のせいか、頬を上気させ嬉しそうに笑みを返してくれた。
 レティレナの笑顔も心の落ち着きと共に、通常の効力が戻ってきたらしい。

 壁に取り付けられたシャワーから、直接銅管を通ったお湯が降り注ぎ身体から泡を流す。
 沸かした場所から銅管を巡らせ、浴室の蛇口に直接湯が届くように出来ていると、女中頭が説明してくれた。外国製の最新式らしい。バストーヴァの城にはないものだ。興味津々であれこれと質問を重ねる。彼女たちも、屋敷全体で大幅に改修が施された水回りの素晴らしさにはいたく感動しているようで、話に次々と花が咲いた。

「屋敷の手入れが間に合いようございました。主寝室隣の浴室にも同じ銅管を通しておりますので、ご安心ください」
 女中頭はにっこりと満足げ。メイドは何故か気恥ずかしそうに目を逸らしながら、レティレナの髪を拭きあげている。二人とも総じて楽しそうだ。
 レティレナは何が安心なのかさっぱりわからなかったけれど、手入れが間に合ったという出来事自体は良いことだと思うので、曖昧に頷いておく。

「ぶはっ……」
 ランバルトのむせた声。ガタッ、バタンと何かをひっくり返すような音と、水の零れる音が衝立の先から聞こえた。

「ランバルト、大丈夫?」
「大丈夫。たぶん、いや、俺はもう着替えたので外で待ちま……」
「声の聞こえる場所に居るって言ってくれたじゃない」ほとんど女中頭に押し切られて、だったが。
「言いましたね。言いましたけど、俺の精神衛生上ちょっとした問題が――うわああ!」

 何かをひっくり返し割る、盛大な音が響いた。
 しどろもどろで大慌てのランバルトが面白くて、レティレナは彼女たちと共に笑った。

 声を上げて笑ったのは、とても久しぶりに感じた。

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