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本編

5 緑は美味しい

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 十四歳になったレティレナは、人待ち顔で鍛練場の方角をうかがった。

 ハイウエストのドレスは足首までを隠し、金の髪に映える若草色。髪にはゆるく編み込んだ同じく若草色のリボン。大きな緑の瞳は、透き通った白い肌を彩る宝石のように輝いている。彼女の姿絵を描かせてほしいと、領主に願い出た画家は一人や二人ではない。

 ランバルトへの悪戯を繰り広げた出会いの年。
 その一年で仕出かした数々の出来事を受けて、家族は末姫を奔放に育て過ぎたことをようやく直視した。というか、さすがにこれでは将来がまずいと不安になった。
 淑女教育が強化され、レティレナには専任の教育係が用意された。
 今では一人で裏の森に入ったりはしないし、尻叩きなんてされるような悪戯はしない。
 ……たまにこっそり、裸足にはなるけれど。

 苦労性な教育係が胃を痛めながらも教え込んでくれた、立ち居振る舞いと微笑み。お転婆で動くことが大好きだったため、引き締まり均整のとれた肢体。コシのある金の髪は毎日きちんと櫛を通されて、収穫前の小麦のように柔らかく輝く。
 領民たちももう彼女を妖精姫などとは呼ばない。

 休憩時間になって、食堂に向かう騎士たちが鍛錬場から出て来た。
 彼らは廊下の先にレティレナを見つけると、挨拶を口にしつつ、好奇心とお節介を発揮して押し出すように待ち人をその目の前に立たせてくれる。
 毎度小突かれ押し出される彼はいい迷惑だろう。

「ごきげんよう、レティレナ姫」

 ランバルトはレティレナに礼を取り、その後ろに控えていた世話係のファリファにも会釈する。ついでにファリファが持つバスケットに視線を走らせた。

「こんにちは。今日のお昼も付き合ってくださるかしら?」

 小首を傾げて見せると、ランバルト以外の人々から了承の声が上がった。子供じみた悪戯をしなくなり、年頃となったレティレナの評判は上々だ。
 だからこれは最近のバストーヴァでの、いつもの光景。

 にっこりと微笑み左手を差し出すと、ランバルトは諦めたように「喜んで」と呟いて自らの右腕にレティレナの左手を導き、ファリファからバスケットを受け取る。
 騎士達はみんな笑顔で二人を送り出してくれた。
 周りをそれと気づかれずに味方につけ、相手の断れない状況を作り出す――レティレナは成長したのである!

 ランバルトは騎士。
 騎士は常に婦女子のような弱者を守る者であり、貴婦人に恥などかかせてはならない。
 この騎士道精神に、今の自分がぴったり当てはまる都合の良い存在なのだと、レティレナは自覚している。
 世の中にはとんでもない非道な騎士もいることくらい知っている。でもランバルトは出会った当初のいけ好かない態度の時ですら、騎士としての精神は貫き続けていた。
 彼自身がレティレナの悪戯を誰かに言いつけたことなんて、一度もなかったのだから。
 最初からずっと。
 その点は認めてあげなくもない。こうして悪戯も上手くいくってものだし。
 レティレナは心の中だけでニンマリとしながら、表面上は花のような笑みを振りまき、遠くなる騎士たちに優雅に振り向き手を振った。


 城の中庭の端には東屋あずまやが佇む。
 景観の一部として配された東屋は、背の高い植物に囲まれている。
 ここからなら、季節ごとに彩りを変えて目と鼻を楽しませてくれる、庭の草花をぐるりと見渡すことができた。
 東屋の白く塗られた木組みの柱に這わせた蔦が、さらさらと涼しげにほんの少しの葉音を奏でる。風通しの良い造りは、適度な解放感と秘密の場所めいた雰囲気を両立させていた。

 ここはレティレナのお気に入りの場所。

 ファリファとは廊下で別れたので、今はランバルトと二人きり。
 騎士の中にファリファの旦那様が居るのだ。お相手は、収穫祭でランバルトの後に彼女と踊っていたそばかすのエリク。慣れ染めはとファリファに聞いたら、ランバルトに歓迎の焼き菓子を断られたとき、エリクがあの手この手で慰めようとしてくれたからなのだと、恥ずかしそうに教えてくれた。
「ランバルトが居るから安心して」と言うと、新婚の二人は嬉しそうに一緒に食事を摂りに行く。
 お蔭でレティレナは誰にも見咎められず、ランバルトに嫌がらせが出来る。完璧な展開すぎて心の中の高笑いが止まらない。

 レティレナは東屋のテーブルにバスケットの中身をあけながら、上機嫌で口を開いた。

「今日のお昼は、塩漬け肉の香草焼きと私手製のパン。それと果物」
「……パン?」
「ええそうなの。初挑戦にしては上手く出来てるでしょ」

 パンを作るのは初めてだけれど、焼き加減は完璧。パン焼き職人の腕のお蔭なのは分かっているが、窯の前で目を光らせ続けた彼女の功績も少しくらい含まれている、かもしれない。
 ご満悦のレティレナの横でランバルトががくりと肩を落とす。

「これまた随分と鮮やかな緑色で。最近の俺の昼飯、ほぼ緑色なんですけど」

 収穫祭の夜からずっと、二人は仲直りしたかのように思われている。
 彼に懐き、後をついて回る姿はまるで兄妹のようだと。兄達が構ってくれない分、ランバルトに甘えているのだろう、と。

 けれどレティレナにとっては新たな闘志を燃やした決意の夜。
 悪戯はより高度な、隠密仕様へと進化したのだ。

「私手製の昼食に文句があるなら、ゲイル兄様に言いつければ良いじゃない?」
「しません。でもほら、他の色も見てみたいなーって」
「他の色ならちゃんと入っているわ。ほらここの深緑と、黄緑と、若草色」
「それぜんっぶ緑ですよね」

 ランバルトのこんな砕けた調子にも慣れた。
 突っ込みが入ったところで、中身の説明を続ける。

「麦の若葉を摘ませてもらって、練り込んだの。じっくりと天日で乾燥してすり潰し、粉にして混ぜ込むのよ。パンに使うのは初めてだから、窯担当の料理人を囲い込んだりと大変だったんだから。緑色の粉で窯を汚さないでとか懇願されちゃった」

 料理人達も、ほぼ毎日のように厨房に出入りするレティレナには遠慮がない。こんなやり取りは日常茶飯事。ランバルト追い出し作戦に熱を上げて、厨房を緑色に染めた十歳の頃からの付き合いだ。あの時は厨房全体から臭いが取れなくて、何日間か青臭い料理が続いた。彼等はレティレナが新しい料理に挑戦しようとすると、毎度のようにあの時のことを引き合いに出す。もう三年以上も前なのだから忘れてくれてもいいのに。
 今は料理が趣味の普通の令嬢なのに。ちょっと緑色ばかりだからって、みんな大げさに顔を引きつらせすぎだ。

「はい、あーん」
 ランバルトの横に陣取り、椅子に膝立ちで半ば乗り上げるようにして口元に緑色の物体を押し付ける。スカート部分に皺が寄るけれど、身長差があるのだから仕方ない。この数年でレティレナの背はぐんぐん伸びた。しかしそもそも差がありすぎるので、思ったほど縮まっていないのだ。悔しい。

「緑には慣れたつもりなのに……」

 ランバルトは独り言を口の中でぼやきながら、それでも口元に迫る肉を挟んだ鮮やかな緑色のパンに齧りつく。
 レティレナは小さく勝利のこぶしを作って、自らも一回り小さく切り分けてある同じ物を口にした。
 自分で作っておいてなんだが、一口目はいつも勇気が要る。混ぜているものに体に害のあるものなんて入ってない。寧ろ薬草やら古今東西の健康に効くと謳われる物ばかりを配合している。ただほんの少し、想像を絶する味と鮮やかなエメラルドグリーンをしているだけで。口に含んだ途端鼻に抜ける青臭さと苦味。一口噛みしめるごとに、間に挟まれている塩漬け肉になって天に召された豚と、それを調理した料理人に謝り懺悔したくなる気持ちが湧いてくる。
 使っている物は全て手を抜いてない一級品ばかりなのに、出来上がると悔い改めたくなる味だなんて。巷で流行っている退廃的芸術とはこのことか。
 味に混乱しすぎて思考がおかしくなってきた。

 レティレナが一緒に同じ物を食べるからこそ、周囲に嫌がらせだとは悟られない。
 だからこのくらいの犠牲など、へっちゃらだ。

「とっても栄養満点だし、食べてもお腹壊したりしないのよ? それに焼いてもこの発色を濁らせずに出すの、苦労したんだから」
「栄養は疑ってませんよ。野草も薬草も今までさんざん盛られましたけど、腹を壊すなんて一度だって無かったですし。身体の調子はむしろ良くなるっていうのが、不本意というか納得いかないというか」
「でしょ。ねえ、おいしい?」
 猫なで声を作って、目の前で咀嚼するランバルトを見つめて問う。

「……もちろん、おいしいです」
 淑女に恥をかかせぬため、真顔でランバルトが返すまでがお約束。


 いたずらは本日も成功。
 要はランバルト以外に嫌がらせだと思われなければ良いのだ。
 収穫祭のあの日から、レティレナは勉強熱心で従順な令嬢を続けている。王都かぶれの従兄の鼻柱を折るのも、五回に一回に抑えているし、カエルだってもう素手で捕まえたりしない。

 ランバルトは二人きりの悪戯を、誰にも告げ口しない。
 本性はレティレナを振り回す食えない男なのに、やっぱり騎士だから。
 気付いてからは彼だけに仕掛ける悪戯と嫌がらせが、そうして時にはやり返されてからかわれる時間さえ何故か待ち遠しい。
 令嬢らしくするのは嫌いじゃないけれど、時々たたんだ羽を伸ばしてみたくなるのだ。
 外から見ると姫らしくなったと家族は胸を撫で下ろし、城内の者も好意的に接してくれるように戻った。
 ランバルト以外はみんな概ね幸せ。いいことじゃないか。

「ふふっ今日も私の勝ちね!」
「そもそも勝ち負けとか、競ってませんよね?」
 ランバルトが二つ目の緑のパンに手を伸ばしながら答える。

「細かいことはいいの。おいしいと言いつつそのどんよりとした目! 私の調合の勝利だわ」

 現実での高笑いが止まらない。
 このあとの自由時間には、どんな風にランバルトを振り回してやろうかと楽しく夢想する。
 その様子に、ランバルトが優しい目で苦笑いしているなんて気付きもしないで。


 もう一度齧りついた昼食は相変わらず緑で青臭かった。
 けれど、不思議とさっきより美味しく感じた。

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