オープンシーズン ~妖精姫は今日も預かりの騎士にいたずらを仕掛ける~

アルカ

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本編

9 森とイリの花

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「ふふっ。みつけた」

 十五歳になったレティレナは、咲きほころぶ寸前のイリの花を見つけて屈むと、その蕾に優しく触れた。
 この一年とちょっとで、真っ直ぐなばかりだった彼女の身体は女性らしい丸みを帯び始め、仕草にも柔らかさが加わった。
 バストーヴァ領主の元には十六歳の成人の誕生日と、その後に控える社交界デビューを待たずに、既にいくつかの縁談話が持ち込まれている。縁談の申し入れがあることも、それらを兄が全て断っていることも知らずに、彼女は今日もランバルトをお供にのんびりと過ごしていた。

 昼食後の休憩時間を一緒に過ごすのが、このところの二人のお決まりだ。
 以前のように昼を毎日緑色に染められるほど、最近は時間が確保出来ない。きっと内心ランバルトは胸を撫で下ろしているはず。それでもレティレナが押しかけた時には、迎えが来るまで律義に同席してくれる。
 相変わらず気安いのに根は実直で、騎士然としていて、小憎らしい。
 レティレナはその時間をランバルトを人間椅子にして読書にあてたり、散歩と称して森まで付き合わせたりして過ごす。

 今日は猟犬に育ったモスを連れて、城裏手の森の入り口まで足を延ばしていた。

「薬草園にこの花は植えていないのですか?」
「ないわ。あそこは熱冷ましや傷薬になるようなよく使う薬草と、手に入りにくい珍しい薬草、あとは緑色の野草育成特化ですもの。森に自生しているような花々は植えてないの」

 イリの花を傷つけないよう慎重に摘み取る。振り返りながら答えると、ランバルトは口元を引きつらせながら笑っていた。

「緑色特化はいらないです。よくゲイル様の許可がおりましたね」
「だって言ってないもの。シダ科と蔦科の区別がつかないゲイル兄様に、悪戯ランバルト専用だなんてばれる訳ないでしょ?」

 ふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべると、今度こそランバルトは声を上げて笑った。その声につられて、口を開けて一緒に笑いそうになり、レティレナは急いで内頬を噛んで耐えた。一緒に笑いあうなんて、仲良しみたいで面白くない。

 裏の森まで行かなくても、薬草とレティレナ気に入りの野草は、城内の中庭の一角に作られた専用の薬草園で手に入る。
 長兄ゲイルに温室付きの薬草園の増築を強請り、野草と薬草の活用に一定の理解を勝ち取ったのだ。鍵付き倉庫で厳重に保管されている輸入香草の一部を種から栽培して、商人からの買い取りを後々減らせそうだと展望を語ったのが効いたらしい。まだまだ実験段階だが。元々あった薬草園の敷地を大幅に増やし、その一部に専用の一画を手に入れた。
 この件以来、城付きの料理長と医師はレティレナの絶対的な味方になった。彼女の我儘は、領内の研究と活用に、ほんの少しだけ役に立ったらしい。
 医師に教わり、簡単な調合ならば手がけられるまでになった。もとから緑色の効能への探求は、ランバルトでさんざん実験していたのだ。
 悪戯のために始めた野草集めは、レティレナの興味を占める学びの対象へと変わっていった。
 今では専門の書物を取り寄せることも許可されている。

「そろそろいいわね。戻りましょう」
「渡す本人を心配させては本末転倒ですからね」
「ランバルトはいつも一言多いのよ」
「これはこれは、失礼しましたレティレナ姫」

 わざとらしいランバルトの口調と会釈にひと睨みしてから、モスを探して首をめぐらせる。
 入り口付近は森番の手も入っているので危険は滅多にないが、野生の獣との鉢合わせを防ぐためにモスを連れて来ていた。幸い何もなくてよかった。
 久しぶりの散歩だと尻尾を千切れんばかりに振りながら着いてきたモスは、当てが外れて面白くないみたいだ。レティレナの歩みは遅く、止まってばかりだったものだから飽きて、少し離れた木漏れ日で寝そべっている。

「モース! いらっしゃい」

 レティレナが大きな声で呼ぶと、モスは耳だけ向けて寝そべったまま尻尾を振る。
 どうやら「そっちが来れば?」という意味らしい。
 犬は明確な序列を付ける種だ。失礼なことに、モスはレティレナを自分の下に位置付けている。

「モス、帰るぞ」

 大きくもないランバルトの一声で、モスはさっと立ち上がり跳ねるように駆けてきた。
 彼の側を一周してから、斜め後ろにピタリと付き、次の命令を待つように熱心に見つめている。

「おかしい、絶対におかしいわ。私は子犬の頃のモスと毎日遊んであげていたのよ。それなのに」
「そもそもあなたが、俺の服にモスの匂いを移したのがきっかけですし」

 そうなのだ。ランバルト追い出し作戦の一環で、彼の服にモスの毛を付けまくっていたせいで、モスはランバルトに懐いてしまった。今では彼の命令を優先する。

「うううー。モス、お手! あ、なんで聞こえてませんって顔してるのよっ」
「モス」
 レティレナの時には知らん顔をしていたモスが、ランバルトに向かってお手をする。しかも、言われてないのに反対側の手まで差し出した。おかわりだ。

「うそ。モスあなた、おかわりまで出来たの……」

 ショックを受けたところへ追い打ちをかけるように、ランバルトが首を傾げる。

「猟犬ですから『伏せ』も『待て』も勿論出来ますし、ちゃんと獲物の追い込みだってやりますよ。モスは優秀ですから」
「私の時には餌がないと何もしないのに」
「舐められてますね」
「ふんっ」

 笑みを含んだその声にぎりぎりと奥歯を噛みしめていると、ランバルトが笑いを堪えながら手を差し出してきた。

「モスじゃありませんが、俺の手で我慢してください」
「い や よ」

 歯の間から絞り出すように告げて、レティレナはくるりと踵を返しひとりで歩きだす。

「危険ですから」
「危なくなんてないわ。生まれてから何年ここに通っていると思ってるの――きゃあっ」

 憤懣を込めて地面を踏みしめた何歩目かの足運び。靴底から、ずるっと嫌な感覚が伝わる。苔に足元を取られたのだ。そう言えば、今朝は薬草園にも朝露がたっぷりと降りていた。森の苔も滑りやすくなっていた。
 転びそうになり、レティレナはとっさに目を瞑る。
 けれど、いつまでたっても衝撃は訪れない。

「ですから森の中で手を離すのは危険ですよ、小さなレティレナ姫?」

 上からため息交じりの常より低い声をかけられ、レティレナの肩が跳ねる。
 小さなレティレナ姫。
 聞き分けがないからと、子供扱いをされた。その通りすぎて、頬が熱くなる。
 支えるために後ろから腰に回されていたランバルトの両手がゆっくりと離され、彼女の右手を彼の左手がしっかりと握った。
 転びそうになったレティレナとそれを支えるランバルトを見て、モスはじゃれあっていると思ったらしい。自分も混ぜてというように、尻尾を振って吠えながら、二人の周りを飛び跳ねている。

「…………ありがとう」
 さっきまでの意固地になった自分が恥ずかしい。
 レティレナはモスの吠え声に紛れるような小さな声で、目も合わせずに礼を口にした。

「どういたしまして」
 ランバルトは、聞き逃しはしなかったけれど。

 結局そのまま手を繋いで森を戻った。
 苔生す森は滑りやすいし、子供の頃と違ってしっかりヒールのある靴は森を歩くには不安定。支えなしで進んでさっきみたいにひやりとするなんて絶対に嫌。と、誰にともなく心中で言い訳をする。
 だってまだ心臓がどきどき言っているし、合わせた手の平の冷や汗が止まらないのだから。

 いくら羽を伸ばして気兼ねなく意見を口に出来るからって、ランバルトに対すると、どうしてこんなに感情の起伏が激しくなってしまうのか。
 さっぱりわからない。
 そんな時には、気持ちごと高笑いで吹き飛ばすのがいい。だからレティレナは森を歩きながら、久しぶりに手の込んだ緑色増量の昼食を作ることに決めた。

 それから一週間ほど、ランバルトの昼食は全盛期に戻ったような強烈な緑色だった。

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