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第十三章 新世界
新世界(1)
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いつまでも裸のままでベッドから抜け出そうとしない明莉を置いて、僕は彼女の家を後にした。布団を抜け出して、服を着て、身支度を整えて、靴を履いて。
篠宮明莉とエッチした。
それは僕を新しい世界へと連れていくはずだった。
それなのに冬の空は暗くて、世界は妙に色褪せて見える。
篠宮明莉はシーツの上で泣いていた。
どうして世界はこうも残酷なんだろう。
小学生の頃に彼女と通った小学校が東の方角に見える。教室は真っ暗だった。
小学校で机を並べた日々を思い出す。あの頃は男女の付き合いとか、性交渉とか何も考えなかった。ただ一緒にボールを追いかけて、DSを近づけてゲームをした。それが楽しかった。二人でいることに理由はいらなかった。同じ部活だとか恋人だとか。
アスファルトの上を自宅へ向かって歩く。
横断歩道を走り抜ける少年少女の半透明な背中が見えた。鞄を持って、水筒を持って、意味のない言葉を連呼しながら掛けていき――消えていく。
それは幼い頃の僕と明莉だった。この街には明莉との記憶が何重にも染み付いている。
僕は彼女と一緒にいたかった。明莉を大切にしたかった。
昔から続いていた彼女との変わらない時間を、これからもずっと続けたかった。
身体は大人になって、人間関係は複雑になった。
大人になって変わっていく未来が近づいて来ても変わらない確かな存在が欲しかった。
だから僕は彼女との偽装恋愛を本物へと変えようとした。
彼女と共に生きる世界線へと僕たちの人生を収束させるために。
この動画の力を使って。あの日、手に入れたたった一枚のカードを使って。
――僕は彼女とエッチした。
本物だと思っていた願いは叶った。彼女をこの腕に抱いた。その膣内に精を注いだ。
それでも世界は変わらない。――むしろ僕は失ったのかもしれない。
ベッドで彼女は泣いていた。――もしかすると真白先生を思って。
明莉の膣内に挿入していた時に感じたあの正しさは、何だったのか。
僕は見たのだ。発散を止めて収束する先の世界線を、快楽に溺れた脳内で。
でも今この手の中には、もはやその手掛かりさえ存在していない。
『秋翔くんは明莉ちゃんを――諦めちゃだめだよ。あーしは信じている。秋翔くんの思いはきっと届く。いつか明莉ちゃんは振り向いてくれるよ。どんなことがあっても諦めないで。あーしは知ってる。秋翔くんの明莉ちゃんへの思いは本物だって――。だから秋翔くんは本当の願いを……叶えてね』
そう言ってくれた森美樹の言葉を思い出す。
彼女は僕の背中を押してくれた。彼女が押してくれた方向に僕は歩けたのだろうか?
僕は自分の本当の願いを叶えられたのだろうか?
もし叶えられたのだとしたら、僕が今抱えている喪失感は何なのだろう。
――この孤独感は何なのだろうか?
僕はむしろ大切なものを失ってしまったのではないだろうか。
不安ばかりが襲ってくる。胸の奥が締め付けられる。呼吸が苦しい。
僕は誰かに縋りたかった。苦しみを分かち合って欲しかった。
僕は誰に助けを求めればいい? 誰が僕のことを支えてくれる?
日の暮れた登校路を抜けると、家の前の街灯が見えてきた。
一昨日その下に明莉が立っていた。幼馴染みの姿が情景にオーバーレイする。
明莉と母さんと三人でご飯を食べたあの時間は、僕が欲しい未来そのものだった。
スマホの動画で僕が砕いたのは真白先生と明莉の関係ではなくて、自分自身の未来だったのかもしれない。
虚構で現実を上塗りして、望む未来を手に入れるはずだった。
それなのに、今は現実が虚構みたいに霞んでいる。
冬の風が吹きつけた。制服の隙間から冷気が侵入して僕の体温を奪う。
明莉とのセックスで火照った身体から、もう随分と熱は抜けていた。
羽虫が気ぜわしく上空を飛ぶ街灯の下で、僕はその支柱に背を預ける。
スマートフォンを取り出す。LINEの画面を開いてアカウントを選択してから音声通話ボタンを押した。
――繋がればいいな。
彼女だったら、今の僕を支えてくれる気がするから。
呼び出し音が止まった。
『もしもし~、秋翔くん? どしたのー?』
電話口には森美樹の明るい声が現れた。彼女はもうなんだかすっかり元気だ。
「んー。まぁ、ちょっとね。……どうしてるかな? って思って」
『え、なになに? 秋翔くん、あーしの声が聞きたくなったの? ニシシ。親友だもんね~?』
やっぱり森さんは優しい。砕けそうだった心がその声で少しだけ修復される。
彼女とは身体を重ね合った関係。僕の親友。
もしも僕が明莉を失ったとしたら――森さんは僕を受け入れてくれるのだろうか。
明莉との未来が無くなっても僕の存在が許される世界線はあるのだろうか。
「――元気そうだね? 良かった。一昨日は全然元気なかったけれど、大分回復した?」
彼女を抱いたのが二日前。あの時の森さんの感触がまた肌に蘇る。
親友とのセックスだったけれど、あれはどこか幸せなセックスだった。
香奈恵さんを抱いたのは脅迫だった。その後は何度か屋外で交わっているけれど、それは安らぐセックスではなくて、貪るようなセックス。
今日、明莉としたのは――無理矢理のセックス。
森さんとのセックスだってちょっと強引だった気はする。
でも――彼女には優しく包まれる感覚があった。
だから――彼女なら僕のことを救い出してくれるんじゃないかという期待があった。
『うん、ありがとう。秋翔くんのおかげだよ~。あれからね、洋平とちゃんと話したんだ。あーしの不安とか、想いとか』
「――そうなんだ。洋平はなんて?」
『信じて欲しいって! 誤解なんだって。そして、――あーしのことやっぱり愛してるって……言ってくれたの』
LINE音声通話越しでも森美樹が恥ずかしそうに顔を赤らめているのが分かった。
――何故だか心が軋む。
「そっか――良かったじゃん。元鞘?」
『そんな感じ? ありがと。秋翔くんのおかげだよ~。ちゃんと思っていることを言い合うのって大切だね。……あ、もちろん、秋翔くんとのことは言っていないよ? その……一昨日したこととか』
まぁ、それを言ったら、流石に一悶着あるだろう。
それを知った上で、水上がどういう選択をするのかには少し興味があるけれど。
『――だからね、秋翔くん。あーしたち、親友だけど、やっぱりこれからは、……友達として、……その、節度あるお付き合いをできたら……って思うんだ。――いいよね?』
フェラチオもセックスもしない。つまりはそういうことだ。――そういうことなんだ。
僕と森美樹の関係性は、今、整理されようとしている。
頭から急速に血の気が引いていく感覚がした。
篠宮明莉とエッチした。
それは僕を新しい世界へと連れていくはずだった。
それなのに冬の空は暗くて、世界は妙に色褪せて見える。
篠宮明莉はシーツの上で泣いていた。
どうして世界はこうも残酷なんだろう。
小学生の頃に彼女と通った小学校が東の方角に見える。教室は真っ暗だった。
小学校で机を並べた日々を思い出す。あの頃は男女の付き合いとか、性交渉とか何も考えなかった。ただ一緒にボールを追いかけて、DSを近づけてゲームをした。それが楽しかった。二人でいることに理由はいらなかった。同じ部活だとか恋人だとか。
アスファルトの上を自宅へ向かって歩く。
横断歩道を走り抜ける少年少女の半透明な背中が見えた。鞄を持って、水筒を持って、意味のない言葉を連呼しながら掛けていき――消えていく。
それは幼い頃の僕と明莉だった。この街には明莉との記憶が何重にも染み付いている。
僕は彼女と一緒にいたかった。明莉を大切にしたかった。
昔から続いていた彼女との変わらない時間を、これからもずっと続けたかった。
身体は大人になって、人間関係は複雑になった。
大人になって変わっていく未来が近づいて来ても変わらない確かな存在が欲しかった。
だから僕は彼女との偽装恋愛を本物へと変えようとした。
彼女と共に生きる世界線へと僕たちの人生を収束させるために。
この動画の力を使って。あの日、手に入れたたった一枚のカードを使って。
――僕は彼女とエッチした。
本物だと思っていた願いは叶った。彼女をこの腕に抱いた。その膣内に精を注いだ。
それでも世界は変わらない。――むしろ僕は失ったのかもしれない。
ベッドで彼女は泣いていた。――もしかすると真白先生を思って。
明莉の膣内に挿入していた時に感じたあの正しさは、何だったのか。
僕は見たのだ。発散を止めて収束する先の世界線を、快楽に溺れた脳内で。
でも今この手の中には、もはやその手掛かりさえ存在していない。
『秋翔くんは明莉ちゃんを――諦めちゃだめだよ。あーしは信じている。秋翔くんの思いはきっと届く。いつか明莉ちゃんは振り向いてくれるよ。どんなことがあっても諦めないで。あーしは知ってる。秋翔くんの明莉ちゃんへの思いは本物だって――。だから秋翔くんは本当の願いを……叶えてね』
そう言ってくれた森美樹の言葉を思い出す。
彼女は僕の背中を押してくれた。彼女が押してくれた方向に僕は歩けたのだろうか?
僕は自分の本当の願いを叶えられたのだろうか?
もし叶えられたのだとしたら、僕が今抱えている喪失感は何なのだろう。
――この孤独感は何なのだろうか?
僕はむしろ大切なものを失ってしまったのではないだろうか。
不安ばかりが襲ってくる。胸の奥が締め付けられる。呼吸が苦しい。
僕は誰かに縋りたかった。苦しみを分かち合って欲しかった。
僕は誰に助けを求めればいい? 誰が僕のことを支えてくれる?
日の暮れた登校路を抜けると、家の前の街灯が見えてきた。
一昨日その下に明莉が立っていた。幼馴染みの姿が情景にオーバーレイする。
明莉と母さんと三人でご飯を食べたあの時間は、僕が欲しい未来そのものだった。
スマホの動画で僕が砕いたのは真白先生と明莉の関係ではなくて、自分自身の未来だったのかもしれない。
虚構で現実を上塗りして、望む未来を手に入れるはずだった。
それなのに、今は現実が虚構みたいに霞んでいる。
冬の風が吹きつけた。制服の隙間から冷気が侵入して僕の体温を奪う。
明莉とのセックスで火照った身体から、もう随分と熱は抜けていた。
羽虫が気ぜわしく上空を飛ぶ街灯の下で、僕はその支柱に背を預ける。
スマートフォンを取り出す。LINEの画面を開いてアカウントを選択してから音声通話ボタンを押した。
――繋がればいいな。
彼女だったら、今の僕を支えてくれる気がするから。
呼び出し音が止まった。
『もしもし~、秋翔くん? どしたのー?』
電話口には森美樹の明るい声が現れた。彼女はもうなんだかすっかり元気だ。
「んー。まぁ、ちょっとね。……どうしてるかな? って思って」
『え、なになに? 秋翔くん、あーしの声が聞きたくなったの? ニシシ。親友だもんね~?』
やっぱり森さんは優しい。砕けそうだった心がその声で少しだけ修復される。
彼女とは身体を重ね合った関係。僕の親友。
もしも僕が明莉を失ったとしたら――森さんは僕を受け入れてくれるのだろうか。
明莉との未来が無くなっても僕の存在が許される世界線はあるのだろうか。
「――元気そうだね? 良かった。一昨日は全然元気なかったけれど、大分回復した?」
彼女を抱いたのが二日前。あの時の森さんの感触がまた肌に蘇る。
親友とのセックスだったけれど、あれはどこか幸せなセックスだった。
香奈恵さんを抱いたのは脅迫だった。その後は何度か屋外で交わっているけれど、それは安らぐセックスではなくて、貪るようなセックス。
今日、明莉としたのは――無理矢理のセックス。
森さんとのセックスだってちょっと強引だった気はする。
でも――彼女には優しく包まれる感覚があった。
だから――彼女なら僕のことを救い出してくれるんじゃないかという期待があった。
『うん、ありがとう。秋翔くんのおかげだよ~。あれからね、洋平とちゃんと話したんだ。あーしの不安とか、想いとか』
「――そうなんだ。洋平はなんて?」
『信じて欲しいって! 誤解なんだって。そして、――あーしのことやっぱり愛してるって……言ってくれたの』
LINE音声通話越しでも森美樹が恥ずかしそうに顔を赤らめているのが分かった。
――何故だか心が軋む。
「そっか――良かったじゃん。元鞘?」
『そんな感じ? ありがと。秋翔くんのおかげだよ~。ちゃんと思っていることを言い合うのって大切だね。……あ、もちろん、秋翔くんとのことは言っていないよ? その……一昨日したこととか』
まぁ、それを言ったら、流石に一悶着あるだろう。
それを知った上で、水上がどういう選択をするのかには少し興味があるけれど。
『――だからね、秋翔くん。あーしたち、親友だけど、やっぱりこれからは、……友達として、……その、節度あるお付き合いをできたら……って思うんだ。――いいよね?』
フェラチオもセックスもしない。つまりはそういうことだ。――そういうことなんだ。
僕と森美樹の関係性は、今、整理されようとしている。
頭から急速に血の気が引いていく感覚がした。
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