オープンシーズン ~妖精姫は今日も預かりの騎士にいたずらを仕掛ける~

アルカ

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 翌朝。
 誕生日の朝。
 眠りから覚めて最初に目にしたのは、見知らぬ寝室とよく知る侍女のジルだった。

 厚いカーテンは既に開けられ、明るさが部屋全体を満たす。夜のうちに雨を降らせた雲の名残も、すっかり通り過ぎたのだろう。窓からは晴れ渡った秋の青い空が望める。
 寝台から飛び起きて大きく瞬きをしたレティレナは、傍にあったはずの温もりを探した。
 眠りにつく前は確かにあったのに。
 シーツに滑らせた手は、冷たくなめらかな生地を辿っただけ。彼女以外のへこみも暖かさの痕跡も見つけることは出来なかった。
 そもそもここは、レティレナが眠りについた主寝室ではない。家具も部屋の大きさも違う。おそらく屋敷に滞在する客人用の部屋。
『今夜だけ』の約束通り、朝日の満ちた中にランバルトはいない。

 けれどレティレナは下手な感傷に浸る前に、「ぐえっ」とカエルのような声を上げることになった。

「ああレティ。怖い思いをしたでしょう、可哀相に。こんなにやせ細って!」
 叔母のサリデ夫人に力一杯タックルをかけられたのだ。
 死角からである。狙ってやっていたなら騎士になれそうだ。たぶん違うはず。違うと信じたい。
 辛うじて寝台に倒れ伏さずに持ちこたえたのは、ただの偶然だ。

「一晩でそんなに痩せたりしませんわ、叔母様。痩せたとしたら、食べ損ねた午後のお菓子と夕食の分です」

「あら、それもそうね。ちょっと一晩お転婆をして、家を飛び出したくらいで痩せるなら、国中の娘が家出人になってしてしまうもの。ああでも、貴女の今回のお転婆は内緒ですよ。報告を聞いて知っていますけれど、叱って頂くのはバストーヴァ辺境伯にお任せして、わたくしからはお茶にうんと甘いジャムを入れる刑にしましょうかしら。貴女はもう少し太らないと」

 そう言って微笑む叔母の流れるようなおしゃべりに、日常が戻ってきたことを実感する。彼女との会話は、いつも一を話すと十は返ってくる。
 タンジェの母でありザーク叔父の妻である叔母は、とても話好きで噂好き。楽しい叔母の王都のサロンは、いつだって盛況なのだ。タンジェの明るい語り口は、絶対に彼女譲りだ。

 今回の騒動は、丸ごと無かった事として処理されるはこびとなった。
 レティレナは朝露に濡れる領地の草原を楽しむために、誕生日の当日・・叔母と一緒に侍女を連れて出掛け、馬車で午後戻ってきただけ。
 このでっち上げで通すことに決まった。
 帳尻合わせのため、叔母が侍女のジルを伴って、朝日と共にバストーヴァを出た。ちなみにタンジェは着いてくると主張したらしいけれど、そもそも謹慎処分で城に滞在していたことになっているので、留守番だ。

 叔母に抱きしめられたまま、レティレナはジルに向かって手を伸ばす。ジルはレティレナが目を覚ましてからずっと、固まり立ち尽くしていた。

「おはようジル。今朝も貴女に起こして貰えて嬉しいわ」
「おはようございます、姫様」

 声をかけると、真っ赤な目をしたジルは、伸ばされたレティレナの手を両手で取った。まるで縋るように。強く握りしめたまま、彼女は顔を伏せてしまう。
 最後にレティレナが会話した城の人間はジル。真面目な彼女は、きっと責任を感じてしまったのだろう。
 レティレナは叔母から解放されたもう片方の腕を、ジルの背中に回した。一瞬身体を硬くした後にジルは、片手を解いて恐る恐るレティレナの背に回す。ジルがバストーヴァにやって来て一年足らず。こんなにも距離が近づいたのは初めてだった。握られたままの方の手に、温かい雫が落ちる。
 しばらく動かない二人を、叔母も咎めはしなかった。
 またひとつ、レティレナは日常に戻っていく。
 ほんの少し、けれど明らかに昨日とは違う世界を手に入れて。


 視線を感じて顔を上げると、開け放たれたドアの横。
 ドア枠に肩で寄りかかるランバルトと目が合った。
 いつの間に。
 いつから見ていたのだろう。
 すっかり身支度を調え、隙の無いランバルトの姿。けれど目元は悪戯っ子の様に細められている。
 そして形の良い彼の唇に、人差し指が宛がわれる。
「しぃー」と声が聞こえる様な仕草。目だけでレティレナが頷くと、笑みを浮かべ、そのままドアの外の廊下に消えた。

 これで夕べの出来事も、二人だけの秘密になった。

 ランバルトと二人の秘密はいつだって、レティレナを守るために存在していた。
 幼い頃は彼女の我儘と悪戯、幼心おさなごころを守るため。
 今は、淑女としての名誉を守るため。
 いったいどれだけ甘やかされてきたのか。

 叔母たちが到着する直前まで、きっとランバルトは傍に居てくれたはず。太陽が昇ってからこの客室に眠るレティレナを移した。
 そんな風に確信している。
 だって朝の光がこんなにも清々しく受け止められるのだから。
 レティレナは最後の我儘を十分に堪能し、満たされている。

 だから、もう大丈夫。

「さあ! 急いでバストーヴァに帰らなくちゃ」

 レティレナは叔母とジルに心から笑いかける。

 それからの時間は慌ただしく、激流のようだった。
 階下に降りた途端、叔母の機嫌が急降下したのだ。
 原因は、同行したはずのザーク叔父。
 バストーヴァからの馬車には、叔父、叔母、ジルの三人が乗っていた。
 しかしレティレナがジルに持ち込んだ衣服を着付けてもらっている間に、叔父は急用で屋敷を発ってしまったらしい。
 出掛けるランバルトの馬車に同行して。
 結果、叔母とジルと三人で帰路につくことになった。もちろん、バストーヴァからの護衛付きである。
 屋敷の女中頭やメイド、昨夜お世話になった人々に総出で見送られつつ、急いでバストーヴァへと取って返す馬車に乗り込む。


 帰りの馬車の中で叔母が「あの朴念仁ったら、謝罪もせずに、顔を合わせもしないなんて。そもそも私の意見などいつも右から左に流して、勝手に物事を決めてばかり」と叔父への鬱憤を爆発させている。今まで彼女は夫を立ててずっと遠慮をしていたらしい。今回の騒動の上に朝のダメ押しで、ザーク叔父は大いに株を下げ、叔母の本気に火を点けてしまった。これからは息子や義理の姪についても、口を出す所存の様だ。タンジェの夢も、もしかしたら叶うかもしれない。
 叔母との縮まった距離。従兄の未来がほんの少しだけ好転したらしいこと。無駄なことなんて無かったのだと、素直に嬉しく感じた。
 帰りの馬車の間中、叔母のおしゃべりに気分を紛らわせてもらい、ジルとずっと並んで手を繋いでいたことが、くすぐったかった。

 レティレナはランバルトと別れの挨拶を交わせなかった。

 けれど、それで良かったのかもしれない。
 昨日の晩、珍しく彼女は素直になってしまった。きっと朝言葉を交わしたら、せっかく持ち直したのに、我儘な本音を口にしてしまう。
 或いは、天邪鬼な思ってもいない憎まれ口を叩いてしまいそうで。


 レティレナはもう泣かない。
 涙なら、昨晩甘えて一生分を流しきった。
 今日からは強かに、本物の淑女になるのだとこっそり誓った。


 ・・・・・・・・・・


「準備はいいか? レティ」
「はい、ジャイス兄様」

 城の舞踏室に通じる扉の前。
 レティレナをエスコートする末兄ジャイスが、片目を瞑って尋ねる。くすりと笑って、レティレナは引き締まった兄の腕に自らの手を添わせた。
 茶の混じった金髪を後ろに撫で付け正装に身を包むジャイスは、ご令嬢たちがうっとりするような青年貴族の姿だ。けれどレティレナよりも幾分濃い緑の瞳は少しだけ眠そうで、気怠げ。
 ずっと彼女を探して、領内を駆け回っていたから。北の狩猟地付近にまで捜索の手を広げたジャイスに無事が伝わったのは、夜が明ける寸前になってからのことだった。

 その為だろう。レティレナのエスコートをジャイスが主張しても、他の兄達は異を唱えなかった。前の日ぎりぎりまで、長兄のゲイルを除いた三人で揉めていたはずなのに。

ホール舞踏室に入ってからが本番だ。ボロなんか出したら、つまらん。そう、例えばザーク叔父上が頭にリボンを結んでたって、やり過ごさなきゃな」

 やや遅れて城に到着したらしいザーク叔父。彼にその元気が残っているとは思えないけれど、悪巧みをする子供の様に、レティレナはにんまりと笑ってジャイスに答えた。

「私とお揃いのドレスを誂えていたって、完璧に微笑んでみせます」
 この日のために用意された柔らかな空色のドレスを、空いた方の手で撫でる。複雑に結い上げた髪だって完璧だ。

「よし、それでは出陣といこうか。兄貴達と、とびきりの誕生日プレゼントが待ってる」

「プレゼントが待ってる?」

 その言い回しを聞き返したものの、使用人の手によって両開きの扉がゆっくりと開かれ、レティレナは目の前の煌びやかなホールに意識を向けた。




 もう泣かないと、本物の淑女になるのだと、ほんの半日前に決めたはずなのに。
 レティレナは早くも誓いを破ってしまいそうな気分に陥っていた。
 淑女でいるというのは、難解な苦行なのだろうか。

「こちらが、末の弟のジャイス。そして本日成人を迎えました、妹のレティレナです」
「ジャイス、レティレナ。ウッドテイル侯爵アンソニー・グラーソニス卿と、弟君のランビュール・バルト・グラーソニス卿だ。隣の領地には、この度ランビュール殿が就かれることとなった」

 ――ランビュール・バルト、ですって?

 良く似た灰色の瞳のウッドテイル侯爵とグラーソニス卿は、恭しくレティレナの手を取り口付けた。

 長兄のゲイルが真面目な顔を作って、形ばかりに互いを紹介する。
 本当に形だけである。
 長兄の傍に立つ真ん中の兄二人も、レティレナが腕を預けたままの末兄も、あまつさえ紹介されたばかりのウッドテイル侯爵も、みんな笑いを我慢するように、口元をむずむずとさせているのだから。

 ランビュール・バルト・グラーソニス卿に至っては、白い歯が見えそうな満面の笑み。
 黒髪を後ろに流し正装に身を包む姿はとても似合っていて、目眩がする。灰色の瞳は、唇に人差し指を立ててみせたときのように、楽しげに、魅力的に輝いてるのだから小憎らしい。
 人目がなければ殴りたい、いいや、人目があっても殴ってやりたい。

「レティレナ姫、私と踊って頂けますか」
「もちろん喜んで、グラーソニス様」

 末兄の言葉を思い出す。
 まさに今、彼女は出陣の気分である。

 何がプレゼントだ。
 もしかしたらもう会えなくなるのではと、引き留めるような言葉を口にしては迷惑がかかるのではと、殊勝な決意をした昨夜の気持ちを返して欲しい。
 兄達も兄達である。いくら成人前だからって、可愛い末の妹にそこまでひた隠しにする様なことだろうか。
 絶対に楽しんでいる。
 しかも、どうやらウッドテイル侯爵まで一枚噛んでいるのは確実。

 レティレナに用意された『誕生日プレゼント』であるところの、ランビュール・バルト・グラーソニス卿。
 またの名を騎士ランバルトの手を取って、レティレナはこの戦に勝ってみせようと、淑女の笑みを浮かべた。

 淑女の仮面は本当に役に立つ。
 もう教育係には足を向けて寝られない。彼女のために特別な焼き菓子を焼こう、そうしよう。
 その前に、目の前のグラーソニス卿に用意しなければ。
 もちろん彼専用の、壮絶な味と緑一色の食べ物を。

 そう、そもそも殊勝な態度なんて、レティレナには縁遠いのだ。

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