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第四章 遊園地

遊園地(1)

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「悠木さ~。ちょっといいか?」

 チャイムが鳴って四時間目の物理の授業が終わると水上洋平が声をかけてきた。

「――あ、悪い、ちょっと待って」

 基本的に友達の少ない僕に話しかけてきてくれる水上は貴重な存在だ。
 教室のバランスを保つという意味においても評価されるべき男。

 ただし今は、ちょっとだけタイミングが悪かった。
 僕は軽く水上の肩を叩くと、廊下へと駆け出した。

 昨日保健室の小石川先生に貰った情報を頼りに、真白先生の家を訪れた。
 期待通り、夫不在の先生宅で、奥さん――香奈恵さんと話すことができた。
 そして彼女に僕の肉棒を咥えさせ、僕の子種をたくさん飲ませた。

 でもそれは――ただの代償行為。
 僕の本当の願いではない。
 だから僕は、真白先生を追いかけた。


「――真白先生」


 授業を終えて廊下を職員室へと向かう背中に、声を掛ける。
 昼休みに食堂へと向かう生徒たちが、何人か振り返った。

 衆目の中、真白先生は足を止める。
 黒縁眼鏡の奥の目が細められて、大人の瞳が微笑みを浮かべた。


「あぁ、悠木くんか。……何だい? 質問かい? 授業の内容について」


 一昨日あんなことがあったのに、まるでそれを感じさせない。
 余裕ある教師の受け答え。
 聖職者然とした佇まいは、堂に入っている。
 
 首の皮一枚で繋がっている立場だと、わかっているのだろうか?


「いえ、質問はあるんですが、授業の内容じゃなくて、……一昨日のことなんですが」
「一昨日のこと? あぁ、あの時のことか。……なんだい?」

 繊細な話題に、いきなり僕は土足で踏み込んでみせる。
 真白先生は、周囲には感づかれない程度に、目を黒く光らせた。


「一昨日の約束……覚えてくれていますよね?」
「……さぁ、約束? ――何のことだっけなぁ?」
「――先生!」


 思わず憎しみの滲んだ声を漏らしてしまう。
 廊下の窓にもたれかかっていた女子がどうしたのかと振り向いた。


「――あぁ、あのことだね。……うん、覚えているよ」


 楽しそうに笑うと、真白先生は近づいてくる。
 教科書とノートを脇に抱えたまま。
 僕の目の前までやって来ると、先生は声を潜めた。


「――篠宮さんのことだろう? 分かっているよ、悠木くん。君の大切な幼馴染に、何もおかしなことはしないさ。――僕は……教師なんだよ?」
「……本当ですね?」
「信じてないんだねぇ~、先生のことを」
「そりゃ、そうですよ。誰だってあんなところを……見せられたら」
「――『あんなところ』って何だい? 悠木くん?」
「……それは、もちろん――」


 そこまで言って、僕は口を閉ざす。
 窓際でこちらを振り向いていた女子が、まだ少しこちらを気にしているみたいだ。
 ――公衆の面前で、不用意なことは言えない。


「――悠木くんも気をつけた方が良いよ? 物理の成績がいくら良くたって、きみはまだ、ただの高校生なんだ」
「……どういう意味ですか?」
「なんでもないよ。言葉通りの意味さ」


 真白先生は肩を竦めて見せた。


「――君がいくら彼女に未練があっても、篠宮明莉ちゃんはもう、君のものにはならないんだよ? ――絶対にね」


 周りに聞こえないように、真白先生は殊更に声を潜める。

 苛立ちで僕は拳を握りしめる。
 今すぐにでも動画を校長室に持ち込んで、こいつを放逐してしまいたい。

 ――でもまだだ。
 そんな短絡的な行動が、最適な方法だとは思えなかった。

 時間を掛けて事態を進展させる。
 最後には必ず、明莉は僕のもとへと導かれる。
 どう考えても、それが神の定めた摂理なのだ。

 ウェディングベルは、最後に僕と明莉の上で鳴り響く。


「先生の思い通りには絶対にならないですよ? ――明莉は、僕の言うことを、ちゃんと聞いてくれますから」
「そうか。それなら安心じゃないか。――悠木秋翔くん?」

 真白先生はそう言ってにこやかに笑った。
 きっとそれは絶対的な自信。傲慢なほどの自信。
 でもその笑顔の裏に、どれほどのものが潜んでいるのか、僕は図りかねた。


「先生が――一昨日の約束は覚えてさえいればいいんですよ」
「そうか。うん、覚えておくよ」


 ――守るとは言っていない。
 ただ、その一言をめぐって、この場所で言い合っても埒が明かない。

 僕は話を前に進めることにした。


「そういえば先生、昨日のことなんですけれど」
「――昨日? 昨日は……何かあったか?」


 何のことだかわからないと言わんばかりに眉をひそめる真白先生。
 どうやらそれは演技でないようだった。

 つまり香奈恵さんは、昨日のことを、ちゃんと黙っていてくれるようだ。
 僕はそれを確認する。心の中でほくそ笑んだ。


「……あ、――いえ何でもないんです」
「そうか? ……まぁ、いい。――また物理の授業内容で分からないことがあったら遠慮せず質問してくれていいんだからな、悠木」

 真白先生は二歩ほど後ろ向きに下がると、殊更大きな声を出してみせた。 
 二人が廊下で話していたのは物理に質問だったと、周囲の記憶を上塗りするように。

 そして放送部の顧問でもある物理教師は、――僕に背を向けた。


「――はい。また、訪ねさせていただきますよ、――先生」


 吐き出したい欲望が股間に溜まったら――あなたの奥さんのところをね。
 僕を見上げて精液を飲み込んで、口を開いて見せた、香奈恵さんの表情を思い浮かべた。


 右手を振って去っていく、真白先生。
 その背中を一瞥して鼻を鳴らすと、僕は教室へと戻った。 


 ※


 教室の真ん中にある自分の机に水上洋平が腰を下ろして、森美樹と何か話していた。


「――悪い、水上。何か僕に話だった?」
「……お。おう。もういいのか?」

 声を掛けると、森さんとの会話を止めて、水上は僕の方へと顔を上げた。

 僕に気づいた森さんが「よっ!」と敬礼みたいなポーズを取る。
 くるっとした栗毛の彼女は、今日も元気だ。

 そんな彼女を見て、僕は生唾を飲み込んだ。
 家のパソコンで昨夜何度も再生していた彼女の動画と唇を思い出したからだ。


「ああ、ちょっと物理の真白先生に、野暮用があっただけだから」
「野暮用って。なんだ、質問? 授業の内容?」
「――ん~、まぁそんな感じかな」


 言葉は濁したけれど、嘘をついているわけではないと、思う。
 さっきしていたのは真白先生が明莉に施していた「課外授業」についての質問だった。


「へー、悠木でも、物理で分からないことあるんだな?」
「ん? まぁな。僕はニュートンでも、アインシュタインでも、フォン・ノイマンでもないからね」
「――誰それ?」

 水上が首を傾げるので「知らないのかよ」と、森さんの方を見ると、彼女もやっぱり「――誰それ?」首を傾げていた。

 なおその偉業の割に一般での知名度が無いがフォン・ノイマンは天才物理学者だ。
 現代のコンピュータの原型を作り、量子力学の基礎もゲーム理論の基礎も作った。
 フォン。ノイマンは二十世紀の化け物みたいな存在なのだ。
 ――まぁ、広島と長崎に落とした原爆の開発も主導したから、悪い印象もあるけれど。

 閑話休題。


「――それで、話って何なのさ?」


 僕が尋ねると、水上と森さんは顔を見合わせて悪巧みするような表情を浮かべた。
 二人揃って半目になると、水上が僕に声を潜めた。


「……悠木さ、篠宮さんとの仲――進展させたいんだろ?」


 そういえば一昨日そんな話もしたなぁ、なんて思う。
 これまでの僕なら、赤面して否定していたかもしれない。 
 でもあの理科実験室での出来事以来、僕の頭のスイッチは何か変だ。


「――そうだな」


 斜め前の席に座ってお弁当箱を開けている明莉。
 その姿を視線の端に捉えた。

 僕の返事に、森美樹も目を輝かせる。
 恋愛話は大好物といったところみたいだ。。


「だからさ、ちょっと、提案があるんだ」
「――提案?」


 僕が胡散臭そうに眉をひそめると、森美樹が机の上に両手を突いて身を乗り出してきた。


「悠木くんさ! あーしらとダブルデートしない!? 日曜日に遊園地で!」


 ダブルデート!?
 なんだそのラブコメ小説に出てくるみたいなフレーズは?
 しかも遊園地って。冬だぞ。寒いじゃん。――まぁ、いいけど。

 面食らう僕に、森美樹はニシシと笑った。
 水上が彼女の説明を引き継ぐ。


「――今度の日曜日さ、俺たち例の遊園地に行こうって話になったんだ。それで良かったら、悠木と篠宮さんも一緒に行かないかなって。――どうかな?」

 水上がまるで自分勝手な願い事をするみたいに僕の事を見上げる。
 そもそもそれは彼の願い事じゃなくて、僕のためを思って提案してくれているお誘い。

 本当に水上はイケメンだな――と思う。だから女の子にモテるのだ。


「――いいぜ」
「マジで?」


 僕の返しが意外だったのか、二人は驚きの声を漏らした。
 水上と森さんは、顔を見合わせると「イェーイ」とハイタッチする。


「……それでさ、悠木。実はさ――」


 そう言うと水上は上体を逸して、斜め後ろを振り返った。――篠宮明莉の方向を。

 水上洋平は、こういう仕草がいちいち艶っぽい男である。
 男性の僕でも、そこに色気みたいなものを感じる。

 だから水上洋平がモテることには、尚更納得が行くのだ。
 女の子という女の子が、この男にその心と身体を許してしまうことにも。


「篠宮さんのこと、……誘って欲しいんだよね~」
「――だと思ったよ」


 水上の願い事に、僕は溜め息を一つ吐いた。

 ダブルデートというシチュエーションを用意してくれても、彼女を誘えるかどうかは自分の実力次第ということみたいだ。
 僕は水上の右肩を軽く拳で小突いて、斜め前の座席へと近づいた。


「――あのさぁ、明莉」
「あ――、秋翔くん……。どうしたの?」


 ちょうど明莉がお箸でお弁当箱のソーセージを口に運ぶところだった。
 ――彼女の唇が、まん丸く開いている。


 一昨日、理科実験室の一件があり、夜にあんな電話をした。
 だからまだ少し、明莉との間には気まずさみたいなものがある。

 それでも僕らは幼馴染。二人の間には揺るがない関係性がある。

 彼女の机に手を突くと、僕は明莉に話しかけた。


「今度の日曜日って――空いてる?」
「え、どうして?」


 驚いたみたいに彼女は目を開く。

 こうやって明莉を休日に誘うのなんて久しぶりだ。
 中学までは当たり前だったのに。


「水上と森さんがさ、遊園地に行くんだけど、僕と明莉も一緒に行かないかって」


 振り向いて視線を二人に送る。
 明莉はその視線を追うように振り返った。

 その先で水上と森さんが陽気に手を振っている。


「へー、おもしろそうだね。……でも、水上くんと森さんて――その、付き合っているんだよね? わたしたちが一緒じゃ、邪魔なんじゃない?」
「大丈夫じゃない? そもそも誘ってきたのは向こうなんだし。――ダブルデートみたいなもんだって」
「――ダブルデート?」


 その言葉に明莉は複雑そうな表情を浮かべた。
 表情の意味は幾通りにも解釈できた。


「明莉、――日曜日、空いているよね?」
「でも――デートって……」


 明莉は逡巡するように視線を泳がせる。


「明莉には他に日曜日にデートするような相手は――いないもんね?」
「それは……そう――だけど」

 お弁当箱を包んでいたナプキンの上に、お箸を一旦置く。
 明莉は両手を机の上に下ろして、困ったような表情を浮かべた。

 僕は念を押したのだ。

 真白先生と恋人関係を維持することは許した。

 でも校内でも校外でも異性交遊することは卒業までは許さない。

 もちろんそれにはデートだって含まれるのだ。


 僕は明莉の右手に、そっと自分の右手を重ねた。
 驚いて明莉が顔を上げる。
 僕の視線と彼女の視線がぶつかった――


「じゃあ、決まりだね、明莉。――日曜日は遊園地で、僕らとデートだ」


 明莉の耳元で、僕は囁きかけた。
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