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本編

33 OPEN SEASON 前編 

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 夜も更けて真夜中近く。
 長く続いたレティレナのお披露目を兼ねた舞踏会はとっくに終わり、賓客たちがそれぞれの客室で寝静まっている頃。
 ランバルトは、バストーヴァ城において騎士時代から与えられていた寝室の扉を開けた。

 城の一階に配置されている部屋は、騎士の頃は冬になると寒くてかなわなかった。しかし今はこの近さが有り難い。整えられた客室棟の上階まで登る気力を、使い果たしてしまったていたから。
 極上の獲物をあっという間に攫われた、独身の青年貴族達からのやっかみと当て擦りをいなすのは、社交界など六年ぶりのランバルトとって、少々疲れる内容だった。世の中では女の嫉妬は怖いものだと言われているらしいが、男の嫉妬もなかなかに侮れない。久しぶりの王都風の皮肉の応酬に晒され、腕を磨き直そうと決める。この先は騎士ではなく領主として生きていくのだから。
 そして兄のウッドテイル侯爵や殆どの賓客が引き取った後も、ランバルトはバストーヴァの領主一族に捕まり、際限なく強い酒を注ぎ続けられた。
 長い一日だった。

 だから、扉を開けて広がる事態の厄介さに、そのまま蹲ってしまいそうになる。
 けれどそんなことをしたら、そのまま立ち上がれそうになかったので、きっちり鍵をかけた扉に額を数度打ち付けて正気を保つ。
 ……額を打ち付ける行為は、まだ正気の範囲に数えても許されるだろうか。

「遅かったのね。ジャイス兄様に無理に飲まされたのでしょ。兄様ってばウワバミなんですもの」

 数刻前、ホール舞踏室で引き離され、先に場を辞した愛しい女性が、夜着におろし髪という無防備な姿で、ランバルトの寝台の上に居る。

「レティレナ姫」
「なあに?」
「酒を盛ったのはジャイス様だけじゃありません。全員です」
「まあ! それでこんな遅くまで捕まってたのね。断ってしまえば良かったのに」
 ――断りなんてするものか。
 酒を勧める未来の義兄達の目は、そう簡単に妹は渡さないぞと語っていた。まさに試練の延長戦だ。
 認めたはずじゃなかったのか? 大の男が四人も揃って、往生際が悪い。などと思いつつも、ランバルトは甘んじて延長戦を受けた。そして、何とか生還した。

 しかし生還した自室には、何故かレティレナが居るというこの状況。
 奇襲攻撃を仕掛けてくるという意味では、本当にバストーヴァの兄妹は似たもの兄妹だろう。振り回される回数と規模がおかしい。

「ええと、どうやってこの部屋に。施錠はされていたはずですが」
 額を押さえながら向き直ったランバルトに、レティレナがいっそ清々しいほどの笑顔を向ける。

「もちろん、窓からよ。ランバルトの部屋に私が忍び込んだのは、これが初めてじゃないもの」
 彼女が指さす先の窓は、今はしっかり掛け金が下りている。「一階なら簡単よ」と得意げに語るが、それは誇って良いことじゃない。

「そういえば、俺の剣を持ち出したことがありましたね」
「カエルを毎晩シーツに放したときもあったわ」
 レティレナがまだ十歳の頃。ランバルトが色々なことを諦めていた十七歳の頃。
 その頃と今では、何もかもが違う。

「まさか、こんな真夜中にお一人で中庭を横切ったなんておっしゃいませんよね」
 こめかみがずきずきと痛む。婚約祝いだと、レティレナの四人の兄達に酒を次々注がれたせいだけでもない気がする。

「そんな真似しないわ。優秀な護衛がエスコートしてくれたの」
「……なるほど」
 ランバルトの声があまりに低かったからだろう。レティレナの肩がぴょんとはねた。
 ちょっと今は、優しい言葉をかけるために繕う余裕がない。
 暴挙を止めない愚か者は誰だろう、という考えと、それ以上に自分以外の誰かにこんな姿を晒したのだと想像すると、腹の底に言い表しようのない澱が溜まって、気分がおかしくなる。
 酔いがだいぶ回っているらしい。今晩のランバルトは、上手く心を隠せない。

「でも、彼は残り物のイノシシの骨を咥えたら、さっさと寝床に帰ってしまったの。薄情でしょ」
「護衛って。なんだ、モスですか」
 モスはバストーヴァで飼われている猟犬の一匹だ。特にレティレナとランバルトに懐いている。
 もし不埒な真似をしようとレティレナに近づく者があったなら、相手が賓客だって熊だって、襲いかかるだろう。
 途端に肩に入っていた力が抜けて扉に寄りかかる。無意識に緊張していたらしい。ランバルトは安堵の溜息を吐き出した。

「ねえ、そんなに気分が優れないなら、誰か呼んだ方がいい?」
 心配するように、寝台から降りたレティレナがひたひたと裸足で近づき、ランバルトの額に触れようと手を伸ばした。靴を脱ぐのは彼女の癖。晒される素足にこちらがどれだけ釘付けになるかなんて、知りもしない。
 伸ばされた手を掴んで、ランバルトは手の平に口づけを落とす。
 熱さに驚いたように引っ込めようとするレティレナの手首を、緩く掴みながらも離さなかった。

「どうして今夜、この場所へ、ひとりで訪れたのです。ほんの一日前に言ったはずでしょう、このまま奪ってしまいたいと」

 昨夜は寝室で二人きり。今よりよっぽどお膳立ては整っていた。
 けれどあの時レティレナは足まで隠れるくらい全身をローブで覆い、誘拐の余波を抱え涙を流していた。
 箍はちゃんと機能していた。
 今はどうだろう。
 婚約を交わしたばかりの愛しい人。
 その人が、裸足でランバルトの部屋に忍んできたのだ。

「共に在りたい、って言ったのはランバルトだわ」
 緑の瞳が燃えている。部屋の僅かなランプの灯りが、緑に金を混ぜて妖しく彩る。
 彼女の負けず嫌いは筋金入り。そう、体当たりは昔からだった。
 素直に口に出来ないもどかしさの分、行動で筋を通す。不器用で真っ直ぐなのに、ひねくれている愛情表現。

「甘やかすのは昨日までです。今日からは対等ですから容赦しませんよ」
「それなら敬語をやめて。対等に、容赦をせずに扱って」

 騎士であり紳士である前に、ランバルトはただの恋をする男なのだ。
 返事の代わりに、飢えたような激しい口づけでレティレナの唇を塞いだ。

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