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第八章 勉強会

勉強会(12)

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 月曜日放課後の理科実験室で、水上洋平は篠宮明莉の前で性器を露出した。
 ――有罪は確定したとして、その量刑はいかほどか?
 禁固刑程度になるか、死刑程度にまで跳ね上がるのか。
 それは、その後に何があったかによる。 
 きっと森さんはもっと先――つまり性行為があったと考えているのだろう。

「――見ていたのか? 理科実験室でのアレを?」

 さすがのイケメン水上も、その顔を青ざめさせた。
 あの理科実験室の出来事に関しては、やましい気持ちがあるということだ。

「でもどこで? ――どうやって?」
「――さあな。でも水上が言ったんだろ? 『壁に耳あり障子に目あり』だって」
「――それはそうだけど。……まさかあれを美樹も?」

 水上の疑念を、僕は肩をすくめてやり過ごす。――ノーコメントだ。

「僕が聞きたい質問は明快さ。――あの日、水上はなぜ明莉の前で股間の一物を露出させたのか? ――そしてそれより先に、何があったのか?」
「―――無いよ! 何も無いよっ! そんなのあるはずないだろ?」

 焦って両手を振る水上。

「――じゃあ、どうして出してたんだよ? 明莉の目の前に!? ――お前のその汚らしいチンポをっ!」

 食道の中で音量は絞りながらも、語気を強めて僕は踏み込んだ。
 ――それは僕が裁くべき、親友の犯した罪だから。

「事故だよっ――事故! 俺だってあそこまでやるつもりは無かったんだ。……でも、明莉ちゃんが――」
「――明莉のせいにするつもりか? 水上?」

 裏切り者の親友を、僕は睨みつける。

「ちが……違うよ。――いや、違わないかもしれないけれど……違う」

 一瞬、僕の方を一瞬見て言い訳をしようとした水上は、――すぐに明莉の無実を認めた。
 そうだ。明莉に関して何か問題が生じた時、その責は周囲の人間にある。
 悪いのは全て僕か――もしくはそれ以外の人間なのだ。
 ――明莉は絶対に、悪くない。――明莉に罪は、似合わない。
 
「じゃあ説明してくれよ。水上――お前のファスナーからお前の汚らしいチンポが、明莉の目の前に出た理由をさ――」

 冷静に尋ねる僕の前で、水上はなんだか目を白黒させていた。
 ――今更、自分の犯した罪の意味に気づいたのだろうか?
 そして水上は、おずおずと口を開いた。

「――パンツを穿いていなかったんだ」
「……えっ?」

 思いがけない言葉が飛び出して、僕は眉をひそめた。

「だからパンツを穿いていなかったんだよ! あの時。……時々やるんだ。昼休みにあったバスケ部の昼練で汗をかきすぎてさ。ビショビショだったんだ……。――そういう時のために、いつもは替えのパンツを持ってくるんだけど、あの日は忘れていて。……そういう日はもう、午後の授業をノーパンで受けるんだ」
「……お……おう」

 思わぬ斜め上の告白に、僕は一瞬言葉を詰まらせた。
 パンツというから明莉の話かと思ったら、水上のパンツの話だった。
 運動をすれば汗でパンツがビショビショになる。――そういうことは、たしかにあるだろう。
 それにしても、男のパンツ。――どうでも良すぎる。

「――だから理科実験室の現場の再現で、明莉ちゃんが真白先生に……フェラチオをしたっていうシーンを再現するときに……ポロリと出たんだ」
「――ポロリと……出たのか?」

 水上は真剣な表情でうなずいた。「ああ、ポロリだ」と。――つまり故意ではないのだと。

 そういえばあの時、水上は抵抗するように何か言っていた気がする。

 あの時「ノーパンなんだ」とでも言っていたのだろうか。
 しかし突然ノーパンだと言われても何のことだか分からないだろう。
 明莉もきっと、水上が何を言いたいのかわからなかったに違いない。

「――じゃあ水上は、明莉の前にチンポを出すつもりも、明莉にフェラチオをさせるつもりも、無かったんだな?」
「当たり前だろ――!? チンコが俺のズボンから出ちゃったのは事故さ! 俺は、親友が好きな――偽装でも親友の恋人に、そんなことをする男じゃないさっ!」

 ノーパンでチンポをはみ出さしておきながら、なんとも格好の良いことを言う。

「――じゃあ、その後は?」
「すぐにしまったさ。それにその時、扉の外でちょっと物音がしたから『危ないかも』とも思ってさ……って、アッ、もしかして――あの時の物音って――」

 ようやく気づいたらしい水上に、僕は一つ頷いた。

「多分、それが僕だよ――」
「そっかぁ、なるほどな。あのシーンを見られていたのか……。じゃあ、怒るのも無理ないかもな。――わりぃ」

 水上は右手を立てて、カジュアルに謝った。
 まるで自分のしてしまったことが、その程度の出来事であったかのように。

 僕は、自宅で塞ぎ込んでいるだろう――森美樹のことを思った。
 僕以外の男性器を、見てしまった――篠宮明莉のことを思った。

 たとえ演技でファスナーをおろしたのが明莉であったとしても、それは演技にすぎない。だから明莉には何一つとして瑕疵は無い。――それは演技に過ぎなかったのだから。
 ペニスを突きつけたのが水上である事実は、どこまでも揺らがないのだ。

「――わかったよ。事故だってことも、それ以上のことが無かったってことも……信じるよ」

 僕は座席に沈み込むと、赦免の言葉を漏らした。
 その言葉を額面通り受け取って、水上は安心したように溜め息を吐く。

「助かる。――でも明莉ちゃんが、あそこまでやるとは思わなかったからさ……。明莉ちゃんって――ビッチじゃ……ないよな?」
「水上。いくらお前でも――絞めるぞ? ――明莉にそんな言葉使うなら」
「――あ、いや、悪い。言葉が悪かった……。忘れてくれ」

 明莉はそういうんじゃない。――ビッチなんかじゃない。
 真白先生と付き合っているのだって、誤って別の世界線へと迷い込んでいるだけなんだ。僕が病気になって、もたもたしていたから。
 明莉はそんな、誰の肉棒でも咥えて、誰に向けてでも股を開くような女の子じゃない。
 近い未来に僕の彼女となり、生涯貞淑に添い遂げる――そういう女の子なのだ。

「明莉は――生真面目なんだよ」
「そう……だな。明莉ちゃんは、生真面目……なんだな」

 僕らは少し沈黙する。
 ――やがて二人とも缶コーヒーを飲み終えた。

「――話は以上かな、水上? 部活は大丈夫か?」
「ああ、そうだな。そろそろ行かないと」

 立ち上がって水上はスポーツバッグを肩に掛ける。
 これからバスケットボール部の練習だというのだから、ご苦労様なことだ。

 食堂の入口、自動販売機の前まで歩く。
 空になった缶をゴミ箱に放り入れながら、真剣な口調で水上がまた呟いた。

「でも悠木――偽装恋愛をやめること、これは友人としての真剣な提案なんだ。……もう一度、考えてみてくれ。――一学期の頃のお前を、俺はまた、見たくないんだよ……」

 こちらを向かずに水上は、それでも真っ直ぐに訴えてきた。

「――それで明莉が手に入るなら、……そうするさ」
「このままじゃ、悠木は幸せになれない。――心がすり減るだけだぞ?」
「――僕の幸せは――僕が定義する」

 背を向けた水上の動きが、一瞬止まった。

「――悠木のやっていることは、真白先生への嫉妬と、明莉ちゃんに対する諦めの悪い執着なんじゃないのか?」
「――そうかもな。そうだとして何の問題がある? ……水上、言いたいことはそれだけか?」

 そう返すと、水上は大きな溜め息をついて、僕の方を振り返った。

「――それだけさ」

 放課後の食堂の扉を、僕たちは並んで開いた。
 食堂の前、別れ際、僕は「水上」と親友を呼び止めて――警告する。

「――人の恋愛に首を突っ込んで、大切なものを見失わないようにな」
「どう言う意味だ?」
「――さあな。どういう意味だろうな?」

 よくわからない、といった感じで水上は肩をすくめる。
 水上は「じゃあな」と手を振ると、体育館に向かって廊下を歩きだした。

 取り出したスマートフォンで、その背中を撮影する。
 間違った正義感で僕の世界線に干渉しようとした、惑える隣人の背中を。

 階段へと曲がり、その背中が見えなくなる。
 僕はスマートフォンを下ろし、LINEのアプリを立ち上げた。

 そして音声通話の発信ボタンを押す。
 呼び出し音が数度鳴り、目的の人物が電話口に現れた。

「――もしもし森さん? うん……そう。さっき水上と話したよ。……あぁ。その報告もあるし、ずっと家に居て暇でしょ? だから、よかったら森さんの家で勉強会の続きでもしようか? ……うん。まぁ、大丈夫だよ、僕は、ご両親不在でも。その方がのびのび、しっかり勉強を見てあげられるだろうしね。……うん、わかった。場所は覚えているよ。日曜日に家の前まで行ったしね。……オッケー。じゃあ、いま学校だから、これから向かうよ。三〇分くらいかな? うん――じゃあね」

 通話を切ると、僕はスマホをポケットにしまった。

 さて、――勉強会の時間だ。
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