上 下
20 / 53
本編

19 ガーシュ・アイロニー 

しおりを挟む
 

「誰の仕業か見当は付いている。ガーシュ・アイロニーだ」

 バストーヴァに到着して早々、ザーク叔父がそう断言する。
 苦虫を噛み潰したような渋面のザークの言葉に、バストーヴァ領主ゲイルは眉をひそめた。

 バストーヴァ城内は水面下で騒ぎになっていた。
 馬車に乗ってタンジェと共に裏門から出たレティレナが、一時間経っても戻らない。
 ジャイスが兵と騎士を連れて飛び出したものの、まだ何も知らせはない。猟犬に匂いを辿らせようにも、この雨では役に立たないだろう。馬車の轍も同じく。
 ゲイルは城を離れるわけにはいかない。明日のために滞在する客人に、主役が行方不明なので探しに行きますなどと、言えるはずもないだろう。

「その人物は一度、叔父上からご紹介頂きました。レティレナとの縁組みでしたら断ったはずです」
「ああ。しかし、アイロニーは諦めなかった」
「アイロニー伯爵家に対して弱みなど、持ち合わせていないはずなんですがね」

 ゲイルの呟きに、明らかに不機嫌になりながらも、ザークは渋々経緯を話し始めた。

「アイロニー伯爵家は血筋も格式も申し分ない。その上現当主ガーシュの才は突出している。……投資や経営に乗り出す貴族を嘲笑う風潮は消えないが、実際は多くの家が財政難に苦しんでいるのはお前も知っているだろう」
「方々への支払いが滞っていると、新聞に書き立てられた侯爵家だってあるくらいですからね」
「うむ。そんな時勢に、ガーシュは投資家として大成功している。アイロニー伯爵夫人となれば、レティレナは王都で何不自由ない暮らしが送れる」
「だからレティの相手として推挙した、と」
「そうだ。しかし私とてお前の意向を無視する気は無い。アイロニーには王都に戻ってすぐに断りを入れた。あの時の顔合わせは、良い思い出ではなかったしな」

 執務室のソファにどかりと腰を下ろし、ザークが溜息を吐く。
 ゲイルだって溜息を吐きたい。それにあの顔合わせで悪印象だったのは、目の前の叔父の方なのだが。

「それでは、いきなり今回のような行動に出たということですか?」
「いや、そうではない」
 ゲイルに向かって、ザークは手を振る。
 今日ばかりはゲイルも叔父の話の回りくどさに、つま先を鳴らしたくなってきた。

「半年ほど前だろうか。レティレナにウッドテイル次期侯爵との縁談話があるという噂が流れた。あくまで噂だ。ちょうど、次期侯爵が社交シーズンに顔を出したからな。他にも何人もの有力な令嬢の名前が挙がる中の一人として囁かれたのだ。私はもちろん否定した」

 ゲイルは小さく息を吐き、壁に気配を消すように佇む黒ずくめの男を見やる。黒い髪に黒いマント、灰色の瞳はランプの炎だけを映す鏡のようだ。
 表情は動かない。
 叔父など、彼が同席していることさえ失念しているようだ。

「その時になにかあったのですね」ゲイルが話を促す。

「突然アイロニーが訪ねてきた。権利書の束を携えてな。ここ二年、特に私が出資している鉱山や投資物件を調べ上げた上で、『同じ物を最も有力な出資者として押さえている。レティレナを花嫁として寄越さなければ、それら全てから出資金を引き上げる』と言って。一番の出資者が抜けるとなれば、事業は立ち行かなくなるだろう。そんなことになったら、私は大損だ」

「まさか、それでレティレナを売ったと言うんじゃないでしょうね」

 ゲイルの声が自然と低くなる。声音は動物の警戒の唸りのような剣呑さを帯びた。
 ゲイル達の父親が亡くなったとき、レティレナはまだ乳飲み子だった。当時ゲイルはまだ十六歳。レティレナの後見人は、叔父と共同で務めることになった。
 十六歳になったレティレナと結婚しようと思えば、叔父の許可でも事足りる。
 アイロニーはそれを調べ上げ、叔父ザークに標的を絞った。

「見くびるな。私とてお前達が大事なのだぞ。可愛い姪を売るような真似をするか! だから、バストーヴァからもアイロニーからも、社交の場からさえも距離を取った」

 確かにここ半年、叔父はバストーヴァに寄りつかなかった。収穫祭とレティレナの誕生日に、欠席を申し出たことにも得心が行く。

「するとあの男、今度は自分の縁者を使ってタンジェを誘惑に来た。ご丁寧に劇場で出会ったふりまでして。息子が熱を上げる未亡人とやらを調べたら、アイロニーに辿り着くとはな。頭の血管が切れるかと思った」

「それがうちの侍女が報告した『フローレンス』ですね」
 ジルからの報告は早かったが、彼女は馬車とフローレンスを見ていない。情報としては不十分だった。

「そうだ。タンジェが熱を上げている、フローレンス・フェザーと名乗る女の金の流れを調べると、アイロニー伯爵家に行き着く」
「伯爵家に令嬢などおりましたか?」
「いいや。しかし異母弟妹ならば居てもおかしくはない。先代は貴族らしい貴族・・・・・・・だったからな。その女がアイロニーの屋敷に出入りしていることを、私が掴み乗り込んだ時、アイロニーは笑って言った。『美しい花嫁を迎えることこそ、自らに科せられた運命なのだ』と」

「それはまた、随分と……」
 自分勝手な運命もあったものだと、ゲイルは心の中で呆れる。

「姉上の時もそうだった」
「はい?」
 いきなり母親を引き合いに出され、ゲイルが聞き返す。

「姉上も社交界で天使と呼ばれ、もて囃された。本人の望むと望まざるとに関係なく。中にはアイロニーのようにおかしな輩もいたはずだ。きっと、危ない目にも遭っていたのだろう。それなのに、私はあの頃の社交界での姉上こそ、幸せの頂だと信じていた。バストーヴァのような田舎に嫁ぎ、華やいだ王都を離れるのは、家のために仕方なくだったのだと。――姪がこんなことになってから気付くのでは遅かったが」

 ザークは両肘を膝に乗せ、支えるように手を額に当てている。
 ぐったりとしたその姿は、心底疲れ切っているように見えた。以前会った時よりも、随分と老けたようにも感じる。

「失礼、サリデ卿。フローレンスの容姿をご存じですか?」

 ずっと気配を消して佇んでいた黒ずくめの男が口を開く。
 はっと初めて気付いたように、顔を上げ振り返ったザークだったが、素直に頷いた。
 男は機会を伺っていたのだろう。
 あの叔父が素直に話し始める姿に、ゲイルはこんな時だというのに驚かずにはいられない。
 たっぷりとザークが話すのを彼が許容していたのは、記憶の糸を手繰り寄せ易くするためか。

「うむ。一度だけ、アイロニーの屋敷でその女に出迎えられたことがある。まるで女主人のような振る舞いに、眉をひそめたものだ」

 年の頃は二十代。化粧は濃い。
 背は高め。女にしては低めの声。
 飴色の髪に冴え冴えと凍るような青の瞳。
 まるで作り物のように整った造形。
 特に印象的な青の瞳は、アイロニーとよく似ている。

 そこまで聞き出すと、黒ずくめの男はザークを見つめたまま、思案するように顎に手を当てた。
 ザークは途端に落ち着かない気分に襲われ、執務室の居心地の悪さに目を泳がせた。

「私は妻の様子を見てくるとしよう。タンジェとレティが共に居なくなって、あれも堪えているようだ」
「もちろんです、叔父上。叔母上にどうぞよろしくお伝えください」
「ああ。すまんが、今夜の晩餐は欠席させて頂こう」

 ザークは足早に執務室をあとにした。
 ゲイルが浅く頷くと、従者がもろもろの手配のためザークを追うように退出する。


 部屋に残されたのはバストーヴァ領主ゲイルと、黒ずくめの男――ランバルトだけ。

「叔父を完全には切れないなんて、愚かだと思うか」

 自らの磨き上げられた執務机に浅く腰をのせ、ゲイルは息を吐くように呟く。
 この歳の離れた友人には、つい本音を零してしまう。
 妹もきっとそうなのだろう。
 ランバルトの側に居るときのレティレナは、いつだって朝露に咲き誇る若いバラのように瑞々しく輝き、妖精のように悪戯な羽をめいいっぱい伸ばしている。

「いいえ。家族も親戚もそういうものでしょう。サリデ卿は強引ですが、矜恃をお持ちだ」
「ただの頑固じじいとも取れるがな」

 二人で溜息を吐いたあと、顔を引き締める。

「バストーヴァから王都へ続く街道へ向かうなら、ウッドテイルの領地を必ず通ります」とランバルト。
「出来るだけ穏便に済ませたい」
「もちろん」

 優雅な礼と共に黒ずくめの男は風のように執務室を出て行った。

「まったく、とんでもない預かりものをしたものだ」

 ランバルトは、もうゲイル預かりの騎士ではない。
 ここに駆けつけることも、内輪の執務室での会話に加わる事もないはずの身。
 けれど、建て前などに何の意味があるだろう。
 可愛い妹とついでに従兄が攫われたというのに!

 しかし不謹慎ではあるが、ゲイルの胸の内にはそこまでの緊迫感は押し寄せていなかった。

 あのレティレナに限って、転んでもただで起きるはずがない。レティレナを見た目だけで判断するなら、アイロニーは手痛い目に遭うだろう。
 過保護に育てたといっても、レティレナはバストーヴァの姫。
 ゲイル達家族自慢の妖精姫だ。

 そして、ゲイルにはあのランバルトが妹の危機に間に合わないなどという姿が想像できないのだ。
 何故なら彼は、自らレティレナを望んだから。
 今までの人生で、決して己の意思では何も望んでこなかった男が。
 望むことを許されなかった男が。
 レティレナを欲した。

 それはつまり、絶対に叶うという意味だ。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

アニラジロデオ ~夜中に声優ラジオなんて聴いてないでさっさと寝な!

坪庭 芝特訓
恋愛
 女子高生の零児(れいじ 黒髪アーモンドアイの方)と響季(ひびき 茶髪眼鏡の方)は、深夜の声優ラジオ界隈で暗躍するネタ職人。  零児は「ネタコーナーさえあればどんなラジオ番組にも現れ、オモシロネタを放り込む」、響季は「ノベルティグッズさえ貰えればどんなラジオ番組にもメールを送る」というスタンスでそれぞれネタを送ってきた。  接点のなかった二人だが、ある日零児が献結 (※10代の子限定の献血)ルームでラジオ番組のノベルティグッズを手にしているところを響季が見つける。  零児が同じネタ職人ではないかと勘付いた響季は、献結ルームの職員さん、看護師さん達の力も借り、なんとかしてその証拠を掴みたい、彼女のラジオネームを知りたいと奔走する。 ここから第四部その2⇒いつしか響季のことを本気で好きになっていた零児は、その熱に浮かされ彼女の核とも言える面白さを失いつつあった。  それに気付き、零児の元から走り去った響季。  そして突如舞い込む百合営業声優の入籍話と、みんな大好きプリント自習。  プリントを5分でやっつけた響季は零児とのことを柿内君に相談するが、いつしか話は今や親友となった二人の出会いと柿内君の過去のこと、更に零児と響季の実験の日々の話へと続く。  一学年上の生徒相手に、お笑い営業をしていた少女。  夜の街で、大人相手に育った少年。  危うい少女達の告白百人組手、からのKissing図書館デート。  その少女達は今や心が離れていた。  ってそんな話どうでもいいから彼女達の仲を修復する解決策を!  そうだVogue対決だ!  勝った方には当選したけど全く行く気のしない献結啓蒙ライブのチケットをプレゼント!  ひゃだ!それってとってもいいアイデア!  そんな感じでギャルパイセンと先生達を巻き込み、ハイスクールがダンスフロアに。 R15指定ですが、高濃度百合分補給のためにたまにそういうのが出るよというレベル、かつ欠番扱いです。 読み飛ばしてもらっても大丈夫です。 検索用キーワード 百合ん百合ん女子高生/よくわかる献血/ハガキ職人講座/ラジオと献血/百合声優の結婚報告/プリント自習/処世術としてのオネエキャラ/告白タイム/ギャルゲー収録直後の声優コメント/雑誌じゃない方のVOGUE/若者の缶コーヒー離れ

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

獣人専門弁護士の憂鬱

豆丸
恋愛
獣人と弁護士、よくある番ものの話。  ムーンライト様で日刊総合2位になりました。

処理中です...