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本編
19 ガーシュ・アイロニー
しおりを挟む「誰の仕業か見当は付いている。ガーシュ・アイロニーだ」
バストーヴァに到着して早々、ザーク叔父がそう断言する。
苦虫を噛み潰したような渋面のザークの言葉に、バストーヴァ領主ゲイルは眉をひそめた。
バストーヴァ城内は水面下で騒ぎになっていた。
馬車に乗ってタンジェと共に裏門から出たレティレナが、一時間経っても戻らない。
ジャイスが兵と騎士を連れて飛び出したものの、まだ何も知らせはない。猟犬に匂いを辿らせようにも、この雨では役に立たないだろう。馬車の轍も同じく。
ゲイルは城を離れるわけにはいかない。明日のために滞在する客人に、主役が行方不明なので探しに行きますなどと、言えるはずもないだろう。
「その人物は一度、叔父上からご紹介頂きました。レティレナとの縁組みでしたら断ったはずです」
「ああ。しかし、アイロニーは諦めなかった」
「アイロニー伯爵家に対して弱みなど、持ち合わせていないはずなんですがね」
ゲイルの呟きに、明らかに不機嫌になりながらも、ザークは渋々経緯を話し始めた。
「アイロニー伯爵家は血筋も格式も申し分ない。その上現当主ガーシュの才は突出している。……投資や経営に乗り出す貴族を嘲笑う風潮は消えないが、実際は多くの家が財政難に苦しんでいるのはお前も知っているだろう」
「方々への支払いが滞っていると、新聞に書き立てられた侯爵家だってあるくらいですからね」
「うむ。そんな時勢に、ガーシュは投資家として大成功している。アイロニー伯爵夫人となれば、レティレナは王都で何不自由ない暮らしが送れる」
「だからレティの相手として推挙した、と」
「そうだ。しかし私とてお前の意向を無視する気は無い。アイロニーには王都に戻ってすぐに断りを入れた。あの時の顔合わせは、良い思い出ではなかったしな」
執務室のソファにどかりと腰を下ろし、ザークが溜息を吐く。
ゲイルだって溜息を吐きたい。それにあの顔合わせで悪印象だったのは、目の前の叔父の方なのだが。
「それでは、いきなり今回のような行動に出たということですか?」
「いや、そうではない」
ゲイルに向かって、ザークは手を振る。
今日ばかりはゲイルも叔父の話の回りくどさに、つま先を鳴らしたくなってきた。
「半年ほど前だろうか。レティレナにウッドテイル次期侯爵との縁談話があるという噂が流れた。あくまで噂だ。ちょうど、次期侯爵が社交シーズンに顔を出したからな。他にも何人もの有力な令嬢の名前が挙がる中の一人として囁かれたのだ。私はもちろん否定した」
ゲイルは小さく息を吐き、壁に気配を消すように佇む黒ずくめの男を見やる。黒い髪に黒いマント、灰色の瞳はランプの炎だけを映す鏡のようだ。
表情は動かない。
叔父など、彼が同席していることさえ失念しているようだ。
「その時になにかあったのですね」ゲイルが話を促す。
「突然アイロニーが訪ねてきた。権利書の束を携えてな。ここ二年、特に私が出資している鉱山や投資物件を調べ上げた上で、『同じ物を最も有力な出資者として押さえている。レティレナを花嫁として寄越さなければ、それら全てから出資金を引き上げる』と言って。一番の出資者が抜けるとなれば、事業は立ち行かなくなるだろう。そんなことになったら、私は大損だ」
「まさか、それでレティレナを売ったと言うんじゃないでしょうね」
ゲイルの声が自然と低くなる。声音は動物の警戒の唸りのような剣呑さを帯びた。
ゲイル達の父親が亡くなったとき、レティレナはまだ乳飲み子だった。当時ゲイルはまだ十六歳。レティレナの後見人は、叔父と共同で務めることになった。
十六歳になったレティレナと結婚しようと思えば、叔父の許可でも事足りる。
アイロニーはそれを調べ上げ、叔父ザークに標的を絞った。
「見くびるな。私とてお前達が大事なのだぞ。可愛い姪を売るような真似をするか! だから、バストーヴァからもアイロニーからも、社交の場からさえも距離を取った」
確かにここ半年、叔父はバストーヴァに寄りつかなかった。収穫祭とレティレナの誕生日に、欠席を申し出たことにも得心が行く。
「するとあの男、今度は自分の縁者を使ってタンジェを誘惑に来た。ご丁寧に劇場で出会ったふりまでして。息子が熱を上げる未亡人とやらを調べたら、アイロニーに辿り着くとはな。頭の血管が切れるかと思った」
「それがうちの侍女が報告した『フローレンス』ですね」
ジルからの報告は早かったが、彼女は馬車とフローレンスを見ていない。情報としては不十分だった。
「そうだ。タンジェが熱を上げている、フローレンス・フェザーと名乗る女の金の流れを調べると、アイロニー伯爵家に行き着く」
「伯爵家に令嬢などおりましたか?」
「いいや。しかし異母弟妹ならば居てもおかしくはない。先代は貴族らしい貴族だったからな。その女がアイロニーの屋敷に出入りしていることを、私が掴み乗り込んだ時、アイロニーは笑って言った。『美しい花嫁を迎えることこそ、自らに科せられた運命なのだ』と」
「それはまた、随分と……」
自分勝手な運命もあったものだと、ゲイルは心の中で呆れる。
「姉上の時もそうだった」
「はい?」
いきなり母親を引き合いに出され、ゲイルが聞き返す。
「姉上も社交界で天使と呼ばれ、もて囃された。本人の望むと望まざるとに関係なく。中にはアイロニーのようにおかしな輩もいたはずだ。きっと、危ない目にも遭っていたのだろう。それなのに、私はあの頃の社交界での姉上こそ、幸せの頂だと信じていた。バストーヴァのような田舎に嫁ぎ、華やいだ王都を離れるのは、家のために仕方なくだったのだと。――姪がこんなことになってから気付くのでは遅かったが」
ザークは両肘を膝に乗せ、支えるように手を額に当てている。
ぐったりとしたその姿は、心底疲れ切っているように見えた。以前会った時よりも、随分と老けたようにも感じる。
「失礼、サリデ卿。フローレンスの容姿をご存じですか?」
ずっと気配を消して佇んでいた黒ずくめの男が口を開く。
はっと初めて気付いたように、顔を上げ振り返ったザークだったが、素直に頷いた。
男は機会を伺っていたのだろう。
あの叔父が素直に話し始める姿に、ゲイルはこんな時だというのに驚かずにはいられない。
たっぷりとザークが話すのを彼が許容していたのは、記憶の糸を手繰り寄せ易くするためか。
「うむ。一度だけ、アイロニーの屋敷でその女に出迎えられたことがある。まるで女主人のような振る舞いに、眉をひそめたものだ」
年の頃は二十代。化粧は濃い。
背は高め。女にしては低めの声。
飴色の髪に冴え冴えと凍るような青の瞳。
まるで作り物のように整った造形。
特に印象的な青の瞳は、アイロニーとよく似ている。
そこまで聞き出すと、黒ずくめの男はザークを見つめたまま、思案するように顎に手を当てた。
ザークは途端に落ち着かない気分に襲われ、執務室の居心地の悪さに目を泳がせた。
「私は妻の様子を見てくるとしよう。タンジェとレティが共に居なくなって、あれも堪えているようだ」
「もちろんです、叔父上。叔母上にどうぞよろしくお伝えください」
「ああ。すまんが、今夜の晩餐は欠席させて頂こう」
ザークは足早に執務室をあとにした。
ゲイルが浅く頷くと、従者がもろもろの手配のためザークを追うように退出する。
部屋に残されたのはバストーヴァ領主ゲイルと、黒ずくめの男――ランバルトだけ。
「叔父を完全には切れないなんて、愚かだと思うか」
自らの磨き上げられた執務机に浅く腰をのせ、ゲイルは息を吐くように呟く。
この歳の離れた友人には、つい本音を零してしまう。
妹もきっとそうなのだろう。
ランバルトの側に居るときのレティレナは、いつだって朝露に咲き誇る若いバラのように瑞々しく輝き、妖精のように悪戯な羽をめいいっぱい伸ばしている。
「いいえ。家族も親戚もそういうものでしょう。サリデ卿は強引ですが、矜恃をお持ちだ」
「ただの頑固じじいとも取れるがな」
二人で溜息を吐いたあと、顔を引き締める。
「バストーヴァから王都へ続く街道へ向かうなら、ウッドテイルの領地を必ず通ります」とランバルト。
「出来るだけ穏便に済ませたい」
「もちろん」
優雅な礼と共に黒ずくめの男は風のように執務室を出て行った。
「まったく、とんでもない預かりものをしたものだ」
ランバルトは、もうゲイル預かりの騎士ではない。
ここに駆けつけることも、内輪の執務室での会話に加わる事もないはずの身。
けれど、建て前などに何の意味があるだろう。
可愛い妹とついでに従兄が攫われたというのに!
しかし不謹慎ではあるが、ゲイルの胸の内にはそこまでの緊迫感は押し寄せていなかった。
あのレティレナに限って、転んでもただで起きるはずがない。レティレナを見た目だけで判断するなら、アイロニーは手痛い目に遭うだろう。
過保護に育てたといっても、レティレナはバストーヴァの姫。
ゲイル達家族自慢の妖精姫だ。
そして、ゲイルにはあのランバルトが妹の危機に間に合わないなどという姿が想像できないのだ。
何故なら彼は、自らレティレナを望んだから。
今までの人生で、決して己の意思では何も望んでこなかった男が。
望むことを許されなかった男が。
レティレナを欲した。
それはつまり、絶対に叶うという意味だ。
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